第3話 小田切梨花
第3話前書き
夜の訪問は、歓迎の音を立てない。
約束はあっても、準備はできていない。
ドアの向こうに立つのは、
過去を知る男と、
まだ定義されていない少女。
そして迎えるのは、
測ることを仕事にしてきた女。
ここから始まるのは保護ではない。
同情でもない。
それは、静かな対峙。
互いに譲らない三つの視線が、
同じテーブルに着く夜。
インターホンが鳴った。
小田切梨花はタブレットを伏せ、
壁の時計に目をやった後、玄関モニターを覗く。
画面に映るのは三浦啓介。
その半歩後ろに、少女が立っている。
街灯に照らされた横顔。
細い。だが、脆くはない。
肩に力が入っている。
いつでも身を引ける姿勢。
梨花はロックを解除した。
ドアが開く。
冷たい外気と一緒に、沈黙が入ってくる。
「遅くなった」
三浦はそれだけ言う。
「一時間遅れね」
「途中で休憩を挟んだ」
梨花の視線は、既に少女へ向いている。
顔色。
足取り。
視線の揺れ。
「食事は済んだの?」
「いや」
三浦が隣の少女に視線を動かす。
「別に平気」
少女は三浦の視線を察知、即答。反射。
梨花はわずかに首を傾ける。
「平気かどうかは、食事を前にして決めたら良いわ」
声は柔らかくも厳しくもない。
「用意してある」
少女は三浦を見る。
三浦は何も言わないが軽く顎を動かし少女に合図を送った。
少女は靴を脱いだ。
三浦も室内に入る。
久しぶりの空間を、さりげなく見回す。
本棚。
研究資料。
変わらない配置。
「あの子は?」
短い問い。
梨花は食器を並べながら答える。
「彼女なら研究室。ここのところ、ずーっとね」
三浦は小さく頷く。
それ以上は踏み込まない。
少女は無反応。
今の会話は、自分に関係がない。
梨花が少女に向き直る。
「あなた、名前は?」
問いは静かだが、目は鋭い。
少女は迷わない。
「霧島澪」
「それ、本名?」
間を置かず返る。
「知らない。……みんながそう呼んでる」
事実の提示。
悲壮感も反抗もない。
梨花の目が、わずかに細まる。
「そう。では私もあなたを澪と呼ぶわね」
澪は肯定もしない。否定もしない。
三浦が口を開く。
「君を必要としている」
視線が梨花へ向く。
梨花は澪を見る。
「観察はするけど、測りはしないわ」
一瞬の沈黙。
澪の目がわずかに動く。
観察。
その言葉だけで、十分だった。
「……使う気だろ」
静かな確認。
梨花の眉がほんの少し上がる。
(あらこの子、承知の上で来たの?)
澪は続ける。
「必要とか観察とか、言い方変えてるだけだろ。
理由があるなら、それでいい」
取引の提示。
三浦は何も言わない。
梨花の口元がわずかに上がる。
「私ね、察しがいい子は嫌いじゃない」
評価。
「私は小田切梨花。よろしくね澪」
澪は瞬きもせず言う。
「で、何に使う?」
「まだ決めていないわ。
あなたを見てから決める」
嘘はない。
澪は数秒だけ考え、頷く。
「合理的だな」
三浦が玄関へ向かう。
滞在時間は、必要最小限。
「ここまでだ」
澪が顔を上げる。
「は?」
「俺の役目はここまでだ。」
三浦はわかっている。
これ以上ここに居れば、「情」によって自分の役目が曖昧になる。
澪は背中を見つめる。
置いていかれる不安ではない。
最後まで説明しない三浦の態度が気に入らない。
「逃げんなよ」
三浦の肩が、わずかに止まる。
だが振り返らない。
ドアが閉まる。
静寂。
家の中に残ったのは、湯気と、二人分の呼吸。
梨花がテーブルを指す。
「座って」
澪は無言で座り箸を持つ前に言う。
「理由は?」
「空腹は判断力を鈍らせる」
梨花の即答。
澪は一拍考え、箸を取る。
湯気が立ち上る。
梨花はその様子を観察する。
(この子は、利用されるそのものを問題にしていない。)
理解できないことだけを拒む。
未定義。
だが、曖昧ではない。
その事実が、静かに興味を引いた。
夜の東京で、
小田切梨花の家に、新しい呼吸が加わった。
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第3話後書き
言葉は少ない。
だが、交わされたのは条件だった。
必要。
観察。
合理。
それぞれの立場は違う。
けれど、誰一人として嘘はついていない。
信頼はまだない。
だが、理解は始まっている。
一つの家に、
二つの理屈が同居する。
次に動くのは、感情か。
それとも選択か。




