18年前に死んだ妻が転生して知らん男に婚約破棄を言い渡していた
ある日妻が死んだ。
流行病だった。
妻とは同い年だった。だからこそ結ばれた婚約。家格も同じ伯爵同士。幼い頃から交流も盛んで、家同士のために結ばれた婚約とは思えないぐらい、私たちの仲は良かった。
でも妻は死んだ。
18歳のときに結婚。そして結婚してちょうど一年。子供を設ける間もなく、妻は死んだ。
そして私は妻の眠る棺に誓った。
きっと君以上に愛する女性など出てこない。
私はもう誰も愛さない。生涯独身を貫こう、と。
それなのに――妻が死んで18年。
なんと亡き私の妻は――世間で流行りの『婚約破棄令嬢』に転生していた。
*
「私は貴方と結婚なんてまっぴらごめんです! 婚約破棄させていただきたく存じます!」
とある日の夜会。
今日も今日とて声高らかに、ご令嬢の婚約破棄の声がホールに響く。
いつ頃から流行り始めたか知らないが、今トレンドなのだ『婚約破棄』が。
なんでも若い女の子向けにとある小説が大ヒット。そこに描かれていたのが、令嬢であるヒロインが高らかに叫ぶ婚約破棄。実は悪いことをしていた婚約者を、婚約破棄を皮切りに令嬢が断罪……というストーリーとのことだった。
そこから爆発的に流行り出した婚約破棄。
相手有責のときもあれば、そうじゃないときもある。とりあえず流行りに乗りたいご令嬢、ご令息が我先にと婚約破棄を宣言し、大人たちはみなてんやわんやだった。そしてそういったことに興じる令嬢や令息を、侮蔑の意味もこめて『婚約破棄令嬢』『婚約破棄令息』なんて呼んでたりしていた。
今夜も賑やかだなぁと思いつつ、一応どこの家の騒ぎか見とかないと、とチラ見して、
「……イリーナ……?」
軽快に足音を鳴らしながらこちらに向かってくるご令嬢。腰まで伸びたプラチナブロンドに、吊り目がちなきつめの目元。瞳を彩る虹彩は青色だ。
これまた美人なご令嬢だと思って――私は、その歩き方に、違和感を覚えた。
歩き方が、亡き妻、イリーナそっくりだったから。
つんと澄ました歩き方。殿方なんて目じゃありませんよ、と肩で風切る歩き方。そんな彼女は、私にだけ花が咲いたような可憐な笑顔を向けてくれて――、
「……イリーナ。イリーナじゃないかっ……!?」
プラチナブロンドのご令嬢は、はぁ? と言いたげにこちらを睨んで――そして向こうも、言葉を失ったようにその場でぴたりと足を止めた。
「……アレクセイ様……?」
目と目が合って、私は確信する。
今目の前にいる、このご令嬢は――私の亡き妻の生まれ変わりだ、と。
*
今しがた婚約破棄を言い渡したばかりのご令嬢。
そしてそのご令嬢と対面するのは――騒然とする会場でやるには少し分が悪い。
私たちは無言のまま目配せし、何事もなかったかのように振る舞う。この場を去っていく軽快な足音で背後で聞きながら、給仕された酒を口にした。
奇しくもそれは――亡き妻が好きだった、りんごをベースにした果実酒だった。
ほろ苦く、どこか甘い酒を飲み下しながら、これを飲んだら自分も例の場所へ向かうか、と腹を据えたのだった。
亡き妻とは、夜会のたびに秘密の場所でよく落ち合っていた。
とはいえ場所自体は別にいたって普通のところ。夜会が開かれる会場には大抵庭園があり――そして、そういった庭園には、大抵薔薇の花が咲き乱れている。
その庭園の中。これまた、大抵の庭園に咲いている赤い薔薇の前でこっそりと落ち合う。それが、亡き妻とのお約束だったのだ。
19年前のことを思い出しながら、薔薇の薫りが芳しい庭園を歩く。果たしてその人、イリーナは、すでにその場で私を待っていた。
「イリーナ……!」
私の声に気づいたイリーナがはっと顔をあげる。
吊り目がちな目は、今にも泣き出しそうな色を帯びていた。
「アレクセイ様……!」
駆け寄って、抱き合おうとして――それをイリーナに拒まれる。どうして、と言おうとして、
「アレクセイ様、いけません……! 今は、今の私は、イリーナではありません……!」
その言葉にハッとする。
そうだ。彼女はイリーナであってイリーナではない。
「今の私はオリガ、……ロマノフ家の子爵令嬢なのです……! 未婚の女に手を出しては貴方に醜聞が……!」
「っ醜聞がどうした……! 私の顔を見て、そしてここにいたということは君は正真正銘イリーナのはずで……! だったら醜聞ごとき……!」
否定するように首を振るイリーナを見て、しかし私も彼女の言葉に納得はしていたのだ。
イリーナは黒髪黒目の女性だった。対する目の前のオリガは、プラチナブロンドに青い目。イリーナとは似ても似つかない彼女。魂が同じだと、生まれ変わりだと断言できるが、確かに彼女は、イリーナでありながら、イリーナでなかったのだ。
そして婚約破棄したばかりとはいえ、今の彼女は未婚の女性。手を出すのは、お互いリスキーだった。
そこから少し彼女と話こむことになる。
イリーナは、気づいたらまた生を受けていたと。
物心つくのとほぼ同時に、イリーナとしての記憶を思い出した。そして私の存在も把握済みだったと。
それならなぜすぐ私の元に来なかったと問いただせば、「私のことを思って独身を貫いていたのはとても嬉しかったが、それではいつまで経っても前を向けない。だからこそ声はかけられなかった」ということだった。
併せて先ほどの婚約破棄のことも聞いてみれば、
「私の婚約者は……私ではなく、本当に想っている方がいらしたんです。誠実な方でしたから、恋心を押さえつけて、私にもとても紳士的に振る舞ってくださっていました。けれど、……愛する人と引き裂かれる悲しみは想像を絶するものです。私のような思いはしてほしくないと思い、流行に乗じて婚約破棄を言い渡したんです」
「……君は変わらず優しいな。昔もそうだった。気弱な私をいつも励ましてくれて……」
「……アレクセイ様は今も昔もとっても素敵なお方です」
姿形は違えど、彼女は確かにイリーナと確信できた。
だからこそ私はイリーナの手を取った。目を丸くして驚く彼女の手の甲に唇を落として、私は、
「イリーナ。今しがた婚約破棄した君は、フリーのはずだ。それならば――もう一度、私の妻になってはくれないか?」
*
それからはとにかくアタックの毎日だった。
とにかく手紙をしたため、夜会で顔を合わせれば猛アピールする毎日。私が亡き妻を想うあまり後妻を取らないのは有名すぎる話で、だからイリーナのご両親も最初は訝しげにしていた。
だがあまりの猛アピールっぷりに、いつしかご両親とも折れてくれた。そしてイリーナに私との婚約を勧めるようになったが――イリーナ本人だけが、頑なに首を縦に振ってはくれなかった。
「どうして」
あくる夜会。
いつものようにイリーナの手を取り、腰を抱いてエスコートする。けれどイリーナの顔は暗いままだ。
「私はこんなに君を愛しているのに。どうしてそうも暗い顔をしているんだい?」
「……」
「……君のご両親は、……イリーナのときのご両親も納得してくれたよ? いつまでも娘を想い、独身だった貴方のことは心配していた。オリガ嬢と幸せになって、と」
「……私、…………少し、お腹が空いてしまって……」
「あぁ、それは気付かずすまなかったね。ほらイリーナ、君は甘い物が苦手だったろう? 甘さ控えめの菓子があったはずで――」
けれどイリーナは私の腕の中から抜け出し、クリームたっぷりの小さなケーキの載る小皿を手にした。
イリーナの好みではないもの。そのはずのケーキを、ぺろりと、美味しそうにたいらげてしまった。
唖然とイリーナを見つめる私に、イリーナは静かに告げる。
「……アレクセイ様。貴方のお気持ちは確かに嬉しいのですが……私はイリーナであり、同時にオリガでもあるのです。イリーナとしての記憶も、オリガとして生きてきた人生もあるのです。現に私は、生前好きでなかった甘い物が大好物になって……、……アレクセイ様。貴方は、イリーナとオリガ、そのどちらと結婚したいのですか?」
*
どちらと結婚したいかなんて、そんなのイリーナに決まっている。
けれど――イリーナの言うことにも納得していた。
だってイリーナ――オリガは、イリーナとは違い、甘いものを好む。容姿が変わったせいもあり、生前はシックなドレスを好んでいたが、今生は甘めの可愛いドレスを好む。
イリーナはイリーナで、同時にオリガでもあった。
そして私の本心など見透かしていたのだろう。ある日イリーナから手紙が届いた。
『アレクセイ様が私を想い続けて独身だったこと。私はとても嬉しかったです。ですがだからこそ、愛する貴方を過去に捕え続けてはならないと、私は貴方に会うことを恐れていました。本当は今生で貴方と顔を合わせるつもりはなかったのに――、――アレクセイ様。悪いことは言いません。この関係はこれっきりにして、それぞれの人生を歩みませんか』
ショックだった。
だがイリーナの言う通り、だとも思った。
死人に囚われるという美談に、誰よりも酔っていたのは自分だったかもしれない。それを紛れもない本人に突きつけられたのは本当にショックだったが――、――彼女の今後のことを思えば、諦めるべきだと思った。
そして社交シーズンが終わる。
イリーナとはぱったり連絡を断ち、季節が巡り、そしてまた社交シーズンが始まって。
やはり夜会に出席していた私は、無意識にイリーナの姿を探していた。果たして彼女はその場にいた。けれど彼女の傍には――若い男が立っていた。
あれが婚約者なのか、はたまた違うのか。私には判別がつかなかった。見ていられなくて目を逸らす。そのまま酒に興じ、だいぶ時間が経った頃。
さすがに飲みすぎた。夜風に当たろうとバルコニーに出て、見知った声がふいに聞こえた。
イリーナと男だった。
庭園の、薔薇の花の前でなにかを話している。くそ、あそこは私と君の思い出の場所だったのに。と心の中で悪態をついて、なにか様子がおかしいことに気がついた。
明らかになにか言い合っている。
喧嘩してるといっても差し支えないだろう。しばらく様子を見ていると――男が、イリーナの体を押し倒して、馬乗りになったではないか!
気づいた時には庭園まで走っていた。
間に合えと念じながら、飲みすぎたせいでもたつく足を叱咤させて、必死になって会場を駆け抜けた。
外に出て。やがて二人の姿が見えた。
イリーナ! 叫びそうになって、彼女の言葉を思い出す。『オリガとして生きてきた人生もあるのです』。
イリーナ。私の愛する妻。いつまでも、いつまでも、私だけが愛する妻。けれど今、君は同時にオリガでもあり――
「――オリガ! オリガ! 無事か! 助けに来た!」
ありったけの声で叫んだ。
男とオリガが同時にこちらを向く。そして私の顔を見るなり、オリガは、声をあげて泣き出してしまった。
*
聞くところによると、オリガとその男は、婚約者でもなんでもなかったらしい。
ただ声をかけられて、少し会話が弾んだから外に出た。そしてそのまま襲われそうになった、というのがことの顛末だった。
全て聞いて、肩から力が抜ける。
オリガが無事で本当に良かった。けれど同時に、心に暗いモヤも立ち込めた。
「……オリガ。すまない。君の言う通りに、君のことはもう忘れようと思ったが……できなかった。今日だってそうだ、いつのまにか君の姿を探していた。そしたら君が他の男といて見ていられなくて……、……お願いだ、オリガ。私にもう一度チャンスをくれないか」
醜聞を恐れて逃げ隠れした男のいない、薔薇の花の前で。オリガに跪き、私はその手の甲に唇を落とす。
断られるだろうとは思っていた。
これで拒否されたら、今度こそおしまいにしよう。今度こそ、家令からせっつかれていた後継の問題にも向き合って――、
「……、……アレクセイ様が、それでよろしいのであれば。私は構いませんよ」
――思ってもいなかった返事に顔をあげる。
涙の痕が残る目で、オリガは、穏やかに笑っていた。
「本当に、……本当か、オリガ……」
「はい。だってアレクセイ様――今夜初めて、私を、私の今生の名前で呼んでくれたではありませんか」
「それは……」
「私はイリーナであり、そしてオリガでもあります。アレクセイ様がそれを受け入れてくださるのなら――私は、また貴方と人生を共にしたいんです」
――それから本当に――本当に色々、私が流行りの甘いスイーツを覚えるのに必死になったりとか、他にもイリーナのときとは色々と違う彼女に、オリガに惹かれながら――果たして私たちは、二度目の結婚を迎えることになった。
幸せの絶頂で。誰よりも美しい花嫁のオリガを前にして。私は胸に込み上げるものを押さえ込むので精一杯だった。
「オリガ。今度こそ、君が死ぬそのときまで、君を幸せにしてみせる」
「まぁ。とっても嬉しいです。でもそれはきっとできませんよ?」
「なっ、……それは、どうして?」
「だって今生の私の願いは――貴方を置いて逝かないことなんです。アレクセイ様、今度は私に貴方を看取らせてください。生前できなかった分、貴方のことを、たくさん幸せにしてみせますから」
そう言って笑ったオリガは、誰よりも、なによりも、世界中探したって見つからないくらい、幸せそうに、可憐に笑ってくれたのだった。




