人工聖女と追放令嬢
鬱蒼とした森の中。狩人でも、木こりでもない、どうみても貴族階級の少女が一人。歩くには向かぬ服装のまま、行くあてもなく歩いていた。
「……本当に、誰もいないの?」
その声には、震えと、不安が混じっており。微かな葉の音、空気の揺らぎに肩を跳ねさせながら、一歩一歩、森の奥へと少女は歩く。
人に見つかったらいけないと、そんな思いに突き動かされるまま、暫く歩いていると。
青と緑と黒しかなかった視界の中に、突如、地面いっぱいに鮮やかな赤色が広がっていたのだ。
「何? 人形? 人、なの?」
赤色は、目の前でうつ伏せに倒れている『もの』の髪の毛だった。人形か、人か。どちらでも嫌だと、少女は顔を歪めつつ、それでも、一人の寂しさが上回ったのだろう。
少女はそっと、倒れている『もの』に近寄った。
広がる赤い髪を見て。ボロボロの、子供が作ったおもちゃのような、真っ白でシンプルなワンピースを見て。薄汚れた白く細い足を見て。
そして、首の近く、地面に落ちていた、銀のプレートに目が止まった。
「ネックレス……。彫ってあるのは、Jade……?」
翡翠、という意味の名前だろうか。この辺り、帝国では聞かない名前だ。少なくとも、少女は聞いたことがなかった。
やはり、人形なのか。それとも、別の国の人間か。少女は再び、その『もの』を見る。国境近くのこの森ならば、隣国の人間がいてもおかしくない。人形を売る、行商人が通っていてもおかしくないので判断がつかない。
ヤーデ。もう一度、小さな声で少女が呟く。すると、ぴくり、と地面に投げ出されていた指先が動いた。
『……認証しました。第二世代型聖女、ヤーデ。起動します』
むくり。反動をつけるでもなく、腕を使うでもなく。地面からゆっくりと体を起こすその姿は、かなり怖くて。
絶対人間じゃない。話が通じるかも怪しい。少女はそう思い、身構えた。
「な、なに……?」
しかし、一目散に逃げ出すような体力は、既に少女には残っていなくて。ただただ刺激しないよう、じっと、ヤーデの動きに、注目していると。
「おはようございます。第二世代型聖女、ヤーデです。どうぞ指示を」
名前の通り、美しい翡翠の瞳を少女に向けた人形もどき、改めヤーデは、大きな目をパチクリとさせ、少女に向かって頭を下げた。
「指示って、私は……」
もう、貴族じゃないのに。その言葉は、少女の喉でつっかえて、ヤーデには届かなかった。
戸惑う少女にヤーデは勘違いをしたのか、小さく首を傾げながら、一生懸命、身振り手振りを混ぜて説明を始めた。
「アナタの望む、奇跡を起こせと命じてください」
「奇跡……?」
そんなもの、簡単に起こせるはずがない。だって、奇跡が起こるなら。少女は森にいなかった。
奇跡よ起きてと、そう祈っても、神様は少女を助けてくれなかった。だから、少女は此処にいる。
じ、と少女が疑いの目を向けるも、ヤーデは自信満々に、当然だと頷いた。
「はい。それが、私たち第二世代型聖女、より簡潔に称するならば、人工聖女でしょうか。それの役目です」
「人工、聖女?」
「はい」
聖女についてはご存知ですか、の問いに対して少女は頷く。聖女とは、神に愛され、祈りを捧げることで傷や病を治し、魔を祓う存在。
少女たちの国、トルイス帝国では滅多に生まれない存在であり、そして。命懸けの奇跡をお越し、過去、度々国外進出を阻む存在でもあった。
「聖女、っていうと、傷や毒の治療はできるのよね?」
「はい。もちろんです。わたしは人工聖女ですので、一般的な聖女の力も備えています」
この時、少女の心に小さな期待が生まれた。
少し遅れてしまったけれど、ヤーデは神様が少女のために遣わした存在なのかもしれない。少女は、金の瞳を僅かに輝かせた。
少女の心を知ってか知らずか、ヤーデは続ける。
「人工聖女は、作られた命です。命を使い、祈りを捧げる。最期に奇跡を起こすことこそ、役目です。失った命を取り戻すことは、できませんが」
ヤーデは元々、命を使って他者の願いを叶える存在。少女の願いを叶えることがヤーデの使命で、ヤーデの奇跡で少女は幸せを取り戻せる。
なんて、都合がいいのだろう。やはり神は、少女を見捨てていなかったのだ。
「なら、私に付いてきて。やってほしいことがあるの」
少女はニコリと微笑み、ヤーデに手を差し伸べる。ヤーデは一瞬、目をまん丸に開いて。
「はい。わかりました。これから、よろしくお願いします」
差し出された手を、そっと握り返した。
「ティアよ。呼び捨てでいいわ」
「よろしくお願いします、ティア」
「よろしく、ヤーデ」
暗い、国境近くの深い森の中。訳あり貴族の少女ティアと、使い捨ての聖女ヤーデは、こうして出会ったのだった。
◇
「ティアは、どこに向かうのですか?」
暗い森の中も、二人で歩けば怖さが半減するもので。歩きにくさも、ヤーデと手を繋いだことで随分マシになった。
どうぞ、と手を差し出された時は、ヘンテコなエスコートだと思ったが。繋がれた手の温もりは、意外と悪くない。
本当なら、こんな森の中ではなく、輝くシャンデリアの下でエスコートを受けるはずだったのに。ツキリ、と胸に痛みを感じながら、ティアはヤーデの言葉に答えた。
「ケルノー子爵家。お義母様の屋敷よ」
自分が育った場所に対して、他人行儀な言い方だ。でも、今はそういうしかないので、仕方がない。頭を軽く横に振る。
「知っています。建国当時から続く家柄です」
確かに、ケルノー家は爵位こそ子爵だが、建国当時から国を支え続ける名門でもある。
しかし、トルイス帝国では政治と切り離された存在でもある聖女が、そんなことを知っているなんて。
「詳しいのね」
思わず、そう口に出すと。当然です、とヤーデは満足げに頷いた。
「人工聖女は、生まれてすぐに使われますから。元から知識を備えているのです」
今も、知識をもとに森を抜けるところですよ。ヤーデは何でもないように言う。
「……森の出口もわかっているの?」
「はい。ティアの歩く早さにもよりますが、最大でも三日あれば森を抜けられるかと」
ヤーデが魔物避けを使っているので、道中、人間以外に襲われることはない。食糧もヤーデが判断できるらしい。
「そこから村か、町までは?」
「森の出口に一つ、村があります。ケルノー子爵領ではないですが、そちらに出てから街道沿いに歩いていくのが安全です」
「わかったわ」
本当に、何でも知っているのだ。幼い頃から子爵家で教育を受けた自分ですら、隣の領地であるはずの、この森の地形に詳しくなかったと言うのに。
ヤーデがいなければ、きっと、自分は森を彷徨っていた。でも、だからこそ、気になることがある。
「ヤーデは、どうしてあそこにいたの?」
ヤーデなら、一人でも森を抜けられたはずだ。森を出なくても、食糧を見つけ、自給自足するだけの知識があるはずだ。
なのに、どうして、あそこで倒れていたのか。不思議に思って尋ねると、ヤーデは首を小さく捻って、正面を向き直して、答えた。
「わかりません」
「え」
「起動前のことは、覚えていません。恐らく、輸送中に事故が起こり、置いていかれたのでしょう」
人工聖女は、余計な情報を学ばないために、起動するまでの記憶は一切記録されません。淡々と答える様に、人間味は感じられなくて。
頼もしさと、ほんの少しの違和感を抱いて。そこから暫く、二人は無言で森を歩いた。
◇
森を抜けたのは、ヤーデと出会ってから二日目の朝だった。森では十分に休めなかったため、少々無理をして先に進んだのだ。
ヤーデが森の地図を把握しており、最適な道と、時間配分、そして周辺の安全確保ができているからこその強行軍だった。
森から抜けた瞬間、見えてきた民家の屋根を見て。ふ、と肩から力が抜けた。あ、と声が出るより早く、ヤーデにそっと腕を引かれた。
「ティア。大丈夫ですか。やはり無理をさせ過ぎましたか」
「平気よ。先を急いだのは私だもの」
「ですが」
首を横に振る。安全だから、焦らず行こうと言ったヤーデに反対したのは自分だ。
足は痛いが、いつまでも気が休まらない森にいるより、よほど安心できる。
「村に出たのはいいけど、此処からケルノー子爵領まで、歩いて行ったら何日も掛かるわよね……」
「はい。まずは、十分な休息を取ることを推奨します」
「そう、よね。休まないと、いけないのよね」
森は、道が複雑で整備されていない。だからこそ、奥深くで置き去りにされることはなく、ヤーデの案内で歩けば早々に抜けられた。
しかし、ここから先、ケルノー子爵領までの道のりは、知識があれば早くなるというものではない。
純粋に、距離が遠いのだ。道は歩きやすくとも、歩き慣れていない私の足では、道のりは遅々として進まないだろう。何日も続けて、野営することになるかもしれない。
今は、しっかり休むべき。理解していても、どうしても心は急いてしまって。視線は村の中ではなく、入り口の方へと向いてしまう。
「ティアは、急いでいますか?」
じ、と翡翠の瞳が向けられる。その瞳を見ていると、森の時のように、なんとかしてくれる気がして。
「……えぇ」
こくり、と素直に頷いた。どうにかできるの。少しだけ震える声で尋ねれば、ヤーデは、お任せを、と両手で握り拳を作って見せた。
「なに、それ」
「やるぞ、のポーズです」
任せて欲しい、という意気込みは大いに伝わった。
「それで、どうするの?」
「馬車に乗せてもらいましょう」
「でも、こんな所に乗合馬車はないわよ。大きな町じゃないんだから」
お金も持ってないないのだし、換金できるドレスや宝飾品もない。唯一あるのは、お義母様から貰った、家紋入りのペンダントだけ。家紋と名前が入っているので売れないし、これは手放せない。
都合よく馬車があっても、基本は村の人間以外使えないだろう。
「心配いりません。わたしに任せてください」
言いながら、ヤーデは周囲を見渡し。そして、井戸の近くで項垂れている、一人の男性に近寄って行った。
「そこのおじさん、何か、困っているのですか?」
「おや、お嬢ちゃん。見ない顔だね」
「はい。はじめましてです」
「はじめまして」
途方に暮れたように俯いていた男性も、礼儀正しいヤーデの挨拶を無視はできなかったようで。困ったように笑いながら、帽子を脱いで挨拶を返した。
「何に困っているのです?」
「ああ、相棒の馬がね、少し調子を崩したようで。本当は今日中に村を出るつもりだったんだが、随分苦しそうにしていて」
そういう男性の視線の先には、藁の上に横たわる鹿毛の馬がいた。素人の私でも、ぐったりしていることがわかる。
「少し触ってもいいですか?」
「いいけど、今は痛みがあるのか、機嫌が悪い。普段は大人しい子なんだけど、危ないかもしれないよ」
「大丈夫です」
てちてちとヤーデが馬に近付き、横たわっている馬の腹にそっと手を当てる。
もしかして。そう思うのと、ほぼ同時に。ヤーデの手が柔らかな緑の光を纏う。光は、ヤーデの手のひらを伝い、馬の体を包み込み、そして、ふわりと空中に霧散していった。
「なおりました」
「本当かい?」
ほとんど、一瞬の出来事だ。ヤーデが馬に蹴られたりしないよう、じっと見ていた私とおじさん以外、誰も見てない程の僅かな時間。
しかし、先程まで横たわっていた鹿毛は、今は嬉しそうに鼻を鳴らしてヤーデの頬を舐めていた。
「……確かに、元気そうだね。君は、一体」
「わたしは第二世代型……」
「ヤーデは、聖女なの。癒しの力を使ったのよ」
素直に説明しようとするヤーデの言葉を遮り、聖女であることだけを簡単に告げる。
人工聖女なんて存在を教えてしまえば、きっと、皆ヤーデに奇跡を叶えてもらおうとする。それでは、困るのだ。
「聖女様でしたか!! ありがとうございます」
幸い、純粋そうなおじさんは、それ以上質問することはなく。癒しの力については事実なので、ヤーデも特に何も言わない。
国土に対して人数が少ないとはいえ、帝国にも聖女はいる。珍しい聖女に助けてもらったおじさんは、此方に好意的な態度を滲ませつつも、申し訳なさそうに頭を下げた。
「助けていただいたのは大変ありがたいのですが、何もお礼ができるものもなく……」
「でしたら、荷台の余った場所に乗せてください。他の村に行くにしても、大きな道まで、一緒に連れて行ってほしいのです」
よく見ると、藁の横には荷台が止めてあった。馬を休ませる時に、外しておいたのだろう。
ヤーデは最初から男性が行商をしていると分かっていて、声を掛けたのだ。
「それは、お安いご用ですが……。聖女様たちは、どちらまで行かれる予定で?」
「ケルノー子爵領です」
行き先が違ったとしても、子爵領に向かうための大きな道まで連れていってもらえるなら、随分楽ができる。
そこから先は、同じような手法で乗せてもらうなり、街まで歩いていけばいい。大きな街に近づけば、馬車の本数も増えるだろう。
しかし、天は私たちに味方したようで。おじさんは明るく笑って答えた。
「それならよかった。丁度、薬を届けに子爵様のお屋敷まで行くところです。街までお送りします」
「ありがとうございます」
「こちらこそ。相棒もお役に立てて嬉しそうですので。さぁ、荷台にどうぞ」
そうして、ヤーデの手を借り、荷台乗ったところで。突然、ヤーデの体が傾き、馬車の床に倒れ込んだ。
「ヤーデ?」
「心配いりません。癒しの力の反動です」
頑張れば動けますし、少し休めば治ります。床に転がったまま、出会った時と同じうつ伏せの状態でヤーデは答えた。声は淡々としている。
「反動? 奇跡はともかく、聖女の力は普通に使えるはずじゃないの?」
聖女の力は、神力を消費して発揮される。神力が少なければ聖女にはなれないし、毎日神に祈りを捧げれば神力は自然と回復する。
1日に使える力に限度はあれども、反動なんてものはないはずだ。
「いいえ。わたしたちは、一般的な聖女と違い、核に宿る神力を使用しています」
「核?」
「はい。宝石であることが多いです」
神の加護が宿ったもの。神器や霊宝と呼ばれるものを核として、神官や聖女の神力を多く含む血を混ぜる。
そうして、人工聖女は作られているのだという。神力は使い切りのもので、一度使えば戻ることはない。
ヤーデはゴロンと仰向けになり、服を捲って首元を露出させる。鎖骨の真下、胸の上には、ヤーデの瞳と同じ、緑の美しい光を放つ翡翠が埋まっていた。
そして、翡翠の上部は僅かに黒ずんでいる。先程、力を使った分だけ、輝きが失われたのだという。
「わたしの場合、この翡翠に宿る力を使い切った時が、奇跡を起こす時です」
その時が、ヤーデの命が終わる時でもある。するりと胸の翡翠を撫でながら、顔だけ私に向けて、言った。
「それまでに、ティアの願いを聞かせてください」
「……ええ。でも、ゆっくり考えたいから、なるべく力は使わないで」
「わかりました」
本当は、願いなんて決まっているのに。どうしてか、私は、そう答えたのだった。
◇
「それでは、これで」
馬車から降りて、子爵邸の門前に立つ。馬車に乗せてくれたおじさんは、そのまま薬を卸しに向かったようだ。
久々に見る屋敷に、ほっと息をつきたくなるような、足がすくむような、そんな気分になる。
「ティア、どうするのですか?」
「お義母様に会うわ。けれど、裏口から入った方が良いでしょうね……」
「どうしてですか?」
普通なら、正面から堂々と入ればいい。私は子爵家の娘、その筈なのだから。でも。
「……直接、お義母様に言われた訳では、ないのだけれど」
「はい」
声が、震えているのがわかった。ぎゅ、とヤーデに手を握られる。ゆっくりでいいですよ、と言われているような気がして、少しだけ息を吸い、言葉を続ける。
「追い出されたの、私。社交界から……、いえ、ケルノー子爵家、から」
「誰にですか」
「…………婚約者よ。ケルノー子爵家の縁者で、男爵家の三男でもある人」
所謂、分家筋の男子だ。ヤーデが首を傾げる。何故分家筋の男爵家の三男が、本家の子爵令嬢を追い出せるのか、とでも言いたげだ。
「私は、お義母様の、本当の子供じゃないから」
「ティアは、養子なのですか?」
「……えぇ。お義母様は元々子爵家の跡継ぎ娘で、夫はいたけど子が出来る前に事故で亡くなっていると聞いたわ」
その事故で、唯一生き残ったのが、私だ。お義母様は、夫が守った子だからと、赤子の私を引き取り、実の娘のように育ててくれたのだ。
「後継に指名されていたのは誰です?」
「私、だけど……」
でも、血の正当性は、婚約者の方にある。幾ら貴族と変わらぬ教育を受けても、私に貴い血は流れていないのだ。
それを補うための婚約でもあった。それも、追放という形で破談になったようなものだが。
思い出して落ち込んでいると、ヤーデは小さく頷き、門の横、ノッカーに手を掛けた。
「わかりました。では、行きましょう」
「話聞いてた? 私は……」
もう、貴族として、お義母様の娘として、認められない娘なのかもしれないのだ。裏門からでも入れるか怪しいのに、正面からなんて。
止めるより早く、ヤーデはガンガンガン、と雑にノッカーを鳴らし、真っ先に飛び出してきた執事に向かって、淡々と言い放つ。
「ティア様のお戻りです。至急、子爵にお繋ぎください」
「ティア様?」
執事は、私と目を合わせるなり、お待ちくださいと踵を返し走っていった。いつも落ち着いていた彼が珍しい。
そう思っていると、執事の後ろ、玄関を掃除していたのだろう。メイド達がチラチラと此方を見ながら意地悪く笑う。
「今更、何をしに……?」
「でも、若様は居ないわよ」
「追い返すわけにも……」
嫌な視線だ。やはり、夜会での話は耳に届いているのだろう。少しすると、メイド達から話を聞いたのだろう。私とは折り合いが良くなかった、年嵩の侍女が出てきた。
「……奥様は体調不良です。若様がお戻りになるまで、客間でお待ちください」
そうして、私たちは客間に押し込められた。がちゃり、と重たい音がしたので、外から鍵をかけられたのだろう。
軟禁である。溜息を吐くと、客間をぐるりと観察していたヤーデが、テーブルの向かいに座った。
「ティアの部屋は無いのですか?」
「あったわ。……今は、わからないけど」
お嬢様とも呼ばれなかったし、侍女の態度からして、既に部屋はないかもしれない。再び、深いため息を吐く。
「若様というのは、婚約者のことですか?」
「そうだと思うけど……」
お義母様は体調不良。私は追放。そうなれば、分家筋かつ子爵家に婿入り予定だった彼が、跡取り扱いされても不思議はない。
「追い出された原因は何ですか?」
「……脱税よ。夜会に参加していたら、突然あの人に、『国に収めるべき税を私欲のために使った悪女だ』と言われて」
いまだに状況が理解しきれないほどの衝撃だった。普通、そういうことは身内で処理して、外に醜聞を広めるものではないと思っていたので、呆気に取られ何も言えなかった。
「やったのです?」
「そんな筈ないでしょう。領民が働いた血税を、宝飾品になんて使ってない。帳簿だって付けていたのに……」
子爵家として、正式な帳簿と、更に写したものを金庫に入れてある。私かお義母様しか開けられない金庫に入っているが、確認されたのだろうか。
「子爵家は、罰を受けたのですか?」
「……わからない。私、騎士に連れられて、すぐに馬車に乗せられたの。子爵家に戻ることもできなかったから、お義母様にも会えなくて」
だが、今の屋敷の状況を見れば、大きな罰は受けてなさそうだ。お義母様に話を聞きたいが、この状況では。
「……なら、まずは会いに行きましょう」
しかし、ヤーデはアッサリと、私の望む言葉を口にした。
「で、でも」
「話を聞く限り、一番疑わしいのは『若様』です。戻ってきたら碌なことになりません。部屋の位置はわかりますか?」
「わかるけれど、鍵が……」
「えい」
ぱきゃ。軽い音を立て、扉が開く。偶然、蝶番が壊れたらしい。チカリ。ヤーデの瞳が僅かな光を放つ。
「ヤーデ、まさか」
「開きました。行きましょう」
聖女の祈りの一つに、幸運の加護がある事を思い出す。そういえば、屋敷に戻るまでも、天気はずっと良く、盗賊が出ることもなく、道も状態が良かった。
ずっと、使っていたのだろうか。私が、早く戻りたいと言ったから。何度も密かに、寿命を削って。
今、胸の翡翠に、どれだけの輝きが残っているのだろう。聞きたいけれど、ヤーデは急いでください、と私の手を引き歩き出す。
ヤーデの加護を、無駄にしては、いけない。私は引かれた手より一歩前に出て、廊下を歩き、2階の奥にある扉に手をかける。
ノックをしても、返事がなかった。そんなに体調が悪いのだろうか。
「お義母様? 入りますね」
いつまでも廊下にいては、見つかってしまう。扉を開けて、中の様子を見ると部屋は暗く侍女の一人もいない。
「……お義母様?」
体調が悪いというのに、誰も様子を見ていないなんて。子爵に対してあり得ない待遇だ。お顔を見ようと、一歩踏み出した時だった。
「……ティア、ダメです。入らないで」
くん、とヤーデに手を引かれた。
「薄いですが、毒が充満してます」
「毒? だれが、そんなこと……」
いや、お義母様に毒を盛って、得をする人物なんて限られている。でも、まさか、そんなこと。まず、お義母様から毒を遠さげて、種類を確認しないと。
扉を開け放ち、固定する。次は窓を開けに入ろうとして、鋭い声が背中から掛かった。
「ティア!! 貴様、誰の許可を得て此処に来ている!!」
婚約者だ。その後ろには数人の騎士。子爵領の私兵ではなく、帝国に仕える、貴族位を持つ正式な騎士だ。
皇帝から直々に命を受け、各領地を見張るために置かれた存在。それを連れてくるとは、よほど私を追い出したいらしい。
近付いてくる騎士の圧に、思わず一歩下がった時。ヤーデが、私を庇うように前に出た。
「……貴方こそ、何を考えているのです?」
「誰だ、貴様は」
「わたしの事より、あちらの香炉を調べるべきでは? この部屋には、毒が充満しているように思えます」
ヤーデの言葉に、騎士達の空気が張り詰めた。騎士達は、ヤーデの指した香炉を見て、次に婚約者に視線を向けた。
慌てた婚約者が、真っ赤な顔で私に向かって怒鳴る。
「お、俺は知らん!! ティア、お前が……」
何か、都合が悪い事を指摘した時。すぐに私を怒鳴るのは、この人の癖だ。でも、これだけでは証拠にならない。
まずは否定しなければ。私は背をまっすぐ伸ばし、婚約者に向かって言い返す。
「今、来たばかりの私が、部屋に満ちるほどの香を焚けるわけないでしょう」
「それは……」
使用人が私が屋敷に来た事を伝えて、更に騎士に伝達する時間があったとしても、流石に部屋中に毒が満ちる時間はない。
それに。
「お義母様が体調を崩したのは、いつ?」
私が来た時点で、お義母様は体調不良で寝込んでいる。夜会の前は元気だったから、その間に何かあったと考えるのが自然だろう。
私の言いたいことは、騎士達にも伝わったらしい。
「部屋を調べさせてもらおう」
どちらの肩を持つこともなく、騎士達は冷静に部屋に入った。一人は香炉に、残りの二人は窓を開けに移動する。
「私も窓を開けます。ヤーデも……」
手伝って。言いながら、ヤーデを探す。隣にいない。何処に、と視線を動かせば。
ヤーデは、お義母様の手を握り、全身に緑の光を纏っていた。ぶわり。一瞬で緑の光が、お義母様に吸い込まれていく。
緑の光は、すぐに消えて。お義母様の瞼が、ピクリと動く。
「ティア……?」
「お義母、様……」
癒しの力で、毒を、全て消し去ったのだろう。今、お義母様の話を聞ければ、全て明らかになるだろうから。
「良かっ、た。帰って、きたのね」
ポツポツと話し出すお義母様の声に、誰もが意識を集中させる。婚約者すら、呆気に取られ何もいえない。
「迎えに行こうと、思ったのだけど。仕事を片付ける間に、意識が、遠くなってしまって」
だって、貴女がそんなことする筈ないもの。お義母様の言葉に、思わず視界が滲みそうになる。
でも、安心するのはまだ早い。
「お義母様。あの香炉に覚えは?」
「……ないわ。でも、この、香り。ティアが夜会に行った後から、ずっとしていたような……」
「夜会、ですか」
「そう。夜会で……、ティアが、脱税をしたと言われて。そんなはずは無いと思って、金庫を、確認しようと」
まだ体が怠いのだろう。ゆっくり、記憶の糸を手繰るように話すお義母様の言葉に、騎士が反応を示した。
「金庫、ですか?」
「そこに帳簿の写しが入っています。私と、お義母様しか開けられない場所に」
「確認しても?」
「はい。番号は……」
お義母様が番号を伝え、私も合っていることを確認すると、騎士の一人は金庫のある部屋へと向かった。
残った騎士は婚約者の両側に立ち、冷たい声で問う。
「我々は、貴公の通報で来ましたが……。どういうことでしょうか」
「違う、俺じゃない!! その女が、帳簿を改竄して……」
「夜会で、『女の癖に帳簿なんて付けていると思ったら、裏で金を使ってたんだな』と言ったのは貴方よ。帳簿はきちんと調べていただきましょう」
この男が、私が脱税した証拠として出した帳簿と同じでも、違っても。何かしらの手掛かりにはなる筈である。
「必要でしたら、筆跡鑑定の為に文字も書きます。……そこの男と、比べて貰えば、何かわかるかもしれません」
「ご協力、感謝します」
騎士達も態度の違いから感じることがあったのだろう。私に対して、丁寧に返事をしてくれた。
「実の子でもない、卑しい平民上がりを信じるつもりか!!」
逆に、追い詰められた婚約者は、より横暴な態度を取る。もはや、主張もめちゃくちゃである。平民上がりは事実だけれど、わざわざお義母様の前で言うなんて。
私が、反論するより前に、ヤーデが口を開いた。腕を上下にぶんぶんと振り、不服であることを示している。
「無駄なことはやめてください。状況からして、一番怪しいのは貴方なのです」
「……貴様、何を」
「子爵に毒を盛る必要性が、ティアにはありません」
私は元平民だ。だからこそ、後ろ盾であるお義母様を排そうとするなんてこと、する筈がないのである。
それこそ、分家筋に爵位を譲れと言われるだろう。私が貴族として生きていきたいなら、引退したお義母様の元、実績を作らねばならない。
「それに、お金を使っているは、貴方なのでは?」
「は?」
「布の質が良いです。宝石も、地味ですが大きく、価値の高いものばかり。男爵家は、それほど栄えているのですか?」
「そういえば、メイドも見慣れない顔がいたわね。誰が指示を出したのかしら」
お義母様が新しく指示を出すはずもなく。私は不在となれば、犯人はこの男しかいない。しかし、子爵令嬢の婚約者でしかない男がすれば、明らかな越権行為にかる。
「……男爵家に、確認を取ってください。婚約には金銭援助の項目も、含まれていましたので」
お義母様の発言で、男爵家にお金の余裕がないことも確認が取れ。騎士は両側から婚約者の腕を掴んだ。
「……子爵の許可も得ましたので、本格的な調査をさせていただきます。また、この男は様々な容疑が掛かっていますので、拘束させていただきます」
「はい」
そう言って、帳簿と香炉、元になることが確定したであろう婚約者を持って、騎士達は去って行ったのだった。
◇
一度休もうと、私の部屋に戻る。執事が手配してくれたのだろう。綺麗な状態の部屋に入るや否や、ヤーデは力無く座り込んだ。
「ヤーデ、貴女、核は……」
どれだけ、輝きを残しているのか。客間を出る時、お義母様を治療した時。それより前も、きっと、たくさん力を使っていたのだろう。
もう、幾分も残っていないのかもしれない。それでも、まだ、残っているなら。なるべく長く、多くのお礼をしたい。
胸の翡翠を見せて欲しいと伝えるも、ヤーデは困ったように首を横に振った。
「……ティアの、願いは叶いましたか?」
「えぇ。叶ったわ。だから、今度はヤーデの願いを……」
ヤーデがそっと、私の両手を包む。冷たい。少しでも温もりが伝わればと、ぎゅっとその手を握り返せば、ヤーデが笑った。
「わたしの願いは、ティアの願いを叶えることです。わたしの役目は、ティアに奇跡を捧げることです」
「どうして、そこまで……」
「ティアは、たくさん名前を呼んでくれました。本来、わたしたちは、起動時以外に呼ばれることはありません。道具には必要ありませんし、情が移ると使いにくいので」
一年ある寿命を使い切ることは基本的になく、起動したその日のうちに終わりを迎えるものもいるだろう。ヤーデはただ、事実を連ねる。
「名前を呼んでくれて。食料は等分。不必要な会話も、たくさんしました。ティアは、私を好きになってくれました」
「……どうして断言できるのよ」
「見ていればわかります。ティアは、わたしに対して、とても可愛く笑いますので。違いましたか?」
ぱちくり。美しい翡翠の目が向けられる。こんな大真面目に可愛いと言われたのは初めてだった。
あまりに、驚いたものだから。自然と言葉が溢れてしまった。
「……好きよ、ヤーデ」
「わたしも、ティアが好きです」
だから、とヤーデは笑う。
「ティアに奇跡を捧げます。ティアが、ずっと笑っていられるように」
チカチカと、ヤーデの胸元が強く輝く。時間がないと、私を急かすような輝きだ。早く答えないと、ヤーデの想いは無駄になる。
でも、叶えたい奇跡を伝えてしまえば、ヤーデは二度と目を覚まさなくなるだろう。
「ティア」
弱い力で、ヤーデが手を握る。声だって小さくて。言わなきゃ。でも、頭が、真っ白で。
何も考えられないまま、ただ、頭に浮かんだことを、祈るように口にした。
「私……、私は、ヤーデと、一緒にいたい……」
だって、助けてもらってばかりで、何もできていないから。ぽろりと、溢れた涙で視界が滲む。そして、ヤーデがどんな顔をしているのか、わからないまま。
一際強い、緑の光が目の前に広がって。そして、ヤーデを包み、消えた。
◇
一ヶ月後。ケルノー子爵家の廊下に、てちてちという足音が響いていた。足音の主は赤いツインテールを揺らし、目当ての部屋に飛び込んでいく。
「ティア。今日のおやつは、パンケーキなのです」
声を掛けられたティアが、目線を上げれば。宝石のように美しい緑の瞳が、ティアの金の瞳とかち合う。
「楽しみね。でも、先にマナーのレッスンがあるわよ」
「うぇぇええ……」
思い切り顔を歪めたヤーデは、あの後、奇跡的な回復を遂げた。体温は戻り、医者に見せても至って健康。寿命も普通の人間と同じくらいだと告げられた。
「知識はあるのに、どうしてマナーは苦手なのかしら……」
一つだけ、変わったことといえば。胸にあった、ヤーデの核。あの翡翠が、綺麗さっぱり消えていたことだろうか。
「じっとしているのは嫌いなのです。ご飯だって、おしゃべりしながら食べたいですし、ドレスは窮屈で動きにくいです」
もう、聖女ではないということでしょう。ヤーデは、そう言っていた。役に立たなくてもいいですかと、首を傾げたヤーデを馬鹿だと思いながら、抱きしめた事が随分昔に感じる。
「でも、一緒に社交に行くなら、作法を覚えてもらわないと」
ヤーデは、子爵家の次女になっていた。いつのまにか手続きも終わっていて、初めから、そうだったかのように、ヤーデは屋敷に馴染んでいた。
「……わかっています」
今のヤーデは、病弱だった子爵家の次女。姉について回って、社交を覚えている途中。嫁いで家から出る予定はなく、領地でティアを支える予定の立場だ。
都合が良すぎるくらいだが、でも、そのくらいが良いと二人で納得している。
「頑張れたら、パンケーキに苺を載せてもらいましょう。それとも、一緒に授業を受ける?」
「どっちもです!!」
「欲張りね」
「大丈夫です。ティアは、私が好きなので!! 私も、ティアが好きなので。我儘を言っても許してくれますし、一緒の方が頑張れます」
行きましょう、と差し出されたヤーデの手を取り、立ち上がる。
二人分の軽い足音が、廊下を跳ねていった。
こちらの話と同じ世界の話です。
https://ncode.syosetu.com/n0182kf/
よろしければ他の聖女達のお話もどうぞ。