07 修道院の薔薇
「こんな時間にあの子がここの庭に来ることなんて、今までにあったかしらねえ」
母后エルミーネが、修道院の窓から外を見て首を傾げる。
「薔薇園で何やらおひとりで、ブツブツ仰ってましたが」
お付きの侍女のマリーが、洗面器に暖かいお湯を汲み入れながら揃って首を傾げる。
「挨拶には早すぎる時間だというのに。ちゃんと朝御飯を摂ったのかしら。あの子ったら何かに夢中になるとすぐ、寝食を忘れてしまうのよねえ。昔から」
顔を洗い、髪を結い、修道女の服に着替えたエルミーネがロザリオを首からかけつつ溜息を吐く。
「ガエターノいわく、妃候補の肖像画のお嬢様ひとりひとりに丁重なお断りの手紙をしたためたそうよ。今までにそんなことはなかったのに」
宰相ガエターノも、自分の息子と同じように育て上げたエルミーネが呟く。
「で、ああして薔薇の花をこんな朝早くから探している、と。どこかに意中の女性でも出来たのではないでしょうか?」
どんな言いにくいことでもズバリと言ってくれる侍女のマリーは、この穏やかな修道院では貴重な存在でもあった。
「ガエターノ閣下にご注進しておきますか?」
「そうねえ……」
エルミーネが考え込む。
「あの子は隠し立てが下手だから、そのうちどちらかが相談にくるんじゃないかしら。大丈夫」
「エルミーネ様は呑気なんですよ。どこぞの芋みたいな町娘にでもうっかり入れ込んでたらどうするんです。私としてはアルバート陛下にはしっかりと素敵なお嫁様を見つけて頂いて、エルミーネ様を安心して頂きたいんです」
植物をこよなく愛するエルミーネが微笑む。
「芋なら洗えば泥も落ちるし、毒のある芽もとってしまえばどうってことはないし、育てれば収穫も多いものよ。こんな朝早くに薔薇の花を詰みに来る殿方の理由なんて、想像するまでもないことだけれど、そうねえ………」
四角四面で生真面目に育った息子が、はじめて『薔薇を欲する何か』に足を踏み入れている。
「……もう少し、静かに見守ってあげましょうね。余計な横槍はいけませんよマリー」
「かしこまりました」
しばらくすると、部屋の戸がノックされる。
「失礼する母上。庭の花を一輪、頂いたので、その連絡を」
珍しく朝の挨拶を忘れている、息子であり国王であるアルバートに、母后エルミーネは微笑んだ。
「おはようございます、アルバート。薔薇ならいつでも摘みにいらっしゃいな」
すると、アルバートが問いかける。
「………うむ。そういえば、つかぬ事を聞くが、ここの庭には水路は敷いたのか………聞いても良いだろうか」
「水路? 水路というほど立派ではないけれど、作業がしやすいように細い溝を通して貰ったのよ」
「細い溝か。そうだったな………」
一瞬だけ、何かを深々と考え込む顔になったアルバートが、息を吐いて、後ろ手に美しい一輪の薔薇を持ったまま言った。
「朝食前だというのに失礼した」
「それよりも、薔薇の花は、いらない葉と棘をきちんと取り除いて、水揚げをして涼しい場所に置いておきなさいね」
虚を突かれたのか、アルバートが目を丸くする。
「………水揚げ、とは?」
「マリー、水を汲んできて、鋏を取ってきてちょうだいな。それと、使っていない一輪挿しも、よ」