06 自覚
陽が落ちて、夕食を取り終えた後、珍しく国王陛下の執務室に呼び出されたガエターノが、目を丸くする。
「これは?」
「例の妃候補の令嬢達への、断りの手紙だ。朝までに届けてやってほしい」
今まではすげなく全てを問答無用で突っ返していたのに、今回に限って何故にこんなにも丁寧に対応しはじめたのだろうか。手紙の束を手に、ガエターノが首を傾げる。
「どんな心境の変化ですかね、これは」
「心境の変化?」
どうやら自覚はないらしい。だが、ガエターノとてこの王とは付き合いの長い間柄である。
「とうとう陛下も求婚をすげなく突っ返される悲しみを理解したのですか。どんな心境の変化かは知りませんが、何か我々に隠し事でも?」
「………隠し事、とは?」
ガエターノの異国風の黒い瞳が、アルバートの緑の瞳を捉える。元々隠し事をするような生活など送っていなかった上に、自分はあまりにも正直すぎるのか、この黒く鋭い瞳の前ではだいたいのことが明らかにされてしまう。つまり圧倒的不利を悟ったアルバートが手早く言った。
「おそらく、少しだけ、心境の変化があったということだが、いつか話すこともあるかもしれぬ。ただ、それは、今ではないが」
「ふむ。よろしい。この変化は悪いことには繋がらない。今はそう判断することに致しましょう」
ガエターノが控えていた従者達に手紙を渡し、目で合図する。従者達が足早に去っていった。
「幼少のみぎりより我らの間に隠し事は不要、と誓っておりますが」
「わかっている。隠すつもりはないが、どう言っていいものかわからないことがある。すまないなガエターノ。もう少し時間をくれ」
ガエターノがいつものようにくつくつ笑う。
「まあ、我らも大人ですしな。大人というものは、子供の頃のように無邪気に何事をもさらけ出せないのが現実です。ですが、陛下が困ってなければいいのですが」
「………きっとそのうち何かしら、困ると思う」
「なんと」
「その時には、相談する」
子供のころから何ら変わらないこの実直すぎる『主君』を見て、ため息をひとつ吐き出して言った。
「色っぽい話がいいですな。エルミーネ様ももう何年も心配しておりますゆえに」
「………む、そうだな」
この手の話になると、わかりやすく話題を変えてこようとするはずが、そうでもないことに思わずガエターノは片目を細める。どうやらわかりやすく『何かが起きている』らしい。
「いつでも相談しにきてください。ああ、でも、いつも言ってますが何事も『手遅れになりそうに』なるよりも前に、ですよ。根回しと手回しは私の仕事ですからして」
「わかっている」
ふとアルバートの横顔を見る。いつもと変わらないようでいて、少しだけ何かが違うようにも感じたが、それは決して悪いものではない、とガエターノは判断する。
「では、今夜はこれにて」
「うむ」
臣下ならではの優雅な一例と共に部屋を立ち去る長年の相棒を見送って、アルバートは部屋の窓をそっと、音もなく開ける。跳ね橋が真下に見える。あの近くに、今日出会ったばかりの、あの美しい人魚が憩うているのだろう。
「………そう、まだ、今日はじめて会ったばかりではないか」
だが、明日には『本物の薔薇』を見せてやりたい。彼女は喜ぶだろうか。そして、話の続きも読み聞かせてやりたい。窓の外から吹く風が、いつもより少し心地好いのは何故だろうか。
答えはもう、自分の心の中に存在している。
それは、慣れない感情だが悪いものではない。窓から星を仰いで目を細めると、月の光がいつもより眩しく感じられる。その眩しさもまた、何故か今の自分にはとても心地良かった。