05 書架の森
人気の無い図書館内に立ち並ぶ、大きな書棚の間を歩きながらアルバートは考える。
(海にはないもの、か)
内陸国育ちの自分には、海の世界というものはいまいちよくわかりはしなかった。あのような人魚が住まう場所なので、それはきっと美しい場所なのだろう。
百万の姫君の肖像画より、あの黒い髪の人魚の方が自分には輝いて見える。まるで美しい森の木立を歩むような気持ちで、アルバートは書棚の間を歩いていく。
「………そうか、森か」
森を舞台にした話なら、何度も聞かされて育ったではないか。アルバートは9番目の物語の棚まで戻ると、棚に並んだ本を吟味し始めた。
『その城より望む美しい森には義賊が住み……』
「ギゾク?」
「国王の命令に従わずに、自由に生きている者のことだ」
すると噴水から身を乗り出したハミシエがくすくすと笑う。
「じゃあ私も、海のギゾクなのかしら。私、誰にも何も言わずに出てきたの。お姫様には『あるまじきこと』なのよ。本当は、海の人魚の姫君は皆、海の王のものなの」
「やはりそなたは姫君であったか」
「101番目よ。こんな黒い鱗の人魚なんて不吉だから………って、ここでする話じゃないわ。続きを、聞かせてくださる?」
『その若き義賊には美しい恋人がいた。金の髪に美しい青い瞳、そして薔薇のような頬………』
「………バラ?」
「そなたは薔薇を見たことがないのか」
「海にはなかったもの。バラって美しいの? 恋人の頬、ですもの。きっと、とても美しいものよね」
「挿絵がある。薔薇は………あった、これだ」
頁をいくつかめくり、アルバートは薔薇の絵を指し示す。
「まあ、陸にはこんな美しい形のものがあるのね………」
「見てみたかったら明日にでも摘んでくるが。ちょうど修道院の庭に咲き始める時期だ」
「………本当に?」
そこに、夕刻の鐘の音が響き渡る。
「む、しまった。門限だ。帰らねば………」
夜の鐘がなると、城へ通じる跳ね橋が上がってしまう。それまでに帰らないと、騒ぎになってしまうだろう。
「帰ってしまうの?」
「………」
思わず二人の視線が交差する。
「………うむ、そうだな………『読み聞かせ』は終わっていない。このままでは……司書の、そう、名折れである。どこかで、続きを読まねば。しかし本来、ここは人通りが多い」
「見つかったら、良くないことになるのね。隠れるのに良い場所はあるかしら」
「うむ。朝になったらここも人通りが多くなる。開館すればなおのことだ。………そなたは、水がなければ生きてゆけぬのだろう」
「ええ。乾いてしまったら、多分よくないわ。陸に行ったことのある人魚の話は聞いたことがないけれど、私達は水がないと生きていけないの。海の底は暗いから、暗い場所でも目はよく見えるのだけれど」
「では……暗くなったら、あそこに見える城の跳ね橋が上がる。その下に身を隠すと良い。跳ね橋の下ゆえ、誰も来ない。朝には、朝一番の鐘の音と共に橋が降りる。動く跳ね橋の下に来るものなどいないが、私は抜け道を知っている。………小さな古い丸太船が目印だ。その横に、古い通路がある」
それは、城に、もしくは城に住まう王達に何かが起きたときに堀へと脱出できる通路だった。
「そうなの?」
「仔細は省くが、偶然見つけ出した、ということにしておいてほしい」
「あなたも冒険家なのね」
「………そうなるのを、夢見ていた時期があったことを、ハミシエ、そなたが思い出させてくれた」
不思議そうに首を傾げるハミシエに、アルバートは不器用に微笑んだ。
「感謝しよう。司書というのは、数多の冒険の森を旅するものでなければならぬ。それを、自分でも忘れかけていたのだ」
ハミシエが微笑む。
「じゃあ私達、一緒に旅をしているのね。嬉しいわ。森へは、行ったことがないのに、もうよく知っている気にすらなるわ。あなたみたいな素敵な案内人さんがいてくれたら、私、どこにだって、いけそうな気がするわ」