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19 真珠の光

「………そうだ。お前は今やただの人間。助けようとしても無駄だと言うことだ」

「海に、落とすなんて!」

「そうしないとは言っていなかった。それだけのことよ。それに、人間になりたくてここにきたのだろう? 我はそれを叶えてやっただけぞ」

 下半身に激痛が走る。黒い鱗が痛みと共に剥がれ落ち、魚の形の尾が徐々に人間の脚へと姿を変えていく。その、強烈な痛みに、吐く息が荒くなる。

「爾らの願いを叶えた。これは我が慈悲である」

 強烈な痛みに抗って、ハミシエはゆっくりと顔を上げた。

「………それでも、あなたを、父だと、思っていたのです」

 そして、静かに呟く。

「私を産んだせいで、母は、あなたの、最愛の人は、命を落としてしまった。私を疎む気持ち、理解しておりました。200年の間、一度も顧みられることなくとも………私は、どこかで、父であるあなたを信じていた」

 脚に残った最後の一枚の黒い鱗を、ハミシエは、大きく息を吐いて目を細めると、自分の手で剥ぎ取った。

「けれど、それも今日まで。………私は、私を愛してくれた人を信じます。さようなら」

 船縁に両手をかけて、慣れぬ力で、まるで生まれたての雛のように、ハミシエはよろりと両足で立ち上がった。

 そして、荒れる息を整えて、そして大きく息を肺へと吸い込む。そして次の瞬間、海へと沈みゆくアルバートを追って、飛び込んでいった。


 水の中で脚を動かしても、思ったように進まない。息が出来ない。人間とは、このような生き物だったのか。水中でハミシエは瞠目する。

 左右上下に激しく揺れる海の中、わずかに紅い血の筋が海底へと連なっていくのが見える。

(死なせない)

 腕の力だけで、必死でハミシエは潜っていく。顔を傷つけられて、血を流しながら沈んでいく最愛の男。もがくように、その腕を掴む。

「愛しているわ」

 人間になった今、水中で喋ることはできないはずなのに、何故か喉から声が出る。

「私は、あなたと、永遠に、歓びの庭を共にするって、決めているの」

 その瞬間、アルバートの胸の奥から輝きだした白い光が、二人を包む。

「私の、真珠………」

 何も持たなかった自分を、どこまでも愛してくれた誠実な男。不器用だが嘘偽りない歓びの中から生まれたあの白い真珠が、海中の二人を護るように丸く輝き、白い円形の空間を形作っていく。空気の様なあたたかい何かに満たされた不思議な空間で、ごほり、と大きく海水を吐き出したアルバートが、呟く。

「………ハミシエ、か」

「何故、どうして、私の愛を、試すようなことをしたのです」

「………恐ろしかったのだ」

「恐ろしい?」

「私は、私だけの力で……こうしてそなたを……得たとばかり思っていた。私の目の力など知らぬ、と。不必要である、と………どうしても、信じたかった」

「私、あなたの緑色の目が好きよ。でも、でも、あなたは、私の心に庭園があるって言ってくれたわ。毎日、本だって読み聞かせてくれたわ。温かい手で、薔薇の花を贈ってくれたわ。だからもう、寂しくないの。それだけでいいの。だから、あんなに怒らなくても、よかったのに」

 そして、ぽろり、ぽろりと涙を落とす。

「あなたが好き。どんな姿でも決して変わらない。ああ、やっと人間の姿になれたのよ、バート。お願い、私を見て」

「ハミシエ」

 三叉鉾で抉られた顔の傷が生々しい。眼窩から流す赤い血が海水と混じり、ぼとり、ぼとりとアルバートの胸元を赤く染めていく。

「見えなくとも………そなたが美しく、愛らしいことなど、わかっている」

「でも、私は、見て欲しいの。私は、あなたの妻。ベルンシュタットの妃。だから………」

 真珠の球体の白い光に包まれながら、海を漂う二人を見て、海の王が目を見張る。その目が、かつてのアルバートと同じ緑色に変化している。

「返して貰います。夫の、我が陛下の目を。私を、私の庭園へいざなってくれた、この世で一番貴い宝石」

 海の王の鋭い視線を感じてもなお、ハミシエは静かに言う。

「あなたが、愛を解していないとはいいません。けれどその瞳は、あなたには過分なもの」

 海の王が金の三者鉾で、白くまばゆく輝く球体を刺し貫こうとするが、白い光がそれを阻む。そして光が、海の王が新しく得たばかりの緑の眼を覆う。

「王よ」

 ハミシエの膝の上に頭を抱え上げられたアルバートが、呟いた。

「海にも庭があるのなら、その庭を共にする者もいつか現れるだろう」

 甲高い音と共に、真珠の光に触れた金の鉾が砕け散る。潰された男の眼窩が、淡い光りと共に癒え、緑色の、以前のそれよりは幾分か柔らかい印象の緑色の瞳が、再び現れ出る。

「帰りましょう、バート。いいえ、陛下。私の、大事な人」

 鉾を取り落とし、両方の瞳を押さえた海の王の、悲鳴のような咆哮が上がる。

「………行きて帰りし我が王冠よ」

 アルバートの両腕の中に、遠い陸地の遥か彼方にあるはずのベルンシュタットの王冠がゆるやかに顕現する。

「余と妃を、我が国へ迎え入れよ」

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