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18 代償

 船縁に身体を寄せると、アルバートは母エルミーネの木箱を開ける。そして金色の指輪のような『妖精の冠』を、そっと手に取って、海へと投げ入れる。

「海の王よ、聞き入れ給え」

 金の小石が沈むように、冠が海の底へと吸い込まれていった。目を細めて、アルバートは海の底へと静かに呼ばわる。

「我が名はアルバート・リ・フィーリアス・ベルンシュタット。汝の末の姫君を、我が妻に迎え入れたく参った」

 ゆらりと船が揺れる。

「捧げるは妖精の冠。我が母の宝物を、汝への供物としよう。そして、人と人ならぬものの婚姻にあたり、余はこうして承諾を得に参った次第」

 晴れていたはずの空に、静かに雲が集まってくる。

「余とここなるハミシエが願うのはただひとつ」

 その途端、巨大な金の三叉鉾が、突如として波間を裂いて現れる。船が大きく揺れ、思わずアルバートが船縁に手をかける。

「アルバート・ベルンシュタット。陸の小さな国から、妙な土産を携えてきたものよ」

 人間の身体の十倍以上はある背丈に、筋骨隆々とした蒼い肌、長い金の髪、そして威厳ある壮年の男の姿をした『海の王』が現れた。

 冷たく蒼い、そして巨大な王の瞳が、二人を射抜く。海の王が掌を開くと、そこには金色の小さな冠が乗せられていた。

「陸の妖精の金は、この海では決して手に入らない逸品。なんじの話を、聞いてやっても良かろう。………概ね、そこなる姫を人間にせよ、などという戯れ言であろうがな」

 アルバートの緑の目と、海の王の蒼い目が交差する。蒼い目が、すうっと細くなり、今度はハミシエの黒い瞳を射抜く。ハミシエが、両手で両肩を押さえ込み、身震いをしないように船の生け簀の中から顔を上げる。

「………王宮から消えたと聞いて清々していたが、帰ってきたか。呪われし我が娘よ。しかも、願いを叶えよという。妖精の冠を持つ男を連れてくるとは予想だにしなかったが……どうやってその小さな舟で、ここまで来たのだ」

 ハミシエが、小さく息を整えて、答える。

「………私は既にアルバート陛下のもの。陛下の許しなくば、お答えは致しかねます」

 船が大きく揺れる。

「末の姫ハミシエよ。お前の母はお前を産み落として死んだ。あれほど美しかった女は、この世に百の海があろうと永遠に見つからぬ。お前が生まれなければ、あの宝石は永遠に我の者であったというのに」

「………お父様」

「故にお前が何になろうが我に興味は無い。そして、ベルンシュタット王、人にして妖精の裔よ」

「………妖精?」

なんじの様な『人間』は珍しい。我が末の姫など幾らくれてやっても良いが、爾の身体には、我らでは持ち得ない力が在る」

「力、だと」

 ぞわり、と身体の奥から全身が総毛立つ。それはどこか危険信号にも似ている、と直感するが、

「………そのようなものは余は相知らぬゆえ、返答致しかねる。だが、我が妻を『幾らくれてやってもよい』とは何事か。大事な『娘』であろうが!!」

 隣のハミシエが思わず瞠目するほどの大音声で、アルバートが目の前の『海の王』を怒鳴りつけた。

「………命とは有限のものであり、最愛の者の命は何者にも代え難きもの。然しながらそれが絶えたのを理由に、我が妻へ200年もの理不尽な孤独を強いたのか」

「理不尽?」

 小首を傾げた海の王が、問いかけに答えることもなく言った。

「アルバート・ベルンシュタット、緑の瞳を持つ陸の王よ。妖精の血の混じった稀有な人の子よ。そこなるハミシエを人にしてやっても良いが、代わりに貰い受けるものがある」

 自分に妖精の血が混じっている、ということは初耳だったが、母のエルミーネが妖精の王冠を持っていたことなどを鑑みて、アルバートは息を小さく吐いてから言う。

「聞こう」

「爾のその緑の両眼だ」

 隣のハミシエが息を呑むのがわかる。

「人でないものを魅了するその瞳なくして、お前の『妻』はお前を愛するのか。抉りだして、確かめて見ねばならぬ」

「やめて、やめてくださいお父様!!」

 ハミシエが悲鳴にも似た声を上げる。アルバートが、呵々と笑う。

「………宜しい。やってみるがいい」

「バート!?」

 海の王の黄金に輝く三叉鉾が、王の顔の前に差し向けられ、波に揺られた小舟が大きく揺れる。そんな小舟の上に仁王立ちになったアルバートが、鉾を持つ海の王を正面から見据えて言った。

「………だが、汝の宮の書記官にこう伝えよ。百万の薔薇より美しい黒薔薇を王宮にも呼ばなかったことを悔い改めよ、とな。故にこの余はこの海で一番美しい娘を妃にする。これからはせいぜいこの紙に、真に美しいものを正しく書き記すがよい」

 懐から紙の束を掴み出し、海面へと投げつけた。白い紙が宙を舞い、海面へと落ちていく。そして、水を含んでじわりじわりと海底へ沈んでいく。

「私の国には、私より政に優れた友がいる。そして、私の美しい庭は、この心に在り、ここにいる美しい妻と、既に共有している。私の瞳が奪われようが、何一つ困ることはない!」

 ガエターノが聞いたら何というだろうか。やはり自分に『交渉』は向いていなかったのだ、と心のどこかで痛感しながら、アルバートは背筋を伸ばし、揺れる小舟の上でしかと両足で立ち続ける。

「爾のその矜持、いつまで保つやら」

「矜持を正しく持たぬ者を王とは呼べまい」

「良かろう。ではその瞳、我に寄越すがよい!!」

 次の瞬間、金の三叉鉾がアルバートの瞳を刺し貫いた。

 そして、海の王が勝ち誇るかのように嘲う。

「爾の願いを、叶えてやる」

 巨大な蒼い腕が、顔面から血を流して気を失ったアルバートの襟首を掴み上げて、海面へと叩きつけた。水音と共に、血で染まった海面から、身体が波間へとゆるやかに沈んでいく。そして海の王が振り返る。

「我が末の呪わしき姫よ、さあ、『今こそ』、人の姿を与えてやろうぞ」

 船の生け簀から飛び出して、海に飛び込もうとしたハミシエが、がくり、と、船底に倒れ込んだ。

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