12 母后エルミーネ
「その人魚の娘さんに付いていてあげなさいな、マリー。私なら大丈夫」
「宜しいのですか」
「然るべきものを届けてちょうだいね。一輪挿しだけじゃ寂しいでしょう。倉庫の奥に赤い棚があります。そこにあるのは、私が昔あの城で使っていたものばかり。日用品の使い方を教えてあげなさいな。いつか来るべき日のために」
「………エルミーネ様は、人魚が人間になる方法をご存じなのですか」
エルミーネがマリーに微笑む。
「私が若い頃、もっとお伽話は身近なものでしたよ。我が亡き夫も、あの王冠を大事にしていたものです」
「あの噂は本当なのですか。何でも、願いを叶えてくれるという………」
「さあ、どうかしらねえ。けれど夫は言っていたわ。どうしても叶えたい願いなんてものは、ささやかな方が良い、と。大きな願いほど、大きな試練を要求してくるのがお伽話の常なのよ」
「大きな、試練?」
エルミーネが微笑んだ。
「………病床の夫は、ベッドの上でよくあの王冠に願っていたわ。後ろ盾がなかった私と息子が、自分亡き後もつつがなくこの城で暮らせるように。いつか息子が王位について、自分の果たせなかった夢を叶えてくれるように。運河と、水路の事ね。この国は昔から水不足に悩まされてばかりだったから」
「じゃあ、運河と水路は……」
「あれはアルバートが成し遂げたことよ。時間をかけて、自分の力で、着実に。けれどその運河と水路を通って、運命の女性がやってきたのは、偶然なのかしらね?」
「それは………」
「わからないでしょう? それが、あの王冠なの。かつて世界を彩っていた、気まぐれで、優しい、時には残酷でもある数々のお伽話の名残のひとつ」
マリーが息を吐く。
「つまり、軽率に願うような感じではない、ということですね」
「………そうねえ。けれど夫は言っていたわ。『いつか、息子もこれに何かを願う日が来る。その時は、助けてやってはくれないか。人が人ならぬ力に願いをかけることがあれば、そこにはかならず試練があるものだ』」
エルミーネが微笑んだ。
「私は信じているのよ。いつか息子は美しい妻と連れ添って、この修道院の庭を通って、私のところに挨拶をしにくる、と」
マリーが退出した後に、エルミーネはそっと、寝台脇の机の引き出しを開ける。
「まったく、誰に似たのかしらねえ………」
古めかしい木箱の中に、小さな小さな、指輪のような金色の『冠』が納められていた。かつて『自分が』頭の上に載せていた冠の入った、掌に収まる木箱を手に、エルミーネは壁に掛かっている亡き夫にして先王クリスティアンの肖像を見上げる。息子と同じ色の緑の瞳。長く生きてはくれなかったが、それでも、自分を生涯愛し、形見でもある一人息子を授け、遺してくれた男。
「………あなた達ったら、人ならぬ者ばかり、引き寄せる血筋なのかしら」
寂しげにひとり呟いて、そっと古い木箱の蓋を閉めて机の引き出しの奥に戻す。そして、寝台に腰を降ろすとひとり、エルミーネは祈るように沈思しはじめた。




