11 プロポーズ
「ちょっとガエターノ閣下、こんな時間に至急来られたし、って、随分と堂々と使いを出してきて……もしも誰かに誤解されたら………」
修道院から突如呼び出されたマリーが、国王のアルバートが宰相の部屋にいるのに気付いて言葉を失ってから、慌てて深々と一礼する。
「国王陛下のお伽話に付き合ってもらいたくてな」
「………薔薇をどこぞの女性にお捧げしている件までは存じておりますわ」
「母は何と言っていた」
「隠し立てできない性格だから、そっと見守るようにと」
「………そうか。では2人とも、話は、来て貰ってからだ」
3人が、寝静まった城をランプを手に歩く。城の廊下の突き当たりに、倉庫へと続く扉があった。
「この倉庫の床に、堀へと降りる階段が隠されていた。昔、ガエターノと隠れん坊をしていたときに見つけたものだ」
「有事用の階段を逢瀬に使うとは、といいたいところですが、まあこれも有事なのでしょうから、しかたありませんね」
「国王陛下に春が来たと思えば、大変な有事ですわね」
父王が亡くなるまではこの城で長らく務めていたマリーはガエターノとは旧知の間柄だった。
「2人とも………」
思わずアルバートが溜息を付いて、呟く。
「ハミシエは、驚くだろうか」
「まあ、多少は驚いて頂くことになりましょうな」
かつん、かつん、と地下通路を3人で降りていく。少し空気が湿っぽくなり、水の音が響く。
「足を滑らせないように」
アルバートが静かに明かりを手に歩く。そして、しばらく歩くと外の空気が流れ込む。灯りを少し上に掲げると、上がった跳ね橋が見える。
「ハミシエ」
静かな声で、アルバートは呼ばわった。
「………バート? どうしたの、こんな時間に」
美しい声が水音と共に返ってきたことに、ガエターノとマリーは顔を見合わせる。
「こんな時間にすまない。信頼の置ける友を、連れてきた」
「……友達を?」
「………ハミシエ、可能なら私は、そなたを我が人生の伴侶としたい。だが、その前には、明かさねばならぬことと、乗り越えなければならぬことが、山のようにある」
数秒の後に、水面が揺れる。顔を見合わせたガエターノ達が同時に水面に視線を投げて、今度は言葉を失う。
「ああ、バート、私、ただの人魚よ。私達、心に、同じ庭を持っていても、きっと結ばれることは、容易くはないわ………でも、でも………私は………」
水面から静かに現れた人魚が、水に濡れた黒い髪を揺らす。黒い鱗を隠すように、上半身だけ水面から身体を乗り上げたハミシエが、アルバートの後ろにも灯っている灯りに気がついて、驚いて声にならない声を上げる。
「大丈夫だ、ハミシエ。この者らはそなたに決して害をなさぬ」
ハミシエの手をそっと握り、アルバートが言った。
「それと、詫びねばならぬ。私は、私の本当の名を、ようやくそなたに告げる日がきたのだ」
「本当の名前? どうして、詫びる必要が………」
「私の名は、アルバート・リ・フィーリアス・ベルンシュタット」
「ベルンシュタット………?」
ガエターノが、静かに言った。
「このような内陸の小さな国へよく参られた、海の姫よ。このお方こそが我が国の王、アルバート王である」
ハミシエが驚きのあまり目を見開いて、アルバートとガエターノ、そしてその後ろのマリーを交互に見る。
「………騙すつもりはなかったが、国王だとは、言い出せなかったのだ」
ハミシエが硬直したまま、ぽつりと言う。
「どこか………不思議な人、とは、思っていたの」
マリーが静かに階段を降りて、呆然としているハミシエに、明るい声音で問いかける。
「私、修道院に勤めているのよ。私達自慢の薔薇、お役に立てたかしら? それと、ここは寒くはないの? 大丈夫?」
「え、ええ」
「陛下はあなたにとびっきり優しくしてくれた?」
「は、はい」
同じ年頃の女性と話す機会を持たなかったハミシエが、何度も何度も瞬きをする。
「あの、その………私、知らなくて。そんなに偉いお方だなんて、そんな」
マリーが陽気に笑い、
「大丈夫よ。この人は確かにちょっとばかり偉い人かもしれないけど、奥様も恋人もあなた以外にいないんだから。そうね、あなたがいわゆる一番手なのよ。だから、こうして宰相閣下まで連れてきたの。私の名前はマリー」
ガエターノが火の入っていないパイプを手に深々と礼をする。
「ガエターノ・トゥーサン・フェルディナント。この国の宰相である。王とは5歳の頃より机を並べて学び育った間柄でな」
そして、片目を閉じた。
「この私よりも先に、とんでもない美女と連れ添おうとは全く、大胆不敵にも程がありますが、既に『心に同じ庭を持つ』もの同士の間柄を裂くことなど野暮の極み。ならば、我らの役目はひとつ。どうすれば結ばれるかを考えるだけです」
マリーが微笑む。
「そういうことよ。愛して、いるのでしょう? 彼が、どんな人であっても」
戸惑い、硬直したままのハミシエが、胸に手を当てて大きく頷く。
「ええ、バート、いいえ、アルバート様。私は、本当に、何も持ってはいません。不吉と呼ばれ、海の王宮に呼ばれたこともない、このような、黒い人魚です。それでもよければ、それでも………ああ、でも、いいのかしら。私に………」
胸の前に当てた両の掌がぎゅっと握られる。
「………ああ、わからないの。私、幸せになっていいのかしら。あなたとなら、どこにだって行きたい。一緒に、生きてみたい。一緒にいられるのなら、文字だって、作法だって、何だって覚えてみせるわ。けれど、こんな身体ではきっと、この国の人間達は、良く思わないわ。だって、あなたは国王様なのでしょう? だから、人間の、王妃様でなければ、いけないのでしょう? 隣にいる資格なんて………ないわ………」
今すぐ水に潜って、遠くへ逃げてしまうべきだろうか。頭に一瞬そんなことが過った途端に、まるでそんな考えを読まれたかのように、アルバートが跪いてハミシエの両肩を抱き寄せた。
「………ハミシエ。それでも、私は、私の庭を同じくする者しか、きっと愛することはできない。それが、そなただった。それだけのこと。世界に、そなたに代わる者などいない」
水に濡れて冷たい肩が、自分の服を少しだけ濡らす。
「我が妃に、なって欲しい。それと、『様』はいらない。そなたにとって私は『バート』だ。これからも、ずっと」
マリーとガエターノがそっと目を見交わして、微笑む。
「大丈夫よ。ハミシエ様。資格なんてものは、あるとかないとかじゃないの。つくるものなのよ」
「宰相就任以来の難題ですな。図書を集めさせておいてよかった。明日からは文献を漁りましょう。まだ世界にお伽話が息づいていた時代の名残を探さねばなりません」
魔法のように胸ポケットの中で小さく輝く真珠に、服の上からそっと触れて、アルバートが不器用に微笑んだ。
「だから、どこにも行ってくれるな、我が庭、我が妃。苦難はあろうが、必ずそれを越えると誓おう。愛している」
ガエターノとマリーが、同時に微笑みながら言った。
「そういうのは二人きりの時に言うものでは」
「いいえ閣下。こういうのは、二人きりの時に『も』言うべきものですわ」
暗闇の中の三つのランプが、顔こそいつもの真顔とさして変わらぬものの、よく見ると真っ赤に染まっている王の耳と、抱き寄せられた人魚の紅潮した頬を水面にゆらりと映していった。




