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魔道具『影喰いの外套』

 

「もう来なくていい」


 パーティーリーダーの冷たい声が、酒場の喧騒の中でやけにはっきりと聞こえた。


 斥侯のダリウスは、ジョッキを握る手に力を込めた。三年間、共に迷宮を潜り、魔物と戦ってきた仲間たちの視線が痛い。


「お前の実力じゃ、これ以上の深層には対応できない。足手まといになる前に、な」


 言葉は丁寧だが、容赦はなかった。確かに、最近のダンジョン攻略でダリウスは何度も危険な目に遭っていた。敵の動きについていけず、罠の発見も遅れがちだった。パーティー全体のレベルが上がる中、彼だけが取り残されていた。


 理由は分かっている。才能の限界だ。


 酒場を出たダリウスは、夜の街を当てもなく歩いた。冒険者として生きてきた十年。これからどうすればいい。故郷に帰るか。それとも別の街で一からやり直すか。


「やあ、そこの冒険者さん」


 突然、路地の角から声がかけられた。


 振り向くと、小さな露店が出ていた。商人が一人、布を広げて何やら商品を並べている。不思議なことに、その商人の姿がはっきりしない。老人のようでもあり、若者のようでもあり、性別すらあいまいだった。月明かりのせいか、輪郭がぼやけて見える。


「何を売ってるんだ」


「魔道具さ。珍しいものばかりだよ」


 商品を見ると、確かに奇妙な品々が並んでいた。絶えず水が湧き出る壺、常に北を指す羅針盤、決して消えない蝋燭。どれも実用性より奇妙さが先に立つものばかりだ。


「これは?」


 ダリウスの目に留まったのは、黒い外套だった。月光を吸い込むような深い黒。手に取ると、驚くほど軽い。


「それは『影喰いの外套』」商人が言った。「着ると自身の影が消える。斥侯には便利だろう?」


「影が消える?」


「そう。影がなければ、敵に気配を察知されにくい。暗殺者や斥侯には最適さ」


 確かに理にかなっている。影は時として存在を暴く。特に月夜の潜入任務では、影が致命的な隙になる。


「ただし」


 商人の声が低くなった。


「一つだけ条件がある。影を失う代わりに、毎晩、誰かの影を喰わせなければならない」


「影を喰わせる?」


「人の影に外套を触れさせるだけでいい。そうすれば、その人の影を少しだけ喰う。相手は一時的に疲労感を覚える程度さ。大したことじゃない」


 ダリウスは外套を見つめた。眉唾物の話だが、実際に魔道具が存在するこの世界では、あり得ない話でもない。


「いくらだ」


「金貨五枚」


 安い。新人冒険者でも手が届く値段だ。


 ダリウスは金を払った。どうせもう冒険者を続けられない。せめて面白い土産話にでもなればいい。そんな投げやりな気持ちだった。


 ■ 二


 翌朝、ダリウスは外套を着てみた。


 鏡を見ると、足元に影がない。本当に消えている。窓から差し込む朝日の下でも、彼の影は存在しなかった。


「マジか……」


 驚きと共に、ある考えが浮かんだ。もしこれが本物なら、まだ斥侯として通用するんじゃないか。影のない斥侯なら、夜間の偵察でも姿を隠しやすい。パーティーを組み直せるかもしれない。


 その日、ダリウスは新しいパーティーを探しに酒場へ向かった。外套を着たまま、自信を持って。


「影のない斥侯?面白いな」


 新しく出会った冒険者たちは、ダリウスの特技に興味を示した。実際に試しの依頼をこなすと、その有用性は明らかだった。月夜でも影に怯える必要がない。敵の背後に回る際、影が先に露見することもない。


「ダリウス、お前すごいな!どうやって影を消してるんだ?」


「企業秘密さ」


 久しぶりに味わう賞賛。ダリウスは充実感を覚えた。


 だが、夜になると商人の言葉を思い出した。毎晩、誰かの影を喰わせなければならない。


 宿の廊下で、酔った冒険者とすれ違った。ダリウスは外套を軽く相手の影に触れさせた。一瞬、外套が脈打つような感覚があった。


「うっ……」


 相手は少しふらついたが、酔いのせいだと思ったようだ。そのまま部屋へ消えていった。


「これだけか」


 ダリウスは安堵した。これくらいなら、誰も気づかない。害もほとんどない。


 ■ 三


 一週間が過ぎた。


 ダリウスの評判は上々だった。新しいパーティーでの活躍が認められ、より難度の高い依頼が舞い込むようになった。


 しかし、違和感もあった。


 外套を着ている時間が長くなるにつれ、妙な感覚に襲われるようになった。昼間でも薄暗い場所が心地よく感じる。逆に、明るい日差しが不快だ。鏡を見ると、自分の顔色が少し青白くなっている気がした。


 そして、影を喰わせる頻度も増えていた。


 最初は一晩に一人で済んでいたが、今では二人、三人の影を喰わせないと、外套が重く感じるようになった。まるで、外套自体が飢えているかのように。


「ダリウス、最近疲れてないか?」


 パーティーメンバーの一人が心配そうに声をかけてきた。


「いや、大丈夫だ」


 嘘だった。実際には、毎晩影を喰わせる対象を探し回るのが苦痛になっていた。宿の廊下で行き交う人々、酒場の客、街の通行人。誰彼構わず影を喰わせる日々。


 ある夜、影を喰われた男が倒れた。


「おい、大丈夫か!」


 周囲の人々が駆け寄る。男は顔面蒼白で、呼吸が浅い。


「医者を!」


 ダリウスは群衆に紛れて逃げた。心臓が激しく打つ。これは予想外だった。影を喰うだけだと言われていたのに。


 部屋に戻り、外套を脱ごうとした。


 だが、脱げない。


「なんだ、これ……」


 外套が肌に張り付いている。まるで体の一部になったかのように。どれだけ引っ張っても、剥がれない。


 パニックになりかけたその時、外套が囁いた。


『もっと、もっと影を』


 声ではない。直接脳に響く何か。外套の意思が、ダリウスの中に流れ込んでくる。


 恐怖が襲った。これは呪いだ。商人に騙された。


 ■ 四


 翌日から、ダリウスは外套を脱ぐ方法を探し始めた。


 魔道具の専門家を訪ね、司祭に相談し、古い文献を漁った。だが、誰も『影喰いの外套』について知らなかった。


「そんな魔道具、聞いたことがない」


「影を喰う?おとぎ話じゃあるまいし」


 誰も信じてくれない。


 その間も、外套の要求は激しくなった。一晩に五人、十人。影を喰わせないと、ダリウス自身が衰弱していく。まるで外套が宿主の生命力を奪っているかのように。


 パーティーメンバーにも異変が起きた。


「最近、みんな体調が悪いんだ」


 リーダーが言った。顔色が悪く、目の下に隈ができている。他のメンバーも同様だ。


 ダリウスは気づいた。無意識のうちに、一番近くにいる彼らの影を喰っていたのだ。毎日、パーティーを組んでいるから。


「俺のせいだ……」


 罪悪感に苛まれたが、外套を脱ぐことはできない。喰わせなければ、自分が死ぬ。


 ある夜、ダリウスは限界を感じた。このままでは仲間を殺してしまう。街の人々も危険だ。


 彼は街を出る決意をした。人里離れた場所へ行こう。誰も傷つけない場所へ。


 だが、荒野を歩き始めて三日目、ダリウスは気づいた。


 人がいない。影を喰わせる対象がいない。


 外套は激しく脈動し、ダリウスの生命力を直接吸い始めた。激痛が全身を走る。立っていられない。地面に倒れ込んだ。


『影を、影を寄こせ』


 外套の声が頭の中で響く。もはや懇願ではなく、命令だ。


 ダリウスは這いながら街へ戻ろうとした。だが、体が動かない。力が抜けていく。視界がぼやける。


「助けて……」


 誰もいない荒野で、ダリウスは呟いた。


 その時、影が見えた。


 自分の影だ。


 いつの間にか、足元に黒い影ができている。外套から生まれた影。いや、違う。これは外套そのものだ。外套が彼の体から離れ、影となって地面に広がっている。


『お前の影も、もう喰い尽くした』


 外套の声が最後に響いた。


 ダリウスは理解した。外套は最初から、着た者の影を喰っていたのだ。他人の影を喰わせている間は、宿主の影を温存する。だが、それも時間稼ぎに過ぎない。最終的には、宿主そのものを喰い尽くす。


 体が透けていく。


 存在が薄れていく。


 影だけでなく、体も、心も、すべてが外套に喰われていく。


「商人……騙したな……」


 最後の言葉を呟き、ダリウスは消えた。


 後には、黒い外套だけが荒野に残された。


 ■ 五


 ある街で、一人の冒険者が外套に目を留めた。


「これは?」


「『影喰いの外套』と言ってね」商人が微笑んだ。「着ると自身の影が消える。斥侯には便利だろう?」


 商人の顔は、やはりぼやけていた。老人のようでもあり、若者のようでもあり。


「ただし」


 商人の声が低くなる。


「一つだけ条件がある――」


 同じ言葉が繰り返される。


 そして、また一人の犠牲者が生まれる。


『影喰いの外套』の伝説は、こうして永遠に続いていく。


 影を失った者たちの、終わりなき物語として。

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