『墓守のシェイプシフター』
祖母は古びた桐箱を大切そうに膝に置いた。夕暮れの柔らかな光が、窓辺で編み物をする祖母の横顔を優しく照らしている。
「あの方のことを、ずっと覚えているのよ」
祖母の皺を刻んだ手が、丁寧に桐箱の蓋を開けた。中から一枚の古い画用紙が取り出される。黄ばんだ紙には、色鉛筆で描かれた一人の騎士の姿があった。
茶色の髪、凛とした眉、優しい微笑みを浮かべる口元。18歳だった祖母が、記憶を頼りに描いたという絵は、素朴ながらも温かみのある筆致で描かれていた。
「雨の日だったの」
祖母は遠い日の記憶を、ゆっくりとたどり始めた。
「私ね、その日、街の外れにある古井戸に落ちてしまったの。誰も通らない場所だったから、きっともう...と思った時」
祖母は画用紙の騎士の顔を、優しく指でなぞった。
「突然、上から声が聞こえたの。『つかまっていなさい』って」
長い縄を手際よく下ろし、迷うことなく井戸に降りてきた騎士。冷たい水に浸かった祖母を、しっかりと抱きかかえて地上まで運び上げたという。
「不思議な方でした。まるで、私が落ちることを知っていたかのように」
騎士は祖母を家まで送り届けると、その後は二度と姿を見せなかった。けれど、祖母の心に残った温もりは、決して消えることはなかった。
「この絵を描いたのは、助けられた次の日のこと。あの方の優しい眼差しを、絶対に忘れたくなかったから」
祖母は懐かしそうに微笑んだ。
「私がその後、あなたのお祖父さんと出会えたのも、あの方のおかげなの。だから...」
霊園の石畳を、秋の風が静かに吹き抜けていく。私の足音だけが、この静寂を優しく破っていた。
「おばあちゃん、必ず見つけてくるからね」
その約束を胸に、私は巨大な霊園の入り口に立っていた。祖母が「恩人の眠る場所へ参りたい」と願ったのは、彼女の90歳の誕生日の前夜のことだった。もう長距離の旅はできない体だと知りながらも、どうしても伝えたい思いがあるのだと、祖母は私の手を握りしめた。
「18の時、私の命を救ってくれた騎士様がいるの。あの方がいなければ、今の私たち家族はなかったのよ」
そう語る祖母の瞳は、まるで少女のように輝いていた。祖母が書いた騎士の絵を手掛かりに私は旅立った。
絵に描かれた紋章を頼りに、山を越え森を抜けた先の町へ着いた。
私が町の人々に尋ねても、騎士の墓の場所を知る者はいなかった。ただ、一人の老人だけが「墓守さんたちに聞いてみたら」とアドバイスをくれた。
「墓守?」
「ええ、確かにいるんだけど...不思議な方でね。姿を見かけたと思うと、すぐにいなくなってしまう」
その言葉通り、霊園で働く墓守たちの姿は、まるで蜃気楼のように捉えどころがなかった。ある時は老人の姿で、またある時は若い女性の姿で。けれど誰もが、深い慈愛に満ちた眼差しを持っていた。
「お嬢さん、どなたをお探しで?」
振り返ると、そこには優しい笑顔を浮かべた中年の男性が立っていた。茶色の作業着を着た、どこにでもいそうな普通の墓守だった。
「はい、祖母の恩人である騎士様のお墓を探しています」
私が祖母から聞いた話を伝えると、墓守は静かに頷いた。
「ご案内しましょう」
墓守に導かれるまま歩いていく。色褪せた墓石の間を縫うように進んでいくと、一際立派な騎士の墓の前に辿り着いた。
しかし、墓石に刻まれた没年を見て、私は困惑した。そこには祖母が5歳の時の年号が刻まれていた。
「あの、これは...」
「おかしいと思われましたか?」
墓守は穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと姿を変えていった。そこに立っていたのは、若き日の騎士その人だった。
「実は、私こそがその騎士なのです。あの日、お嬢さんのお祖母様を助けたのは私です」
私の驚きの声に、彼は優しく微笑んだ。
「私は姿を自在に変えられる存在。シェイプシフターと呼ばれる者です。何物にも成れない怪物として、各地を転々としていました。苦難の多い日々でしたが…流れ着いたこの地で、人々の安らぎのために、この霊園を守り続けてきました」
騎士は語った。自分の墓を建てたのも、人々に疑われないためだったと。
「お嬢さん、遠路はるばるありがとうございます」
夕暮れの霊園に、優しい風が吹いていた。私は理解した。この墓守たちは、人々の心に寄り添い続ける温かな存在なのだと。
祖母の元へ帰る時、私は確信していた。きっと祖母は、すでに真実を知っていたのだと。だからこそ、私にこの旅をさせたのだと。
「おばあちゃん、会えたよ。あの方は、ずっとみんなを見守っていたの」
その言葉に、祖母は穏やかな笑顔を浮かべた。窓の外では、一羽の白い鳥が静かに空を舞っていた。




