35話、セイクリッド・シュマリナ教国
ローゼンクランツ王国再興記、2章開始です。
ーローゼンクランツ王国再興記ー
第2章『聖なる花冠へ向けて』
ユーリアは、今日も朝から溜息をついていた。
執務室にある彼女の机の上には、全国の信者からの手紙や聖職者からの嘆願書。それら以外にも、他国の王侯貴族からの文書や、有力な商人からの献上品依頼などといった、数々の手紙や文書の類がうず高く積み上げられて、山のようになっていたからだ。
ユーリアは呆れたようにその山を眺めて、独り言ちる。
「はぁ、毎日少しづつ読んではいるのだけど、ちっとも減らないわ。多すぎて嫌になっちゃうわね」
今日も朝から大量の手紙に辟易としながらも、それこそ神の悪戯であろうか? 或いは明確なる神の意思なのか、大量の山の中から偶然1通の手紙を手に取る。
ユーリアの目に留まりますようにと、華美な装飾が施された手紙の中の素朴な一通が、逆に彼女の目を引いたというのもあろう。だが、このたった1枚の手紙が、偶然が、彼女を激動の人生へと誘い、人生をがらりと変えてしまう事になるのだ。
「ユリシス・ラ・シュバリエール? 誰かしら、聞かない名前ね。」
ユーリアは、手に取った一通の差出人を見て怪訝な表情を浮かべる。
名すら聞いた事が無い、見知らぬ癒官からの手紙に懐疑的な感情を抱いていた。
どうせまた、下らない事が書かれているのでしょう? と。
過去に受け取った手紙を思い浮かべる。
沢山送られて来る手紙の中には、彼女の美貌や知性、その慈悲の心を褒めたたえるような手紙が多いのも事実であった。
彼女はこれらの手紙を読み、何度顔をしかめたかわからない。
一体、この人は何を考えているのかしら?
私に何を求めているのかしら?
会った事も無い殿方に、いきなり手紙で求婚を求められたりもするのである。
そんな内容の手紙は1度や2度では無い。無数にあったのだ。
それを私に見せて、一体どうしたいのかしらね……。
ーセイクリッド・シュマリナ教国ー
ゴルトブリッツ帝国の南部に位置する、女神シュマリナを最高神と崇める宗教国家である。
その頂点に君臨する聖皇女ユーリアは、一通の手紙を手に苦悩していた。
差出人は、帝国の北方教圏ローゼリア教区の次席癒官であるユリシスなるもので、数百年もの間、その姿を見せることはなかった女神の使徒が、御使いが、現世に顕現したというものだったからだ。
手紙には、ユーリアも是非一度、神の使徒と会うべきだとも記されていた。
ユーリアは聖皇女である前に、女神シュマリナの存在を信じる敬虔な信仰者でもある。しかし残念な事だけれども、世の中には偽りの使徒や御使いを称する者が稀に現れるのも事実なのだ。
簡単には信じることなど出来ない。
だがこの手紙には差出人であるユリシス本人が、黄金の聖なる輝きと共に一人の青年が蘇るという、神の奇跡を目の当たりにした詳細な記述がある。ユーリアの心を揺さぶるには十分な説得力があった。
ユーリアは神の使徒に会うべきか深く悩んだ。もしその者が真の使徒であれば、彼女にとっても、教国にとっても大きな福音となるだろう。しかし、偽物であった場合、教国の威厳を傷つけるだけでなく民衆を惑わせる危険性もある。
「誰か、誰かいますか?」
「どうされましたか? ユーリア様」
「ダリオ枢機卿をすぐに呼んで頂戴!」
ダリオ枢機卿は、ゴルトブリッツ帝国の教圏に詳しい。
まずは枢機卿に色々聞いてみるべきよね。
ユーリアは侍女に命じた。しかし、待てど暮らせど枢機卿は現れない。
「一体、どこに行っているの?」
ユーリアは苛立ちを隠せなかった。
神の使徒との謁見は、教国にとって重大な決断を迫られる問題である。
一刻も早く枢機卿達と協議し、対応策を練る必要があると感じていたからだ。
しかしダリオ枢機卿は一向に現れない。仕方が無くユーリアは机の上の手紙を何度も読み返す。
『私が偶然この1通を手に取ったのも、神の思し召しなのでしょうか』
ユーリアは自問自答を繰り返しながら、待機の時間を過ごす。
コンコン
待ちわびた音が部屋に響いた。
彼女の執務室の扉がノックされ、侍女が来客を告げる。
「聖下、ダリオ枢機卿がお越しです。お通ししてよろしいでしょうか?」
「どうぞ、通してください」
「遅れました事お詫び申し上げます。聖皇女聖下」
彼もまた急いで来たのだろう。呼吸が少し乱れていた。
「あぁダリオ枢機卿。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
ユーリアは、ダリオ枢機卿を優しく微笑みながら迎える。
「いえいえ、聖皇女聖下をお待たせしてしまい申し訳ございません。何分少し離れた所におりましたもので」
ダリオ枢機卿はユーリアの言葉に軽く頭を下げる。彼の額には、玉のような汗がびっしりと浮いていた。
「着いて早々にごめんなさい。急ぎこの手紙を読んで欲しいのです」
「では、失礼して」
枢機卿は手紙を読み終えると、驚愕した表情を浮かべていた。
そして、ユーリアに深々と頭を下げる。
「聖下、こ、これは大変な内容です。神の使徒とは……、本当なのでしょうか?」
「それを貴方と論じる前に、教えて欲しい事がいくつかあるのです。枢機卿は、ゴルトブリッツ帝国の北方教圏にあるローゼリア教区をご存知ですか?」
「えぇ、あそこには北方では珍しく大きな聖堂もありますから、多少は存じております」
「ではそこの、ユリシス・ラ・シュバリエールという方はご存知?」
「ユリシス……ですか、ううむ」
さすがに名前だけでは、ね。
記憶を呼び覚ます一助になればと、追加で情報を与えてみる。
「修道女兼、癒官次席のようですよ」
ダリオ枢機卿は手のひらをポンと叩き、思い出した様子を見せた。
「ええ、ええ、おりました。おりましたとも」
「修道女の中に一名、かなりの神力を持つ者がおりましたそうで……、癒官へ転属された女性がいると聞いたことがあります。たしか、そんな名であったかと。なかなかに優秀でしたから直ぐ次席になったそうですね。そのおかげで覚えておりました」
「……そう、彼女は間違い無くいるのね。では、そのユリシスさんという方の人柄はご存知ですか? 何か知っていたら教えてください」
「──その、嘘をついたりとか、人を騙すような方なのかしら?」
「さて、そこまでは分かりかねます。ですが、ローゼリア教区の司教からの手紙には、真面目な娘と書かれていたかと」
ダリオ枢機卿は上げていた頭を再び下げ、ユーリアへ向けて言葉を発する。
「聖皇女聖下、これは大変なことです。神の使徒との謁見は慎重に検討する必要があります」
ユーリアは、枢機卿の言葉に頷いた。
「私もそう思っています。ですがこの件は一刻も早く対応せねばなりません。今すぐ来れる枢機卿のみで構いません。私の名において急ぎ招集を」
「急ぎ集めてまいります」
いつも落ち着いた雰囲気の、あのダリオ枢機卿がバタバタと慌てて走って行くなんて……。初めて見たかもしれないわね。
◇◇
ユーリアと招集された枢機卿達は、神の使徒との謁見について長い時間議論を重ねていた。時に議論は熱を帯び、意見が衝突することもあったが、最終的にユーリアと枢機卿達は1つの結論へと達する。
神の使徒との謁見を受け入れる。そして、神のご意志を謙虚に受け止める。
ただ、現在の帝国は戦乱の兆しが強く、神の使徒が顕現されたローゼリアもつい先日戦いがあったばかりだと聞く。そんな状況で使徒様を呼び出す訳にはいかない。
ここは我らが行幸をもって伺うべきで、使徒様が戦争で失われる可能性がゼロではない以上、可能な限り早くお会いすべきだとの結論に至った。
「問題は、どうやってローゼリアまで移動するかですなぁ」
「国境を隣する大公領が、帝国公爵に攻められてるそうですのう」
「陸路で向かうのであれば、本来なら大公領から公爵領の公都アーレンドルフへ向けて移動し、そこからノイエブリッツ新城を経て、ザーレンドルフへ至りローゼンヌへと抜けていくのが常道でしよう」
「ですが、今は通らぬ方がよいでしょうな」
「野望高き公爵、悪名高い帝国摂政が、聖皇女聖下の行幸をすんなり通すとも思えませんな」
「足止めを喰らい、奴の権威を高める手伝いを……、求められるやもしれません」
「それこそ、簒奪の正当化を求められるやもしれませんぞ」
「さすがに、そこまでは……」
私は枢機卿達の会話を黙って聞いていた。
彼らの意見をまとめると陸路は危険で、特に公爵領の横断は勧められないという結論だった。
「ローゼリアまでの時間を考えれば、やはり船じゃないかしら。皆さん、今回は使徒様に会う事が一番の目的ですよ?」
通常、聖皇女の行幸となると陸路が一般的で、船での行幸は過去に例が無い。
シュマリナ聖教の御旗を堂々と掲げ、女神様の御威光と慈悲の心を民に示すのが目的だから、とにかく遅いのよ。
「聖皇女がローゼリアへ直接向かうなど、何か疑われはしませんか?」
「貴方の言う事は最もです。では、これならどうですか? 帝都カイゼルブリッツの大聖堂へ訪問した後は、サンクトレーゼンの大聖堂を訪問します。名目上はこれら大聖堂訪問が主目的で、近隣のローゼリアはあくまでもついで、という流れで出発するのです」
枢機卿達は思案を顔に浮かべ、黙って聞いていた。
「道中で、サンクトレーゼン領は隣領と戦争中のようですから、時節柄延期と声明を出してカイゼルブリッツの大聖堂のあとは直接ローゼリアを目指しましょう」
↓考案されたローゼリアへの行幸ルートがこちら↓
「これが一番良さそうですな」
「私もそう思います」
「では各々早急に準備を進めてください。準備が出来次第、直ちに出発します。会って、お話を伺って、本物であったなら……、我が国はどうするのか決めなければなりません」
あぁ、早く会いたいわ。
ユリシス・ラ・シュバリエール。
そしてまだ見ぬアレクシス・フォン・ローゼリア様。
◆◆
「主様」
「どうした? ユリシス」
「以前主様とお話しした、シュマリナ教国の件をお覚えですか?」
ローゼリア領には優秀な人材が集まりつつある。
そしてその国力も、レーヴァンツェーン領を併呑した事で着実に増していた。
アレクシスが伯爵領を継いだ頃と比べ、彼我の戦力差は格段に縮んではいる。
だが我ら最大の敵である帝国摂政、ゲーベンドルフ公爵家は、その帝国最大と言われる経済力と軍事力を持って帝国南部の大公領へと侵攻を開始した。とうとうその野望の牙を剥いたのだ。
大公領は奮戦しているが、その領土をじわりじわりと削られており、失い始めている。
もし、ゲーベンドルフ公爵家が大公家を完全に併呑すれば、だ。
その統治範囲は、帝国で最も肥沃な土地と言われる黄金の麦穂平野の過半を占有する事になる。そう、帝国の力の源泉と言われる地の殆どが、公爵家のモノとなってしまうのだ。
こうなればもう詰んだも同然である。
いくら我がローゼリアに優秀な者が多いとは言え、無理がある。
小が大に勝ち続ける事など不可能なのだ。
わが大望の敗北だ。
何か方法はないか?
せめて公爵が、大公領を併呑するのを遅らせる事は出来ないものか。
悩みぬいた末の、ユリシスの金言だった。
「シュマリナ教国へ、助力を願ってみてはどうでしょうか?」と。
帝国南部に位置するセイクリッド・シュマリナ教国は、女神シュマリナを最高神として崇める宗教国家であり、教義であるシュマリナ聖教は、慈悲と愛を重んじる教えである。
そんなシュマリナ教国は、過去にただの一度も他国へ軍事介入した事はない。
『ただの一領主であれば歯牙にもかけないでしょう。ですが、主様なら話は別だと、女神シュマリナ様の奇跡を宿した主様なら、かの国が動く可能性は十二分にあります』と言うのだ。だから一縷の望みをかけてユリシスに文を頼んだのだ。
「主様、やりました! 聖皇女聖下が、聖下が……、直接主様に会いたいと申されて、ローゼリアへ向けて出発されたそうです」
「なに!? 本当か」
シュマリナ教国が、我がローゼリアの願い通り帝国摂政ゲーベンドルフ公爵家の打倒へ協力してくれるのであれば、見える。
蟻が象を倒す、その道程が。
その道筋はあまりにも細く、拙いが、確かにアレクシスには見えた。
神崎水花です。
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