「幻想写生」
ビニール傘が好きだ。
ぱたぱたという音が好きだ。
傘の向こうに見える景色が好きだ。
半透明のビニールと次々にかかる滴を通すと、
看板の黄色や緑や赤が混じり合って、
いつもの商店街が初めて来た場所のように見える。
田舎の雨が好きだ。
白くかすんだ遠くの山を見るのが好きだ。
オレンジ色の街灯に照らされた定規で引いたような斜線が好きだ。
濡れた路面に映るネオンの光が好きだ。
電車の窓から、田んぼのそばの道を、
傘をさして長ぐつをはいた子供たちが、
一列になって歩いているのが見えると、
なんだか幸せな気持ちになってくる。
雨の日、学校の渡り廊下を歩いていると、
ふいに立ち止まりたくなることがある。
大きく深呼吸すると、しっとりとした空気が肺をいっぱいにしてくれる。
庭に降る雨が好きだ。
縁側に座って見ていると、いつもは空の池に水がいっぱいにたまり、
庭ぜんたいが大きな水溜りになる。
きれいな同心円が生まれては消えていく。
名も知らぬ雑草さえもつややかに置物の蛙どこかうれしげ
六月十六日に父親が死んだ。
庭のあじさいを棺に敷きつめた。
青と薄紫に包まれた親父はなんだか得意そうに見えた。
都会の雨が好きだ。
高い塔のフロアをまるごと覆った、巨大な板ガラスに無数の水滴がついている。
次々に押し寄せる水に、水滴が降りていくことができない。
はるか下の道路まで一本の水が通っていくのが幾筋も幾筋も見える。
たくさんの家が雨風になぶられていて、ビルの高いところが白く煙っている。
ちょっと感傷的になって振り返ると、着飾ったたくさんの女の子が、笑いながら、おしゃれなお店で買い物をしている。
塔の外では雷鳴がとどろき、風雨が荒れ狂っている! 都会と自然、明と暗とのコントラスト…。
雨の音が嫌いだ。
一人で聞く雨が嫌いだ。
夜に聞く雨が嫌いだ。
布団の中で屋根を打つぱたぱたという音を聞いているとたまらなくさびしくなる。
音が激しくなればなるほど、自分がひとりのことを思い出してしまう。
にわか雨うしろから傘さしかけて君の体を小さく感じる
存在感があまりにも大きくなっていることにふと気づかされることがある。
たとえば、傘をさしかけたとき、彼女の肩の高さに気づく。
この子は、こんなに小さかったのか。
彼女が笑えば自分も嬉しい。
彼女が泣けば自分も悲しい。
こんなにもぼくには大きな存在なのに。
だけど、彼女の存在を本当に思い知らされるのは、目の前からいなくなったとき。
紫陽花のしおれるころに恋も消えひとりで歩く夏がまた来る
そして、きらめきの季節へ--。