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5.夜を昼にする男

「あのっ、手っ」

「ん? 迷子になられたら困るから」

「迷子って……」

「人も多いからね。三連休だし」


 商業施設を出ても、弓月さんと手を繋いだままでいる。

 電車に乗ったり歩いたりしてギャラリーや展示スペースを訪ね、壁の前に立たされてカメラを向けらて、次の行き先へと手を取られることを繰り返す。

 途中、カフェでお茶して休憩などもして。


「どう見えてるんだろうね」

「え?」

「光輝ちゃん大人びて見えるから親子は絶対ない。パパ活にしては僕がそれっぽくない。タイプ違い過ぎてて兄妹もなさそうだ……」

「はあ、知り合い?」

「ま、そうだろうね」


 セルフポートレイトはレンズ越しに見れないからわからない、と。

 頬杖ついた顔を、お店の窓へ傾けて気怠そうに目を細めて弓月さんは呟いた。

 お昼もだけど、カフェでも結局、私が自分の分を払うことはなかった。

 半日で四ヶ所を回って、あっという間に時間は過ぎた。

 車を停めた駐車場のある海浜公園へ戻ったころには、もう薄暗くなっていた。

 最初から電車でもよかったのではと思ったけれど、弓月さん曰くそれはそれで行き帰りがだるいらしい。


「それに乗る電車に左右されるのが面倒……」


 なにが面倒なのかは、私が楽しめるよう疲れ過ぎないよう弓月さんが考えて動いてくれていたのでそういうことかなと思うことにした。

 折角だからと海が見える広場まで出れば、薄紫と茜色のグラデーション空を背景に青黒い波がうねっているのが見えた。

 電話かけてくるといって、弓月さんはどこかへ行ってしまったのでベンチに座る。

 少し疲れた。


「なんていうか、基礎体力の差が……」


 四十代とは思えない。

 流石、カメラや撮影機材など運んで、仕事内容によっては外で何時間も撮影するのが仕事な人だけある。

 潮風を受けながらぼんやりと海を眺める、公園から少し海を挟んで浮島になっている海水浴場もあるけれど流石に人影はまばらになっていた。

 

「疲れた?」


 背後からの声に振り返れば、ごめんねとお茶のペットボトルを渡された。


「すっかり付き合わせちゃって」

「まあ、そういった話でしたしお役に立てたなら。結構楽しかったです」

「おっさんにあちこち連れまわされては指図されるのが?」


 言いながらすぐ隣に座って、ベンチの背もたれに背筋を伸ばして弓月さんは水のペットボトルを開けて飲む。

 いただきます、と私も貰ったお茶のペットボトルの蓋を開けて口をつけた。


「個展の会場選び……ですよね?」

「そう。いつもは適当に決めるけど、今回はちょっとね……どんなかなって」

「どんなかな?」


 弓月さんの言葉の意味が掴めずに首を傾げれば、光輝ちゃん、とやけにあらたまった真面目な声音で呼ばれた。


「はい」

「写真、使っていい?」

「え?」

「いや、使えないと成り立たないから使わせて。使用にあたり光輝ちゃんの条件は全部飲む」

「は? え……ええとっ……」


 急にそんなことを言われても。

 そもそもいつの間に撮った、どんな写真かもわからないのに。


「……通報覚悟で打ち明けるけど」

「はい」

「実は結構な枚数、光輝ちゃんを撮ってる」

「はい?」

「堂々と撮ったのもあれば、多少盗撮ちっくなのも含めて」

「冗談……ですよね?」

「僕が冗談言ってるように見える?」


 見えます。

 見えるけれど、盗撮……という言葉は冗談でもちょっとどうかと思う言葉で。

 私はさりげなく少しばかりベンチの端に寄って弓月さんから離れた。


「んーまあ、そうなるとは思うけど。暗くなってきたし家までは送らせて」

「……あの、本当に?」

「本当に」

「むしろそれは……冗談がよかったです」

「なんだったら見る?」


 いつものコンパクトカメラを差し出され、えっ、これ? と思わず口から言葉が出た。


「ん?」

「いえ、これならまあ……たまに私にも向けて撮っていたみたいなので」

「中身見たら絶対引くと思うよ」

「まさか。ああ、その中から一、二枚使いたいってことですか? 変なのでなければ……」

「光輝ちゃん……」


 私は、弓月さんの言葉を正確に理解していなかった。

 ちょっと箸休め的に他の写真と合わせるくらいに考えたのを、私の質問で察したらしい。

 私の言葉を途中で遮って、弓月さんはため息を吐いた。


「違う」

「違う?」

「僕も自分に引くくらい、光輝ちゃんばかり撮ってる。正確に言おうか? 今日を含めて576枚。それ全部」

「ご……っ……!?」


 ごひゃくななじゅうろくまい――。

 

「遊びのつもりですごい撮ってた」

「遊び」

「……のつもりだったんだけど。仕事や狙ってでもなくだったから。まあとにかく」

「えっ、あの……っ」


 ――何卒、使用許可を!


 ベンチから滑り降りて足元で平伏され、ぶんぶんと思いきり首を横に振った。


「無理です!」

「そこをなんとかっ」

「やめてください。土下座って……ま、また人をからかっているんですよね!?」

「光輝ちゃん、これでも真剣に言ってる。頭ならいくらでも下げるし、金払えっていうなら払うし、奉仕しろっていうなら奉仕するし、靴を舐めろっていうなら舐める」

「最後のは絶対いりません! どれもいりません!」

「あ、そう? わりと希望する人いるけど。最初の奥さんそうだったし」


 ベンチに座っているから後ずさることもできないけれど、そうしたい気分だった。

 わかっている。

 ふざけているとしか思えない態度で言葉ではあるけれど、弓月さんは真剣だ。

 だってもう、私を見つめる目が鋭い。

 土下座なんてして私の足元に陣取って、これでは逃げられない。

 計算高い、中谷さんが言っていた通り。


「光輝ちゃん、口説き堕として頷かせるのはしたくない」

「どうしてそういう発想になるんですか」

「普通に頼んでも許してくれなさそうだから」

「変則技や反則技で頼まれても無理です」


 だって、モデルでもなければ、見る人をはっとさせるものを彼が引き出すように撮ったものでもなく。

 本当に、普段の、日常の、私で。

 コンパクトカメラで遊びで撮られたものだ。

 そんな写真、大勢の人目に晒されるなんて耐えられない。


「気になるなら消すって言ってましたよね」

「ダメ、使えないにしても。これはもうそんなのじゃない」


 そんな勝手な――自然に出た声が掠れていた。

 今日の弓月さんは、これまで見た中で一番最低な大人だ。

 だって、自分の勝手な都合のために、私が了承するまで離れる気がない。


『光輝はお人好しだし、そいつ信用できない。外で密室とか二人きりは絶対避ける!』


 翠ちゃんの言う通りでした。

 翠ちゃんの心配とはたぶん少し違ったけれど。


「大人は勝手なものだよ。光輝ちゃんが知らないだけで。どうしたら許してくれる?」

「だから無理です。他をあたってください」

「無理」

「無理はこちらです」

「じゃあ、どれぐらい無理?」


 私が簡単には了承しないと、少し攻め方を変えたようだ。

 どれぐらい。少しずつ切り崩す作戦だろうか。

 だとしたら絶対不可能なことを……考えて、ふと周囲の暗さに気がついた。

 いつの間にかすっかり日が暮れて夜になっている。

 

「よ、夜をいますぐ昼にするぐらい無理です!」

「夜をいますぐ昼にするぐらい無理」

「はい」


 口をついて出た言葉だったけれど、これは絶対不可能だ。

 それよりも、弓月さんはいつまで私の足元に跪くようにしているのだろう。

 暗くなってはいるけど、電灯だってある。

 無人なわけでもなく、ベンチと海の間にある遊歩道を通る人がちらちらとこちらを見ていく。

 見下ろせば、少し癖毛な頭と顎先を掴んでなにか考え事をしている顔が見えた。

 こんな四十歳の大人なんて知らない。

 父と六つしか違わないなんて信じられない。 


「あの、弓月さん……」 

「できたら無理と言わず、せめて考えてくれる?」


 急に立ち上がった弓月さんに、「少し離れるから携帯持ってる?」と尋ねられて頷いた。

 数秒おいて、着信音が小さく聞こえてバッグから取り出す。

 どうして私の番号……あ、履歴書からか。


「人もいるけど、暗いし、万一のため通話状態にはしてて」

「……はい」

「すぐ戻る」


 万一のため、同時にこれまた逃げられない。

 逃がしてくれないのは写真の使用許可を取るためで、逆を言えば許可しない限り使わないということだ。

 流れるような動きで、女子高生に土下座したりするのに。

 ものすごい人たらしで計算高いけれど、悪人ではないしむしろお人好し。


「一応、機材積んでおいてよかったよねー」


 本当に弓月さんはすぐに戻ってきた。走ったのか少しばかり息を切らしている。

 はあっ、と大きく呼吸して、弓月さんは首にかけて持ってきた一眼レフのカメラを持ち上げた。

 なんだか白いキャップのようなものがついた見慣れない部品がついている。

 

「光輝ちゃん、これちょっと動かないよう支えてて」


 弓月さんはそう言って、手に持っていた華奢で小さな三脚みたいなスタンドをベンチの背もたれに挟むように取り付けて、動かないよう私に手で押さえさせた。

 スタンドには、カメラと同じく白いキャップのついた機械が取り付けられている。

 カメラの設定を操作して、こんなもんかなと呟くと、弓月さんは彼が座っていたあたりに転がっている水の入ったペットボトルへとカメラを向けた。 


 ぱしゃっ!

 たまたま近くを通りかかった人が驚いて不審そうにするほど、明るい光が一瞬周囲を照らして消える。

 白いキャップをつけた機械はたぶんストロボ。

 キャップのおかげで明るいは明るいけれど目を射るような光ではなかった。


「もっと難しい無理だったらどうしようかと思ったけど、はい」

 

 ずいっと弓月さんが差し出してきた一眼レフカメラの画面を見て、嘘……と、思わず呟いてしまった。

 写っていたのは昼の光に照らされて、ベンチに転がる水のペットボトルだった。


「夜を昼にするくらい、大人はわけないよ。光輝ちゃん」


 というわけだから、無理と言わずに考えといて。

 悪いようにはしないから。


 呆気に取られている私に、弓月さんはとても人の良い大人の笑みを見せたけれど。

 なんだか悪魔の笑みに見えた。

 

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