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4.壁と線

 海の側の商業施設は結構賑わっている。

 すぐそこにあるはずのお昼時のフードコートは大盛況で。


「なに、この満員電車の車両端から端までチャレンジってくらいの混み方」

「……ですね」


 家族連れ、小さな子供の全力の主張、怒るお母さん、全力の抵抗の泣き声。

 通路の曲がり角にあるお手洗いからはみ出る女性の列。

 女同士、男同士、男女混合のグループ、デートっぽい二人組などなど……。


「そーいや、世間は三連休だもんねー」


 忘れてたと呟いているけれど、そもそも三連休の予定を私に聞いて今日付き合ってと言ったことごと、忘れていそうな弓月さんだった。

  

「あー人混み苦手……なにが面白くてこんなとこくるんだろうねー。店もなにも街にあるのと一緒なのに」

「私達もその一員ですけど」

「それもそうか」


 雑貨の物販エリアからフードコートのエリアへ移る場所。

 フロアマップを白く描いた透明のアクリル板が打ち付けてあるコンクリート剥き出しの柱に張り付くように二人並んで、行き交う人を避けての会話だった。


「ここにいて」


 低く、少し篭った声で短く言った弓月さんに頷けば、人混みが苦手とぼやく割にはすいすいと人の頭しか見えない混み具合の中を進んで、あっという間に姿が見えなくなった。

 ここがこんなに盛況なのは、すぐ近くに磯遊びなんかもできる海浜公園があるからだろう。

 それはそれとして、なんだろう。

 弓月さんが離れてから、通り過ぎる人の肩や肘が時折ぶつかる。

 つま先立ちにさらに柱に寄ってもあまり変わらず、通路であるし、すぐそこの物販エリアのお店に移った方がよいのかもしれない。

 通りがかりに少し気を引かれたものもあったし、フロアガイドを見たい人にも邪魔だろうし、と。

 体の向きを変えかけたら、後ろから肩を掴まれた。

 

「どこいくの」


 いつの間にか戻ってきた弓月さんだった。

 引き戻された私に被さる格好で、私の頭の上で、買ってきたらしい茶色いクラフト紙に挟んだ細長いパンを二つ持つ手を柱に寄せる。

 ふと、舌打ちのような声が人のざわめきの中から聞こえて遠ざかった。

 攻撃的な響きの声の不意打ちに驚いたけれど、まあこの人混みでは苛立つ人もいるだろう。

 

「いるよねえ……ああいうの」


 ぼそっと、わずかに振り返り気味に弓月さんは目を細め、私に顔を戻して口元だけ笑みの形に吊り上げて、手に持っていたパンを私に渡した。


「持って」

「えっ?」

「はい、こっち」


 私の二の腕を引いて、その体格の良さで人混みを破るように斜めに通路とお店のエリアを突っ切って、おもちゃみたいな黄色のプラスチックチェーンと“KEEP OUT”の印字がされた三角コーンで区切られた中へと。


「弓月さん、ここは入ってはいけないところではっ!」

「いーのいーの、ちょうど入れ替え期間ってだけだから」

「や、でも」

「運営会社に下見行くって連絡してある。飲食OKかは聞いてないけど」

「……はあ」


 かけられていたチェーンを外し、まるで自分が運営している場所のようにはいどうぞと招き入れられる。

 白い石膏ボードで区切られ、コンクリート打ちっぱなしな建物の壁や柱を生かした、ギャラリースペースだった。

 展示がないから立ち入り禁止になっていたらしい。


「ま、とりあえず食べよう。牛乳とイチゴ牛乳どっちがいい?」

「じゃあ、イチゴで」

「アボカドエビサンドと死ぬほど合わなさそうだけど」


 言いながら、カーキ色のやたらポケットの多い半袖シャツから二つ取り出した小さな紙パックのうち一つを渡された。普通の牛乳で、弓月さんの紙パックを見ればコーヒー牛乳と書いてある。

 

「流石にそんなチョイスはしないなー」

「いたずら……」


 ジーッ、と斜め上から機械音がした。

 唐突に、人を撮る。

 手ぶらなのにどこから取り出したのか、シャツ同様、ズボンもポケットが多いデザインでたぶんそこからだろうけど。本当に片時もカメラを離さない人なのだなと感心してしまう。

 片手で器用に紙パックとパンを持って食べながら、弓月さんはもう一方の手で構えたコンパクトカメラ越しに私を見下ろしている。


「うーん、やっぱりこっちは後にするか」

 

 そう言って、おもむろにコンクリートの床に腰をおろして静かにカメラを置いて食事にする。

 私は流石に彼のように床に座り込むわけにはいかず、立ったまま食べた。

 黒いシャツワンピースの生地だから、たぶん真っ白な埃の跡がつく。

 それにしても、静かだ。

 石膏ボードの壁越しにすぐそこの人混みのざわめきが少し聞こえてくるくらい。

 

「あちらと違って、嘘みたいに落ち着いた場所ですね」

「立ち入り禁止だからねー」

「……許可取っているのですよね?」

「うわーなにその疑いの目。光輝ちゃん、いつからそんな人を疑う子になったの」

「ここ四ヶ月程でです。知らない世界をかいま見て」

「知らない世界ねえ」


 あっという間にパンは食べ終えて、コーヒー牛乳のストローを咥えながら苦笑する。

 弓月さんは、食べるのが早い。

 慌てなくていーよ、という気遣いに、はいと答える。

 食べ終えたら、捨ててくると紙パックとクラフト紙を取り上げて弓月さんはまたフードコートの方へ一旦出ていった。戻ってきた彼に、肩に斜めがけしたバッグから財布を出して自分の分のお金を払おうとしたら断られた。


「ありがとうございます。ごちそうさまです」

「たまにはね。まあ威張るようなものではないけどね……」


 そういえば、この人はいま金銭的に厳しかった。

 

「やっぱり払いましょうか」

「いいからっ、最低な大人である自負はあっても、JKに心配されるほどダメな大人じゃないから」

「どういう自己評価ですか」

「んー、いい画を撮ること以外はどうでもいい大人。さて……仕事しようか」


 ――そこ、立って。


 声色が、それまで大丈夫かしらと心配になるような人だったのが瞬時に変わった。

 休日の人のざわめきやお昼を食べながらの会話に、ゆるゆると弛緩していたようなギャラリー全体の雰囲気までも。

 なんだかすっと線を引かれたような。

 コンパクトカメラを構えた弓月さんがとる距離を踏み越えるのはいけない、立ち入り禁止の線を。

 けれど、撮影の時のような鋭さはない。

 時折、カメラを外して指で指示された壁の前に立つ私をみる弓月さんは、いつも通りのにこにこと人好きする笑みを浮かべた表情の弓月さんだった。


 ――今度は、こっちの柱に。


 言われるまま、指定の位置に移動する。

 二、三メートルの距離を保って、シャッターは押さずただレンズ越しに、私というよりなにかの目印と柱を眺めるように右から左へ、左から右へと歩いていた弓月さんは私の真正面の位置で足を止めた。


「こっち、見て」


 指示通りに、弓月さんを見た。

 カメラとか写真のことなんてわからない、まして撮られてもいない。

 いつものように彼を見れば、何故か苦笑してカメラを持つ手を下ろした。

 

「うん、じゃあ次行こうか」


 たしかに線を引かれたと思ったのに。

 そんなものはただの私の勘違いだったみたいに、私に近づき手を取って弓月さんは歩きだした。


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