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最低カメラマンと17歳  作者: ミダ ワタル
番外編――弓月
11/12

ただの数字か、まともじゃないか(前編)

 日付が変わる少し前、呼び出された。

 それも目黒と白金台の中間なんて、終電後に呼び出されるには迷惑でしかない場所に。


「あのさー、センセー。六本木とか新宿とか銀座ならともかく、この時間に人を呼びだす場所じゃないよね」

「なら、来なきゃいいだろうがよ」


 電車なら数分でも、歩くには遠い。

 タクシーでの移動になる。

 夜の外を撮り歩いていて、目の前を流しのタクシーが通りがかった成り行きで来たから構わないけど。

 首に下げていたフルサイズミラーレス一眼カメラを店のカウンターに置いて席に座れば、きつくて甘い煙の匂いに軽く咽せそうになる。

 このご時世に吸える店だからって、僕が来るまでの間に何本吸っていたのだか。

 置いてある灰皿は取り替えられたばかりでうかがい知れない。


「ダイキリ、ラム二倍で」

「ヘミングウェイかよ」

「あれは砂糖抜きでしょ。糖尿のおっさんじゃないし。反逆するには崩れたサリンジャーってとこ?」


 どちらにしてもろくでもないなと呆れられながら、出てきた三角のカクテルグラスに口をつける。

 降らないくせに梅雨明けしそうでしない蒸し暑さの夜、甘みも欲しい。


「ろくでもないのは、まだ火曜の夜に人巻き込んで酒と煙草にまみれてるセンセーでしょ」

「あんたなら上下も利害関係もねーから、パワハラになんねーしな」

「僕が言うのもだけど、社会的立場ある人としてその発言どーなの‥…横暴不良教授」


 朝布大学獣医学部内科学第三研究室、教授・上津原聡(かみつはらさとし)

 動物の血液腫瘍が専門で大学附属の動物病院で診察も行う。臨床現場にも出ている研究者で獣医の先生。

 去年、出版大手のカドワカから受けた仕事で知り合った。

 動物エッセイなどを出版し、TVの教養番組なんかにも時折出ている。

 大学の広告塔でもあるためか、メディアに顔出しする際のイケメン獣医ぶりと、普段のラフな格好に白衣で押し通す無精髭の強面男といった見た目と態度、虚構と現実のギャップが激しい先生でもある。


「来ると思わなかったんだが?」

「なら呼ぶかなー。あ、もしかしてセンセー友達いない?」

 

 店は、古巣のバー。

 フリーランスになる前の会社勤めしていた頃、この店より目黒寄りに住んでいた。

 二ヶ月程前に仕事でこの近くに来て懐かしさで立ち寄ったら、このセンセーと遭遇した。

 まあ近辺にある大学勤め、家は店の近所らしい。

 客であっても不思議じゃないが、出くわすのは確率的に有り得なくないかと思う。


「この歳になると、大抵家族持ちで気軽に誘える相手なんて限られんだろうが。バツ二のふらふらしてるザルのカメラマンくらいで」


 ちなみにこの人も一度結婚に失敗している。

 年上だが、同じ四十代前半。

 僕の側は業界的に誘う相手に事欠かないけど、まあプライベートってなら言ってることはわからないでもない。

 

「人呼び出して機嫌悪いとか最悪なんだけど。あっ、とうとうトーコちゃんに振られた?」

「振られてねぇ……ここんとこ会ってねえけど」


 トーコちゃん、とは。

 甘糟塔子という人気作家だ。

 このセンセーとトーコちゃんが月刊文芸誌でやった、恋愛をテーマにした連載対談。

 その対談風景の撮影を僕が担当した。

 当初六ヶ月だったはずの連載は思いの他好評でもう半年と延長し、その間に二人はふっついた。

 恋愛テーマの対談で本当に付き合うことになるなんて出来過ぎだけど、月一頻度で約一年。

 ただ二人を撮る、傍観者の位置からその紆余曲折ぶりを冷やかすのは面白かった。

 それにギャラも、その後に続く仕事の面でもおいしかった。

 いまやカドワカは太客の一つである。


「それで不貞腐れてるわけだ。相変わらず仲が良さそうでなによりだねー」

「相変わらず遠慮なく人の事を楽しげにいう奴だな、弓月さん」

「なら、呼ばなきゃいいじゃない」


 ついでに、彼らとはゆるい友人付き合いのようなことになっているが……センセーから誘われたのは初めてだ。

 この人と飲んだのは出版社の打ち上げと、偶然この店で出くわしたのと、それくらいしかない。

 実のところ僕の側でも、少しばかりこのセンセーと飲みたい気分ではあった。

 センセーとトーコちゃんは、一回り年が離れていて、干支が同じだった。


「妙な話を聞いたんだが?」

「ん?」

「女子高生は……流石に引く」


 成程、と。酒のグラスに再び口をつける。

 恋人にしばらく会っていない憂さ晴らしにお節介って……呆れるほどに善人なセンセーだ。

 おそらく前にここで会った時、僕が少しばかり酔って管を巻いたことと結びつけたのだろう。 

 僕が文旬で持っている連載、『あの人の本棚』で取材した人でもあるけれど――パワハラ紛いに柄悪いくせに、アリストテレスの“ニコマコス倫理学”なんかを選ぶ一冊に出してきた人だけはある。

 僕はレンズ越しに人の内側を覗きこむけれど、覗かれるのは好きじゃない。お断りしている。

 けど、センセーがその気なら乗ってもいいか。


「どーせ、カドワカあたりから聞いたんだろうけど。センセーさあ……ほんと……」

「なんだよ」

「別にぃー、事務とか家事周りやってもらうアシスタントで学生アルバイト入れてるだけ。担当編集者の知り合いの子を紹介してもらって」

「こないだ、らしくもなく人に絡んできたよな? ここで」

「二回り近くも違う子を雇ったばっかの時だったから、トーコちゃんとセンセーは普段どんな感じって聞いたのは覚えてるけど。でもってやらしー惚気を聞かされたんだっけ?」

「誰が惚気だ……あんた、そんな感じじゃなかったぞ」


 やっぱ、それか。

 いい先生だよねー。

 こういう大人が身近にいる学生は幸運だろう。

 口も態度も悪く、面倒見良すぎる上に怒りに愛がある……僕みたいなのにも気を回してくれるんだから。


「人にロリコン疑惑持つのはいいけど、トーコちゃんと先生一回り違いじゃなかった? センセー二十歳の時、トーコちゃん八歳なのわかってる?」

「一応、存在はしてるだろ。二回りは存在してないぞ」

「じゃあ二十歳で八歳ありなわけ?」

「あるわけないだろ」


 それはそうだ。

 このセンセーも僕も、結婚に失敗している同士でいまさら女性に幻想もなにもない。

 さらに言えば、可愛い年下なんていう好みでもない。従順に控えられるのもそれはそれで結構気が重い。


「一応、言っておくけど、これでも未成年と学生は対象外。大人同士は人の勝手でも、大人と子供はそうじゃない」

「そのあたりの倫理観もがばがばなんじゃないかと疑ったが……意外とまともだな」

「センセー、僕をなんだと思ってんの?」

「普通にゲスい最低カメラマンだろ、あんたが喋ること聞いてる限り」  

「これでもかつては悪い大人を憎んだ子供なの、僕も」


 へえ、と。

 咥え煙草で生返事する、センセーの横顔を目を細めて見る。

 軽い既視感。

 まだ大人じゃなかった頃。ほんの少数の、善い大人と言葉を交わした際の……知らず漏れてしまった笑みはグラスを口に、飲み干した酒の余韻を楽しむに形に変えた。随分遠い昔の話だ。

 バックバーに並ぶボトルへ目をやって、ティーニニックの十二年を頼む。

 少し水を垂らした、ほぼストレート。

 蜂蜜のような甘さを追いかけるようにスパイシーさが出てくる味わいで、けれど最後まで甘い余韻が続く。


「……あんたそういう酒好きだな」

「ん?」

「甘味のある強いやつ」

「たまたまじゃない。好み把握されるほど、センセーと飲んでないし」

「そうだがよ」

「世間一般の基準はどうあれ、大人同士なら年齢ってただの数字でしかなくない?」

「どこまで通用するかはさておき、まあ一応使える理屈ではあるな」


 互いに不毛な議論は止めようといった了解が、成立した。

 店のスツールに座ってからカウンターに置いたままにしていたカメラへと手をやる。


「けどさー、一方が子供の間はまともじゃないだよねー」

「まともじゃないのかよ」

「どうだろ……色恋ではないけど。でもって、こーゆーので撮る対象でもないんだけど」


 いま手に触れているようなので撮る対象じゃない。

 でもずっと撮っている。遠くから、近くから。

 コンパクトカメラの、画角固定でズームできない、単焦点レンズ越しにただ眺めるように。


「ちょっと大人びた子でさ。真面目で落ち着いてて、あと二年もしたら綺麗になるだろうなあって感じで。健全な精神っていうか、日々をちゃんと大事にして過ごしてて……まあJKはJKだけど」

「そりゃまた、弓月さんとは正反対だな」

「そうなんだよねー。でもってこっちの領域に踏み込まない賢さで、仕事もきっちり丁寧で、それはもう美味しいご飯も作ってくれるし」

「なに胃袋掴まれてんだよ……」

「胃袋どころか、もはや生活全般が完全に外注状態で依存に近い感じ? バイトだから、その分金払ってるけど」


 なんでまた弓月さんともあろうゲスの大人がそんなことになってんだと、随分と失礼な言い方で問われて、しかしセンセーの言う通りではあるため、なんでだろうねーと答える。

 最初から、初顔合わせから、あまりに自然にそうなった。

 彼女をコンパクトカメラで撮ることも。


「あまりに自然に、ずっと撮ってる」

「はあ? 撮る対象じゃねえって言ってなかったか?」

「そうなんだよねー」


 日本語になっていないぞ、と突っ込まれた。

 まあそう思うよなと、ごく微かにアルコールの気配を感じる頭で考える。

 けれど言葉通りなのだ。


「手を出す対象でも、こーゆーので撮る対象でもないけど、レンズ越しにこの目で見詰めて追い続けたい対象ではあるわけ」


 空になったテイスティンググラスにお代わりを頼んで、軽く笑ってセンセーを見れば、彼は首の後ろへ手をやって唸った。


「あんたの場合、そっちのが質が悪いんじゃないか?」

「気晴らしで人のことに首突っ込んどいて、悩まれてもねー」


 気がつけば来た時は二組くらいいたはずの客はいなくなっていて、店内に客は僕らだけになっていた。

 とろりと琥珀色の液体が入った小さなグラスを片手に店内の時計を見れば、まだ午前一時を少し回ったところだ。

 平日火曜の夜、まだ週の前半に深酒しようなんて客はこの店には来ないのだろう。


「……嫌な言い方しやがる」

「だって、そのつもりだったじゃない」

「一応、ゲスい大人と知ってて職業的に知らぬふりも、知人がそういうのってのも寝覚めが悪いだろうが」

「苦労性だねー、センセー」

「実際聞いてみれば、予想外に他人が口挟むような話じゃねえしよ。面倒臭ぇ」

「絡んできて、逆ギレされても困るんだけど」


 まあしかし、人に話してみるものだ。

 自分の中ではっきりした。

 正確には、躊躇いの一欠片を投げ捨てる踏ん切りがついたというか。

 いま手にしているようなカメラで撮る対象でも、手を出す対象でもないけれど。

 あまりに自然に彼女の日々の流れに入れられて、僕が眺めていたいものに彼女は入ってしまった。

 こちらはそんなつもり微塵もなかったのに、勝手に人を組み込んだのはそっちだよという言い分と。

 なによりもう何百枚もの写真、それだけ見詰めてきた事実の重みが無視できないものを持ちつつある。

 気付かないふりでやり過ごすのもありだけど、生憎とそういった性分ではないし、撮ることを生業にしていてそれはありえない。


「……とりあえずデートにでも誘うかな」

「はぁ?」

「普通のさ、学生みたく他愛なくも健全な」


 世間一般の基準はどうあれ、大人同士なら年齢などただの数字でしかなく。

 一方が大人でない内は、まともでないならまともでないまま、まともに接して成行任せも一興かもしれない。


「これ、こいつのやつ。ボトルあるなら入れてくれ」


 唐突にバーテンダーに声を上げたセンセーに、「は?」と声が出た。


「ちょっと……なに、センセ」

「あんた俺が塔子に血迷ってどうなる、止すのが正しいだろとやってたのを、散々っ弄んで楽しんでくれたよな? なぁ?」


 そういや。

 煙草だけじゃなく、ここに僕が来る前に何杯飲んでいた?

 完全に目が据わってる。

 もしかして、突然酔いが加速するやつ?


「あんたのことだ、さしずめ己を保って成行任せも一興か? そんなもの、如何にあてにならんか俺が骨の髄までわからせてやるっ」

「いきなり酔って、惚気ながら絡むのやめてくんないっ!?」

「煩い……」


 ほぼ空になっていたティスティンググラスに溢れんばかりに酒を注がれる。


「センセー、これ完全にアルハラだけど。アルコールハラスメント!」

「飲んでも大して酔えねえんだろ? ああ、俺はいいぞアルコール要らずだからな」


 うわー、幸せな恋愛してる人にはわからない、腹立つって前にここでこの人に酔って言ったけどさ。

 根に持ってるよこの人。


「センセーさ、お家に帰らない? 近所でしょ?」

「……そーだな」

「うん」

「店に迷惑かけずに、徹底できる」

「なに言ってんの!?」


 最悪っだ。

 どうせ互いに忙し過ぎて予定が合わないか、約束しては反故になり続けてんだろうけど、トーコちゃんと会えてないからって酒癖悪すぎる! 

 微妙に公共の迷惑考えるとことか、かえって逃げられない感あってすごい嫌なんだけど!


「行くぞ」

「なに四十男持ち帰ろうとしてんの、ないって!」

「いいやっ! そんなのじゃない、って?」


 ――逃す気ねぇだろ、弓月さん。

 

 カウンターにクレジットカードを押し付け、空いる腕を僕の肩に掛けて、凄むような低い声にため息が出る。


「あーっ、もーう! この不良獣医っ!!」


 酔って目が覚めたら、どこかの部屋で隣に覚えがない女の子が寝てるは何度かあるけれど。

 半裸のおっさんが妙な色気とフェロモン臭を発して、太ももをぼりぼり掻きながら寝ていたのは初めてだ。

 最悪過ぎる……。


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