第五話 スピードスター
「いるねぇ。ハナサキガメ」
象のように太い四肢に、丸太のような首。
背負う甲羅は人が住めそうなほど大きく、色彩豊かな花の数々が咲いている。
ハナサキガメはこの沼地において唯一鮮やかな色合いを持っていた。
「慎重に行こう」
「はっ」
茂みから志島が立ち上がる。
「俺が取ってきてやる。大人しくしてろ」
「いやでも」
反対意見を言い切る前に、志島は風を纏って飛び出した。
「全然、人の話聞かないじゃん、志島の奴。まぁ、カメの甲羅から花摘んでくるだけだし任せても平気か」
そう言っている間に志島がハナサキガメの甲羅に立つ。
「よっぽどのことがない限りこれで新人研修終了だねぇ」
生えた白い花が摘まれ――
「不味い」
よっぽどのことが起きる。
「あっれ? 倒れた? なんで?」
花を摘んだ志島が力なく倒れて甲羅から落ちる。
泥濘んだ地面から泥混じりの飛沫が上がるも、起き上がる様子がない。
そこへハナサキガメの象のような脚が迫る。
「なにが起こったんだ?」
疑問を口にしつつ加速して駆けて志島の元へ。
ハナサキガメの脚が踏みつぶさない内に助け出し、麗奈の元へと戻る。
「相変わらず速いねぇ。で、志島は――こりゃ不味いかも」
顔色がかなり悪い。
「あぁ、毒だ」
「毒? なんでわかんの?」
「これだよ」
志島が摘み取った花を麗奈に渡す。
「それシロゾメグサじゃないんだ。似てるけど違う」
「んー? あぁ、ほんとだ。花弁の形が違う」
「そいつは摘まれると毒の花粉をまき散らすんだ。小動物ならすぐに死ぬけど、人間くらい大きいなら死ぬことはまずない、はずだ。とにかく安全な場所に移動しないと」
「やけに物知りだねぇ。まぁ、とりあえずオッケー。ちょい待ち」
麗奈は周囲をぐるりと見渡すと立ち上がる。
「あっちに洞窟があるから、とりあえずそこに行こうよ」
「あっち?」
俺の目には見えない。
「あたしを信用してよ。絶対、あるから」
「わかった。じゃあ、抱えるぞ」
「へ? おおっと!?」
右と左に志島と麗奈を抱えて駆ける。
指差された方向に駆けると、すぐに洞窟を発見した。
入り口に二人を置き、自分は洞窟の奥を見て回る。
魔物はいない。そのことを確認して入り口まで戻ってきた。
「あはは! 凄いじゃん、さっきの。ジェットコースターよりずっと迫力あったよ」
「それはよかった。洞窟も安全そうだし、ここで志島を休めよう」
「それか志島を街まで運んだほうが良いかもね」
「ふざ……けんな……」
俺たちの会話が聞こえていたのか、呻くような声が響く。
「こう言ってることだし、毒が抜けるのを待とう」
「もう、世話が焼けるんだからぁ」
戦闘服を畳んで枕にし、志島を横にする。
荒い息、熱っぽい肌、大量の発汗、などなど。
指先を動かすだけでも辛そうな状態だ。
「それで? なんで知ってたの? この花のこと」
先ほど渡した花を眺めている。
「シロフキグサって言うんだ。それ」
「へー」
「昔、それで実験したことがあるんだ」
「実験? なんの?」
「スキルのだよ」
そう答えると首を傾げられる。
「響希のスキルってスピードじゃないの?」
「いいや、このスピードは禁断の果実を食べたからなんだ」
「わーお、そりゃ凄いね」
シロフキグサからこちらに視線が移る。
「あれだけ速いんだから、かなり強烈なデメリット喰らったでしょ? なんなの?」
「たぶん、加速した分だけ寿命の減りが速いとかだと思う」
「たぶん? 思う?」
「俺のスキル、状態異常無効なんだ」
「ええぇえええええー」
麗奈の目を見開いて、もたれ掛かっていた壁から背が離れる。
「マジ? 禁断の果実のデメリット無効にしたってこと? ズルじゃん」
「その言い方はやだな」
そうかも知れないけど。
「とにかく、昔スキルの実験のために毒物とか色々と食べたり嗅いだりしてたんだよ。そのシロフキグサも」
「なるほどねぇ。あ、でも今の話、志島が聞いたらめっちゃ怒りそう」
「聞いてんだよ……クソがっ……」
弱々しい声で悪態をつかれる。
「聞かれてたみたい」
「まぁ、苦労して掴んだスピードスターの座が、果実一つで覆ったとなればねぇ。悔しいでしょうねぇ」
「てめぇ……あとで、憶えてろ……」
麗奈はまたけらけらと笑う。
「ここにいると志島が休まらなそうだから、ちょっと出てくる」
「ん? どこいくの?」
「解毒を助ける薬草がどこかに生えてるかも。あとついでにシロゾメグサも取ってくる」
「あー。オッケー、じゃああたしは志島を見てるよ。あたしが守ってやんぜー、志島ぁ」
「守ってもらう……必要なんざ……ねぇ――げほっ、げほっ!」
「ほらー、意地張るんじゃないよ、まったく」
そう言いつつ、麗奈は濡れタオルを交換する。
「すぐ戻る」
加速して洞窟を後にし、沼地を駆け回って薬草を探す。
スキルの実験をしていた時、もしもの時に備えて解毒薬は常に準備していた。
その時の知識を頼りに、図鑑に載っていた薬草を探して回る。
「あった!」
沼の縁で群生している薬草を見付け、いくつか摘み取る。
間違いはないか葉の形状を確かめていると、沼から泡が浮かんで来た。
「おっと、相手してる時間はないんだ」
その場から駆けて離れ、次にハナサキガメの元へ。
尻尾を駆け上がって甲羅に登り、そこに生えた色取り取りの花に目を通す。
「えー、これがシロフキグサだから――これだ」
シロゾメグサを摘む。
毒の花粉は噴き出されない。
これで正解だ。
「よっと」
甲羅から降りて再び加速、二人が待つ洞窟へと向かうと真っ直ぐに伸びた閃光を見た。
「なんだ? なにかあったのかも」
更に加速して進むと見えて来たのは、プクプクの群れだった。
洞窟へと迫る大勢の背中が見え、それらが放たれた閃光に飲まれて息絶えている。
群れを撃退しているのは麗奈だった。
「お、俺が……」
「もー、うっさい。病人は大人しく下がってなよ」
「寝てられるかっ」
「寝ててくれたほうが楽だっての。あー、しようがないなぁ。ていっ」
「ぐえっ」
鳩尾にひじうちが入り、志島はあえなくダウンする。
その様子を眺めつつ、こちらは周囲のプクプクをすべて排除した。
「さーて、ってありゃ? もう終わってる」
「この洞窟、プクプクの寝床だったのかも」
「あはー、相変わらず速いねぇ、スピードスターくんさんは」
「響希だ」
そう言って悶えている志島に近づいた。
「ほら、薬草だ。生だけど、食べれば楽になる」
「いるかっ」
手渡そうとすると払われる。
薬草が飛んでいきそうになったので、加速して掴み直した。
「食べてもらわないと困る」
「そーだよ。あれだけイキった挙げ句に毒喰らってダウンした志島くんが元気にならないと新人研修が終わんないんだよー」
病状が悪化したのか、怒りを押さえているのか。
志島は身を震わせると薬草をひったくり、すべて平らげた。
「にがっ――まずっ、うえっ」
「そんなに不味いの?」
「良薬口に苦しって言うでしょ? かなりのものだよ」
すこし囓っただけで吐き出しそうになるくらいには苦い。
志島は一度に全部食べたのだから根性がある。
「志島。俺はべつにスピードスターの座なんてどうでもいい」
「あ?」
「気に入らないなら肩書きは返上するよ。みんなにも呼ばないように頼むから機嫌を直してくれ」
「響希、響希。煽ってる、それ煽りだから」
「いや、俺はただ――」
「上等だ」
志島は体に鞭を打つように無理矢理に立ち上がる。
「返上はするな、スピードスターでいろ」
こちらを鋭い目つきで睨み、指差す。
「俺が必ず奪い返してやる」
「……わかった」
睨み付けてくる目にしっかりと視線を合わせる。
「その時まで俺がスピードスターだ」
そう答えると志島は力尽きたのか仰向けに倒れてしまう。
戦闘服の枕で頭を打たなかったが、無理に立ち上がったせいでついに意識を失った。
「今のやり取り、なーんか男の子って感じ」
「そう?」
「そう。じゃ、志島の目が覚めるまであたしたちも休憩しようぜー」
「あぁ」
洞窟の壁を背に、沼地を眺めて一息をつく。
志島が目覚めたのは、それからしばらくしてのことだった。
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