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最強勇者の旅芸人ライフ~魔王を倒しまくっていたら別の勇者に暗殺されそうになったので死んだふりをしてロリ妖精の子分になって地方巡業しながら無双します~

作者: 戸部家 尊



  一



 最後の『魔王』を倒してほっと息を吐いた瞬間、背中から胸を貫かれた。


「悪いな、お前に生きていられると色々と都合が悪いんだよ」

 顔を見なくても誰かは分かった。ノーマンの幼馴染であり、『叡智の勇者』の称号を与えられているウィンストンだ。


 わざわざ地底の洞窟まで後を付けてきたらしい。ご苦労な話だ。二人の立っている岩場のすぐ下には、灼熱の溶岩が地獄の釜のように煮えたぎっている。隠れ潜んでいるには暑苦しかっただろうに。


「だろうな」

 長い付き合いだ。同じ田舎の農村で、同じ年に二人とも小作人の息子に産まれ、十五歳で同時に百人の『勇者』に選ばれた。それから十年。昔から頭の切れる男だったが、それ以上に名誉や地位や財産へ並々ならぬ執着を見せていた。


「昔からお前が大嫌いだったんだよ。何にも興味ないって顔しているくせに、お前ばかりがちやほやされて」


 別に褒められるようなことなど何一つやっていない。開墾も苗を植えるのも畑を獣から見張るのも全て義務だからだ。引き換え、ウィンストンは楽してもうけようとしてばかりで、怠けたり手抜きしているのを村の皆は見透かしていたからだ。同じ年頃の男が二人だけなのだから、一方がダメならもう一方に評価が集まる。それだけの話だ。


「だが、残念だったな。『最強勇者』もここで終わりだ。『魔王』と相撃ちになってな」


 目の前には翼の生えた黒いドラゴンが地に伏している。最強にして最後の『魔王』……ドラゴン族のニーズヘッグだ。


 『魔王』とは、魔物における種族の王のことである。ゴブリンにはゴブリンの、ドラゴンにはドラゴンの『魔王』がいる。伝説によれば千年に一度、ほぼ同時に生まれるという。


 そして十年前、九十九の魔物に『魔王』が誕生した。誕生した種族は魔物同士で争い、食糧を求めて人間を襲い、村や町を容赦なく荒らし回った。『魔王』は『暗黒(あんこく)の鎧』と呼ばれる特殊なオーラを纏っており、同族を強化する一方であらゆる攻撃を弱体化させてしまう。それに対抗できるのは『勇者』の持つ特殊能力『光輝(こうき)の鎧』だけだ。


 『勇者』は『魔王』と同時に世界中で目覚めた、百人の人間である。身分人種性別を問わず、体のどこかに刻まれた紋章がその証だった。『勇者』は各人で数名の仲間を組み、『魔王』へと挑んだ。


 『光輝の鎧』には自身と味方の能力を向上させる効果がある。反面、『光輝の鎧』同士では反発し合って互いの効果を打ち消してしまう。おまけに範囲は狭く、数名に限られていた。そのため『勇者』は各自でパーティを組み、他の勇者の力と別々に『魔王』に挑まなくてはならなかった。


 九十九体もいた(・・)『魔王』だが、ニーズヘッグの強さは明らかに別格だった。『最強勇者』の称号を与えられているノーマンであろうと、苦戦は免れない。このタイミングで不意打ちして来るであろう事も予想が付いていた。だからこそ、対策も打っている。


「せいぜい、あの世で父さんたちによろしく言っておいてくれよ」


 そう言いながらウィンストンはより深く、手にした剣を食い込ませる。赤黒い血が口から吐き出される。覚悟はしていたが、体を貫かれればやはり痛い。肺に穴を開けられているので息苦しいし、喋りづらい。


 二人の故郷が魔物の群れに押しつぶされたのはもう何年も前の話だ。家族も知り合いも一人残らず命を落としたが、今更何の感慨も湧かない。いや、死んだと聞かされた時ですら悲しみも怒りも湧かなかった。けれど後ろの男は泣き真似をしながらひそかに喜んでいたのを知っている。


 卑劣漢ではあるが、二体の『魔王』を仕留めている。いずれ栄耀栄華は思いのままだ。地位も財産もない、無知無学な家族など不要だったのだろう。


 ましてほかの村人など、不都合な過去を知る邪魔者だ。魔物に襲われなければ、こいつが村ごと焼き払っていたとしても不思議ではない。


 岩陰から五人の男女が姿を現した。いずれもウィンストンの仲間だ。手下、と言い換えてもいい。逃げ場はないようだが、むしろ都合がよかった。ウィンストンだけではやはり証人として弱い。


 その勇者様は胸に刺さった剣を引っこ抜くと、ノーマンを突き飛ばす。胸から鮮血を噴き出しながら膝をつく。呼吸も自然と弱々しくなる。


 とどめを刺すかと思ったが、ノーマンを素通りして、ニーズヘッグへと向かう。先に『魔王』を仕留めるつもりのようだ。やめておけ、と言おうとしたが喉に血が詰まって声が出なかった。黒いドラゴンの体に足を掛け、心臓へと剣を突き刺す。断末魔が洞窟に響き渡る。


 剣の血を払い落とすと、喜々とした顔でノーマンへと近付いてきた。


「最後に言い残すことはあるか?」

 剣を高々と掲げる。


「あるぞ」

 このままやられるのもシャクなので言ってやることにした。


「寝小便はもう治ったのか?」


 十二歳になるまでやってただろ。あの時は弟のせいにして逆に叱りつけていたっけか?


 もう少し言い残したかったが、途中で首を刎ねられた。胴から切り離された頭がクルクルと宙に舞う。回る視界の中で、ウィンストンの顔が赤黒く染まっているのが見えた。全く気の短い奴だ。


 完全に動かなくなったのを見計らって、ウィンストンの仲間たちがノーマンの体をまさぐっている。どうやら装備を剥ぎ取るつもりのようだ。オリハルコン製の聖剣もブルーメタル製の聖鎧もこの世に一つきりだ。捨てておくには惜しいと思ったのだろう。死んでいると思っているせいか遠慮がない。くすぐったくて、笑いをこらえるのに一苦労だった。動いてしまっては元も子もない。


 ポーションや護符アミュレットといったほかの持ち物も奪い取られ、半裸になった首なし死体が残った。


 仲間の一人が聞いた。

「『()』はどうする?」


「放っておけ。どうせ砕けて使い物にならない」

「そうだな、胸にこれだけ風穴が開いちゃあな」

 無残な傷口を見下ろしながら口笛を吹く。


「頭はどうする? 持って帰るか?」

「こうするのさ」


 ウィンストンが助走を付けると、ボールのように蹴り飛ばした。ノーマンの頭は岩壁にぶつかり、溶岩の下に落ちていく。残った胴体も二人がかりで運ぶと、やはり溶岩に放り投げた。


「行くぞ」

 ウィンストンと仲間たちは『魔王』やその住処を散々荒らした後、意気揚々と引き上げていった。


 気配を探り、誰もその場にいなくなったのを確認してからノーマンは溶岩から自身の首を抱えて這いだした。岸壁に手をつき、片手で岩場までよじのぼると、黒焦げだった皮膚も徐々に元の肌に再生していく。口の中に詰まった溶岩を吐き出す。黒い塊が地面で焦げて白い煙を上げる。


「あー熱かった」


 素っ裸で寝転がりながらノーマンは大きく息を吐いた。さすがに服までは戻らないが、髪の毛も元の長さまで生え揃った。


「一年前なら完全に死んでたな」


 苦戦させられたが吸血鬼の『魔王』を倒しておいて良かった。あの再生能力は厄介だったが、自分のものになればやはり便利だ。


 『勇者』は『光輝の鎧』のほかにも、特別な能力が芽生えていた。ある者は少し先の未来を予測し、ある者は一瞬で別の場所に移動し、ある者は止まった時の中を動いたという。


 ノーマンの能力は身体能力を数十倍に向上させる『強化』……ということにしてあるが、実際は異なる。本当の能力は『吸収アブソープション』であり、『魔王』の能力を取り込める。一度取り込んだ能力は自在に操れる。同時に使えないなどの制限もあるが、便利なのは間違いない。


 最初のうちはろくな戦闘力もなく、逃げ惑うことも多かったが、最初の『魔王』を倒した後はトントン拍子だった。倒せば倒すだけ強くなるのだ。気がつけば九十九体のうち半数以上の五十二体を一人で倒していた。


 仲間はいない。『魔王』由来の力を持っていると知られれば、余計ないざこざを招くだけだ。過激な宗教関係者に知られれば異端審問だろう。たまに共闘はしたが、ノーマンと肩を並べて戦える人間は『勇者』も含めてほとんどいなかった。


 生き残った『勇者』はノーマンを含めて、たったの二十八人。大半が『魔王』どころか、配下の魔物との戦いで命を落としていた。


 ノーマンは裸のまま外に出た。入った時は朝だったが、すでに夜になっていた。入口近くの大岩をどけると、隙間から布の袋が出て来た。


 持っていてはウィンストンに奪われるかと思い、入る前に隠しておいたのだ。中には短剣や路銀と替えの服、そして獣の革で作った覆面である。


 頭からすっぽりと覆うようになっていて、目と口元だけが露出している。被れば、まるで灰色の犬人(コボルト)だ。怪しいことこの上ないが、ウィンストンのように顔を知る者もいる。変装は必要だろう。


「さて、ようやくだ」


 『魔王』は倒し、世界に平和が戻った。故郷の北アーレル王国に戻れば、立身出世は間違いないだろう。ウィンストンの裏切りも糾弾できる。けれどノーマンにそのつもりは更々なかった。


 『魔王』を倒し続ける『勇者』に、貴賎の別なく大勢の人間が群がってきた。王侯貴族は味方に引き入れようと富や爵位や美姫をちらつかせ、貧しい者は『勇者』なのだから当然とばかりに助けを求める。うんざりだ。


 義務は果たしたのだ。ここらでいいだろう。金も要らない。地位も名声もいらない。死ぬまで『勇者』として生きるなんて真っ平だった。だからこそウィンストンのたくらみに乗っかって死を偽装したのだ。問題は今後の身の振り方だ。


 最初はどこかの山奥に引きこもって畑でも耕そうかとも考えたが、五歳から十年も他人の畑をほじくり返してきたのだ。別のことがしたい。傭兵なら引く手数多だろうが、血生臭いのも御免だった。どうせなら平和になった世界を見て回りたい。そこで思いついたのが旅芸人である。諸国を巡り、芸を見せて路銀を稼ぐ。身分も資格も必要ない。自由気ままな生活を送れる。


 名前も捨てよう。『勇者』ノーマンはここで死んだのだ。


「これからはそうだな……マイルズでいいか」


 しばし考え、祖父の名前からいただくことにした。博打と女に夢中になって畑と家を失ったロクデナシだが、今のノーマンとて似たようなものだ。魔王退治で得た報奨金や宝の類は、残っていない。


 貧しい者に配ったり、祝賀会の酒場で初対面の連中に金貨を振る舞った。あとは盗まれたり騙し取られたりで、残った武器や防具も先程ウィンストンに持って行かれた。財産などわずかな路銀とこの体くらいなのものだ。


 この国ではありふれた名前だから万が一ウィンストンの耳に入っても気づかれる心配はあるまい。それに、あいつも長続きはしないだろう。殺すつもりはないが、いずれそうなる『()()』だ。覆面も旅芸人であればさほど不審に思われない、はずだ。


「これからいよいよ旅芸人生活の始まりだ」



   二



 ニーズヘッグが潜んでいた地底洞窟から歩くこと五日。ノーマン改めマイルズは街道にある宿場町にたどり着いた。ここを南に進めば大陸有数の大国である、レイソーンス王国の王都へたどり着く。そのため人通りも多く、大勢の旅人で賑わっている。町の中心部にある広場には芸人が集まり、歌や芝居、曲芸を披露している。


「お、やっているな」


 無性にうれしくなってくる。今から自分も仲間入りをするのだ。マイルズは芸人たちの前を通り抜け、広場の隅に陣取る。目立つ場所はすでに取られていた。三方を石壁に囲われて、袋小路のようになっている。目の前を通る人は少なく、誰もマイルズなど気にも留めない。たまにちらちらと目を向ける者もいるが、覆面が気になっているだけのようだ。


「さて、何をすればいいかな」


 旅芸人になろうと決意したのはいいが、何をすればいいのかがわからない。芸を見せればいいのは分かるが、何をすれば芸になるのだろうか。まさかキマイラの『魔王』の力を借りてライオンの頭とコウモリの羽根と毒蛇の尻尾を生やしてもバケモノ扱いが関の山だろう。


「ああ、そうか」


 目の前に見本があるのだからそれをマネすればいいのだ。広場の真ん中を見れば顔を白く塗った男が注目を集めていた。たくさんの球を宙に投げては受け取りを繰り返している。観客の声から察するに、ジャグリングという出し物のようだ。


 あれなら自分にもできそうだ。マイルズはさっそく手頃な石をかき集めてマネをしてみた。


 十個も回しているので自分は二十個でやってみた。うまく行ったので少しずつ石の数を増やしていく。まるで灰色の輪のように繋がって見えた。


 すると白塗りの男は球から先の丸い棍棒に切り替え、ジャグリングを再開した。


 マイルズは木の枝を拾い、適当な長さに切り揃える。白塗りの男は五本でやっている。なのでマイルズは十本でやってみた。


 簡単すぎるので石も混ぜてやってみた。片手で棍棒、片手で石ころをジャグリングしてみる。それにも慣れてきたので芸人ならば曲芸だろうと、やりながら宙返りしてみる。


 気がつけばたくさんの観客ができていた。拍手喝采である。どう反応していいかわからず、手を止めて一礼すると、観客が銅貨を投げ出した。ああ、おひねりか。あわてて袋を取り出し、銅貨を入れていく。たまに銀貨も混ざっていた。


 観客も芸が終わったと判断したらしく、次々と去って行く。


 人がいなくなったのを見計らい、うずくまって袋の中を数える。それなりに膨らんではいるが、金額にすれば金貨一枚にも満たない。勇者時代に得た金額に比べれば端金(はしたがね)である。それでも旅芸人の第一歩を歩き始めたのかと思うと頬が緩んでくる。


「おう、待ちな」


 振り返ると、さっきの白塗りの男が憎々しげににらみつけていた。その隣には仲間らしき男が二人。いずれも芸人のようだ。


「テメエ、どこのもんだ。人の商売をつぶそうたあ、いい度胸じゃねえか」

「いや、俺は」

 立ち上がって説明しようとすると、いきなり胸倉をつかまれる。


「芸人にもな、しきたりってもんがあるんだよ。同じ芸を同じ場所でやらねえってのはな、最低限の仁義なんだよ。わかるか、なあ。兄ちゃんよ」

「はあ」


 申し訳ないが、自分は初心者で芸人同士のルールについて何も知らない。ジャマをするつもりはなかった。気を悪くしたのなら謝罪する。芸人なのだから芸で勝負すればいいのではないだろうか。そう反論しようとしたが、うまく口が回らない。


 元々喋るのは得意な方ではないのだ。ウィンストンならすらすらと言いくるめるのだろうが、マイルズにできるのは逃げるか、物理的な交渉くらいだ。


 言い返さないので怯えていると判断したのだろう。白塗りの男は更に強く締め上げてきた。後ろの男たちも逃がすまいとマイルズの肩をつかみ、後ろの壁に押しつける。


 まだ通行人もいるのだが、芸人同士のもめ事と判断したのか、あるいは面倒事に巻き込まれたくないのか、助ける気配はない。


「それなりの詫びってもんがあるだろ、なあ」

 にたりと笑いながら銅貨の詰まった袋に手を伸ばす。


 どうやら狙いは先程のおひねりのようだ。マイルズは悩んだ。この程度の連中に殴られようと文字通り痛くも痒くもないし、追い払うのは造作もない。けれど、自分はもう『勇者』ではなく旅芸人なのだ。いちいち暴力に頼っていては、やっていけない。最悪『最強勇者』ノーマンだとばれてしまう。


 初めて旅芸人として稼いだ金をかすめとられるのは腹立たしいが、どうせ端金(はしたがね)だ。まだ日は高いのだし、場所を変えて芸をすればいいだろう。


 渋々おひねりを渡そうかと思った時、後ろから大きな声がした。


「こっちだよ衛兵さん! 追い剥ぎだ! 追い剥ぎが出たぞ!」

「やべえ!」

 白塗りの男たちはマイルズを突き飛ばすと、我先にと逃げていく。


「危ねえところだったな。兄さん」


 ひょいと物陰から現れたのは、マイルズの腹くらいの背丈をした子供が立っていた。赤茶色のくせっ毛にふっくらとした頬、濃緑色をした裾の長い服の下からはやはり同じ色のズボンが見える。


「さっきの声は、ボウヤか?」

 スネを蹴られた。


「その目は飾りか?。ここ見りゃあわかんだろ」

 と、腹立たしげに自分の耳を指さす。よく見れば先の方がとがっている。


「もしかして草妖精(ハーフリング)か?」


 この世界には人間とは別の人類が存在する。森妖精(エルフ)土妖精(ドワーフ)をはじめ、海妖精(マーマン)空妖精(ハーピー)など、世界各地に独自の集落を作って暮らしている。人間たちは彼らを総称して妖精族と呼んでいる。


 妖精族は人間と交わることは少ない。が、草妖精(ハーフリング)は名前どおり草原に暮らすためか、人間との交流も多い。手先が器用ですばしっこいため、里に下りてきては食べ物や貴金属をちょろまかす者もいるという。


 人間から見れば、幼い子供のように見えるため男女の区別は付きにくい。耳の形で判断できるというが、ほとんど関わったことがないためマイルズには違いがよくわからなかった。聞けば二十七歳だという。二歳年上だ。


「レディの扱いは気を付けた方がいいぜ。兄さん」

「すまなかった」

 苦笑しながら詫びを入れる。


「オイラはクッカってんだ。よろしくな」

 にっこりと人なつっこい笑みを浮かべながら手を差し出してきた。マイルズも名乗りながら握手をする。


「さっきの芸見てたぜ。あれだけジャグリングができる奴はそうはいねえ。間違いなく、この町じゃあ一番だな。けど途中から棒と石とでどっちつかずになってたな。ああいう時は軸を作るもんだぜ。どちらかメインを決めてそこから芸を重ねていくんだ」


「そいつは、どうも」

 子供のような顔で、得意げに論評するのだから笑いをこらえるのに一苦労だ。


「けどお前さん、素人だな。少なくとも人前で芸をやった経験はほとんどないはずだ。当たりだろ」

「やっぱり分かるのか?」

「あたぼうよ」

 得意げにふんぞり返る。


「視線が自分の手か石や棒切ればかりで客の方を全然見てねえ。そこいらの駆け出しそのまんまだ」

 なるほど、と感心する。言われてみればそうだった。勉強になった。


「おまけにヘンテコな犬っころの覆面なんか付けて、ウケ狙いにしちゃあ、見当違いだ。もしかしてお尋ね者じゃねえだろうな」

「まさか」

 手配はされていない。死んだ事になっているだけで。


「だろうな、追われている奴がそんな格好するはずもねえか」


 一人で納得して大笑いする。大きなお世話だ、とマイルズは心の中でむくれた。子供の頃に顔をケガしたからそれを隠すためだと適当な理由を付けておいた。


「兄さん、一人みたいだけど行くアテはあるのかい?」

「いや」

「だったらよ、ここは一つオイラと組んでみねえか」

 意外な申し出にマイルズは面食らった。


「芸人なのか?」

「芸人兼興行師ってところだな」

 聞き慣れない商売にマイルズは首を傾げる。


「要するに芸人や役者を集めて、芸だの芝居みてえな見世物を開く仕事だよ」

 クッカが簡単に説明を加えてくれた。


「オイラは一目見てピンときたんだ。お前さんには才能がある。将来は三国一の芸人になれる素質があるぜ。けれど今のままじゃあダメだ。さっきも言ったがまだまだ駆け出しだ。芸は良くてもそれだけじゃあ客は付いて来ねえ」


 一度ほめたたえてから残念そうに肩を落とす。小さなクッカが大仰な身振りでやるものだがら小芝居を見ているようで面白い。


「そこでだ」とまた大げさに両手を開いてみせる。


「オイラが芸人について一から教えてやるよ。芸のこと、芸人同士の掟やならわしなんかもな。どうだい? 悪い話じゃないだろう」

「ははあ」


 ようやく合点がいった。要するにこのクッカという草妖精(ハーフリング)は、マイルズを食い物にするつもりなのだ。才能や実力はあっても芸人の世界など何も知らない素人をこき使うなど簡単だろう。稼ぎの大半はクッカの財布に転がり込むという寸法だ。マイルズも田舎生まれだが、『勇者』として多少なりと世間を見ている。その力を利用しようとすり寄ってくる人間は山ほど見てきた。


「なあ、頼むよ。オイラ心配なんだよ。このままじゃあお前さん、またさっきみたいな連中に絡まれちまうぜ。次も無事とは限らねえ。中には喧嘩っ早い連中や血の気の多い奴もいるからよ。金で済めばいいけど、下手すりゃあ落とし前代わりに、指でも切り落とされちまうぜ」


 哀れみをこめて心配する素振りを見せながらその実、不幸な未来図を見せつけて脅している。劇団クッカは最高潮のようだ。


「わかった、アンタの世話になるよ」


 しばし迷ったが、組むことに決めた。しばらく観察していたが、『勇者』だと見抜かれた様子はなかった。芸人の世界を知らないのは事実だし、一緒にいれば勉強代わりになるだろう。いざとなったら逃げ出せばいいのだ。どうせ金が目当てだろうが、授業料代わりだ。命さえ取られなければ問題ない。取れるかどうかは別問題だが。


「思い切りがいいね。お前さん、気に入ったよ。これからオイラが面倒見てやる。なあに食い物と寝床くらいは用意してやるから心配しなさんなって」

 どん、と胸を叩いてみせる。


「今からオイラがお前さんの親代わりだ。これからは親分と呼びな」

 調子に乗っているなと思ったが、ここは素直に従う。


「わかりました。親分」

「ああ、違う違う」

 わかっていない、と言いたげに手を振る。


「オイラたちの世界にそういうかしこまった礼儀はいらねえ。騎士でもお貴族様でもねえんだ。返事は『へい』でいいんだよ」


 そういう世界もあるのか、とマイルズは驚かされた。小作人の息子に産まれ、地主や目上の者に下手な口を利けば容赦なく殴られた。『勇者』に選ばれてからも騎士や貴族と話す機会も多く、言い間違えたり敬語がなければ叱責を受けたり嘲笑を浴びせられた。


「いいな、マイルズ」

「へい親分」

 なんだか楽しくなってきた。


   三


 クッカの子分になってから半月が過ぎた。三日ほど人通りの多い場所で芸をしてからまた別の町へと移動する。その日もジャグリングが盛況に終わり、近くの酒場で飲むことになった。ぬるくなったエールを飲んでいると、目の前のクッカが値踏みするような顔をした。


「ジャグリングのほかにはどんな芸ができるんだ?」

 同じ芸ばかりではいずれ飽きられる。興行主であるクッカとすればもっと芸の種類を増やしたいようだ。


「わかりま……ちんぷんかんぷんです」

 芸をしたのが初めてなのだ。芸の種類も分かっていない。


「体が頑丈なのが取り柄なんで、たいていのことはいけると思います」

「だったら、こんなのはどうだ?」


 翌日、隣町に来るとクッカはマイルズを連れて広場に来た。ここも街道沿いの宿場町なので、人通りは多い。傭兵や流れの戦士といった無頼漢の姿が目立つ。『魔王』との戦争が終わり、行き場をなくして職にあぶれた連中のようだ。


「さあさ、お立ち会い」

 クッカは自分の背丈ほどもあるような帽子をかぶると、高らかに口上を述べる。


「『魔王』どもは倒れ、世界は平和になったと言われちゃあいるが、消えたものは多すぎる。金に若さに旦那の髪の毛。なくならないのは貧乏神と駄目亭主。右も左もヤな事ばかりで行き詰まり。そこで、ちょいとここらで憂さ晴らし。ご覧のこの男、何を隠そう『魔王』の手下の生き残り。親分は『勇者様』に倒されて哀れ一匹ワンチャン行き倒れ。金も食い物も尽き果てるが、ねぐらに帰れば待っているのはおんなじ顔した犬の夫婦と子供が七人。上は九つ下は乳飲み子ってんだからたまらない。こうなりゃヤケだと人間様へのお詫びを兼ねたこの商売。銀貨一枚でこの砂時計が落ちるまで好きなだけ殴り放題好き放題。いくらやってもこんな感じで無抵抗」


 ここでクッカがマイルズの腹に拳を入れる。


「ポカリとやっても向かってこなけりゃ逃げもしない。さあさ、一発と言わず二発三発。見事ひっくり返した奴には賞金として金貨十枚だ。さあ、この犬男に挑もうって『勇者』はいないか、さあどうだ」


 クッカが思いついた商売というのが『殴られ屋』だった。金を取って時間内に殴られ放題。芸と呼べるかどうかはわからなかったが、親分の言うことは絶対だそうだ。反撃をしないという証として、手首を背中の方に回した上に、鎖で縛っている。おまけに上半身は裸である。


 故郷では人前で裸になるのは下品だとされていたが、マイルズは気恥ずかしいとは思わなかった。クッカの流暢な口上にすっかり聞き入っていた。よくあれだけ口が回るなあ、と感心していた。同じ事をやれと言われてもまず出来そうにない。『魔王』退治の方がまだ楽だ。


「そいつを倒したら金貨十枚ってのは本当か?」


 さっそく客が食いついて来た。傭兵風の大男だ。赤銅色の肌に無精髭、禿頭で背丈はマイルズより頭半分は大きい。腕の筋肉もタルのように盛り上がっている。


「へえ。二言はございやせん」

「よし」

 銀貨をクッカに投げつけると、拳を鳴らしながらマイルズの方に歩み寄ってくる。


「悪いな兄ちゃん。こっちも金欠なんだよ」

「……」

 マイルズは微動だにしなかった。何も喋るな、とクッカから言い含められている。


「では、はじめ」


 クッカが砂時計をひっくり返すと同時に大男の拳が飛んできた。腹にまとも入ったのだが、マイルズはびくともしなかった。ミノタウロスの『魔王』に比べたら撫でられたようなものだ。『魔王』の能力を使うまでもない。反対に大男が拳を押さえながらうずくまった。それから何度か胸や顔も殴られたが屁とも思わなかった。


「ちくしょう!」


 殴るのはムリだと悟ったか蹴りを入れてきた。体重を乗せた勢いで吹き飛ばす算段だろう。ダメージを入れられなくても倒せば大男の勝ちなのだ。けれどマイルズの体は大木のようにびくともせず、逆に大男の方が反動でひっくり返った。背中を打ち付けて痛がっているところで砂時計の砂が落ちきった。


「はい、終了。残念だったね、旦那」

 クッカが勝ち誇ったようにマイルズの腕を上げる。


「さあ、ほかにはいないか、いないか。金貨十枚だよ」


 その後も次々と腕自慢が名乗りを上げたが、成功した者は誰もいなかった。たまに足払いを掛けたり、投げ飛ばそうとした者もいたが、倒すには至らなかった。


 時折よろめいたり、後ずさったりはしたが、全て演出である。クッカから「たまには弱ったところ見せねえと、ムリだってんで客が離れちまうからな」と小声で言い含められたからだ。痛くはないし、盛況なのはいいのだが退屈である。


 次の日は趣向を変えることにした。追加料金を払えばこちらで用意した棍棒を使えるようにした。樫の木を削って作った本物の武器だが、マイルズにとってはオモチャ同然である。


 素手では諦めた者たちも武器ならばチャンスがあろうかと昨日と同じ者も挑んだが、当然結果は変わらなかった。多少ダメージを受けた(振りをした)ものの、大木のようにその場に立ち続けた。稼ぎはすでに金貨十枚近くになろうとしていた。


 異変が起こったのは三日目である。朝からクッカが呼び込むものの、評判が知れ渡っているらしく、挑んでくる者は十人に満たなかった。早めに店じまいして次の町に移ろうかと相談していると、いきなり十人を超える男に囲まれた。あっという間に建物の陰に引きずられる。大半が『殴られ屋』の客である。


「テメエらのせいで契約を切られちまったじゃねえか。どうしてくれる」


 話しかけてきたのは初日に挑んできた大男だ。隊商で護衛の仕事をしていたが、雇い主が例の商売を見ていたらしい。芸人一人殴り倒せない傭兵などお呼びではない、と放り出されたという。


「体の方はちょいと頑丈にできているようだが、これならどうだ?」


 懐から取り出したのは、短剣である。使い込んであるようだが、切れ味は良さそうだ。少なくとも人を刺すのに不都合はないだろう。おまけに先程まで『殴られ屋』をしていたので、マイルズの両手首はまだ鎖で縛られている。


「ぶすりとやられたくなけきゃあ、稼ぎ全部出しな。それとも、そこのチビスケともども死体になりてえか」

 マイルズはせせら笑った。


「なんだ、物取りか」


 この時勢にクビにされたのは同情するが、恨むのは筋違いだ。その上、芸人から金を奪い取ろうなど、物取り以外の何だというのか。


「てめえ!」


 短剣を振りかぶる。この程度なら刺されたところでどうということもない。首を刎ねられても再生できるのだ。かわそうか受け止めようかどうしようか迷っていると、いきなりクッカが間に割って入ってきた。


「ちょ、ちょっと待っておくんなせえ!」


 マイルズが目を丸くしていると、地面に平伏し、奴隷のように額を地面にこすりつける。


「どうか勘弁しておくんなせえ! 決して兄さん方の面子に泥を塗るつもりなんざこれっぽっちもございやせん。子分の不始末は親分の責任。どうか、どうかここは一つ穏便に!」

 懐から売上げの入った袋を差し出す。


「どうか、どうか……」


 マイルズは動けなかった。クッカの行動に意表を突かれていた。クッカにしてみれば、マイルズなどたかが金づるであろう。それを体を張ってかばうのが信じられなかった。傭兵たちの爆笑も後ろから冷やかすように小突いてくる拳もどこか他人事のように遠かった。


 大男がにたりと笑うと、袋を拾い中身を確認すると口笛を吹いた。クッカは顔を上げ、愛想笑いを浮かべる。その途端、大きな足がクッカの頭を踏みつけた。顔が地面に埋まる。


「どうした。そのよく回る口を開いてみろよ。口の中に泥が入って喋れねえか? え、石なし(・・・)のチビ妖精が」


 体重を込めて、燃えかすのように踏みにじる。爆笑が沸き起こる。


 その瞬間、マイルズの背筋が震えた。それが悪寒でも恐怖でもなく、怒りによるものだと気づいた時には鎖を引きちぎり、傭兵どもを全員、地面に叩きのめしていた。


「うちの親分に何しやがる」


 言った瞬間、すっと腑に落ちるものがあった。自分は今、クッカのために怒り拳を振るったのだ。

 クッカはまだ顔を地面に付けた状態でうずくまっていた。マイルズはクッカを助け起こすと、服の埃を払い、顔の泥を丁寧に拭き取る。


「お怪我はありませんか、親分」

「え、あ、これは、オメエがやったのか?」

「はい」


 傭兵たちは倒れたまま呻いている。誰もが一撃で動けなくなっていた。殺しはしない。町中で人を殺めたとなればお尋ね者になってしまう。


「鎖はどうしたんだ?」

「こんなこともあろうかと、いざという時には自分で外せるようにしておきました」

 無論デタラメである。怪力で引きちぎったのだ。


 あまり突っ込まれてもボロが出る。マイルズは大男の方に行って金の袋を奪い返した。


「おい、チンピラ」

 腹を殴られ、小間物をぶちまけていた大男の顔を強引に持ち上げる。


「今度ばかりは見逃してやるが、次に手を出したらたたじゃおかねえ。テメエら全員、八つ裂きだ」


 マイルズは短剣を拾い、見せつけるようにして刃の部分を思い切り握り締めた。手を開くと、粉々に砕けた金属のカケラがこぼれ落ちる。


「わかったか」

 大男は顔を蒼白にしながら何度もうなずいた。

 その哀れな姿を一瞥するとクッカを抱き抱え、その場を後にする。


「お前何もんだ?」

 クッカが目をしばたたかせながら聞いた。人間離れした頑丈さに、さしものクッカも信じられなかったようだ。


「ただの駆け出しの旅芸人ですよ」

 マイルズは言った。

「それでアンタの子分だ」


 むしろマイルズの方が問い質したかった。


「親分こそ、どうして俺をかばったんですか? 金を差し出してまで」

「そりゃあ、オメエ……。親分だからな。子分守るのは当たり前だ」

 照れ臭そうにそっぽを向く。マイルズは微笑した。


「当たり前、ですか」


 そういえば、誰かに庇われるなんてのはいつ振りだろうか。少なくとも『勇者』になってからは守ってばかりで、守られた経験など思い出せない。この能力があれば一人でも何とかなったし、足手纏いをかばいながら戦うのも御免だった。


 けれど、そういうのも悪くないかも知れない。時と場所と目的によって人の価値は変わる。誰もが常に足手纏いとは限らない。『魔王』相手の戦いでは最強でも、芸人としては駆け出しな奴もいる。


「いいから降ろせよ」


 手足をばたつかせてクッカが抗議する。マイルズは聞こえないふりをした。もう少しこの柔らかい温もりを感じていたかった。



   四



 『勇者』を辞めてから一年が過ぎた。漏れ聞いた噂によると、ノーマンはやはりニーズヘッグと相撃ちになって死んだことになっているようだ。


 当初はその功績を惜しむ声ばかりだったが、「姿が見えない者は記憶から消えていく」のことわざどおり、『最強勇者』の名前は忘れられつつあるようだ。代わりに頭角を現してきたのが『叡智の勇者』ウィンストンだ。爵位を得てどこぞの姫と結婚するなんて話もあったが、実際にしたという話は聞こえてこない。おそらく『呪い(・・)』のせいだろう。


 相反するように旅芸人マイルズの名前は飛躍的に伸びていた。音楽や芝居はさっぱりだったが、曲芸や奇術において神業を見せていた。


 宙返りは勿論、脅威的なバランス感覚で棒の上どころか針の上にすら平気で立つ。四角い箱に閉じ込められて外から剣を刺されても無事に生還する。胴体を真っ二つに裂かれても平気。一度砕いた()を再生してのける。


 疑り深い貴族が、わざわざ魔術師を雇って調べさせたこともあるが、魔術の使用は認められなかった。常に顔を隠している怪しげな雰囲気も人気を高める要素になっていた。


 最近ではどの町でも引っ張りだこで、会場も町の片隅から劇場へと変わっていった。それを仕切っているのが、興行主のクッカである。


 おそらくマイルズが手にした金額以上の大金が転がり込んでいるだろうが、どうでもよかった。元より金目当てではない。クッカはマイルズなどよりはるかに世間慣れしていたし、芸や芸人の話題も豊富だ。あれこれ話しながら芸の話をするのも楽しかった。ほかの興行主からの引き抜きや、貴族お抱えの芸人への勧誘話もあるが全て断っている。クッカ以外の誰かと組むつもりはなかった。


 何よりマイルズ自身、まだ半人前だと思っている。曲芸は『勇者』時代からの身体能力の(たまもの)だし、『魔王』の力で刺されたり切り落とされた箇所を一瞬で再生するなど、芸とは呼ぶまい。魔術師が見抜けなかったのも、全て『魔王』の特性であり魔術を使ったものではないからだ。


 喋りも以前より流暢になったし、人前で芸をするのには慣れたが、客のあしらい方や話術、人を引きつけるためのタイミングや技術など学ぶべき点はまだ多い。偶然人気は出たようだが、所詮は実力のない駆け出しだとうぬぼれるつもりはなかった。


「マイルズ、次の仕事が決まったぞ」

 劇場での曲芸を終えて楽屋で一休みしていると、クッカが入って来るなりそう言った。喜色満面だ。


「驚くなよ。なんと……王宮だ!」

 両腕を広げてアピールする。


「北アーレル王国で今度『魔王』退治一周年のパーティが開かれるんだとよ。そこの出し物でお前に声がかかったって訳だ。『勇者』様も大勢招待されているってよ。どうだ、すげえだろ、おい!」


 マイルズは返事ができなかった。顔見知りの『勇者』はウィンストン以外にもいる。口上はともかく、体格や動きを見られたら、顔を隠していても勘づかれる可能性は高い。


「すみません、親分」

 深々と頭を下げる。

「どうもあっしにはこのお話は荷が重いようで」

「なんだ、ぶるってんのか?」

 クッカは椅子の上に飛び乗ると、励ますように肩を叩く。


「心配いらねえよ。いつもどおりやりゃあいいんだ。名誉なことだぜ。旅芸人マイルズの芸を見たいと『巫女』様直々のお声掛かりなんだからよ」

「『巫女』様?」


 国王陛下をはじめ、北アーレル王国の重鎮とは何度か顔を合わせたが、そんな奴はいただろうか。


「なんでも山奥の神殿で代々神様に祈っている一族なんだってよ。『魔王』の復活や『勇者』様の出現もその人が予言したんだそうだぜ」


 山奥にいて、一体どこでマイルズのことなど聞きつけたのだろう。それとも、それも予言とやらなのか。


「なあマイルズ。あがっちまう気持ちはわかるが、ここが踏ん張りどころだ。成功すりゃあ報酬はたんまりだ。お前の名前はもっと有名になる。しがねえ旅芸人なんかもうしなくってもいいんだ。テメエで劇場を建ててそこで芸をすることだってできらあな」

「……」


 どうやら想像以上に名前が売れすぎてしまったようだ。何とかして断れないだろうかとも考えたが、王家や貴族絡みとなれば断るのは不可能だろう。不敬だと処罰されかねない。逃げ出すのは簡単だが、その責はクッカが負う羽目になる。


 仮に『最強勇者』だと露見したところで死ぬ訳でもない。せいぜいウィンストンの名誉が地に落ちるくらいだ。だが今までどおりの生活は送れなくなる。『勇者』としての人生など真っ平だからまた逃げるしかない。芸人としてのマイルズは確実に死ぬ。


 この一年、本当に楽しかった。売れ出したのはここ最近で、金に困って野宿などしょっちゅうだったし、雨の降る中、建物の軒下でクッカと二人固まって夜を明かしたこともある。食うに困ったら、マイルズが狩りをして野鳥や鹿や猪をさばいた。


 芸をしても見向きもされず、ならず者に金をせびられたり、ジャマだと衛兵に追い立てられたりしたこともある。それでも、人生で一番幸せな時期だった。そういう生活ももう少しで終わるかも知れない。


「どうした、マイルズ」

「いえ、何でもありやせん」

 胸の奥から溢れ出る感傷を悟られぬよう、口元を広げて微笑む。


「あっしも腹をくくりやした。親分のご命令とありゃあ、火の中水の中。バケモノの腹の中でだって芸をしてみせやしょう」

「そうだ、その意気だ」

 ばん、と勢いよく背中を叩かれる。


「前にも言っただろ。オメエなら三国一の芸人になるってよ」

「へえ」

 恐縮した様子で背を曲げるだけだ。


「そうと決まったら飲みに行こうぜ。キレイどころのお姉ちゃんも呼んでよ」

「酒はお付き合いしやすが、女の方はいりやせん」


 女には興味がなかった。元々性欲の薄い方だが、『勇者』時代、何人もの貴族のご令嬢に誘惑されてますます遠ざけるようになった。欲得尽くなのは明らかだったし、美人には違いないが、どれも似たような顔をしている。面倒臭かった。かといって男好きでもないが。


「お前はいっつもそうだなあ。本当にいらねえのか? 遠慮なんかしなくってもいいんだぞ」

「いりやせん」

 きっぱりと言った。


「親分と差し向かいで酒飲んでいるだけで、それで充分でさあ」

「欲のねえ奴だなあ、おい」

 呆れながらもマイルズの手を取る。


「ようし、前祝いだ。今夜はジャンジャン飲むぞ。付き合え」

「へい親分!」



   五



 久しぶりに来た王宮は相変わらず薄気味が悪かった。『魔王』率いるバジリスクの軍勢に攻められた時の修理がまだ終わらないのか、壁にも爪痕が残っていたし、噴水の石像はまだ首が取れたままだった。


 だが気味が悪いと感じているのはむしろそこにいる人だった。侍従や侍女、衛兵に騎士といった連中に生気がないのだ。理由はわかっている。みな、国王に絶望しているのだ。


 国王は有り体に言えば暗愚だった。マイルズたち『勇者』にろくな支援も与えず、『魔王』の脅威に対しても見て見ぬ振りをした。北アーレル王国にはマイルズを含め四人の『勇者』が誕生したが、うち二人は無残な道を辿った。一人は魔物に食われ、もう一人は盗賊に矢で射殺された。周囲も佞臣ばかりで国王をいさめるどころか、女をあてがい、贅沢を極めさせて、馬鹿を促進させていた。


 そのくせマイルズやウィンストンが『魔王』を倒すと、さも国の英雄とばかりに賞賛した。

 クソどもの集まりに来たくもなかったし、クッカを連れて来たくもなかった。


 物陰から覗き見ると、会場である大広間には三列の長机が並べられ、すでに『勇者』たちが到着していた。『旋風勇者』『獣王勇者』『爆飛勇者』『魔道勇者』『甲冑勇者』『戦馬車勇者』『治癒勇者』『錬金勇者』『覇王勇者』……。いずれも過酷な戦いを生き抜いた強者揃いである。まずいことに大半が顔見知りだ。目の前で芸などすれば、見抜かれる可能性は非常に高い。


 壁には棚が置かれ、巨大な石がいくつも飾られている。『魔石(ませき)』と呼ばれる、魔物の心臓である。ほとんどの魔物の体内にあって、魔力の根源とされている。魔物を討伐した時の証拠にもなっている。


 『魔石』の前には名札が添えられており、ほとんどがマイルズが討伐した『魔王』のもののようだ。ニーズヘッグのものもあるようだが、こちらはウィンストンが後で回収したのだろう。


 大広間の隅にベッドが置かれている。奇妙なことにベッドごと鉄格子で四角く囲われていた。どうやら病気の囚人のようだ。顔は見えないが、それが誰なのかは見当が付いていた。


「あれが、『叡智の勇者』ウィンストンか」

「見たぞ。あのガイコツのような姿。まるで死人ではないか」

「どうやら『魔王』の呪いではないかと言われておるな」

「姫との結婚も決まっていたというのに」

「錯乱して仲間も切り捨てたというではないか」

「どうやら真っ先にあちら(・・・)の方が使い物にならなくなったらしくてな」

「あちこちの女を抱こうとしたが、うまくいかなかったらしい」

「ははあ、それで逆上して剣を抜いたところで……」

「本来なら死罪のところを功績に免じて、終生牢屋行きというわけか」

「そんな男まで連れて来て、『巫女』様とやらは一体何を考えているのやら」


 『勇者』たちが口々に噂する。

 やはりこうなっていたか、とマイルズは嘆息した。


 ニーズヘッグはただ敗れたわけではなかった。ウィンストンは気づかなかったようだが、敗色濃厚と悟った奴は自身に『呪い』を掛けたのだ。自分を殺した人間を呪い殺すために。『魔王』の力を持つマイルズならいざ知らず、ウィンストンでは抵抗しきれなかったようだ。哀れな奴だ。


 それより気になるのは、罪人となった男までこの晴れの舞台に来ていたことだ。祝いの席と聞いていたが、『巫女』様には何か別の目的があるとしか思えない。この場にいる『勇者』はウィンストンを含めて二十七人。マイルズを含めれば、二十八人。生き残った『勇者』が勢揃いしたことになる。


 マイルズは控え室へと引き返した。もし自分の予感が確かなら『巫女』様の狙いは『勇者』だ。しかも自分が『最強勇者』ノーマンだと気づいている。何をたくらんでいるかは知らないが、クッカを巻き込みたくなかった。せめて彼女だけでも逃がさなければ。


 控え室の扉を開けた。芸人の控え室とは思えないほど豪奢の部屋には誰もいなかった。


「親分?」

 どこに行ったのか、と見回すと机の上に紙が置いてある。嫌な予感がした。恐る恐る手に取る。


「もうお前に教えることは何もねえ。ここでお別れだ。親分子分の縁もこれっきりだ。じゃあな」


 膝から崩れ落ちた。何故、どうして、あり得ない。混乱した頭で、何度も読み返したが間違いなくクッカの字だった。誰かにムリヤリに書かされたのだろうか。違う。字に迷いがない。本人の意思で書いたものだ。


 きっとクッカは前々から考えていたのだろう。マイルズの名声は日ごとに高まっている。芸をすれば観客が集まり、大金を稼ぐ。その一方で、金の卵を独り占めするクッカに悪意が集中していた。人間でないのもそれを助長していた。やれ寄生虫だのコブだのと陰口を叩かれていた。その度にマイルズが黙らせていたのだが、やはり気に病んでいたのだろう。


「親分……」


 体に力が入らない。『勇者』時代には何度も死にかけた。体半分を吹き飛ばされたこともあったが、その時と比べものにならないほど気力を奪われていた。自分がクッカに何を求めていたのか、ようやく気づいた。


 鐘が鳴った。もうすぐパーティの開演の時間だ。我に返り、気を取り直す。クッカがこの場にいないのなら都合がいい。王宮などさっさと抜け出して後を追いかけよう。まだ遠くには行っていないはずだ。廊下に出ると一目散に外へと向かう。


 逃がさぬよ。


 ふと、頭の中で声がした。今のは誰だ? 気にはなったが足を止めている余裕はなかった。長い廊下をいくつも曲がり、扉を開けると、そこは会場である大広間だった。マイルズは困惑した。確かに自分は外に向かっていた。方向感覚には自信があるし、この王宮には何度か来ていて帰り道も知っている。間違えるはずがなかった。


 本当に大広間なのかと見回してみると、異様な光景が広がっていた。『勇者』も国王も衛兵たちも、その場にいる人間がみな虚ろな目をして立ち尽くしていた。立ち上がれないはずのウィンストンさえも。


「ほう、やはりそなたであったか」


 大広間の一番奥、国王が座っている玉座の横に一人の女が立っていた。背中に届くほどの黒髪に、純白のドレス。端正な顔はまるで白い仮面のように体温を感じさせなかった。金色の瞳を愉快そうに見開くと、マイルズに向かってくすくす笑い出した。


「探し出すのに苦労したぞ。混ざり物(・・・・)はこれだから困る」

「誰だ、テメエは」

 もしかして、こいつが『巫女』様だろうか。


「妾の名はディアドラ。だが、お主にはこう言った方が理解が早かろう」


 人間の(・・・)『魔王』と。



   六



「人間の……?」

 困惑するマイルズをよそにディアドラが語り始める。


「この世界では何万年も前から魔物同士の覇権争いが続いてきた。千年に一度、神より選ばれた百の魔物の(おさ)が、種族を率いて戦う。その長こそ『魔王』よ」


 ある時代ではドラゴンが、ある時代ではゴブリンが勝ち残り、繁栄を築いてきた。そして千年前、勝ち抜いた魔物が『人間』だった。


 覇権を手にした『人間』は高度な知恵と技術を用い、自らの社会を作り、文明を築いていった。一方で、元々この世界に住む人類……森妖精(エルフ)土妖精(ドワーフ)海妖精(マーマン)空妖精(ハーピー)草妖精(ハーフリング)たちを石なし(・・・)の妖精族と呼んで迫害し、その住処を我が物とした。自分たちこそこの世界の支配者であり、他の魔物や妖精族とも違うのだと。


 だが、ディアドラは安穏とはしていられなかった。勝ちを拾ったのは半ば偶然である。千年後には結果が逆転していてもおかしくはない。オークやスライムの千年王国が誕生するかも知れないのだ。


「そこで妾は考えた。次回の『魔王』戦争をいかに勝ち残れるか。そのために考えたのが選択と集中……つまり『勇者』だ」


 『魔王』には種族全体を強化する力があるとはいえ、限界がある。弱い者を多少強くしたところでたかが知れている。ならば、数を絞り、特定の人間だけはるかに強くすればいい。最初は一人だけにと考えたが、それでは不測の事態が起こった時に対応ができない。ライバルの『魔王』は九十九体もいる。ならば百人くらいがちょうどいいだろう。


「そこで妾の力を百等分し、選んだ者に分け与えた。それがお前であり、ここにいる連中というわけだ」


 『暗黒の鎧』も『光輝の鎧』も根は同じ。『魔王』由来の力だ。ディアドラは自らを封印し、来たるべき戦いに備えて眠ることにした。生きてさえいれば次回の『魔王』も自分になる。確実な勝利を得るためだ。


「待てよ」

 そこでマイルズは口をはさんだ。


「今の話が本当なら、お前が百の勇者を選んだって話になるよな。偶然でも何でもなく」

「そうなるな」

「おかしいだろう。『勇者』にふさわしい人間はもっとほかにもいたはずだ。なのに、何故ウィンストンのような卑怯者が……いや、そうじゃない」

 もどかしげに首を振る。

「何故、俺を『勇者』に選んだ?」


 勇気ある者、武勇に優れ、志が高く慈悲深い。今の今まで自分が『勇者』にふさわしいなどと思ったことはただの一度もなかった。勇敢でもなく、誇りも正義もない。ただ周囲に流されるまま生きてきた。大切な物は何もなく、死にたくないから生き続けているだけの男。そんな奴を『勇者』と呼ぶだろうか。


 だから選ばれたのはただの偶然だと思っていた。サイコロを振って出た目がたまたまマイルズであり、ウィンストンだと思っていた。しかし今、目の前の女は確かに「選んだ」と言ったのだ。


「ほかにもっとふさわしい人間がいたはずだ。なのに、どうして俺だったんだ?」

「そうだな」

 ディアドラは小首を傾げる。


「お前を選んだのは確かに偶然だ。だが、お前のような男を選んだのは偶然ではない」

「どういうことだ?」

「他の種族にはない、人間の強みとは何だと思う?」

 不意の質問に戸惑いながらもマイルズは頭を働かせる。


「……知恵とか、勇気とか」

「やめろ」ディアドラが腹を抱えて笑い出した。

「信じてもいないくせに、賢しらに語るな」

 指摘された通りだった。愚かで臆病な人間など山ほどいる。


「正解はな、『多様性』だよ」


 人間の性格は多種多様だ。百人いれば百通りの性格が形成される。ほかの魔物や妖精族にも個人差はあるが、人間ほど幅広くはない。


「たとえば、子供が今にも崖崩れに飲み込まれそうになっている。助けようとすれば自分が命を落としかねない。貴様ならどうする?」

「……助けるだろうな」

 ふとクッカの顔が脳裏に浮かんだ。


「だがもし全員が同じ行動をすればどうだ? 協力すれば全員が助かるかも知れないが、反対に全員が死ぬかも知れない。ゼロか百かの賭けだ。それでは一歩間違えれば全滅しかねない」

「見捨てるのが正解だと?」

「逆の状況とてあろう。見捨てたり出し抜く人間だけでは、殺し合いが関の山だ。勇気や理性のある人間も必要だ」


 乱世の英雄も治世では犯罪者になりかねない。逆に、治世の名君も乱世では暗君となりうる。勇気はしばしば蛮勇に変わり、臆病は慎重にも繋がる。


「求められる資質は時代や状況により異なる。何が必要になるかは妾にも分からん。それ故に様々な資質を持つ者を『勇者』とした。名前どおり勇敢な者、知恵のある者、正義漢のある者、臆病な者、卑劣な者、悪逆を顧みない者、そして貴様のように何にも執着しない無一物な人間もな」

「……」

「妾が自分の存在を歴史から抹消したのもそれが理由よ。狂信者ばかりでは『多様性』は担保されぬでな」


 思考は理解出来ないが、色々腑に落ちた。けれどまだ疑問は残っている。


「それで、今日は何の用だ? アンタのお望みどおり、全ての『魔王』を倒して人間は勝った。二連覇だ。良かったじゃねえか。これであと千年は人間様の天下なんだろ?」


「簡単な話よ。『魔王』の力を受け取りに来た」


 『勇者』の特殊能力は個々の性質が反映されるため、どんな能力になるかはディアドラ自身にもわからなかった。それが裏目に出た。『吸収アブソープション』で『魔王』の力を得たのは想定外だったのだ。


「一介の『勇者』に過ぎない貴様が、『魔王』の力を操るなど僭上だとは思わぬか」

「一応聞いておくが、俺から『魔王』の力を受け取るってのは……」


「もちろん、貴様の中にある『魔石』を抜き取るのよ。そこが魔力の源だからな」

「それって死ぬよな。間違いなく」

「そうなるな」

 こともなげに言った。


「なら真っ平ゴメンだ」

 死ぬのは怖くないが、むざむざ千年以上も生きている婆様の寿命延ばしに付き合う義理はない。


「抵抗する気か?」

「あたぼうよ!」


 少々驚かされたが、所詮は『魔王』だ。マイルズは五十体以上も葬ってきた、『魔王』退治の専門家だ。これだけの策を弄するくらいだから、さして戦闘力は高くないと見た。武器はないが、素手でも何とかなる。


 先手必勝。拳を固め、殴りかかったマイルズが見たものは、ディアドラの冷笑だった。


跪け(・・)


 その瞬間、マイルズの膝は地に着けられた。


「え?」

 信じられなかった。何か見えない攻撃を受けた感触はない。魔術の類でもない。今、マイルズはディアドラの言葉どおり自分から跪いたのだ。


「名乗ったはずだぞ。妾は人間の『魔王(・・)』だと。『魔王』とは魔物の長。人間は妾の思いのままだ」


 つまり、人間は決して『魔王(ディアドラ)』には逆らえない。


「くそ、動け! 動きやがれ!」


動くな(・・・)


 必死に動かそうとした体も、ディアドラの一言でぴたりと止まる。


「無駄だ。これは意志の問題ではない。お前たちはそういう風に出来ている(・・・・・)のだ」


 ディアドラがマイルズのそばに立つ。手には黒曜石のような刃をした短剣を握っている。


「念のためだ。これからは『魔王』と『勇者』の力も禁じる」


 その途端、体から急速に力が抜けていく。両方の力を封じられれば、ここにいるのはただの小作人の息子だ。さすがに焦ってきた。身動きも取れず、力も封じられ、助けてくれる仲間もいない。


 マイルズは観念した。ここが死に場所とは味気ない。せめて膝の上か胸の中なら最高だったのに。終わらせるならさっさとしてくれ。


 ディアドラがマイルズの胸に刃を突き立てようとした時、空を切り裂く音がした。飛んできた石が短剣を弾き飛ばした。


「何奴じゃ!」


 叫びながら辺りを見回すディアドラの頭上に白いテーブルクロスが落ちてきた。白い布の中でもがいているところに、長机の陰から駆けてきた塊がぶつかった。視界と動きの封じられたところにまともにぶち当たったためだろう。ディアドラはテーブルクロスともども後方へひっくり返った。同時にマイルズの体がバランスを失って尻もちを付く。ディアドラの呪縛が解けたようだ。


「オイラの子分に何しやがんでぃ!」

 見上げると、クッカが長机の上で腕組みしながら鼻息を荒くしていた。



   七



「親分?」

「話は後だ。逃げるぞ」

 呆然とするマイルズの手を取り、走り出す。


「おのれ下等な妖精が!」

 早くも復活したディアドラが立ち尽くす『勇者』たちを見渡す。まずい、とマイルズはとっさにクッカの手を離し、耳を塞いだ。


「……! ……!」

 聞こえはしなかったが、ディアドラが命令したのだろう。『勇者』たちが次々と襲いかかってくる。


「させっかよ!」

 クッカは白い球を放り投げた。床に当たって茶色い液体をまき散らす。濡れた場所に足を踏み入れた途端、『勇者』たちが次々と転倒する。クッカ特性の油だ。


 倒れた同輩を踏み越えて、『勇者』たちが次々と飛びかかってくる。


「どきやがれ!」


 マイルズは両耳を押さえながら前蹴りで吹き飛ばし、回し蹴りで打ち落とす。だが、すぐに復活して向かってくる。『勇者』も『魔王』を使えば一撃だが、さすがに罪もない人間を殺すのは(はばか)られた。本当なら蹴り一発で胴体に穴が空き、上半身と下半身が真っ二つだというのに。おまけにディアドラの命令があるので両手が使えない。


 『勇者』たちも単純な命令しかされていないせいか、単純な動きしかしてこない。楽ではあるが、同時に恐怖も怒りもないので、多少のダメージでは怯みもしない。苛立ちながらクッカとともに走る。歩幅が違うので普通に走れば置き去りにしてしまう。


 もうすぐ出口だ。やった、と喜んだ瞬間、すぐ脇を閃光が駆け抜けていく。前を走っていたクッカがつんのめったように倒れた。駆け寄ろうとしたところで足が止まる。背中から赤い血が噴き出し、染みを作っていた。


「親分!」


 反射的に耳から手を離し、抱き抱える。傷は胸にまで達していた。振り返ると、はるか後方にいたディアドラが勝ち誇った笑みを浮かべながら指をこちらに突き出していた。何かしらの魔術でクッカを貫いたのだと悟った。


「親分、しっかりしてくだせえ……なんでぇ、こんなのかすり傷でさあ……」

 ありったけの魔力で回復魔法を使うが傷が癒えていく様子は見られなかった。クッカが弱々しく微笑む。


「悪い、オイラはここまでだ……早く逃げろ」

「どうして戻って来たんですか……あんな置き手紙までしておいて」

「せめえお前の晴れ舞台を見てから、と思ったんだが、ざまあねえや……」


 血の気が失せていく。命の灯火が消えようとしている。マイルズは意を決した。可能かどうかは一か八かの賭けではあるが、このままクッカを死なせたくはなかった。仮に後で恨まれたとしても。


「親分、失礼しやす」

 マイルズは大きく口を開け、首筋に噛みついた。吸血鬼の『魔王』ならば、噛みついた相手を自身の眷属にすることも簡単なはずだ。


 クッカの瞳が一瞬、見開かれ、閉じる。傷が塞がっていくのを確かめると、慎重にその場に横たえる。

 二十八人の『勇者』に囲まれながらディアドラへと向き直る。


「テメエだけは絶対に許さねえ」

「怒り狂ったところで結末は変わらぬ。そこの石なしに執着しているようだが、貴様もすぐに後を追うことに……」


「ぴいぴいやかましいな、この阿婆擦れが!」

 目の醒めるような一喝にその場が一瞬、静まりかえる。


「さかりのついた軒下の野良猫じゃあるめえし大親分気取りの三下風情がベラベラグチャグチャ能書き垂れやがって。恐れ多くも天下の元締め(もとじめ)、クッカ親分の(タマ)あ狙おうなんざ、たとえ冥府の獄卒から天界の大天使が総出でテメエの罪を精算しようとオレっちが許さねえ! テメエなんぞに泣き入れて頭下げるようなお(あに)いさんと見くびったが運の尽きよ。三千世界に転生転移しようと忘れられねえ今生最期の恐ろしさ、今からたっぷりとその腐りきった魂に刻みつけてやるから覚悟しろい!」


 一気呵成(いっきかせい)にまくし立てると、マイルズは犬の覆面を脱ぎ捨てた。最早顔を隠す必要もないし、今からやろうとすることにはジャマだった。このババアを倒せるのなら人間など辞めてやる。左手の甲に紋様が現れる。キメラの『魔王』のものだ。


「さあ、一世一代の芸、その目見開いてとくと拝みやがれ!」


 その途端、マイルズの体が黒い霧に包まれる。霧はマイルズの全身を包み隠しながら、輪郭を膨張させていく。霧の中で得体の知れないものがいくつも生まれている。『魔王』の力は原則一種類ずつしか使えない。同時に使おうとすると、互いの力を打ち消し合うのだ。どんな『魔王』で試しても駄目だった。そこでマイルズは発想を転換させた。


 まずキメラのように複数の属性を持つ魔物を軸にする。そこからライオンやコウモリといった異なる部分に『魔王』の力を重ね掛けする。キメラ同様にマンティコアやグリフォンなど、複数属性の魔物を組み合わせていけば、更に数は増やせる。


 同時に芸をこなす時はまず軸を定める。親分の言うことはいつも正しい。



「質問だ、『魔王』様」

 黒い霧の中からマイルズの声がする。


「『魔王』の力を取り込んだような奴を人間と呼ぶか?」


 黒い霧は膨張を続け、八本足の獣と化して大広間を討つめくしていた。


「そんな、まさか……」

 ディアドラがおののいた声を上げて後ずさる。


「わ、妾を守るのだ。あのバケモノを倒せ!」


 『勇者』たちが一斉に動き出す。マイルズが腕を振るうと一人、また一人と吹き飛ばされ、壁にぶつけられ、床に倒れ伏す。あっという間に全滅した。ウィンストンも黒い獣となったマイルズに踏まれ、床に埋まっている。誰も殺してはいないが、ジャマはされたくない。立っているのは、ディアドラだけだ。


「く、来るな! 止まれ」

 マイルズは止まらなかった。人でなくなった者に『魔王』の命令は通じなかった。


 巨大な足に押しつぶされ、ディアドラは身動きが取れない。予想どおり、強さ自体はさほどではないようだ。


「ま、待て!」

 巨大な顎を前に懸命に首を振る。


「妾を殺せば『勇者』の力はなくなるぞ。お前もここにいる奴らもただの人間に成り下がるのだ!」

「それで?」

 力など惜しくはないし、このババアを野放しにする方がよほど厄介だ。


「千年後はどうなると思う? 妾なら次の戦いも勝てる。お前という貴重なデータも手に入れた。今回より更に簡単で犠牲も少なく……」

「知るか」


 千年後の未来など責任は持てないし持つつもりもない。子孫にはせいぜい頑張っていただこうではないか。何ならゴブリンやコボルトの千年王国が出来るのも一興だろう。


「ま、待て……あ、そうだ。不老不死にしてやろう。千年後も貴様は『勇者』として栄光を浴びられるのだ。何ならあの妖精の娘も……」


 踏みつぶした。かみ砕き、吐き戻し、すり潰し、炎で焼き、小便をひっかけた。


「いらねえよ」

 永遠にディアドラの奴隷など、死んだ方がマシだ。



   八



 王都から離れること三日、マイルズは小金を握らせた幌馬車に潜り込んでいた。目の前の峠を抜ければ北アーレル王国を抜けられる。


 王宮では大騒動になっているらしい。あの大広間……いや、王宮にいた全員が、ディアドラに操られている間の記憶を無くしていた。王宮の外から来た騎士たちが異変を察知して駆けつけると、『勇者』は力を失い、『巫女』様は肉片に代わっていた。お陰でマイルズがいなくなっていても誰も気に留めた様子はなかった。たかが旅芸人が『巫女』様を惨殺したとは思いも寄らなかったのだろう。


 国王たちは箝口令を敷いたようだが、関わっている人数が多すぎた。すでに王都中で噂になっているようだが、マイルズとしてはどうでもいい。『勇者』がいなくなっても世の中は回っていく。自分は旅芸人を続けるだけだ。


「次はどんな町でやりやしょうかね、親分」


 腕の中にいるクッカに話しかける。馬車の中が狭いので、膝の上に座る格好になっている。今は白いフード付きのマントを頭からすっぽりと被っている。


「あのさ」

 クッカが振り返る。


「もうその親分ってやめない? 今は、そっちが親分・・なんだし」


 照れ臭そうにフードの上から首筋に触れる。吸血鬼の『魔王』の力で命は取り留めたものの、代償に眷属……つまり吸血鬼になっていた。日の光の下を歩けないため、移動は日没後にしている。どうしても日中になる場合は、今のように幌馬車など光の当たらない乗り物を使うことになるだろう。


「親分は親分ですよ」

 ぎゅっと腕に力を込める。


 『魔王』の力を取り込みまくったせいだろう。『勇者』の力を失い、『吸収アブソープション』も出来なくなったが、『魔王』の力は残っていた。血を吸ったマイルズの方が主人にあたる訳だが、彼にしてみれば親分はクッカだしクッカは親分だ。


 吸血鬼から元に戻る方法があるかどうかは分からないが、気長に探すだけだ。時間はたっぷりある。


「後のことはあっしに任せてくだせえ。何でしたらスプーンとフォークの上げ下ろしまでご面倒はかけやせん」

 何なら自分が食べさせてもいい。


「いい加減に離せよ」

 クッカがくすぐったそうに体をよじる。


「ここは狭いですから。もう少しの辛抱でさあ」

「お前が御者のおっちゃんの隣に座ればいいだろ!」

「それじゃあ、親分が独りぼっちになりやす」

「じゃあいいよ。オイラが前に座るから」

「とんでもない」

 腰を浮かしかけたクッカを逃がすまいとまた腰の上に座らせる。


「まだ日も高え。いくらかぶり物をしていても万が一ってこともあります」


 何よりクッカをあんな助平そうなオヤジに横に座らせるなど耐えられそうにない。体温こそ失われたが、甘い匂いも肌の柔らかさも髪の毛の触り心地も前のままだ。どこの何様だろうとくれてやる気は更々なかった。親分は、自分だけの親分だ。


「本当に旅芸人を続けるのか? いいのかよ」

「何度も言いましたよ。あっしはずっと親分とやっていくって」


 元々興味のない肩書きだったが、今となっては無意味でしかない。誰もが『勇者』にもなれるし足手纏いにもなる。それは状況や時代によって変わる。少なくとも、あの時王宮で駆けつけてくれたクッカは紛れもなくマイルズの『勇者』だった。後は自分がどうなりたいか、だ。


「子分がお嫌でしたら兄弟分でも家来でも犬でも亭主でも」

「最後のは何だよ、おい」

草妖精(ハーフリング)の結婚式ってどんな風にやるんですか」

「話聞けよ!」

 二人を乗せた馬車は峠を越えて隣国の坂道をゆっくりと下っていった。


   了





お読みいただき有り難うございました。

予想以上に長くなってしまいましたが、楽しんでいただけたなら幸いです。


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最後にもう一度、お読みいただき有り難うございました。

それでは、また。

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