気に入らないもの、または人生の歩み方
男は、東京近郊の中流家庭に生まれた。
『中流』という言葉に明確な定義がないように、親は人生に何の定義も持っていなかった。
男は、漠然と、人間とはそんなものだろうと思いながら育った。
ごく普通に地元の学校で教育を受け、勉強もスポーツも程々にやり、地味ながら恋愛も経験した。
大学は、自分の偏差値に見合った学校の中から、もっとも通いやすいところ、もっとも就職に有利な学部を選んだ。成績はもちろん、可もなく不可もなく。
就職は、第一志望と第二志望には落ちたが、第三志望の会社に滑り込めた。就職難の時代なのだから、これで上出来と自分では思った。両親も喜んでくれた。
会社では営業に配属された。ここでの成績も、いつも真ん中程度。つまり、上司から一番ハッパをかけられる人種の一部を成していた。
男は、忙しく働き、自分なりに営業力を磨くための努力をした。しかし、特に大きな成果はなかった。
新人から中堅へ近づいても、そろそろ出世が気になるところだが、特に焦りはしない。ビリでもないのだから、と思っている。
三十歳になる少し前に結婚。相手は、派遣で働いていた二歳年下の女性。
結婚式は実家近くのホテル、新婚旅行は四泊五日のグアム旅行。
新居は、通勤に便利な都内の賃貸マンション。
両親と離れて生活するのは、初めての経験だ。
翌年には長男が誕生し、子育ても日課となる。小遣いは減った。
三十歳になったが、会社では相変わらず鳴かず飛ばずである。というより、むしろじり貧。
後輩が先に主任に昇格したが、特に気にとめない。じたばた考えても無駄だし。
会社もしばらくは倒産しそうにないし、このまま居られるだけ居させてもらえば・・・
気に入らない!
ある日、男は気が付いた、自分の人生をまったく好きでないことを。
これは、自分が何かを望んで勝ち取った生活ではなく、ただ周囲の成り行きのままに行き着いた生活だ。まるで赤の他人の人生のようだ。
こんな人生は、まったく気に入らない。
自分の好きなとおりに人生を立て直してみたいと思った。
妻には内緒でプランを立て始めた。あらゆる情報を探した。本もたくさん読んだ。
そして出した結論は、自分の唯一の趣味である海釣りを仕事にすることである。
首都圏からそれほど離れていない、かといってそれほど大きくもない港町で、釣り客用の民宿を開きたいと思った。
失敗は許されないので、用意周到に計画を練った。資金面も細かく計算した。下見のために現地を何度も訪れた。
全てが整ったところで、妻と両親の説得を始めた。
これはかなり難航したが、最終的には同意を取り付けた。
両親をはじめ、数人から借金した。
会社を辞めて、引っ越しして、さあ第二の人生のスタートだ。
これまでの釣り仲間や同級生たち、会社の同僚、家族親戚など、あらゆるツテを使って集客を図った。色々な場所で営業した。
小さなつまずきはいくつもあったが、リピート客が少しずつ増え始めた。
男は、さらに営業に力を注いだ。一日の大部分を自動車と船の中で過ごし、睡眠もままならなかったが、サラリーマン時代とは全く違った充実感を味わっていた。
開業から三年、客はどんどん増えていった。
男一人と妻の手伝いでは捌ききれず、パートを雇い始めた。
母屋を拡張した。
開業から六年目、会社組織にした。男が社長、妻が副社長である。
銀行から融資を受けて、最新鋭の釣り船も購入した。
釣り宿は完全に軌道に乗った。何年にもわたって、ずっと黒字が続いた。
雑誌やテレビ番組とのタイアップなど、さらに広告宣伝に力を入れ、さらに客を増やした。
いつしか、細かった男の体には、びっしりと脂肪が付いた。海で焼けた顔には、いつも豆粒のような汗をかいていた。もじゃもじゃの髪には白髪が目立つようになった。
従業員を雇うようになってからは、口調も荒くなった。要領の悪い人間は怒鳴りつけ、人前で悪態をつくようになった。
手伝っている妻から、そのことで何度も注意を受けたが、男は開き直っていた。
仕事が忙しくて、そんなことまで気を回していられないよ、と。
この民宿が繁盛したおかげで、付近の釣り宿のいくつかが傾いた。男は、そういう宿を安くで買い叩いた。男のやり口を避難する人間も現れたが、まったく意に介しなかった。
開業から二十年、釣り関連の全事業は社員に任せることにした。
妻は、仕事場にはほとんど行かなくなり、友人と料理や手工芸を楽しむようになった。
男は、第二の事業として、寿司レストランを始めた。これも、経営に行き詰まった地元の経営者から事業譲渡してもらったものだ。
飲屋街では割烹風、繁華街では回転寿司、ロードサイドはファミリーレストラン風と、場所に応じて店造りを工夫した。
これもヒットした。
高級魚の仲買も手がけるようになった。どんどん事業は広がっていく。
男は、中年から初老の年齢へと移りつつあった。
いまや押しも押されもせぬ地元の名士である。
豪邸に住み、自動車を三台も持ち、自分でも数え切れないくらいたくさんの肩書きがある。
子供二人は首都圏の金満系大学を卒業した。
男の子は自分の会社に専務として入社させた。
女の子は、開業費用を餌に、地元出身の医者に押しつけた。
老境に入りつつあるが、事業欲はますます盛んになる。常に周囲に目を光らせ、少ない投資で最大限の効果が出る商売をハイエナのごとく探す。泥棒と言われようが、ヤクザとののしられようが、いっこうにかまわない。
ここまで来たのは自分の努力の結果である。口惜しかったらオレと同じだけ働いてみな、と言い返してやる。
この世は所詮競争だ。他人を蹴散らせば蹴散らすほど、自分が得をする仕組みになっている。
さあ、これからもどんどん金をもうけて、じゃぶじゃぶ使って・・・
気に入らない!
ある日、男は気が付いた、自分の性格をまったく好きでないことを。
自分勝手で、欲張りで、尊敬できるところは一つもない。これが自分の本性なのか。いや、違う。商売をしているうちに、きっと歪んでしまったのだ。
こんな性格は、まったく気に入らない。
男は、肝臓を悪くして一週間ほど入院した。年齢のせいなのか、少し弱気になった。
天井を眺めながら考えてみる。
あの世まで金を持っていけるわけでもないのに、なぜもっと金を欲しがるのか。
世の中、金はないが尊敬されている人は多い。こういう人は価値のある人間だ。
自分の場合はどうか。たぶんノーであろう。なにせ、自分がもうけることしかやってこなかったのだから。
退院後、息子を社長にし、自分は事業の第一線から身を引くことに決めた。
還暦を迎えたばかりなので、引退するには早すぎるという声が多かった。しかし、男の決心は固かった。
法話を聴きに、毎週寺に通うようになった。
今までは肩書きだけだったボランティア組織にも、頻繁に顔を出すようになった。
いろいろな市井の偉人の話を集めたり、宗教雑誌を定期購読したり。
そんな時、障害児の養護施設が資金難で潰れかけているという噂が耳に入った。
実際に行ってみると、そこの初代園長は他界しており、息子である二代目園長はまだ若く、この事業に全く情熱を持っていなかった。
男は、ポケットマネーで園の借金を返済し、事業を譲り受けて自分が園長になった。
一日の大半を園内で過ごすようになった。
一緒に生活すると情が通じる。かわいい孫が、いっきょに何十人も増えたような気がした。
子供たちと交流するうちに、今まで忘れてきた感情や感覚が戻ってきた。
なんとなく懐かしく、暖かく、幸せな気分になれた。
しかし、園の経営が厳しいことも事実だった。
この事業は続ければ続けるほど赤字が積もってくる。色々な人に寄付をお願いし、公的な支援も増やしてもらえるよう努力したが、その効果も微々たるものでしかない。
自分のポケットマネーも、やがては尽きるだろう。
男は考えた。
養護施設全体を、いま暮らしている自分の家に移転させたらどうだろう。屋敷は園として使えるように改築し、余った土地を畑にして園児たちや卒園生たちと一緒に地元の特産物を育てる。
これを出荷できるようになれば、経営はだいぶ安定してくるはずだ。
男は、その考えを妻に打ち明けた。
妻は腰を抜かした。家屋敷を全部抵当に入れることを前提とした計画なのだから、びっくりするのも無理はない。
重ねて説得すると、今度は怒り出した。
結局、妻は長男と同居することになり、男は自分の計画を進めた。
新しい施設が完成すると、男は園児たちと起居を共にするようになった。
残りの人生は、この施設の中で過ごすつもりであった。
世間の見る目も変わってきた。
最初は『園長』とか『理事長』と呼ばれていたが、そのうち『先生』と呼ばれるようになった。
園児に自立支援のために奔走する姿は、ローカル局のドキュメンタリー番組にもなった。
誰もが、男のことを人格者として褒めた。
「気に入らないなあ」
男は時々つぶやく。
何かが気に入らない、どうしても。
自分の中に、気に入らない部分が残っているのだ。
それが何であるか、男にはわからない。
しかし、確かに存在する。気に入らないものが。
それは、どうやっても、こうやっても、必ず自分の中に残っている。
気に入らない!
園児たちと暮らし初めて二十年近い歳月が経った。
細々ながら、なんとか施設は維持できていた。
男の足腰は弱り、前屈みになった。
歩くのも話すのも、ゆっくりになった。
たくさんあった脂肪はそぎ落とされ、しぼんだ風船のように小さい体になった。
妻や子供たちが心配し、そろそろ引退するように何度も勧めたが、男は拒絶した。
「ここが、いいんだ。オレはここで死ぬ」
男は、極端に涙もろくなった。
園児たちが陽光の下で遊んでいる姿を見ただけでも、涙ぐむようになった。
ましてや、事情で施設を離れなければならない子供があると、その嘆きは一通りではなかった。
「達者でな」と男は言う。そして、「オレのことを忘れんでくれよ。必ず、覚えていてくれよ」と言いながら、ハンカチで涙をぬぐい、見送るのである。
ひとしきり泣いた後、放心したように園内の風景を眺め、「気に入らないなあ」とつぶやくのだった。
ある日、男は、園児と遊んでいる最中に昏倒し、意識を失った。
緊急入院した。
ベッドの上で、わずかに意識は戻ったが、目はほとんど見えず、口も利けない。唇や指先がわずかに動かせる程度である。
駆けつけた家族の声が、海鳴りのように遠くに聞こえる。
胸が次第に苦しくなってくる。
男は、このまま死んでいくのだと直観した。
でも、それは仕方ない。寿命なのだから。
男の肩から、腕から、足から、力が抜け始めた。
同時に、実生活の雑多なものも抜け落ちていった。
心が軽くなった。
身体が透明になり、風が通り抜けていくような感じだ。
その時、ある考えが閃いた。
そして、気に入らないものの正体がわかった。
それは、気に入る、気に入らないという感情そのものだ。
こんな好悪の感情が余分なのだ。
これが欲を作り、怒りを作り、悲嘆を作る。
これを乗り越えれば、人生は完成する。
そう思いついた瞬間、男は、わずか一呼吸で完全な安らぎの境地へ入った。
自分の人生の全て、それを動かしていた理法、世界全体の究極の真理が、明確に男の脳にはっきりと映じた。
男は、ふーっと大きな息をした。その口には笑みがこぼれていた。
そして、次の瞬間、男は事切れた。