第5話 血
翌日の早朝。
愛想のないメイドから朝食のパンが入った包みを手渡された。
ここで食べずに外で食べろ、さっさと出て行け、という意味らしい。
まだ静かな城内を早々に追われることになった。
冷たい眼差しの衛兵の前を横切って城門をくぐろうとすると――
「おい、そこのおまえ、待て」
と呼び止められる。
その衛兵はつかつかと俺の方に近づいたかと思うと、突然、短剣を俺の胸元に突き付けた――
ただし、鞘がついたまま。
それも刃でなく柄の方を俺に向けて。
「えっ、あ、あの、何のまねですか?」
唐突な出来事に理解が追いつかなった。
衛兵が不敵に笑う。
「この短剣おまえにやるよ」
「ど、どういうことですか?」
「オレのこと覚えてないか?」
どこかで見たことがある気がするけど……
「あっ、あなたは……」
その衛兵は、昨日のスキル解明実験に協力してくれた、剣撃スキル持ちの冴えないアラサーおやじだった。
「持ってけ。何かと役に立つだろう」
「で、でも……」
「オレの私物だし、予備もあるから気にするな」
「いいんですか?」
訳がわからなかった。
でも、これから旅に出ようと思っているので、ナイフは必要だ。
ありがたく頂戴することにした。
「なんで俺なんかに親切にしてくれるんですか?」
「おまえ、偉ぶっているあの連中のこと嫌いだろう?」
「ええ、まあ……」
アラサーおやじが「オレもそうだ」といってにやりと笑った。
この兵隊さん、なんでも、貧しい農民の出で、口減らしのために家から追い出されたんだそうだ。
詰所に集まってくるいろいろな噂話を聞いたともいっている。
どうやら、おれの境遇に同情を寄せてくれているらしかった。
「それとな、オレはおまえのスキル、すごいと思ったぞ」
「ほ、ほんとうですか?」
「ああ、実際にこの身で受けてそう思った。おまえは存外大物になるぞ」
たとえ嘘でも、この気のいいアラサーおやじの言葉が嬉しかった。
「あ、ありがとうございます。また、どこか会いそうな気がしますね……」
「さあ、どうかな。もうすぐ戦が始まる。樹海王国の戦士は勇敢だ。オレは下っ端だし、剣撃スキル持ちだからな。突撃する部隊に配置されたら……」
語尾が消え入る。諦めかけているような力の無さ。
なんて言葉をかけていいのか分からなかった。
最後、アラサーおやじは、「さあ、さっさと行け」といいながら俺の背中を押した。
★*★*★*★*★
城門をくぐった先は大きな広場。
俺はその隅のほうに腰かけ、元の世界から唯一持ち込めた通学に使っている肩掛けカバンを開いた。
まず、城のメイドから受け取った帝室の紋章が入った皮袋を取り出す。
封を切って中身を確認すると、鈍く光る貨幣が入っていた。
五枚だけ……しょぼい……
金色ではない、銀色だ……せこい……
あの髭オヤジふざけてる。慰謝料の意味がまるで分かってない。
銀貨五枚でどのくらいの価値があるのかよく分からないけど、数日で尽きそうな気がする。
旅に出るにしても、まずは、資金調達が必要かな……
かばんの中身は、アルマイトの弁当箱、コーヒーのボトル缶、お菓子少々、ハンカチ、タオル、ノートに筆記用具……それから、数学と物理のテキスト。
ボトル缶は水筒代わりに使えるし、ハンカチとタオルも旅には必要だ。
ノートとペンも考え事に使いたい。
現代日本のテキストは……この国に渡したくない。この国の連中には読めないだろうけど、万が一にも軍事に利用されたら嫌だ。
あー、売ってもいいような物はあまりないか……
財布には硬貨が少しあるけど、これ売れるかな?
あとは……
腕に嵌めた時計が目に映る。
これを手放すのは……ちょっとためらわれた。
俺の父さんが使っていたものだ。唯一手元に残った形見ともいえるもの。
よく一緒に遊んでくれた父さんの姿が浮かんだ。
ええい、悩んでいても仕方がない。
まずは腹ごしらえ。
固いパンをガシガシとかじっていたら、可愛らしい声が聞こえた。
「おにいちゃん、こんなところでなにしてるの? 変わった格好ね」
そばに立っていたのは、まだあどけなさを残した少女だった。
猫科っぽい獣耳が楽しそうに揺れている。
この世界に来て初めて見る……獣人だ。
「えっ、うん、ちょっと朝ご飯を食べているところ」
「ふうーん、ひとりぼっちなの? ご飯はみんなで食べた方が美味しいよー」
少女の無邪気な一言は、昨日投げつけられたどんな言葉よりも鋭く刺さった。
精神が深く抉られた気がする。
「ははは、そりゃそうだね……じゃあ、一緒に食べよう。これあげる」
かばんから、個包装されたチョコレートを一つ取り出し、勧めてみる。
女の子は嬉しそうに受け取ると「あまーい」「おいしい」といいながら耳をピコピコさせた。天使のような笑顔だ。あー癒される……
「ね、ところで、この辺りに冒険者が使う道具なんかを売っているお店ないかな?」
「あるよー。えーとね、この通りをいった先にあるよ。三日月の看板が目印だからね。エマのお父さんもね、いろんなものをそのお店に納めているの。それからね、向こうの通りを行くと……」
ふむふむ、なるほどといろいろ聞いていたら、遠くの方から、この子を大きくしたような大人の女性があわてて駆け込んできた。
「た、たいへん申し訳ありません、旦那様。ちょっと目を離したすきに、はぐれてしまい、ご迷惑をおけしました。どうかお許しを……」
この女の子の母親らしい。
俺をみてひどく怯えている。
「あっ、いえ、ちょっと道を尋ねていただけです。遠いところから来たものですから、不慣れでして……賢いお嬢さんから街のことをいろいろ教えていただき、たいへん助かりました。ありがとうございます」
母親は「そ、そうですか」と少し安堵した様子になり、「では、失礼いたします」と言い、娘の手を引いてそそくさと広場を離れていった。
「だめじゃない、エマ、只人に関わったらいけないとあれほど言ってるでしょ」
「えー、だいじょうぶだよ、あのおにいちゃん、優しそうだったし……美味しいものもくれたよ」
「だめなものはダメ!」
そんな会話が去り際に聞こえた。
獣人か……やっぱりいろいろ大変な目にあっているみたいだ。
どうかあの子たちが理不尽な目に合いませんように……。
陰ながらそう願わずにいられなかった。
★*★*★*★*★
だんだんと街を歩く人も多くなってきた。
只人が圧倒的に多いけど、亜人と呼ばれる人たちも少なからず見かける。
「あった! あそこだ」
お目当ての店――さっき別れた猫耳の女の子が言っていた三日月の看板――を見つけた。
さっそく、中に入ってみる。
「ごめんください」
奥から、ずんぐりとした親父さんが出てきた。
いわゆるドワーフとかいう種族だろう。
「なんじゃ、おまえさん」
「あ、あの、エマという女の子からこの店のことを聞いてこちらに参りました。野営に使うような道具を探しているのですが……」
「エマ? ああ、ヤツの娘っ子か」
ドワーフの店主は、通りの向こうの店をちらと見遣った。
あの女の子の父親は近くにいるらしい。
「そ、それで、あまりお金がないのですが……」
「まあ、とりあえず、ほしいものを言ってみろ」
この店は、武器のほか、防具や被服、道具類なども幅広く扱っていた。
店主に希望を伝え、めぼしいものを見繕ってもらった。
頑丈な帆布の上着、鋳鉄でできた厚手のミニフライパン、五徳のようなもの、カップ、ランタン、紐、布切れ、ちょっとした補修道具、保存食などが目の前に並んだ。
案の定、銀貨5枚ではとても足りない。
でも、店主は俺の弁当箱が気に入ったらしく、高く買い取ってくれた。
薄く均一な金属板の仕上がりにしきりに感心し、「ほう」とか言って独り唸っている。ドワーフの職人魂に火がついたみたいだ。
財布から取り出した日本の硬貨も珍しいと言って引き取ってくれた。
「ところでおまえさん、これからどこへ行くつもりだ?」
「親父さんの前でこんなこというのは気が引けますが、俺はこの国が嫌いです――」
「そうか、別に気遣いなどいらんわい。ワシもこの国が嫌いだ。ガハハ」
店主が豪快に笑う。
店主は、腕の立つ職人なので、それなりの扱いを受けているようだけど、やはり只人に対しては含むところがあるみたいだ。
「そ、それで、あてはありませんが、とりあえず、帝都を離れたいです。誰もいないところで訓練をしてみようかと……。恥ずかしながら、まだスキルがうまく使いこなせないんですよ」
「そうか。この辺りの草原一帯には大した危険はないがの……森林地帯に入ったら魔獣が出るぞ。危険は一気に跳ね上がるからな。十分気を付けることだな」
しばらく店主と雑談をしていたのだけど、なんだか、急におもての方が騒がしくなった。
怒声が響き、「キャー」という悲鳴が響く。
みれば、ガラの悪い冒険者風の男二人が通行人に難癖をつけていた。
「亜人風情が道の真ん中を歩くんじゃねえ」
「只人様がお通りだ。迷惑かけんなよ」
「ど、どうかお許しを……」
通行人は……猫耳の獣人。
あの二人だ。
ついさっき広場で出会った母娘だ。
そう思った瞬間、母親がドンと突き飛ばされた。
道端に倒れ込む母親。それを庇う娘。
「お母さんにひどいことしないで!」
娘エマが暴漢の前に立ちふさがり、精一杯の声をあげる。
けれど、対抗できるはずがない。
通りの向こう側の店から猫耳の男――おそらくエマの父親――が矢のように飛び出してきた。母娘をかばって暴漢の前に割り入る。
しかし、暴漢は新たな獲物を見つけたとばかりに舌祇めずりした。
父親が妻と娘をかばいながら懇願する。
「家族がご無礼いたしました。どうかお怒りを鎮めて下さい」
「やだね」
「どうかご慈悲を……」
だめだ。暴漢は聞く耳を持たない。
理屈などないのだ。ただ、抵抗できない人で憂さ払ししたいだけ。
「あっ!」
猫耳男が殴られた。一発、二発と……。
周りの通行人は知らん顔。被害者が獣人なので誰も止めに入らない。
いいようのない理不尽さ。怒りが込み上げてきた。
気が付けば、俺の体は勝手に動いていた――買ったばかりのフライパンを携えて。
まずは、俺の生来のスキル「存在感なし」の実力を見せてやろうじゃないか。
暴漢の一方にそっと近づく。感づかれることなく、真後ろに着くことに成功。
手にしたフライパンを上段に構えた。
この至近距離で外すことはまずないけど、念のため、後天的に獲得したスキル『射撃管制』を起動。そのまま、エイッと振り下した。
フライパンは綺麗な軌道を描いて暴漢その一の脳天を直撃。
「ゴン」とひどく鈍い音がして、暴漢その一が昏倒した。
暴漢その二がようやく俺の存在に気が付く。
「あー、なんだ、おめぇ」
その男は、俺より頭二つ分大きかった。
泡を吹いている仲間を見て、怒り心頭だ。
やばっ、始末する順番間違えた。
こっちの方を先に倒せばよかった。
ほとんどノープランで挑んだ自分の浅はかさに泣きそうになる。
でも、心配そうに見守る猫耳家族の手前、いまさら引くことなんてできない。
「俺が相手になってやる。かかってこいよ、木偶の坊」
精一杯虚勢をはって、暴漢その二を挑発した。
「ほう、小僧、口だけは一丁前だな」
暴漢その二はそう言うと、不用意にも俺の胸倉を右手で掴み、前後にはげしく揺らした。
これが俺にとって幸いした。
このままがいいので、わざとらしくならないように演技する。
「く、苦しい。離せ!」
「残念だったな、小僧、おめぇじゃ振りほどけねよ。冥土の土産にオレのスキルを教えてやる。『拳撃』だ」
「や、め、ろ」
「やだね。小僧には片腕で十分、このまま殴り殺してやる」
ヤツは俺の誘導に引っかかった。
暴漢は俺の体に触れている。つまりこれがどういうことなのか、ヤツは知らない。
暴漢が左手で鋭い拳を繰り出す。
さすがスキル持ち。恐ろしいほどの拳圧だ。
が、俺は間一髪で避ける。
何度繰り出されてもその度に避ける。
いや、正確には俺が避けているのではない。
ヤツの拳撃はギリギリのところで俺の体から逸れる軌道を描いているのだ。
スキルはすでに起動済み。だから、俺に触れているこの男の拳は完全に俺の制御下にある。
射撃管制スキルは、目標に当てないこともできるのだ。
そして、当然、当てることもできる。
俺は上着に忍ばせておいた短剣を抜き、その柄を自分の肩に押し当てて固定した。いま、ヤツの左拳と俺が右手で握っている短剣は両方とも俺のスキルの制御下にある。
なんともしがたい体格差があるので、暴漢その二は俺のことを舐め切っている。短剣を見てもまったく怯む様子がない。
「なんだ妙な構えをして。おめぇの得物なんぞオレに当たるわけないだろ」
ちょっとちがうよ……。
アンタの拳がこの切っ先に命中するんだ。
拳撃が放たれようとする瞬間、射管スキルが働いた。
ヤツの左拳の軌道と短剣の指向方向とが補正され、両者が一直線上に並ぶ。
ヤツの拳が圧倒的な威力で迫る。
だが――
「ブスッ! ぎゃあぁぁー、痛てぇぇええええ」
そりゃそうだろう。
ヤツが体重を乗せて真っすぐ打ち込んだ左拳の先には鋭い短剣の切っ先があった。
これが楔となってヤツの拳を大きく裂いたのだ。
わー、骨まで見えちゃってるよ。
あまりの痛々しさに少なからず良心の呵責を覚えた。
暴漢その二が痛みで我を忘れて転げまわる。
最後は俺が手を下すまでもなかった。
猫耳の男が、道に落ちていた俺のフライパンを手にし……そして、さくっとヤツを仕留めてしまった。
脳天に打撃をくらったヤツは泡を吹いて気絶している。
いつのまにかそばに来ていたドワーフの店主がいう。
「おまえさん、無茶しよるのう」
「ま、まずかったですかね?」
「まあな、困ったことをしてくれたものだな。いや、だが、礼をいう。ありがとう。同胞を助けてくれて」
猫耳母娘からも感謝された。
特に娘エマがおおげさに喜んでいる。
「おにいちゃんのフライパンすごいねー。エマもマネするー。エイ、ヤッ!」
「ハハ……これは料理に使うものだから、マネしないでね……」
なんだかんだで騒ぎが大きくなってしまった。
野次馬が集まり始めている。
ドワーフの店主が心配そうな顔をして俺を見た。
「おまえさん、衛兵が来る前にここを離れたほうがいい」
「でも……みなさんはだいじょうぶですか?」
「あぁ、ワシはこう見えて顔が広い。あとのことは任せろ」
「は、はい。すみません」
「それから、あてがないといっていたな。なら、樹海王国に向かってみたらどうじゃ」
「樹海王国?」
樹海王国というのは、ここから東へ歩いて一週間のところにある亜人の住む国らしい。
「そこにワシの兄弟が鍛冶屋を構えている。三日月の看板が目印だ。訪ねてみるといい。力になってくれるはずじゃ」
「は、はい、そうしてみようかと思います」
「そういうことなら、森林地帯を抜けないといけないが……ちいと装備が心もとないの……」
店主はそういうと、暴漢その一が持っていた雑嚢を奪い取って、俺に寄越した。
「コツらはいちおうベテランの冒険者だ。何か役に立つものも入っているだろう」
追いはぎみたいでドン引きしたけど、背に腹はかえられない。
中身はあとで確かめるとして、鹵獲した雑嚢は腰にくくりつけることにした。
「旦那! 待ってくれー」
エマの父親に呼び止められた。
「これ使ってくれ。オレが作った半長靴だ。旦那の足に合いそうなのを急いで選んできた」
ドワーフの店にもよさそうな靴はあったけど、高すぎて手が届かなかった。
これから山野を渡るのにぜひほしい。ありがたく貰うことにした。履いてみるとちょうどいい。
「ありがとうございます。たすかります。じゃあ、代わりにこれを……」
余分な荷物になるので、俺は自分の履いていた革靴を猫耳の父に手渡した。
もたもたしている暇はない。
荷物をまとめ、旅装を整え直す。
「お世話になりました。では」
俺は、一礼して、足早にその場を去った。
詰所みたいのがあったけど、しれっと突っ切る。
それから、草原を走って、走って、東に向かった。
ここまでくれば、もうだれも追ってこない。
息をはずませたまま草原に寝ころぶ。
呼吸も落ち着き、やっと人心地がついた……そう思ったとき――
ドーンという衝撃が伝わってきた。
城の方角だ。何が起きた?
あわてて目を凝らしてみると、空中で炎と煙が散っていた。
「あれは、織田真莉菜の――」
たぶん『極火炎魔法』だ。
この距離からはっきり見えるんだから、けっこうな大きさの火の玉を打ち上げたんだ。
訓練初日でもうあんな威力を出せるのか……。
バカ女の高笑いが聞こえてきたような気がした。
でもね、俺は負けるつもりなんてないよ。
必ず対抗手段を見つけてやる。
そう誓って、空を見上げたら、なぜか酔っぱらった父さんの姿が目に浮かんだ。
何度も聞かされた自慢話を思い出す。
おれたち一族はな、あの雑賀衆の末裔なんだぞ。
信長を苦しめた戦国最強の鉄砲集団だ。
ご先祖様はなぁ、とってもすごい人たちだったんだぞ
おい、直矢、ちゃんと聞いてるか?……
「フフッ」
しょうもない話だと思っていたけど、いまは血筋の力を信じたい。
鉄砲打ちの天才たちの才能が受け継がれていると信じたい。
やってやる。
遮る物は、全部、真っ直ぐ射ち抜いてやる。
おまえたちの好きにはさせない。絶対にだ――
<第一章 ~召喚~ 終わり>