第22話 人喰い沼
数時間後。
突然、視界が開け、樹海の中にそこだけぽっかりと切り取られたような広々とした空間が現れた。
「ナオヤさん、あれが外縁の村です」
アリッサが指差す先には、こんな辺境の地には似つかわしくないほどの大きな村落があった。
木造の建築物が並び、多くの亜人と馬が行き交っている。
急に森が開けたので少しびっくりしている俺にシャンテルが説明を付け加えた。
「ここはな、交易の中継になっている場所。森の街道のいくつかがこの地で交わるのだ」
「へぇ、よくこんな場所を作れたな。人の手で切り開くのは大変だったんじゃ……」
「いや、お年寄りの話では昔々に大火事があったそうだ。その焼け跡に作られたのがこの村というわけだ」
「なるほどねぇ……」
そういえば、シャンテルのことだけど、少しばかり、俺への接し方が丁寧になった気がする。どういう心境の変化があったのか分からないけど……。
和平使節団が村の入り口に差し掛かると、村人があわただしく動き始めた。
アリッサは村の責任者にいろいろ指示を出し、シャンテルは村の駐留部隊と何やら打ち合わせを始めた。
馬車で搬送していた護衛隊の負傷者もここで降ろされ、手当てを受けることになった。
道中、アリッサ姫の侍女たちが懸命に看護を続けていたので、危険な状態はすでに乗り越えている。
回復を願うばかりだ。
時間が惜しいということなので、一行は、休息もそこそこにすぐさま樹海王国の王都へ向かうことになった。
「ナオヤさん、王都はこの先、樹海の最深部にあります。ここからは道が狭くなりますので、徒歩での移動です。だいたい歩いて一時間といったところですね」
アリッサはさっき習ったばかりの単位を使って所要時間を教えてくれた。
日没まではまだ二、三時間。
たぶん、今日中にたどり着くことができる。
使節団が大急ぎで出発準備を整えている。
ふと、村の外れの方を見遣ると、魔獣除けの防塁の向こうに草地と水源みたいのがあるのに気が付いた。何やら立て札もある。
「アリッサ、あれは何? 向こうに何かあるの?」
「あの草地の向こうに人喰い沼が拡がっているのですよ。人が立ち入らないように注意書きがしてあるのです」
「人喰い沼?」
なにそれこわい……
「危険な水棲の魔獣でも?」
「いや、それはちがうぞ、ナオヤ。あの沼の水深は浅い。たぶん大きな生き物は住んでいない。ただ、どういうわけか、ときどき沼の周囲で息絶えた動物が見つかるのだ。ここ十年くらいに限っても何人かあの沼のほとりで亡くなっている」
それで、人喰い沼というわけか……
でも、なんだろう。何か気になる。
毒物でも漂っているのかな?
「ねえ、ちょっと行ってみようよ」
「お、お前、いまの話聞いていなかったのか? そばに行くと危険だといったばかりだろ!」
「そうですよ、ナオヤさん。シャンテルのいうとおりです。ナオヤさんに何かあったらどうするのですか? やめて下さい」
シャンテルにも、アリッサにも反対されてしまった。
「で、でも、原因が分からないことには気持ち悪いじゃないか……。外縁の村の安全にもかかわることだし……。ちょっとだけだから、調べてみようよ」
アリッサが心配するので、とりあえず、上空からクロに偵察してもらうことにした。
クロが沼の全体像を捉える。
アリッサとも視界を共有した。
「はじめて全体を見ました。こんなに大きかったんですね」
アリッサが感心する。ほんとうに広い。
サッカーグラウンド五枚分くらいありそうだ。
<クロ、もう少し高度を下げて>
念のため、できるだけ風上に占位するようにしてもらいながら、人喰い沼の水面の様子を観察した。
ところどころに泡が沸き立っている。
クロの聴覚を介してゴボゴボと音を立てていることも分かった。
これ、毒なんだろうか?
いや、でも、周りの草木は青々としているし、昆虫も飛んでいる。
それに、小動物が水辺に寄って水を飲んでいるのも確認できた。
このガス、もしかして……
「アリッサ、水面から何か湧き出している。そばで確かめてみようよ」
「で、でも……」
「たぶん、大丈夫。少しくらい触れたとしても直ちに危険というわけではなさそうだよ。そんなに心配ならこうしよう――」
俺はロープを腰に巻いた。
そして、ロープの端をシャンテルに預けて、人喰い沼の畔に近づいた。
「もし倒れたら、急いで引っ張って」
「わ、わかった」
ロープの端を握るシャンテルが頷く。
ひときわ強く泡が湧出している場所を見つけたので、そのところまで進む。
とくに変な匂いとかはない。
俺は、かばんから取り出したビニール袋を泡の上にかぶせて、正体不明のガスを捕集した。
「これはあの泡を集めたものだよ」
目の前にパンパンに膨らんだビニール袋を掲げると、アリッサたちは不安げに肩を寄せ合った。
「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ……たぶん」
俺の予想が正しければ、これは毒物ではない。
アリッサ姫の侍女さんたちに頼んで松明に火を点してもらった。
そして、口を開いたビニール袋に火点をそっと近づけると――
「ボウッ!」
捕集したガスが勢いよく燃え、目の前が一瞬だけ炎で包まれた。
前髪がちょっとだけ焦げた。
「ナオヤさん!」「ナオヤ!」
「だ、だいじょうぶ、思ったより熱量が大きかったけど、怪我はないよ」
やっぱりだ!
これは天然ガス。
確かめようがないけど、メタンかそれに似た水溶性の可燃ガス。
人喰い沼の正体はガス田だ。
「みんな、安心して、これは天然ガス、燃える気体だよ。いくつか気をつけてさえいれば、決して害になるものではないから」
ようやく理解できた。
この沼の周りで動物が倒れるのは、たぶん酸欠のせいだ。
たまたま、運悪く、濃いガス溜まりに突っ込んでしまったためだ。
「でもナオヤさん。すいぶんと嬉しそうにしていますけど、その天然ガスとやら、いったいどうするのです?」
「うーん、そうだね……どうしようか……」
何とかして運び出せればいいのだけど……
この世界には密閉容器なんてもちろんない。
侍女さんたちが興味深そうにこちらを見ている。
彼女たちのスキルは……
そうだ! もしかしたら、できるかも……
「デラと侍女さんたち、ちょっと試したいことが……」
俺は、魔法使い組を引き連れて、ふたたび、ガスの湧出場所に向かった。
そして、湧出している天然ガスを風の魔法でまとめて圧縮してもらい、それを氷雪の魔法で一気に冷却。
天然ガスは高い圧力で冷やされ、液化した。
無色透明の液体が水玉のように目の前に浮かぶ。
もっと低温高圧にすれば、固化できるかもしれないけど、実験としてはとりあえず成功だ。
「デラと氷雪魔法使いさん、その水玉を氷で閉じ込めることはできる?」
「ナオヤ殿、やってみよう」「はい、だんな様。頑張ります!」
そして――
出来上がったのは、液化天然ガスの氷弾。
アリッサが一早く、俺の意図に気が付いてくれた。
「ナオヤさん、それを攻撃に使うのですね! わたしの妹、第二王女は強力な氷雪魔法使いです。妹にも手伝ってもらえれば、きっとその氷弾もたくさん作れると思います!」
そう、これを敵の火魔法使いたちにぶち当てることできれば――
うまくいけば、誘爆。
奴らを吹き飛ばすことができる。
これは樹海王国にとって一筋の希望の光。
なんとしても実用化につなげたい。
例のバカ女、織田真莉菜の高笑いが絶叫に変わる。
そんな場面が脳裏に浮かんだ。




