第21話 ダークエルフのデラ
帝国の追撃隊を壊滅させてから二日が経過。
使節団はひたすら森を東に進む。
道中、魔獣の襲撃を心配したけど、俺たちにとってそれらはもう大した脅威ではなかった。
クロのおかげで早期警戒が可能だし、捕虜のなかには弓射スキル持ちが三名いた。
これで護衛隊の遠距離攻撃力がだいぶ改善されているのだ。
実際、巨大な猪のようなエビルボアに遭遇したときも、シャンテルたちは集中的に攻撃を浴びせ、なんなく魔獣を沈黙させてしまった。
もうこの辺りは樹海の最深部に近い。
緑が一層濃くなる。
「ナオヤさん、樹海王国まではあと少しですよ」
アリッサはそう言うと嬉しそうに大きく息を吸い込んだ。
故郷の空気が恋しいらしい。
けど、こんな深い森の中にほんとうに王都なんてあるのかな……
「ねえ、アリッサたちの住む都ってどんなところ?」
「只人の都とはだいぶ違います。ナオヤさんには想像もつかないかもしれませんね、ふふ」
アリッサは、結局、どんなところか教えてくれなかった。
着いてからのお楽しみということらしい。
それよりも、ここ数日の間、俺が気にしていたのは別のこと。
元クラスメイト、織田真莉菜と磯野香織の強力なスキルへの対抗策が浮かばない。
何かヒントはないか?
そう思って、元の世界から持ち込んだ物理、数学のテキストをパラパラとめくる。
いろいろな騒動で、俺の私物が入っていた肩掛けかばんは一度手元から離れてしまったけど、クロが見つけ出して取り戻してくれたのだ。
それで、ただ馬に乗って運ばれている俺は、何もすることがないので、ここ数日のところ、ときどき、かばんの中からテキストを取り出しては、何か参考になりそうなことはないかと眺めていた。
そんななか、ふと視線を感じる。
隣の馬上からアリッサの熱い視線が注がれているに気づいた。
とても興味深そうに俺の手元を見つめている。
「ナオヤさん、ずいぶんと作りが丁寧で綺麗な本ですね。異世界の本ですか?」
「うん、学校で使っていたものだよ」
「ナオヤさんは学校に通っていたのですか?」
「う、うん」
こういった話題になると、アリッサの顔は好奇心に輝く。
「このところ、そちらの本を一生懸命読んでいるようですけど、何が書いてあるんですか?」
「いろいろだよ。これには俺のいた世界のざっと三千年分の学問の成果がつまってる」
アリッサの顔がパッと輝いたように見えた。
次々と質問が飛んでくる。
あまりにもグイグイ来るので俺の方はちょっと引き気味になってしまった。
「よ、よければ、一冊貸そうか?」
と物理のテキストを勧めてみた。
アリッサはさっと本を手に取ると、かぶりつくように異世界の文字に見入った。
このまえ、自嘲まじりに自分は本の虫だって言ってたくらいだから、こういうのが大好きなのかもしれない。
そんなとき、後ろの方から話しかけられた。
声の主はデラだった。
「ナ、ナオヤ殿……」
彼女、どうしてか冷や汗をかいている。
「えっ、なにか?」
なんだか知らないけど、ひどく狼狽えた様子だ。
「貴殿は、もしかして……き、貴族様なのか?」
いや、思いっきり平民だけど……
なんでそんなこと聞くのかな?
不思議に思ったけど、ああそうかと、なんとなく察しがついた。
たぶん、このダークエルフ、初対面のときの俺に対するあの冷酷非道な振舞いのことを気にしている。
貴族相手に暴行を加えたんだとしたら、とんでもない懲罰が課せられる。
きっとそう考えてビビっているのだ。
そもそも俺の家柄が良かったとしても、別の世界の身分なんてここでは意味がないはずだけどな。
デラはちょっと単純なところがある。
純粋に貴族と名のつくものを恐れているみたいだ。アリッサ姫も王侯貴族の一員なのだけど、気さくで心優しいこのお姫様だけは畏怖の対象外らしかった。
「デラ、俺はただの平民。そんなお偉い様じゃないから安心して……」
涙目だったデラがあからさまにホッとする。
だだ、デラは自分の露骨な態度に恥じ入ったのか、申し訳なさそうな表情を浮かべながら頭を下げた。
「ナオヤ殿、貴殿へ狼藉を働いたこと、本当にすまなかった。私も姫様を守ろうと必死だったのだ。許してほしい」
それ本当か?
あのとき俺のこと足蹴にしながらちょっと楽しそうにしてたぞ……
まあ、でも、アリッサを守ろうと職務に忠実なのは確かか……。
「もういいよ。気にしてないから……それより運命共同体の仲間なんだからこれからもよろしく」
「そ、そうか、そういってもらえるとありがたい……が、こちらの気がすまないな。どうだろう。少しくらいなら仕返ししてくれても構わないぞ」
は? なに、仕返しって?
「ただ、あんまり痛くしないでほしいんだ。私は痛めつけるのはちょっと好きなんだか、痛めつけられるのは、そ、その……そんなに得意ではなくて……」
ちょっと何を言ってるのか分からない……
デラは、道具がどうだとか……目隠しがこうだとか……妙なことを口走っている。
馬上で身もだえるダークエルフ。
あんまり関わりたくないので聞き流していると――
「副長、お前の趣味は尊重するがな。もうそのへんにしとけ。姫様の前だぞ」
「は、はい……」
シャンテルにたしなめられてしまった。
普段は凛々しく男前な感じのデラが急にしゅんと小さくなってしまった。
その様子がちょっとかわいらしい。
シャンテルがヤレヤレといった感じで息を吐いた。
「ところで、ナオヤ。その歳になってまで学んでいたのはなぜだ? 私からすると信じられないような話だ。お役所か軍にでも仕官したかったのか?」
「えっ、いや、別にそういうわけじゃない。できたら上の学校に進みたいなと思って勉強を続けていただけだよ」
「上の学校って……お前、いったいどれだけ学問を続ける気だ?」
小中高校の六、三、三で十二年間。大学に進学するとすれば、さらに四年間を学問に費やすことになる。そのことを言い添えると、シャンテルは驚愕の表情を浮かべ、口をパクパクさせた。
「ナ、ナオヤ、貴君はもしや賢者さまなのか?」
「ち、ちがうから!」
元の世界の俺の故郷の国では、大部分の人が少なくとも十二年以上の教育を受ける。
そのことを説明すると、シャンテルはさらに衝撃を受けて青白くなってしまった。
「む、無理だ。私には無理だ。ナオヤの世界に行ったら私は死んでしまう」
「お、落ち着け。シャンテル」
やりとりを聞いていたアリッサがクスクスと笑う。
「ふふ、困ったひとですね、シャンテルは」
アリッサの話によれば、シャンテルは勉学が大嫌いで、アリッサの手ほどきからも逃げ回っていたらしい。学問や学者の権威にもひどく弱いらしいことが分かった。
「賢者様……私の後ろに……」
シャンテルが背中を震わせながら、何か意味不明なことをブツブツ言っている。
シャンテルといい、デラといい、脳筋ぎみのこのエルフのコンビ、ちょっと面倒くさい。
それにもう一人困った人が――
「ナオヤさん、この文字はどう読むのですか? ここには何が書いてあるのですか? これってどういう意味ですか? ナオヤさん、ねえ、ナオヤさん……」
本にかじり付いたアリッサから矢継ぎ早にあれこれと質問が飛んでくる
俺は、理解している範囲で、本に書いてある様々な物理現象、法則を解説してあげた。
数字とアルファベットを教えたら、アリッサの理解はさらに早くなり、俺の方がタジタジになってしまった。
「ナオヤさん、ナオヤさん! ここは? ここは――」
「あ、あの、アリッサ、そんなにいっぺんにしなくても……少しずつ段階を踏んだ方がいいと思うよ……」
それに、前を向いてないと危ないと思う。
「ハッ、わたしったら……ご、ごめんなさい。夢中になりすぎてしまいました」
これほど意欲のある人は俺の周りでは珍しい。
せっかくなので、元の世界で使われている単位系のことなども教えてみた。
テキストの理解が深まるだろうし、戦術について相談するときも話が通じやすくなる。
財布から取り出した一円玉、筆入れに入っていた定規、腕時計を順にアリッサに手渡す。
アリッサが精巧な工業製品に見惚れる。
「このようなものが人の手で生み出せるのですね」
アリッサは、実物を手元に置きながら、俺の説明を熱心に聞き、グラム、メートル、秒の単位を理解してくれた。
それから、ついでとばかりに、俺は、自分の特技をみんなに披露してみる。
小さいころからそろばんで鍛えた暗算能力。
「ナ、ナオヤ……どうしてそんなことができる?」
ふふ、どうだ! みたか! これが珠算初段のちから!! わっはっは。
驚愕の表情のシャンテル。なぜだか泣き出しそうだ。
「それもスキルの力か?」
「いいや、違うよ。子供のころから練習してきた成果だよ」
まあ、これくらいできる人は日本には山ほどいる。
大した自慢にはならないのだけど……
それでもシャンテルには想像もできないような技能らしい。
「子供のころから? ずっと?」
「そう、いまも頭の中で練習しているよ。もしかしたら、射撃管制スキルにいい影響があるかもしれないと思ってさ」
「……」
沈黙するシャンテル。
一方、アリッサは大げさなほど感心する。
尊敬の眼差しで見つめられたのでちょっと気恥ずかしい。
「ナオヤさん、わたしにもできるでしょうか?」
「うん、練習を続ければ、いずれはできるになると思うよ」
頭の中でそろばんの珠をイメージしながら暗算をするエアそろばんというのがある。
アリッサに請われたので、俺はそのやり方を紹介した。
すると――
アリッサの暗算はあっというまに上達。
俺が何年もかけて磨いた力だけど、すぐに追いつかれそうなほどだ。
この娘、ほんとにどんな頭をしてるんだ?
正直なところ、あまりの才能の差に軽くへこんだ。
けれど、彼女は大切なパートナー。これが俺達のスキルの強化につながればいいなと思った。
そんな俺たちの様子を見ていたシャンテルは――
なぜか恐怖に震えている。
まるで人外の扱いだ。
しばらくの間、シャンテルの態度がよそよそしくなったのがちょっと悲しかった。