第16話 姫君の決意
戦闘が行われた幕営地から少し離れたところ、小さな泉のほとりにアリッサ王女はひとり佇んでいた。
この泉の周りだけ、ちょうど森が切り取られている。
円い夜空には月が浮かんでいた。
その明かりが彼女の銀髪をそっと照らす。
そういえば、彼女と偶然めぐり合ったのはほんの数時間前のことだ。
けど、ずいぶんと昔のことのような気がする。
初めて出逢ったときに見た彼女のあられもない姿が脳裏に焼き付いている。
その純真無垢な姿が無意識のうちに目の前の彼女に重なってしまい、目が回りそうになった。
「アリッサ、あ、あの……となりは空いてるかな?」
アリッサは、静かに頷いた。
俺が近づいているのに気づいていたようだ。
急に声を掛けられたのにとくに驚いた様子はなかった。
「ナオヤさん、ごめんなさい。ちゃんとお礼を言えていませんでした。ありがとう、ほんとうにありがとう。わたしたちが生き残れたのは全部ナオヤさんのおかげです」
「いや、アリッサやみんなの協力があったからだよ……」
「でも……私は団長失格です。王族の資格がありません……こんなにも大きな犠牲が……」
夜空を見上げる彼女の顔には涙の痕が残っていた。
「ねえ、アリッサ。きみが無事であったこと、亡くなった人たちもきっと喜んでいると思うんだ。シャンテルとも話したけど、ここで引き返そう。生き残ったみんなで王国に帰ろうよ」
が、彼女は、ぼんやりとした表情のまま首を横に振った。
「できません……」
「アリッサ! とても言いにくいけど、和平使節団はもう壊滅した。これ以上の交渉は無意味だと思う。王国に戻って再起を図ろう」
「……おっしゃることは分かります。でも……私だけでも帝国に行かせてください……。これは王族としての最後の務め」
俺はアリッサの肩をしっかと掴んだ。
「ばかなことを考えるな!」
思わず、厳しめの言葉が口から飛び出してしまった。。
「もうアリッサ一人でどうこうなる話じゃない。みんなが心配してるよ……戻ろう」
「……ですが、ですが……私はもうだれも失いたくないのです……戦端が開かれれば、わが国は蹂躙されます……民には悲しみと苦しみしか残りません……」
「そんなことはないよ。勝てばいいんだ。さっきの戦闘でもあっというまに魔獣をなぎ倒したじゃないか……」
アリッサの能力は開花した。とても強力で有用なスキルだ。
しかし、アリッサ自身はいまだ後ろ向きだ。
「相手は只人。勝てるとは思えません。魔獣とは異なります」
「勝てるよ! アリッサが力を貸してくれれば、必ず勝てる」
「…………」
どうも彼女は、長い間、役立たずと言われ続けてきたせいで、自己評価が低いみたいだ。
自信を失っている。どうしたらいい?
「アリッサ、よく聞いて。きみのスキル『測的』は未来予測ができるとても強力な能力。その力がどうしても俺には必要なんだ。きみが一緒にいてくれるなら、何が向かってきても俺は射ち抜いてみせる!」
「ほんとうですか……?」
「うん、本当。いまから証拠を見せるから」
弱気になっていたアリッサの瞳に少し力が戻ったのをみて、俺は少々危険な賭けにでた。
「クロー! これ受け取って!」
俺は、上空を旋回中だったクロに向かって、腰に吊った短剣を放った。
毎度のことながら、クロはいとも簡単にそれを受け取る。
続いて、俺は、連接スキルの能力を使って、離れたところにいるシャンテルに、ある頼みごとを伝えた。彼女は最初<ほんとうに大丈夫か!?>と躊躇ったけど、俺が<だいじょうぶ、シャンテルならできる。信頼してる>と伝えると、<そ、そうか、まかせろ>と言って引き受けてくれた。
「アリッサ、少し俺から離れて」
いまからクロに俺を攻撃させる予定。
クロの急降下は、たぶんこの世界の生き物が出すことができる最大の速さだ。
もちろん俺のスキルだけでは、クロが放つ短剣は捉えられない。
だから――
「きみがクロの攻撃を捕捉するんだ」
「だ、だめです。無理です。失敗したらナオヤさんが死んでしまいます。そんなこと止めて下さい」
「止めない。失敗しない。アリッサの能力なら必ずできる……じゃあやるよ」
「やめて! あっ……」
アリッサが止める間もなく、空高く舞い上がったクロが短剣を引っ提げて急降下を始めた。
あっという間の加速。
時速百キロ、百五十キロ、二百キロ……そして、四百キロを軽々と超えた……
俺のコントロールを受けながら、攻撃コースに乗ったクロが短剣を投下した。
鈍く光る刃が真っすぐこちらに突っ込んでくる。背筋がゾクゾクする。
アリッサは青ざめているけど、しっかりと標的を捕捉してくれている。
未来位置の交換は問題ない。
<シャンテル、頼んだ!>
<了解!>
シャンテルの方も俺のコントロールのもと、三本の矢を放った。
風魔法の加勢を受けたそれぞれの矢は、異なる高さの放物線を描きながら、標的に向かう。
そして、三本の矢弾は、アリッサが予測した迎撃ポイントで一点に重なり、飛来する高速標的に同時に当たった。
「キィン!!!」
高い金属音が響く。
矢玉で叩き落された短剣は、グサリと手前の柔らかい土に突き刺さった。
あっぶねー。ギリギリ。
シャンテルの射撃が曲射だったので、思ったより迎撃が遅れてしまった。
内心かなり焦ったけど、俺はそんなそぶりは一切見せないようにカッコつけた。
「ほらね、ちゃんとできたでしょ」
「ほ、ほんとうに……できた」
アリッサは、ホッとしたのか疲れたようにその場にへたり込んでしまう。
俺は膝をついて、できるだけ優しく問いかける。
「いまので分かってくれた? 俺はみんなの目を借りて、みんなの射撃を自由自在に集めることができる。それには……攻撃力を最大に発揮するには……アリッサの能力がどうしても不可欠なんだ。だから、俺と一緒に、みんなとともに戦ってほしい……」
アリッサは分かってくれるだろうか。
俺のスキルは、自分から見えていない標的であっても、だれか他の人が捉えていれば、射撃が可能なのだ。アリッサが協力してくれるなら、高速移動目標も叩ける。
俺とアリッサとクロと射手のみんなで連携すれば、強大な敵にも立ち向かえるはず。
現代風にいえば、共同交戦能力を獲得したのに等しいからだ。
アリッサが面を上げ、潤んだ瞳を俺に向けた。
「ナオヤさん、わたしは役に立つことができるのですか? ほんとうに王国の民を守ることができるのですか?」
「うん、できる」
「じゃあ、わたしは……わたしは役たたずではないのですね?」
「ああ、役立たずなんかじゃない」
俺がはっきりそう答えると、アリッサの目に涙が滲んだ。
「うぐっ、わたしは……ほんとうはイヤでした。ずっと心を偽っていました。わたしは……帝国なんかに行きたくありません……」
アリッサの肩が小さく震える。
「ナオヤさん……ナオヤさんは助けてくれますか? 王国の味方をしてくれますか?」
「約束する。王国を守る。アリッサを傷つけようとするものは全部退ける。どんなものでも真っすぐ射貫いてやる。だから……」
アリッサは大きく頷くと、俺にしがみついた。
そして、堪えきれなくなったのか、声をあげて泣き始めた。
その瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
木立の向こう側に、いつのまにかシャンテルが来ていて、心配そうにこちらを見ていた。
手を振って大丈夫だということを伝える。
シャンテルは、心許なげな面持ちだったけど、あとは俺に任せるといった感じで元来た道を戻っていった。
アリッサは国を背負う重圧から解放されてほっとしたのだろう。
泣き疲れたあとは、こちらに体を預けて眠ってしまった。
うっすらと朱を帯びた口元からスースーと軽い寝息が漏れている。
ほんの少しあどけなさを残した可愛いらしくもあるアリッサの顔を眺めていると、なんだか、幸せな気持ちになった。そうして、俺もいつのまにか意識を手放していた。
★*★*★*★*★
一時間くらい経ったのかもしれない。
まどろみの中で、俺をじっと見つめる瞳があるのを感じて、急に目が覚めた。
アリッサが上から俺を覗き込んでいた。
いつのまにか膝枕状態になっていて、アリッサがこちらを見て笑っていた。
あわてて起き上がる。
「ご、ごめん、俺も眠ってしまったみたいだね」
「あれだけ活躍したんですもの、無理もないですよ」
アリッサの雰囲気がついさっきまでとは少し違うような気がする。
見る者にどこか冷たい印象を与えていた顔立ちがいまはずいぶんと和らいで見えた。
「ナオヤさん、寝てるときは子供みたいなんですね、ふふ」
「そ、そうかな……あの、みんなが心配していると思うから、そろそろ戻ろうか」
「イヤです。もう少しここに……」
「えっ」
「冗談です」
王女もふざけたりするのかとちょっとびっくりした。
アリッサが俺を見てクスッと笑う。
「ど、どうしたの? 俺の顔にごみでもついてる?」
「違いますよ。べつになんでもありません」
「ちょっと気になるんだけど……」
「いえ、少し思い出しまして」
アリッサがいたずらっぽく笑う。
「ナオヤさん、さっき言ったこと覚えてますか?」
「ん?」
「『どんなものでも真っすぐ射抜いてやる』と……」
「そういえば、そんなことを……」
言った気がする
アリッサは恥ずかしいのかちょっと俯いた。
「その件なんですけどね……わたしの心はとうにあなたに射抜かれましたよ……」
アリッサはそういうと、赤くなり、一瞬目をそらした。
でも、すぐに俺の正面に向き直ると、ゆっくりと体をこちらに寄せてきた。
俺の顔は、あっという間にアリッサが伸ばした両手に捕まってしまう。
すぐそこに大きな瞳。
吸い込まれそうなほど深い瑠璃色。
心音がはね上がった。
そして……アリッサはまようことなく顔をさし寄せると、目をつむりながら可憐な唇をそっと押し当ててきた。
突然のできごとに夢の続きでも見ているのかと思ったけれど、唇に感じる温かい感触が夢ではないと教えてくれた。
<第二章 ~銀狼の姫~ 終わり>




