第15話 老兵の願い
魔獣との戦いに勝利した。
王女と侍女たちは喜びと安堵の涙を流している。
シャンテルたちは、とにかく王女が無事だったことに胸を撫で下ろしているようだ。
ただ、こちらの犠牲は大きかった。
あらためて戦闘空間を見渡せば、倒れた仲間が多数、無残な姿をさらしていた。
結局、使節団で生き残ったのは、王女とその侍女たちだけ。文官は全滅。
護衛隊で健在なのはシャンテル以下、八名だけ。重症者が十名以上。
事実上、樹海王国の和平使節団は壊滅した。
これからどうなるんだろうかと考えを巡らせていると、負傷者の救護に当たっていたシャンテルが慌てて俺の方へ駆けつけてきた。
「ナオヤ! いますぐこっちに来てくれ! 隊長がお前のこと呼んでいる」
戦線を離脱していた護衛隊長が俺と話をしたいらしい。
俺は瀕死の隊長のもとへと急いだ。
そこには銀狼族の壮年の男が横たわっていた。
ダイアウルフとの戦闘で酷い傷を負っている。
意識があるのが不思議なくらいだ。
「副長、すまぬが支えてくれ」
そう言った男をシャンテルが抱え起こす。
この巨躯の男が護衛隊の隊長らしい。
「貴殿が異世界人のナオヤ殿か……このたびの戦い見事だった。姫様を救っていただいたこと、誠にありがとう。感謝に堪えない……ぐ、ぐふぉっ……」
「た、隊長、無理をならさらずに……」
「もういいのだ。この傷では助からぬ……副長シャンテル・カリオン、ただいまより、お前を護衛隊長に任ずる。姫様を本国まで安全にお連れしろ……頼んだぞ……」
シャンテルが静かに頷く。
そして、老兵はアリッサ姫に微笑みかけた。
「姫様、あなたにお仕え出来てこの私は幸せでした……どうか御武運を……」
アリッサ王女は大粒の涙を浮かべながら、老兵の手を強く握った。
部外者の俺には想像もつかないほどの強い絆が同族の二人の間にはあるのだろう。
たぶん、この老兵は、アリッサが幼少のころからずっと仕えていたのだ。
そして、壮年の男は死の覚悟を抱き、俺を呼ぶ。
「ナオヤ殿、聞いて下され……どうか、どうか、貴殿のそのお力で……姫様を、この国を、お守りください……この老いぼれからの最期の願い……おたのみもうします……」
歴戦の戦士の死に際の言葉は、姫様と祖国の安全を願うものだった。その真っすぐな思いの深さに心が揺さぶられる。
気が付けば、俺は迷うことなく、老兵を見据えて「はい」と応えていた。
俺の言葉は届いたのだろうか。
老兵が静かに息を引き取った。
安堵の表情が浮かんでいるようにも見えた。
アリッサは老兵の手をとったまま咽び泣き、護衛隊の隊士は老兵を囲んで嗚咽を漏らした。
★*★*★*★
犠牲者の埋葬を終えると、森は急に静かになった。
念のため、クロにもう一度空に上がってもらう。
上空から見渡せる範囲には、危険な魔獣の影は見当たらなかった。当面は安全とみていいだろう。
新隊長シャンテルの声が静寂を破る。
この場を離れようとするアリッサを懸命に引き留めていた。
「姫様、お待ちください!」
「シャンテル、少しだけ、ほんの少しの間だけでよいのです。一人にさせてください」
「いや、しかし……」
アリッサは普段、人前で弱いところを見せたりはしないのだろう。
大切な腹心と大勢の部下を失って打ちのめされているはずなのに、いまも気丈に振る舞っている。
その姿が痛々しかった。
一人になりたいという気持ちがなんとなく分かる。
「シャンテル、クロをアリッサ王女の直掩につかせるよ。万一危険が迫れば、この場からでも対処できる。だから……」
「ナオヤさん、ありがとう」
シャンテルは、姫様のそばから離れるのを躊躇ったけど、最後には姫様の意向を尊重せざるを得なかった。
アリッサの姿が見えなくなると、シャンテルは俺に胸の内を明かした。
「姫様は迷っておられるのかもしれない」
「迷う? 何を?」
「この使節団の進む先を、だ」
使節団はすでに壊滅している。
このまま帝国に向かっても、まともな交渉ができるとは思えなかった。選択の余地はない。
さきほど息を引き取った老兵の指示のとおり、一度、本国に帰るべきだ。俺はそう意見した。
「そのとおりだ。私もそう思う。だがな……姫様はまだ、和平の実現に一縷の望みをかけておられる」
「そんな……どうやって……」
シャンテルが歯がゆさと憤りをにじませながら、その先を続けた。
「姫様は何も言わないけどな……帝国から後宮に入るように言われたことがあるのだ」
なぜだろう?
どうしようもなく不快な感覚が俺の胸に広がった。
「皇帝家に嫁ぐということ?」
「それならまだましだ。正規の婚姻なら、樹海王国の立場も多少はよくなる。だが、奴らが亜人と蔑む女を一族に迎え入れるわけがない」
「じゃあ、どういうこと?」
「わかるだろ? 憂さ晴らしのために相手をしろということだ」
意味が分かった瞬間、あの威張り腐った連中に対して焼けるような猛烈な怒りが込み上げてきた。
「シャンテル! あんたそれで平気なのか!?」
「くっ、平気なわけなかろう!!」
シャンテルの怒号が響く。
「私はな、姫様が子供のときからずっとそばに仕えているのだぞ! 一番つらいのは姫様だ。それでも、あのお優しい方は皆のことを思って……和平の道を閉ざしてはいけないと……自分を犠牲にしようとしているんだ!」
シャンテルの顔が苦悩に歪む。
その表情をみて、俺は思慮が足りなかったことを悔やんだ。
「ごめん。そ、そうだよな。なにも知らないのに責めたりして悪かった。謝る。このとおりだ……」
俺が頭を下げると――
「いや、いいんだ。お前も心配してくれていたのだな。姫様の味方が増えてうれしく思う」
シャンテルはそういうと、素をさらけ出してしまったことが少し恥ずかしいのか、そっぽを向いて照れ臭そうにした。
このエルフ、ちょっと脳筋なところがあるけど、主君思いで心根が真っすぐだった。本人にはとても言えないけど、俺は彼女のことを好ましく感じた。
そんなふうに思っていると、シャンテルの部下、ダークエルフのデラがあわてて駆け寄ってきた。
「隊長、お耳に入れておきたいことが……」
「どうした?」
デラの報告によれば、この周囲から帝国人とみられる複数の遺体が見つかったらしい。
森の大地にあけられた深い穴から引きずり出されているという。
魔獣を誘き寄せる誘引剤が使用された形跡も認められたそうだ。
「くっ、そうか……そういうことか……」
シャンテルは得心がいった様子で、駆逐された目の前の魔獣の群を見遣った。
「ダイアウルフは通常こんな大きな群れは作らない。この襲撃は最初からどこか不自然だった」
「どういうこと?」
「この魔獣の襲撃は、何者かによって、仕組まれたもの、ということだ。魔獣の群は、意図的に計画的にこの幕営地に誘導されたんだ。遺体の腐臭と誘引剤を使って」
そういえば、心当たりがあった。
「シャンテル、俺からも一つ伝えたいことが……」
魔獣の襲撃前に数名の怪しい人影を捉えていたこと、それらが森の中で不審な行動をとっていたこと、襲撃が始まると、その人影は探知範囲外にのがれてしまったこと、をシャンテルに告げた。
「ちっ、いまいましい! 奴らか、裏切り者め!」
シャンテルが激怒する。
どうやら、襲撃前に隊を離れた隊士が四名ほどいて、現在行方不明になっているらしい。
「ナオヤ、すまなかった。私の目は節穴だった。お前のこと帝国の密偵だと疑ったが……情けない……密偵は隊内に潜んでいた……」
デラも神妙な面持ちで俺に謝罪したので、もう過去のことは水に流すことにした。
キツキツに縛り上げられたことや、思い切り頭を叩かれたことや、力いっぱい蹴られて転がされたことなどだ。
デラが冷や汗をかいているので少し意地悪をいってみたけど、過ぎたことは本当にもう気にしていない。
それより――
「シャンテル。いま思い出したんだけど……」
召喚当初、帝都の城で聞いた話をシャンテルたちに伝える。
「樹海王国に向かった帝国側の使節団が消息を絶ったという話を聞いた。デラが発見した帝国人の遺体というのは……もしかして、その行方不明の使節団のものでは?」
シャンテルは深刻そうな顔でしばらく黙考したあと、「そういうことか……」とつぶやいた。
話を総合すると、俺にも襲撃事件の裏がなんとなく見えてきた。
つまりだ。想像にすぎないけど、俺たちはこう結論づけた。
帝国は自らの手で自国の和平使節団を殺害する。そして、殺害した人間を餌に魔獣を誘引し、樹海王国の和平使節団をも消し去る。これで、自国の使節団が樹海王国の手によって葬り去られた、樹海王国の和平使節団が途中で引き返した、と主張することができる。樹海王国には和平の意思がないと虚偽の訴えを起こし、これを口実にして侵攻を開始するにちがいない。
そうであれば――
和平の道はすでに閉ざされている。
姫様が身を差し出そうとどうしようと、そんなことはおかまいなしに戦争は始まる。
なんて奴らだ。
戦争の大義名分のためのなら、自国の役人を消し去ることも厭わないなんて……。
こんな野蛮な連中との交渉なんて無理だ。
帝国のあきれた手口が明らかとなって、シャンテルが怒りに震える――
「おい、ナオヤ! このままでは姫様の思いが踏みにじられる。何とかしろ!」
シャンテルに無茶ぶりされたけど、そんな都合のいい解決策なんてない。
やっぱり……
そうだな……
戦うしかないよな……。
俺は覚悟を決めた――
帝国を叩き潰してやる、と。