第12話 和平使節団(2)
森を駆け続け、やっと、現場に到着した――
と思ったら、切り立った斜面の上だった。
あまりの高さと傾斜四十五度を超える急斜面に身がすくむ。
護衛隊が使節団の盾となり、斜面を背にして半円の陣形を組んでいる。
はじめは四十名近くいた隊士もいまは半分以下に減っていた。懸命に抑えているのだけど、前衛の崩壊は間近だった。
「姫様だけは死んでも守れー!」
隊長役を引き継いだ騎士シャンテルが絶叫する。
どうしたらいい?
立つのさえ危うい傾斜を目の前にして、どう降りようか悩む俺。
が、そこで、ふと思いついた。
この地形、利用できるかも……
とっさに考えたのは落石作戦だ。
味方へのリスクはある。でも、それ以上に大きな効果が見込まれた。
うまくいけば、魔獣の行動を阻止し、味方の反撃機会を作れるかもしれない。
迷っている暇はない。
残った護衛隊も健在なものはごくわずか。ほとんどが負傷していて、満足に戦える者はもう少ない。
使節団の文官までもが武器をとって果敢に応戦し始めたけど、あっという間に凶悪な魔獣の爪牙にかかってしまった。
もう余裕はない。俺は決意する。
「クロー! 来てくれ! 斜面の形状を読み取ってこっちに送るんだ」
一撃を終えたばかりのクロが反転し、こちらに向かってくる。
斜面すれすれを飛行するクロが地形を精密に走査する。
何度か斜面上を航過すると、完全な起伏の精細図ができあがった。
使節団が斜面を見上げる。てっぺんにいる俺の存在に気が付いた。
アリッサ姫は目を細めたまま、怪訝な表情をしている。俺のことがはっきりとは見えていないみたいだ。彼女はどうも視力が悪いらしい。
俺は斜面のふもとにいるみんなに大声で叫んだ。
「みなさーん。斜面側にできるだけ寄ってください! 岩場の陰に隠れて! 姿勢も低く。頭を庇うようにしてください」
使節団一行に困惑の色が浮かぶ。
でもそんなことはお構いなし。俺は独自に作戦を進める。
スキルの力で選択した最適の経路に沿うように、できるだけ転がりやすい形の良い岩石を次々と蹴り落した。勢いを増した固い岩石が高い音を響かせながら急斜面を猛然と走る。
使節団とその護衛隊が、迫る落石群の圧倒的な勢いを見て、あわてて避難する。
斜面を転がる大小さまざまの岩石は、地表に衝突する最終局面に入った。
魔獣の群の半分はすばやく後退したけど、もう半分はその場にとどまっている。
衝突の寸前で避けるつもりのようだ。
敏捷性に自信があるのかもしれないけど、そこが獣の思考の限界。
俺はただ単に岩石を転がしたわけではないのだ。
膨大な運動エネルギーを獲得した岩石は、ふもとの大岩に当たって大きく跳ねた。跳弾となった岩石同士はさらに衝突し、もはや獣には予測不能な複雑な弾道となった。中には割れて鋭く尖った岩弾となったものもあり、凶弾の束が一斉に敵に襲い掛かる。
魔獣勢力に対しての型破りの制圧射撃。
岩弾を避けきれなかったダイアウルフから悲鳴があがる。
いまので二十頭くらいは行動不能になった。
俺は比較的傾斜の緩やかなルートをたどってこの斜面も駆け下り始める。
もちろん、手ごろな岩があれば、蹴り落すことも忘れない。さらに数頭の逃げ遅れた魔獣が岩弾の餌食になった。
「ナオヤさん! 危ない!」
麓に降りたったとき、アリッサ王女がそう叫んだ。
まだ闘志を失っていないダイアウルフが飛びかかってくる。
すでに用意してあった投石紐を振った。
左右の手に二つずつ構えた高速回転する四連の投石紐からダイアウルフに石弾が射ち込まれる。「ボスン、ボスン」と鈍い音をたてて魔獣の額が割れ、巨体が崩れ落ちた。
魔獣の群を一定の距離に離隔することに成功。ひとまずは余裕ができた。
辺りを見回せば、戦闘の激しさを物語るように護衛隊も魔獣も無残な姿をさらしている。
魔獣の群は当初の半分になったが、護衛隊の方も惨憺たる状況だ。
二十名以上の隊員が血みどろで倒れていた。生き残りの護衛隊は、まだ陣形を立て直せていない。
俺は大声で護衛隊を鼓舞する。
「シャンテル、もう落石はない。体勢を立て直せ!」
「わ、わかった。いまのはお前がやったのか? 礼をいうぞ」
「そんなのいいから、早く……」
残りの魔獣は落石を恐れて、いまだ一定の距離を保っている。これで、こちら側に行動機会が生まれた。反撃のチャンスだ。
だけど、相手の魔獣はざっと五十頭。
対するこちら側は護衛隊が二十名弱で、そのうちなんとか動けるのは俺も含めてぎりぎり十名。それも魔力が尽きかけた水魔法の使い手のほかは、剣と槍の使い手がほとんどで、弓の射手もいない。遠距離攻撃できる者がいなかった。
せっかくの反撃のチャンスなのに有効な攻撃手段がない。
指揮官のシャンテルは、落ち着いているものの、もう勝ち目はないと半ばあきらめかけているようだ。
アリッサが進み出た。
「ナオヤさん、助けてくれてありがとう。でも、どうしてこんなところまできたのですか? あなた一人ならどうにかなるはずです。こちらの巻き添えになることはありません。はやく逃げて」
そんなこと言わないでほしい。大変な思いをして崖を降りてきたのが水の泡になる。
「いやです。約束したじゃないですか……あなたの力になると」
「ナオヤさん……」
ふと、足元に転がる弓が目に入る。負傷した弓の射手が手にしていたものらしい。
「そうだ!」
弓射のスキル持ちはいなくても、武人なら弓を引くことくらいできるはずだ。俺がいま身に着けている短剣をくれた城のあの衛兵さんも矢を射つだけならできた。
たとえば、このエルフさんなら……
「シャンテル、聞きたい! あんたエルフだろ? なら弓を使えるよな? これで敵を牽制してくれ」
俺は、拾った弓を強引にシャンテルに持たせた。
「む、無理だ。私にはできない……」
「あんたが剣撃スキル持ちなのはわかってる。でも、そんなこと言ってる場合じゃないだろ? 真っすぐ飛ばすだけならできるはずだ、エルフさんだし――」
「…………」
シャンテルがひどく動揺している。怯えているといってもいい。
偏見だったのかな? エルフだからって必ず弓を使えるわけではないらしい。
「ち、ちがうんだ」
「えっ、なに?」
「私のスキルは『剣撃』ではない。『速射』だ。ほんとうは弓の早打ちが得意なんだ」
「なんだって? 弓が使えるなら、どうして応戦しない!?」
やっぱりこのエルフさん、弓使いじゃないか。なぜ隠している?
シャンテルが消え入りそうな声でいう。
「だ、だが、早射ちができるだけで……そ、その、まったく当たらないんだ」
シャンテルは、普段の態度からは信じられないくらいに、申し訳なさそうに縮こまってしまった。
「ナオヤさん、シャンテルを責めないでください」
アリッサ姫がシャンテルを擁護する。
どうやら、シャンテルは、いくら訓練しても正確な弓射を身につけることはかなわなかったらしい。だから、剣の道を選んだのだそうだ。
でも、シャンテルの『速射』スキル。これは俺のスキルと相性がいい。必ず戦力になるはず。
「みんな、よく聞いて。いますぐ散らばった武器を集めて下さい。特に矢玉がたくさん必要です。ありったけ集めて下さい。お願いします!」
健在の護衛隊と俺とクロとで魔獣を牽制しながら、そのあいだに王女の侍女たちが決死の思いで武器を拾い集めた。王女アリッサまでもが手伝ってくれた。
「シャンテル、みんなが矢を集めてくれた。これを使って攻撃だ」
「い、いや、しかし……」
「つべこべ言わない。ちょっと我慢して」
「ひゃっ……や、やめてくれ……そんなとこ……あっ」
俺はできるだけ邪魔にならないようにシャンテルに後ろから抱き着いた。
背中にぞっとする冷たい視線を感じた。アリッサがジト目でこちらを見ている。
「ナオヤさん? それは意味のあることですか?」
「も、もちろん……です」
誤解しないでほしい。仕方がないんだ。
制御対象に接触しないと俺のスキルは相手に対して作用しない。
それに接触面積が大きいほど、コントロールのための制御線が速くつながるんだ。
アリッサもシャンテルも、そんな変態を見るような目で俺を見ないでほしい。
とにかく、実行だ。実際に見てもらえれば、俺のスキルのことは分かってもらえる。
「シャンテル、いい?」
「ひゃい」
弓使いとしてのシャンテルはなんとも頼りないけど、俺も成長しているんだ。
必ず敵を射抜いてやる。
「標的は、一番でかいリーダーっぽいあいつ。だいたいでいいから急所を狙って。真っすぐ飛ばすことだけ考えてくれればいい。コントロールは俺に任せて……さあ、動きが止まりそうだ。まもなく……いまだ、射てッ!」
シャンテルは、凄まじい手捌きで矢を連続で放った。三本の矢を射るのにかかった時間は一秒にも満たない。
放たれた矢がダイアウルフの額に次々に吸い込まれた。鏃が脳にまで達したようで、標的はあっけなく崩れ落ちた。
「ナ、ナオヤ……当たった、当たったぞ」
「いいぞ、その調子。次はアレ――」
灰褐色の巨狼が次々と屠られる。
シャンテルのスキルの威力は驚異的だ。
まるで砲台。まさにこの世界に初めて登場した速射砲。
俺はそんなふうに感心していたのだけど、シャンテルの方はなんだか様子が変だ。
その表情はどう表現したらよく分からないものになっていた。
もう、ぐしゃぐしゃ。クールビューティの面影はまったくない。
「ナオヤ、ナオヤ! すごい。当たったぞ。私は当てた……こんなに嬉しいことはない……う、うっ……グスン……」
シャンテルは、とうとう涙ぐんでしまった。
アリッサ姫もシャンテル以上に喜んでいるみたいだ。
ああ、なんとなく、分かった。
きっとこれまで「エルフのくせに下手っぴ」とか「へなちょこ射手」とか「宝の持ち腐れ」とかさんざん言われてきたのだと思う。
不遇な境遇が想像できたのでちょっと同情した。
「ナオヤー! ありがとう……」
シャンテルが大げさに感謝し、俺に抱き着く。
鼻水がつくからやめてほしい。
「ナオヤー! お前は私の恩人だ」
もういいから……目の前の敵に集中してほしい……。
そばで見つめるアリッサの氷のような視線が痛かった。