第11話 和平使節団(1)
このままでは、拘束から脱出する前に凍えてしまう。
そう考えた俺は、武器のたぐいを収納してあった雑嚢をクロに取ってきてもらうことにした。
クロは十分くらい前に、俺の荷物が置いたままになっている川べりの元の幕営地に向かった。
川に転落したときに、随分と下流まで流されてしまったので、ここからはかなりの距離がある。
けど、クロなら飛べる。そんなに時間はかからないはずだ。
で、今、クロがすぐそこまで戻ってきた。
暗い夜空なのに、スキルの力を介してクロの存在だけははっきりと分かった。
クロは、フラフラと飛んでいる。
大型の鳥だけど、さすがに雑嚢一つ分の荷は重すぎるみたいだ。
<すまない、クロ。もう少しだ。頑張ってくれ!>
俺の声が届いているわけではないけど、クロは俺の意図を察して<カァ>と応えてくれた。
思念波のようなもので繋がっているのかもしれない。
まあ、しくみはよく分からないけど、とにかくクロは賢い。とても助かる。
それから、俺は、クロの視界を介して、さきほどから人の集団を捉えていた。
昼間ほどはっきりとは分からないけど、ここから、一キロ弱先の少し開けたところに五十人くらいが固まっている。
まちがいない。姫様たち、使節団の一行だ。案外近くにいた。
でも、何か違和感がある。使節団の幕営地からだいぶ離れたところに点々と数人の気配があった。不審な動きをしているように思える。
それに……人か動物か分からないけど、なにか薄い微妙な影のようなものを感じた。
さっきまでクロの視界にこんな妙な反応はなかったはずだ。
クロが緊張する。なにかざわざわとした嫌な感覚が俺に伝わってきた。
<クロー! なにかいるのか?>
俺からの思念を受けて、クロは突然、大きな声で鳴きはじめた。
いつもよりずいぶんと高い声だ。キンキンとする。
もしかしたら超音波も混じっているかもしれない。
全方位に音の波を放射するクロ。
暗い森に反響音が拡がった。
あっ、なんだこれ!?
クロからもらった視界のなかの目標物が鮮明になった。
これは音波探知? 音響情報が重なったみたいだ。
原理は不明だけど、さっきから捉えている薄い影のようなものの正体が分かった。
これは闇に潜み、気配を消している魔獣。かなり大きそうだ。
しかも、いる、いる。たくさんいる。
使節団を取り囲むようにうじゃうじゃと魔獣が集まりつつあった。
まずい……アリッサたちが襲われる。
<クロー! 早く戻ってくれ>
クロは高度を落としながら、正確にこちらを目掛けて滑空してきた。
それから、俺の前へドスンと荷物を落とす。
雑嚢のかぶせが外れ、中身がちょうどばらけてくれた。
クロに手伝ってもらいながら、短槍の一つを使って縄を切った。
ようやく拘束を解くことに成功。一時間ぶりの自由だ。
「クロ、わるいけど、もう一度あがってくれ。姫様たちがあぶない」
疲れているはずなのに、クロは文句もいわず、全力で一気に高度を稼いだ。頼もしい相方だ。
クロの視界が脳内に投影される。
魔獣の数はおよそ百。護衛隊も魔獣の接近に気が付いている。
斜面を背にして迎撃態勢を取りつつあった。
「クロー! 受け取れ!」
鳥の趾でも持ちやすいように細工した特別仕様の短槍を二本、空中に放る。
スキルの能力で、回転がかからないように斜方投射された短槍がきれいな放物線を描き、最高点付近でクロに捕らえられた。
「頼んだぞ! 姫様の護衛隊に加勢してくれ」
短槍を抱えた黒の魔鳥が現場に向かう。
使節団の幕営地では、もうすでに戦闘が開始されていた。
俺もクロに示してもらった最短経路で現場へと急ぐ。夜の森は走りにくいけど、クロを信頼して突っ走った。
戦闘状態になってから数分後。魔獣は、護衛隊の魔法攻撃を受けて次々と屠られた。
けど、魔法攻撃が疎らになると、護衛隊の方が徐々に劣勢になり始める。
そんな中、クロの近接航空支援は着実に成果をあげていた。
最初に装備した短槍を放ったあとは、クロは、俺が指示しなくても、近くに落ちている矢や石を拾いあげ、急降下攻撃を繰り返した。俺の誘導にもぴったりと合わせてくれる。ほんとうに頼もしい。
それと、クロの聴覚を通して、現場の緊迫状態と恐怖がありありと伝わってくる。
護衛隊の一人が叫んだ。
「副長! 隊長が倒れました」
「すぐに後方にお連れしろ! 指揮はこの私シャンテル・カリオンが引き継ぐ」
護衛隊の副長シャンテルは、アリッサ姫の警護を側近に任せて、前衛におどり出た。
「陣形を縮めるんだ! このダイアウルフどもを阻止しろ。絶対に抜かせるな! 射手は死力を尽くせ! ただし、あの黒曜鳥に当てるなよ、なぜか知らんが友軍らしい」
黒曜鳥と呼ばれたのはたぶんクロのことだ。俺の相方の活躍は現場から認識されているらしい。
シャンテルの大声が響いた。
「側衛が抜かれたッ! 姫様をお守りしろ!」
陣形のなかほどから悲鳴があがる。
ダイアウルフと呼ばれた灰褐色の体色をもつ体長三メートル近い魔獣の一頭が陣形の中央を強襲する。要人、つまり、アリッサ姫のいる場所だ。
やや後方に位置していた護衛隊の一員がすばやく駆けつけ、大剣を振るう。
これにより、魔獣は一時的に足止めされた。
クロは、倒れた槍手の手からもらい受けた重槍を引っ提げ、次の攻撃に備えて高度を稼いでいる最中だった。好機だ。
<クロ! そいつを仕留めろ>
静止目標をクロに移管すると、了解の意思が伝わった。
次の瞬間、重量物を器用に抱えた魔鳥がほとんど垂直に全速でダイブする。
高さが足りないみたいだけど、大丈夫だろうか。
地面が急激に迫る。クロの視界と一体となった俺の感覚器によって、急降下を直接体感しているような恐怖を感じた。背筋が凍る。
衝突死が脳裏をよぎった瞬間、クロは重槍を標的に打ち込み、翼を一杯に広げて体を引き起こした。
翼の一部が地面に接触する。
が、なんとか体勢を立て直すのに成功した。
標的となったダイアウルフは、槍に脳天を貫かれ、さけび声をあげる間もなく、絶命した模様。
俺たちは、寸前のところで魔獣の牙が姫様たちに届くのを回避した。
<いいぞクロ。よくやった!>
アリッサとその周りの侍女たちがクロに向かって手を振っている。
何か大声で言っているようだ。
クロは次の攻撃に備えてまた上空まで昇ってしまったので、なんと言っているかは聞こえない。
でも、たぶん、「ありがとう」だ。
喜ばしいけど、危機は続いている。
護衛隊はすでに半壊となっていて、大きく数を減らしていた。
気持ちばかり焦るなか、ついに、見えた。姫様たちだ。
ここから見下ろした先に奮戦する護衛隊と使節団一行がいた。
えっ、でも、ちょっと待て――
高い。全身が寒気だつ。
なんてことだ。俺はちょうど、アリッサたちが背にしている斜面の上に出てしまった。
たしかに最短距離だけど……
「この斜面、俺に下れるのか?」
目もくらむような高さと崖ともいえる急斜面に心が折れそうになった。