晴れのち雨
地元九州にも美容専門学校は多数ある中、由美子は神戸にある専門学校を選んだ。
その理由をバーの客に話すと、少し嘲弄するように、若いね〜、と言われるのだが、
高校3年の頃から付き合い始めた彼が関西の大学を目指していたからであった。
無理を言って関西に出てきた手前、両親から多くの仕送りをもらうことに後ろめたさを感じ、由美子は専門学校の入学式後、割りのいいバイトを探し、すぐにガールズバーSpiceで働き始めた。それ以降Spiceの給料と奨学金で授業料や家賃をなんとかやり繰りしているのだった。
働き始めた頃はなかなか九州の訛りが抜けず、関西弁や関西人のノリに圧倒されていたが、今となっては"エセ関西弁"をペラペラに使いこなす。
もともと歌を唄うことが好きだったため、バーに備え付けられているカラオケで何かリクエストを受ければ喜んで受け、男性客とのデュエットでハモることも得意だった。この仕事のおかげで昭和の懐メロから最近の流行りまで数多くの曲を覚えた。
Spiceに勤めて今年で2年目。4月に二十歳の誕生日を迎えた後、仕事中にお酒を頂くことも多くなった。
九州出身なら酒も強いだろう、という客からのご好意は有難迷惑な部分も多少あったが、客の馬鹿騒ぎや自慢話に付き合うくらいなら、由美子にとっては唄ったり、言葉少なめにお酒を呑んでいる方が良かった。
神戸に出てきてからというもの、由美子は昼は専門学校での勉強、夜はSpiceでの仕事と忙しく日々を過ごした。もうサボろうと思った瞬間に両親の顔が頭に浮かび、学校での勉強が疎かになっては本末転倒だという思いになり、仕事を休むことがあっても学校を休むことはなかった。
同郷の彼と結局別れてしまった際には、大きなダメージを受けてしまったが、この調子だとなんとか学校は卒業できそうし、ここまでよくやってきたと、挫けそうな時は自分で自分を褒めることにしている。
---
由美子はいつものように授業が終わった後に、一人暮らしのアパートで少しゆっくりした後にSpiceに出勤した。予報では夜に雨が降り出すらしく、傘を持って来た。
今日は馴染み客の坪井から電話が入り、そろそろ来店することになっている。
坪井は50代半ばの男で、この辺では有名な菓子メーカーの二代目社長である。
Spiceのオーナーと顔見知りであり、ママとも仲が良かった。
いつも身なりに気を遣っており、真夏でも薄手のジャケットを着ている。
坪井は来店すると、いつものように由美子を付けてほしいと言った。
なぜ自分を指名するのか由美子が尋ねたことがある。
「特に理由なんてないわ」
坪井は小声で答えた。
坪井は同じ50代の男性と比べると若く見えた。白髪をサラッと流していて品があった。
今日もオーダーメイドのスーツを着ていて、体にピッタリと合い、スラッして見えた。
禿げていなければデブでもない、いわゆるちょいワル親父のような風貌である。
いつも高いボトルをキープし、同じペースでしっぽりを酒を飲むのであった。
坪井が来るとママや他のキャストに緊張が走る。
この街のドンと言っても過言ではない。粗相があってはいけないのだ。
「坪井さん、今日もご来店ありがとうございます。いつもどおり水割りでいいでしょうか」
坪井がキープしているウイスキーに手をかけながら由美子が尋ねた。
「ああ」
坪井はいつものように少し小さな声で答えた。
坪井は酒が強い。少し薄いと濃くしてほしいというのが決まりだ。
結局いつもグラスの半分はウイスキーなので、"かなり濃い水割り"になってしまう。
「店のブログってあるだろ」
坪井はウイスキーを少し呑んでから尋ねた。
「ああ、女の子が更新しているブログですよね。坪井さんも見てくれてるんですか」
「この前、由美子が更新してるのを見てんけど、珍しいな」
坪井のグラスは早くも一杯目の水割りが無くなりかけていた。
由美子は少し動揺していた。
そして以前に起きた事件のことが頭を過ぎった。
ママが少し心配そうにこちらを見ている。
動揺しているのを見て、すかさず坪井は続けた。
「お前、普段ブログとかに関わらへんやろ」
あっという間に飲み干されたグラスの中には、まだほとんど役割を果たしていない氷が残っていた。
声を上げた坪井を見て、すぐにママとチーフの男性が間に入り、坪井に謝罪した。
「失礼があったようで、申し訳ありません」
チーフが頭を下げた。
店内に張り詰めた雰囲気が走り、他の客までも黙り込んでしまった。
ママに連れられ、由美子は店の控え室に入った。
由美子は身体の震えが止まらず、ママに抱きしめられながら涙を流した。
体中に溜め込んだものが、行き場所を探し、音を立てるように流れていくのがわかった。
外は雷を伴った激しい雨が降っていた。