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二極の草鞋  作者: hinenogo
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缶ビール

由美子には2つ歳上の兄と1つ歳下の弟がいる。

兄は運送会社で働いていて、高校時代までは野球をしていた。すごく真面目で硬派な性格でいながら、時折焼けた肌に白い歯を見せて微笑むものだから、高校時代はさぞかしモテていたようだ。バレンタインデーにはチョコレートをいくつも貰って帰ってくるものだから、そのおこぼれを貰うのを弟と一緒に毎年楽しみにしていた。


由美子が高校1年の頃、バレー部の練習の休憩時間に時折野球部の練習を覗きに行った。休憩と言っても与えられるのは10分程度なのでダッシュでグラウンドのフェンスまで走り、しがみついて見たものだった。

3年生の兄は甲子園出場を目指して奮闘していた。野球に対して真摯に立ち向かってきたのを間近で見ているので、由美子も心の底から応援していた。

兄の同級生と思われる女が少し離れたところから野球部の練習を見ていたかと思うと、由美子の方へ近づいてくる。

「貴弘くんの妹さん‥だよね?私エリっていうの。3年なんだけど。よろしくね」


何がよろしくなのかわからないまま、コクリと頷いて逃げるように体育館に戻った。もしかしたらあのほろ苦いチョコレートの中の1つの贈り主かもしれない。何故か急に怖くなって走り出してしまった。


地元九州の実家の近くで運送の仕事をしている兄は、少し肥って、表情も柔らかくなり、かつての硬派な番長気質な面影はほとんどなくなってしまったが、そんな今の兄も由美子は好きだった。綺麗なお嫁さん(エリさん)と息子がいる。たまに地元に帰って甥っ子に会うのが由美子の今の楽しみだ。



一方弟はと言うと、兄とは真逆の性格だった。

色白で線が細く、運動神経は悪くないはずなのに、スポーツをやりたがらなかった。

昔から口だけは一人前で1つ上の姉の由美子とは何でも張り合うのだった。

兄には「兄ちゃん」と呼ぶのに対し、由美子には「ユミちゃん」と呼ぶところからすると、おそらく物心ついたときからナメられていたのだろうと思う。

昔は頼りない見た目だったが、20歳の彼はお洒落に髭を生やし、腕にはタトゥーを入れ、程良く鍛えられた身体はいわゆる細マッチョ体型だ。

今では界隈で有名なバンドマンになっている。



昔の写真を見返しながら、由美子は1人で部屋で缶ビールを飲んでいた。


バーの客と初対面の際は、名前だとか出身地だとか趣味だとか結婚してるかだとか、ひどい時は血液型の話だとか、何回も繰り返してきた当たり障りのない話をするのだ。表情は目一杯の笑顔を作るが、申し訳ないほど感情がそこにはない。

昨日お店に来た青年に対しても、特に何の考えもなく家族の話や兄弟の話を聞いた。青年は少し自分の弟の話をしてくれたのだった。


「じゃあ次、お兄さんが私のキョウダイ当ててみてください」


由美子にとってはちょっとした時間潰しの感覚だった。


うーん、青年は少し考えて由美子の眼を見た。

その時、由美子は初めてまともに青年の顔を見た。低くて落ち着いた声の印象とは異なり、顔の印象が爽やかで、肌が綺麗であるため、30歳と言っていたが歳よりもずいぶん若く見えた。


「お兄さんがいるね、スポーツマン」

やはり青年は良い声をしていた。

「おお、正解」

由美子は間髪入れずに言った。


「お兄さん昔モテてたよね」

青年は続けた。

「あと下にもいるよね?弟さんかな。でもお兄さんとはちょっと印象が違う」


それから、由美子が高校時代まで体育会系でショートヘアだったこと、専門学校で今勉強している美容のこと、たまに九州に帰る度に由美子が歌って弟がギターを弾く”バンドごっこ”をやっていることまで、青年は少し考える時間を挟みながら、思い出話をするように当てていった。


多少のヒントは与えたものの、ここまで相手の印象だけで当てられるのはおかしい、もしかして知り合いだったっけ、と、由美子は頭の裏で考えた。


「あの‥お兄さん、何かそういうの見えるんですか」

結局、由美子は思ったことをそのまま尋ねた。


「いや、印象だよ。顔とか身体つきとか、印象。それにそっちが聞いてきたんだから多少当たったくらいで引かないで。マグレだよ、マグレ」

青年は笑いながら煙草に火をつけた。

「仕事で人と接することが多いから、人を見る目が養われたんじゃないかな」

青年は煙草を咥えながら言葉を付け足した。


由美子は煙草の煙が得意ではなかった。ただ青年の吐く副流煙は、嗅いだことないような独特な匂いで、嫌な香りではなかったし、彼自身が付けている香水のフルーティな香りと相まって、どこか官能的な感じがした。それより何より”相手のこと当ててみようゲーム”を始めた頃から目線を外すタイミングを失って困っていた。

青年は片側が綺麗な二重で、もう片側は切れ長な目をしていた。どちらも美しかった。


「お兄さん、モテそうだね」

バーボン水割りのおかわりを作るのをきっかけに、目線を外しながら由美子は言った。


青年は煙草を口に咥えたままアメリカのコメディみたいに手を広げて、滑稽な表情をして見せた。


「お名前もう一回教えてよ」

水割りをコースターの上に置きながら由美子は尋ねた。


「名前?最初に言ったじゃん、ゴロウだよ、ゴロウ」


テーブルを指でなぞりながら漢字は吾郎と書くことを教えてくれた。


由美子は気付けば身の上話ををしてしまい、1時間ほど吾郎を引き止めてしまった。


「ごめんなさい、私の話ばかり‥」


吾郎は相槌を打つのが上手かった。ついつい時間を忘れて話をしてしまった。


吾郎は会計を済ませたあと、また来ると言っていた。他のお客は同じように”また来る”とこれまで言ってたっけ。男は社交辞令で言うのだろうか。




爽やかな印象、低くて品のある声、落ち着いた語り口、不思議な目。


吾郎というどこか見た目とギャップがある名前を、気づかないうちに1人部屋で口に出してしまい、由美子は急に恥ずかしくなった。ビールはもう温くなっていた。

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