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51 チャームの餌食

 俺は特に準備をすることもなく、闘技会の日を迎えた。

 自由魔法都市ダレーガンは日を追うごとに人が増え続けて、今日が最高潮だろう。

 組み合わせが朝一番で発表される広場へは、今や遅しと大勢が押しかけているらしい。


 もともと勝つ気のない俺は興味もないので見に行くこともしなかった。

 スーは、いつの間にか女冒険者二人と仲良くなっていて、朝食を終えると一緒に出て行った。物怖じしないコミュ能力の高さがうかがい知れる。

 手持ち無沙汰の俺は、豆柴に戻ったポン吉をつついて遊んでいると、突然ポン吉の動きが止まったことで来客に気づいた。


「おはようございます」


 聞き覚えのある落ち着いた声。エルフのおねーさんだ。

 俺が挨拶を返すと、おねーさんは立ったままたった。

 スーのようにあからさまに敵対しているつもりはないが、底が知れないこのエルフに気を許すことはできない。

 だがこんな美人を立たせたままにさせるのは、小心者の男だった過去が許さなかった。


「す、座りますか?」

「はい!」

「……俺の隣じゃなくて正面です」


 前と同じように、何も気にすることなくエルフのおねーさんが摺り寄ってくる。

 俺が避けると、整ったきれいな下顎へ人差し指を当てて不思議そうな顔をした。


「エルフは森の種族ってご存知ですよね?」

「一応は」

「木が大好きで大切にしていることも?」

「らしいですね」

「じゃあ一緒にいることが自然じゃないですか!」


 俺が席の端っこの窓際まで押しやられても、エルフのおねーさんのスリスリ攻撃をやめない。

 大変聞きづらいのだが大樫の過去を知っているのだろうか。

 まさか昔に会っているなんてのはないとは思うけど、三百年の記憶がほとんどないので断言もできない。


 とても困惑はしているが、気分は悪くない。

 何よりいい香りがするし柔らかくて幸せだ。これほどの美人が魅力的な体を俺に押し付けてくるのだがら本当に信じられない。

 女の子同士でもいいよねって、思考回廊がおかしくなり始めている。

 ひょっとして幻惑魔法か? いや、魅惑魔法のチャームかもしれない。

 あれこれ考えるのがだんだん面倒になって来た。もうどうにでも好きにしてくれ。


「アン(主)!」

「痛っ」


 ポン吉が突然俺の手の平を噛んだ

 ピンク色だった視界が一気に色褪せる。


「た、助かったぞ」

「アン(よかった)」

「おねーさんを噛まなかったのは褒めてやりたいが、吠えれば噛む必要はないだろう? できればもう少し手加減して欲しかったんだけど」

「アン、アンアン(無理、主堅い)

「それもそうか」

「あら、残念。もう少しでお持ち帰りできましたのに」

「……お持ち帰りって、今のは誘拐じゃないか?」

「その狼が邪魔をするまでは気持良さそうでしたわよ? 私も楽しかったですけど」


 事実その通りなので、蠱惑的な笑みを浮かべるエルフへ何も反論できない。


「町の入口で不思議な狼が気になって後を追って来たら、あなたにも懐かしさを感じて、ついちょっかいを出してしまいました。本当に悪い人ですね、エルフの私をこんな気にさせるなんて」

「持て持て、お持ち帰りされそうになったのは俺だろう」

「そうです。でもあなたのせいですよ?」


 完全に言い掛かりだ。俺は何もしていない。

 開いた胸元をわざと見せつけながら、火照った超絶美人の顔と真っ白な腕が近づく。窓際なので避けようもない。

 俺は抱き寄せられると、素晴らしさしかない豊かな胸に顔を埋められた。


「さあ、エルフの森へ行って幸せになりましょう! あなたのいるべき場所はこんなところではありません!」

「か、勝手に決めるな。俺には旅の連れもいるし、やらなければならないこともある」

「連れはわかりますが、やるべきことって何でしょう?」

「そ、その前に離してくれ――」


 水中以外で窒息しそうになるとは思わなかった。

 まだチャームの影響が残ってるのだろう。腕に力も入らないので、おねーさんが解放してくれて初めて顔が上げられる。

 色々な意味で呼吸を整えた目の前では、相変わらず妖艶な微笑みがあった。

 このエルフは、俺の樫の木属性が何故かわかっているみたいだし、隠さなくてもいい気がする。


「体が燃えないように、魔法とか身に着けようと思っているんだよ」

「でしたら尚更エルフの森へ来てください。魔法は当然ですが、森を火から守る秘薬もあります」

「本当に⁉ それはすごいな!」


 思い切り食いつく俺に満足そうなおね一さん。

 願ったりかなったりの話ではあるが大きな問題もある。


「でもすごく遠いんだろう?」

「少しだけです。あなたはそのコに乗れるのでしょう?」

「一応は」

「でしたら近いものです」

「そうなのか?」

「アン(わからない)」


 おね一さんの言葉をポン吉に確かめると、首をひねっている。


「どっちにしても今すぐは無理だろう。俺もあなたも闘技会に出なければならないし」

「そうですね。信義を重んじるエルフとして反故にはできません。では終わってからでどうでしょう?」

「それならいいかな。もちろん連れの女の子もだけど」

「あの子は――難しいでしょうね」

「何故?」

「その狼が本気で走っては耐えられないのでは?」

「そうなのか?」

「アン(多分)」


 この町へ来る途中に少しだけ試しに乗ったことがあった。その時はスーも乗れたし、はしゃいでいた。

 長距離が厳しいと言っているのだろうか。

 俺は尻も堅いから耐えられるけど、鞍もない狼の背中は、普通の女の子にはハードかもしれない。


「だとしたら俺も行けないな」

「どうして?」

「スーとは一緒に旅をする約束なんだよ」

「わかりました。では私が取りに戻った秘薬をお渡ししましょう」

「いいのか?」

「森を愛するエルフとして、大樹の友が困っているのに見過ごすわけにはいきません」

お読みくださいまして本当にありがとうございます。

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