43 蹂躙
俺の左手は既に自由になっているが、スーに気を取られた男達はまだ気づいていない。顔の横には、スーの放ったナイフが刺さった男の頭がある。
この男の持っている武器を奪うことも考えたが、男の腰へ手を回して鞘から抜くだけの上半身の自由と時間が与えられなければ万事休す。
大切なのは確実かつ迅速に敵の戒めから逃れること。手足を押さえる下衆どもが気を取り直す前に状況を変えて見せる。
左腕だけを静かに動かしてスーのナイフを握る。絶命した男の眉間から一気に引き抜き、動かせるだけ体を起こした。
それまで押さえ込めていた俺が急に動き出したので、注意を引き戻した男達が再び力を入れようとする。俺は右手首を押さえていた男の首元を目掛けてナイフを突き出した。
体が思うように動かせないのと、左手なのでうまく狙いはつけられない。しかし俺を押さえようとしたことが逆に賊の体を固定させた。避けることもできなかった男の首から血しぶきが盛大に噴き出し、俺は頭から浴びる。呆気にとられたらしい二人が少しだけ怯んだ。
両足が少し軽くなったのを感じ、自由になった右手で地面を思い切り押して体を右へ捻る。少し浮いた右足を賊の握った手ごと強く引き寄せ、思い切り蹴りを放った。
運よく右足の踵が賊の肩へ当たる。バランスを崩した賊は、左足を押さえていた仲間のほうへ倒れ込み、左足も自由になった。
俺は男達の手から逃れるとすぐさま立ち上がった。何とかの一つ覚えのように木を背にしてスーのナイフを構える。
直面した危機は脱したが、こちらはナイフが一本。敵は腰に帯びたロングソードや刃の反りかえったシミターで迫って来る。
反吐が出そうな下衆共に犯され続けるより、斬られて命を落とす方が遥かにマシだ。
俺は覚悟を決めて迎え撃つ。スーの逃走のために可能な限りは道連れにする。ただそれだけを心に決めて。
俺を取り囲んだ男のうち三人は倒した。俺へ飛び掛かってきた際の醜い争いで動けなくなくなったのが五人いたが、二人が体を起こしている。そのまま気を失っていてくれればよかったのに欲望戦線復帰のようだ。下手をしたらあと三人も戻ってくるかもしれない。
俺の目の前に立った二人の男とそのすぐ後に二人。が、左右からタイミングをずらして動いた。
同時に仕掛けてたら同士討ちになる正しい判断だが、俺的にはありがたくない。先に勣いた右側の剣は持ち替えたナイフでかろうじて防げたが、左はとても無理。仕方なく手の甲で受けると、男達はかなりたじろいで見せる。
敵も木の幹に剣が刺さって動けなくなることを警戒しているのだろう。思っているよりは速さも勢いもない。
周囲を確認して逃げ回ろうにも、背後には欲望戦線復帰組が油断なく待ち構えている。
状況は厳しいが、まだやれる。目を向けることはできないが、少し離れたところでは剣戟がまだ聞こえている。
スーのためにもあきらめるわけにはいかない。
もう一度背中を向けて隙をさそい、斬りかかって来たところを耐えれるだけ耐えて、体の近い奴を真っ先に倒して剣を奪う。それからやれるだけやる。
スー、頼むから逃げてくれ。プリ、本当にすまない――。
俺が決死の覚悟で再び敵へ背を向けようとしたその時、音もなく巨大な狼が賊達の背後へ現れ、文字通り蹂躙を始めた。
巨大な牙に次々と頭から噛み砕かれ、逃げようとした者はその場に揚げた前脚でいともたやすく押さえつけらる。凶悪な爪に全身を貫かれて絶叫を上げる。動ける者も動けない者も関係ない。
木の幹の裏へ回って何とか逃げ出せそうな者もいた。狼は周囲に立った太い木をものともせず、体当たりで根っこから薙ぎ払って逃亡者へ追いつく。そのまま踏み潰すと次の獲物を探している。
あまりに暴虐、あまりに残酷。
俺は完全に腰を抜かしてその場へ座り込むと、圧倒的な光景にただただ見惚れるしかできなかった。
今の今までむごたらしく惨めに死ぬ覚悟を決めていた。
既に三度も死んで生まれかわった身だった。一度は自ら命を絶った。
しかしプリの命を貰って生きている今回は、死ぬことが悔しく仕方がなかった。
あの狼は俺も山賊も関係なく咬み殺すかもしれない。それでも今は不思議な満足があった。
大狼、頼むからスーだけは見逃してくれ。
俺は知らない間に、その場で気を失っていた。
次に俺が目を覚ましたのは、顔に温かいものが触れて優しく拭かれた感触からだった。
重い瞼を何とか開ける。顔中をクシャクシャにしたスーがぼんやりと目に入った。
よかった……無事だったのか。
「プリちゃんプリちゃんプリちゃんプリちゃんっ!!」
呼び掛けた声は喉がカラカラで出なかった。スーは赤黒い布を投げ捨てて俺を抱き締める。
「スーがもっと強ければ、こんなことにはならなかったのにっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいなのですっ」
「く、苦しい……」
「本当にごめんなさいなのですっ」
「わ、わかった、わかったから、放して――くれ」
「いやなのですっ!!」
……どうせいっちゅーんじゃ。
辺りはすっかり暗くなって、荒れた森の中に焚火が少し離れたところに見える。周囲の状況を確認し、ぼんやりした頭でこれまでのことを思い出す。体をもたれかけている場所の妙に温かく柔らかい感触を不思議に思って首を勤かすと、
「ウオン?」
……でっかい狼と目が合ってしまった。
いつもお読みくださいましてありがとうございます。
「なろう」では「!?」「!!」の全角1文字がダメなんですね。
大変読みづらくて申し訳ありませんでした。
全然気づいておりませんでした。
投稿済み分はいずれ修正させていただきます。




