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29 痣(あざ)

 有言実行と言うか、それから数日、俺達はフローレンスさんにこき使われた。

 大工仕事なんてやったこともないし、慣れない。

 スーは多少経験があったらしいのと、もともと身軽なので屋根の修理はお手のものだった。一方の俺は、メイスを持っているから力があると見込まれたのか、ひたすら金づちと斧を振るわされた。

 俺達が寝泊まりするログハウスっぽい家の裏には更に建物があって、ニワトリやら蚕も飼われている。

 師匠は完全に自給自足で生活をしていた。

 地上三百メートルなので誰も来ないのではないかと思うが、動物のお客さんは結構あるようだ。鳥は当然として猫やらサルみたいのも駆け回っている。


 建物の屋根の上には煙突がある。午前は煤払いをして、雨避けをつけ直す午後の作業をしていた時のことだった。

 どこからともなくメガネザルのような顔をした真っ白な猫が、家の側に立つ木から屋根へ飛び移って来た。俺達がもの珍しかったのか、周りをウロウロとしてものすごい迷惑だ。

 フローレンスさんは色々な動物と仲良くしていて、これもその一匹なのは知っていたので邪険にはできない。スーは作業もそっちのけにして、屋根の上で追いかけっこを始めてしまった。おかげで師匠の雷が落ちた。


「屋根を直さずに壊す気かっ‼」


 見かけどおりの怒声に、スーは石になったかのようピタッと止まった。猫はそのまま走り去ろうとして俺の足元にあった金づちに蹟き、俺とぶつかった。どんくさい猫だと笑う間もなく、俺はバランスを崩して屋根から転がり落ちてしまった。


「うおっ⁉」

「プリちゃん‼」


 スーの驚き延ばす手がスローモーションのように見える。届くわけがない。

 あっという間に家の横にある茶色い地面へ背中から叩きつけられた。

 肺から一気に空気が押し出され、思い切りむせたがどこも痛くない。

 見上げた屋根の高さは三メートルほどあるし、全身で感じるとおり草地でもない。骨が折れてもおかしくないのだが。


「プリちゃん‼」

「――遊ぶ場所は考えような」

「ごめんなさいなのですっ」


 スーが俺の隣に見事な着地を決めるなり抱き着いて来た。

 さすがスカウトだ。のんきな感想も、俺が無事な証拠だろう。

 あわててやって来たフローレンスさんは、俺の良く知る赤十字の描かれた救急箱を持っていた。

 もう驚くこともない。


「無理に動くな。骨が折れてるかもしれない」

「多分、大丈夫です」

「いいから診せるんだ」


 俺は立ち上がり、笑って見せるが全然信じていない。

 妙に手慣れた感じで服を全部脱がされ座らされると、フローレンスさんは俺の背中や足の触診を始めた。


「気を悪くしないでもらいたいが、聞いてもいいか?」

「――どうぞ」

「背中の痣は何だ?」

「痣?」

「文字のような子供のイタズラ書きのような……今の落下が原因ではなさそうだが」

「スー、そうなのか?」


 一瞬何を聞かれるのか身構えたが、思ったことではなく少し落胆と安堵をした。

 これまで旅をして、風呂がないところではスーと体の拭きあいをしている。当然、何度も見ているはずだが、そんなことを言ったことがない。見慣れているから気にもならなかったのだろうか。


「プ、プリちゃんの背中はとてもきれいだったのです。ず、ずっとカッシーさんだったからかもしれませんっ」

「カッシーさんとは何だ?」


 的外れな答えをしたスーが、何か焦ったように口を滑らせた。

 フローレンスさんは初めての名前に眉を顰め、カッシーの名前を知っているマットも遠巻きに首を傾げる、

 いずれ話す気だったし、いい機会かもしれない。でもマットにはまだ早い。

 フローレンスさんが隠しているのに、俺との話を聞いて芋づる式に知られることになってしまいかねない。

 幸いではないが、俺は下着だけのほぼ素っ裸になっている。今さらではあるが、腕で胸を覆いながらマットを軽く睨んだ。


「そんなに俺の裸が見たいのか?」

「バ、バカ言うな‼」

「だったら向こう行っててくれないか。さすがにジロジロ見られると恥ずかしい」

「す、すまない」

「心配してくれているのはわかってる。ありがとう」

「あ、ああ」


 真っ黒な衣装の上に真っ赤な顔をしたマット。一流冒険者は存外純情らしい。大股で立ち去ったのを見送り、スーへ頼んだ。

 カッシーになる前のことはスーにも言えていないから、とりあえず席を外してもらいたい。


「スーはマットをしばらく見張っていてくれ」

「わ、わかったのですっ。マットさんのことをすっかり忘れてましたっ」


 スーと追いかけっこをした猫が俺の転落原因なので、責任を感じて周囲が見えていなかったのだろう。腕利きスカウトにしては珍しいが、それほど心配してくれているのに追い払って申し訳なく感じてしまう。

 俺は触診が終わったことを確認してから、服を着てフローレンスさんへ顔を向けた。


 いろいろと見て間違いないとは思うが、いざ切り出すとなると中々勇気がいる。普通に考えれば、前世の記憶を持っているなんて口にしようものなら変人扱いされるレベルだ。

 どこから話をしようかと思いながらフローレンスさんの様子を窺うと、手にした枚急箱が目に入った。


「それって赤十字ですよね」

「――何だそれは? 単に治療をする場所や道具の印にすぎないものだ」

「そうでしたか、すみません。印って言えば、マットが開けた入口の扉の記号のような文字みたいなのも、単なる印ですか?」

「まどろっこしいのはやめろ。わざわざマットを遠ざけたのは言いたいことがあるのだろう? 普通は脱がされた最初に手で体を覆うものだ」


 やはり失敗だった。

 意識は基本的に男なので、女としての羞恥とかを全然感じない。スーにもよく怒られているが、フローレンスさんも奇異を覚えたらしい。


「チェスを知っていると、マットが言っていたな?」

「――はい」

「お前は西王国の出身なのか?」

「……西王国?」

「シルビ公国やダグレス帝国から隔絶の大海原を越えたところにある国だ。知らないのか?」


 何となく雲行きが怪しい。

 読み違えたか?

 だとしたらこのまま話を進めるのはマズイ。

 フローレンスさんも不審そうな顔をしている。チェスを知っていて西王国を知らないことが問題だったかもしれない。

いつもお読みくださいましてありがとうございます。

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