ある探偵の証明〜独身者はおっぱいが大きな令嬢との結婚の夢を見るか?〜
うだつのあがらない探偵である私に千載一遇のチャンスが訪れた。
いや、うだつのあがらないと言っても私は決してへっぽこ探偵というわけではない。むしろ、仮に全国探偵大会などというものが開催されればベスト16――まではいかないにせよ、ベスト32くらいまでは食い込む自信がある。「なんだよたかが32番目かよ。その程度で自慢しやがって」とバカにする方がいらっしゃれば止めておいた方が賢明だ。諸君らが全国で32番目までに食い込むことの出来る一芸を持っているのならば、話は別であるが。
私の探偵としての腕はどうだってよろしい。今は件の〝チャンス〟の話である。
私は今日、新宿発箱根行きの電車、オリエンタル急行にて殺人事件に遭遇した。しかもその日は、どこぞの金持ちが全席を貸し切りにしたとかで、車内には容疑者が車掌と運転手を含めても12人しかいない。この事件を箱根に到着するまでの残り30分の間に解決すれば、私はたちまち名探偵として称えられ、富、名声、力などを次々手に入れ、そしていずれはポアロ、ホームズと肩を並べることになるだろう――などと濡れ手で粟の白昼夢を見てほくそ笑んでいたのがつい1分前。12人の容疑者にそれぞれ事情を聞いた今現在の私は「どうしたものか」と思案していた。
私の頭を悩ませているのは容疑者のひとりの八雲楓という女性である。いや、一応は容疑者と言ってはいるが、まず間違いなくこの方が犯人だ。白と黒のゴシックなドレスに返り血が付着していたし、殺害された男性は彼女の許嫁で、彼女はその人との結婚を嫌がっていたと聞くし、そもそも彼女が「アイツが全部悪いんだから!」などと犯人めいたことを喚いているし。
彼女を犯人として警察に突き出すのは簡単である。しかし私がその選択肢を選ぶに選べずにいたのは、彼女が猛烈に美人だったからにほかならない。彼女の美貌を語るにはこの余白はいささか狭すぎるが、諸君らが想像する美人を10倍麗しくしたものを考えて頂ければそれが彼女に当たる。ついでに言えば胸が大きい。
おっぱいが大きい美人に殺人が許されるのかといえばそうではない。犯罪者は犯罪者。そんなことは百も承知だ。
しかし諸君、少し考えてみてはくれまいか。私は今年で32歳になるというのに、人生の伴侶に巡り会えていない。それどころか女性とお付き合いしたこともない。手を繋いだことも、甘酸っぱい接吻も、もちろん夜の営みも、悲しいことに経験したことがない。そんな私の前に猛烈な美人が現れたのだ。これはもう、ロマンスを期待するなという方が無理だと言えるのではなかろうか?
しかしながら、あいにく彼女は犯罪者。探偵と犯罪者は水と油の存在であるのは言わずとも知れたことであるからに、必然、私達が結ばれる可能性は皆無である。だが結ばれたい。どうしても彼女と結ばれたい! あなたと合体したい!
このまま箱根の駅まで到着してしまえば彼女が警察に捕まることは間違いない。残された時間はもう僅かである。
どうする、どうする、どうする――と、考えること十数秒。私の灰色の脳細胞はひとつのステキなアイデアを思いついた。
「木を隠すなら森の中。犯人を隠すなら犯人の中。そうだ。この電車に乗っている容疑者全員を犯人にしてしまえばいい」
○
容疑者全員を犯人にするという私のアイデアを聞いた、オリエンタル急行の車掌を勤める栗林くんは「無茶だよ」と言った。「バカじゃないのか」とも言った。しかし私が「そんな態度でいいのかな」と言えば、彼には意見を引っ込めざるを得ない理由があった。
私と同じ大学に通い、また同じゼミに所属していた栗林くんは、今でこそ家庭を持ち、ふたりの子どもとなかなか美人な奥さんに囲まれて幸せな生活を送っているものの、学生時代はたいそうな遊び人で通っていた。毒気の無い大人しい顔つきと柔和な語り口で数多くの女性をたぶらかし、ふた月に一度は連れの女性が変えていた彼は、「オンナは消耗品」と豪語していたほどである。
しかし、驕れる者は久しからずとはよく言ったもので、そんな当時の振る舞いが今の彼にとっては弁慶の泣き所となっている。私がひとたび「キミの奥さんと可愛い子ども達に学生時代の思い出話を聞かせてやろうか」といえば、彼は私に逆らうことが出来なくなるのだ。貸し切りのはずのオリエンタル急行に、招かれざる客である私が、「トイレの中にこもっているのなら」という条件付きでこっそり乗せて貰えたのもこの理由に起因する。
先頭の展望車に運転手を含めない11人の容疑者を集め、いざ推理ショーの始まりだというところで、栗林くんが私を引っ張り2号車まで連れ出した。何の用かと思えば、単に文句を言いたいだけだったらしい。残された時間が少ないことは伝えたはずなのに、呑気な男だ。
「阿傘くん、本当にやるつもりなのかい?」
「やると決めたらやる。俺はそういう男だ」
「同級生としての忠告だ。止めておいた方がいいよ。全員を容疑者になんて無理な話だけど、それ以上にあの八雲さんって子はおススメできない」
「さすが栗林殿、女を見る目はあるようですな。その審美眼の源について、是非とも貴方の奥さんと話し合いたいものだ」
栗林くんは泣きそうな顔を天井に向けて頭を抱える。大げさな男だ。自分が悲劇のヒーローにでもなったつもりだろうか。
「だいたい、阿傘くんは昔からギリギリなんだよ。ゼミの研究発表の時だって前日の昼までなにも手につけてなかったし、4年生の時だって、何も準備してなかったから結局どこにも就職できなかったじゃないか。今回だって、君が寝坊して一本前の電車を逃さなければ、そんな突拍子もない言葉を聞かずに済んだんだ。そもそも、ホテルのチェックインに遅れそうだからって貸し切りの電車に乗ろうとするかい? 僕はそこがおかしいと思うな。たまたま僕に会わなかったらどうするつもりだったんだい?」
「チェックインに遅れたらホテルに泊まれないんだぞ。そうすりゃ俺が事前に払った宿泊代は無駄になるんだ。そりゃ、貸し切りだろうがなんだろうが乗れるものには乗ろうとするだろ。そんな中でお前に会えたのは不幸中の幸いだ。感謝してるぞ」
「ホテルに電話で説明して遅れるって言えばいいじゃないか!」
「馬鹿言うな。寝坊したからチェックイン時間を遅らせてくれなんて、非常識なことを頼めって言うのか?」
「貸し切りの電車に乗る方がよっぽど非常識だよ!」と正論をぶつけてくる栗林くんを、「今更になって泣き言を抜かすな」と一蹴した私は、彼を引きずり展望車に戻った。今度こそ、推理ショーの始まりである。
○
「さて、みなさんをここに呼び出したのは他でもありません。車内のトイレから死体で発見された一ノ瀬さんを殺した犯人がわかったからです」
「わかったも何も、犯人は決まってるだろ」と被害者・一ノ瀬の父親が抗議の声を上げ、深窓の令嬢・八雲さんを除く全員が頷く。
しかし私は諦めなかった。なんとしてでもコイツら全員を犯人に仕立て上げねばならぬ。そして八雲さんをめとらねばならぬという、鋼よりも硬い意志があった。
「皆さん方のおっしゃる通り、一見したところ犯人は八雲さんだ。100人の探偵がいれば99人がそうだと言うことでしょう。もしかしたら、ホームズだって金田一だってそう言うかも。しかし私は違う。私の眼だけは誤魔化すことなどできやしないのです」
そこで言葉を切り、大きく間を空けた私は、「順を追って説明致しましょう」と声を張り上げた。ハッタリをかます時はとにかく声を大きくせよというのは、探偵界の常識である。
「一ノ瀬さんはトイレの中で殺された。先ほど死体を拝見させて頂きましたが、胸、腹部、さらには股間の辺りまで滅多刺しにされていて、正直ウンザリ致しました。しかし同時に、この傷を見て私はピンときたのです。犯人は、ひとりだけではないと」
その場がざわつき、「どういうことだ?」という声があちこちから上がる。しかし私は彼らに難しいことを考える暇を与えぬようにさらに続ける。
「確かに、八雲さんはトイレの中で一ノ瀬さんをナイフで刺したのでしょう。しかしそれでも一ノ瀬さんは死ななかった。いやむしろぴんぴんしていた! そうです! 最初の刺突は彼女達がよくやるプレイの一貫だったんだ!」
「そんなわけあるか!」「馬鹿にしてんのか!」「引っ込め!」などの声が上がるが、そんなことを気に留める必要性は無い。清水の舞台は既に頭上。もう止まることは出来ない。
「八雲さんからナイフでお腹を刺されイロイロと元気になった一ノ瀬さんは、みなさんが待つ展望車へ戻ろうとした。しかし多少の失血のせいで頭がくらくらした彼は、八雲さんにここで少し休んでいくと告げ、トイレの便座に腰掛けた。この時点でお腹にナイフは刺さったまま! そこへやってきたのが貴方達だ!」
私は手近にいた一ノ瀬さんの友人夫婦を指さした。
「貴方達は車中でどうしてもムラムラしてしまい、トイレで行為に及ぶことにした! しかし! そこには一ノ瀬さんが! 彼がいることに激情した貴方達は彼のお腹に刺さっていたナイフを引き抜き、そして彼を刺してから、その場を後にしたんだ!」
「な、何を言ってるんだ君は!」「だいたいなんで貸し切りのはずなのにアンタみたいなのがいるのよ!」と反論が上がるが、こういう声には聞く耳持たないのがコツである。
「しかーし! 彼は生きていた! 日頃八雲さんから刺突されていた彼は痛みに強い耐性があったのです! 突然刺されたことに驚き、腰を抜かして便座から立てないでいた彼の元に再び人がやってきた! それが貴方達だ!」
そうして私は八雲さんのご両親に人指し指を向ける。
「貴方達は娘を一ノ瀬さんに取られたことに強い憤りを感じていた! ゆえに、彼がトイレの中で動けないでいることをわかっていた貴方達は、彼を刺しにいったんだ!」
「そんなわけがあるか! 彼はとてもいい男だった! はっきりいって、娘にはもったいないくらいのな!」
「そうですよ! わたし達が彼を刺すだなんて!」
「だまらっしゃい! 娘を取られて平気な両親なんてどこにいるか!」
私が続けて指を向けたのは八雲さんの友人である女性3人組である。3人ともまあまあな美人で、街で見れば視線を向けてしまうほどではあるが、八雲さんに比べれば月とすっぽんほどの差があるので犯人にすることに心は痛まない。全員、おっぱいが小さいし。
「続いて一ノ瀬さんを刺したのは貴方達だ! 私の見立てによれば貴方達は恐らく一ノ瀬さんの元カノでしょう! そして、自分を捨てて八雲さんを選んだ彼を強く恨んでいた! おっぱいの大きさで貴賤が決まるわけではないのにと! 動機は十分! 彼の股間を何度も刺すのも納得だ!」
こちらからは「アンタ馬鹿なの?」「モーソー癖?」「病院行けば?」という冷ややかな声が上がり、これにはさすがにシュンとしたが、この程度でくじけるわけにはいかない。「まだまだ!」と声を張り上げ自らを鼓舞した私は、続けて一ノ瀬さんの両親を指した。
「貴方達も彼を刺したんでしょう! 私にはお見通しだ!」
母親の方は「そんな」と言って怯えた眼をする一方、「馬鹿を言うな。だいたい、実の息子を刺す動機がどこにある」と父親の方はあくまで冷静である。
「……たとえば! 彼は仕事をしておらず――」
「俺の会社で立派に働いているよ。そのうち俺の跡を継がせるつもりだった」
「な、なら! 会社の金を使い込んで――」
「むしろ逆だ。専務の横領を暴いたのが息子だ。出来息子だったよ」
「新しい事業に手を出そうとして失敗し――」
「君くらいの年の男ならパズドリというソーシャルゲームを聞いたことがあるだろう。あれはうちの息子が作ったものだ。新事業への挑戦は成功していた部類だとは思うがね」
なるほど、これはなかなか手強い。しかし、だからこその逆転の一手があるんだ! 私の詭弁力をとくと思い知れ!
私は「そう!」と叫んで天に指を向ける。
「彼は大変な出来息子だった。しかし、だからこそ貴方は息子を刺した! 何故か?! 貴方は息子の才能に嫉妬していたんだ!」
これにはさすがに動揺した様子で、一ノ瀬さんの父は絶句する。この好機を逃す手はなく、私はさらに彼を責め立てる。
「仕事が出来て、自分には気づかない社内の不正に気づいて、美人でおっぱいが大きな奥さんを貰って……まさに完璧な人生を歩む彼に嫉妬した貴方は、あろうことか息子を刺した! そして奥さん! 旦那の気持ちを汲んだ貴方は彼に手を貸したんだ!」
「……大人しく聞いていれば失礼なことを――」
一ノ瀬さんの父は怒りに表情を歪めていく。しかしこのまま彼の爆発を指をくわえて待つ私ではなく、続けて私が指したのは栗林くんである。
「君もだ、栗林! 電車を貸し切るなんて豪遊っぷりを昼間っから見せつけられて腹が立った君は、一ノ瀬さんを刺した!」
「そ、そんな! まさか、僕まで犯人にするつもりだったのかい?!」
「ええい、しらばっくれやがって! しかし気持ちはわかる! 金持ちを見ているのは大変イラつくからな!」
栗林くんと無理に肩を組んだ私は続けて声を張り上げる。
「ここにはいない運転手も、もちろん一ノ瀬さんを刺した! 動機は恐らくなんやかんやあったんだろう!」
「なんやかんやってなんだよぉ!」
「細かいことは気にするな!」と言いながら栗林くんを突き飛ばせば、彼はふらふらと席に座り込んだ。
もう私を邪魔する者は誰もいない。私は深く呼吸をして息を整えた後、こちらを睨む容疑者改め犯人共の間をすり抜けて、先頭の席で気怠げに外の景色を眺めている八雲さんの元へ歩み寄った。オリエンタル急行の細い通路は、私にとってはもはやバージンロードに等しい。
「……なかなか戻らない一ノ瀬さんを心配してトイレに向かった貴方はさぞ驚いたことでしょう。最愛のフィアンセが滅多刺しにされていたのですから。その光景に動揺した貴方は、彼に刺さっていたナイフを引き抜き、そして何となく指紋を拭いた。ゆえに、恐らく凶器となったナイフには彼らの指紋はついていないはずだ」
「なんでなんとなく指紋を拭く必要があるんだよ!」という至極まともなツッコミが聞こえてきたので、私はそれを「動揺してたんだからしかたないだろ!」というひと言でねじ伏せる。
「しかし貴方は驚いたはずだ。なにせ、一ノ瀬さんがまだ生きていたのですから。彼は息もたえだえになりながら貴方に言った。最期は、貴方の手でイかせて欲しい、と。……そうして、貴方は一ノ瀬さんの心臓にナイフを突き立て、彼に止めを刺したんだ」
こちらに顔を向けた八雲さんは何か言い掛けたが、私は片手でそれを制し、10人の犯人共の方を振り向く。
「みなさん、本来であれば殺人とは許される行為ではない。はっきり申し上げて、みなさんは最低のクズ野郎です。しかし、今回ばかりは事情が違う。被害者である一ノ瀬さんは殺されてしかるべき人間でした。たぶん、様々な人から恨みを買っていたことでしょう。金持ちですし。だから、こうしませんか? 私は犯人を見た。しかしそれは、今現在車内にいる人間ではありません。犯人は一ノ瀬さんを刺して窓から逃走。そして、そのまま行方知れず。……それでいいと思うのです。正義と悪の天秤が、少しばかり正義の方に傾いた今回ばかりは……それで、いいと思うのです」
犯人共は何も言わなかった。どうやら、なんやかんや上手くいきそうである。
確信の笑みが思わず口元に漏れたその時、私の背中に柔らかい感触があてられた。まさかと思い恐る恐る肩越しに振り向けば、なんと八雲さんが私に抱きついているではないか!
これはもう、アリだろう。ヤっちゃっていいだろう。箱根の旅館に宿泊人数がひとり増えることを早急に電話すべきだろう。やった! サヨナラチェリー! 新婚さんいらっしゃい!
めくるめく桃色のロマンスを夢想しながらも、あくまで冷静を装って八雲さんに「どうされました」と尋ねると、彼女は「ありがとうございます」と涙に潤んだ声で言った。
「……アタシ、どうしてもあの男との結婚が嫌で。だって、マジメすぎてキモイじゃないですか。あの歳で童貞だし。だから、トイレでヤろうよって誘って、そこでナイフで刺しちゃって」
「いいんです。この事件は、貴方だけが悪いわけではありません」
「よかった。……実は、箱根にはアタシの本当の彼氏がいるんです。ダイちゃんっていうんですけど、探偵さんには後で紹介しますね」
「なるほど」と呟き、ポケットに入れていたスマートフォンを取り出した私は、迷うことなく110番を押した。
オリエント急行殺人事件の映画を観てきました