【改稿版】 ２Ｄワールドへようこそ！

第５話 レインボー・オブ・ホエール【ジャンル：ドキュメンタリー番組】

「わあ、凄ーい！」

　学校が終わった後、速攻で帰って来たと思ったら。

　早速、録画してあった番組を見ている姫。

「とても楽しみにしてたんですよ。空からしか、見た事が有りませんでしたから。」

　姫が見ているのは、ホエールウオッチングのドキュメンタリー番組だ。

　船で近付いてクジラを見ると言う行為に、興味を惹かれたらしい。

「海側から見ると、結構な迫力なんですね。」

『ふむふむ』と言った顔付きの姫。

　シンは、嫌な予感がしていた。

　また何か言い出しそうな……。

　すると、案の定。

「私も！ホエールウオッチングがしたいです！」

　目を輝かせて、姫はシンの顔をじーっと見る。

　やっぱりこうなるか……。

　こいつ、俺の事。

　便利屋みたいに思ってないか？

　力をくれた理由さえも、勘繰りたくなって来た。

　仕方無くシンは、姫に尋ねる

「念の為に聞くけど。見るだけで良いんだよな？『背中に乗りたいですー』とか言い出さないよな？」

「そんな事言いませんよー。今は。」

『今は』の部分だけ、囁（ささや）き声になる姫。

　幸いにも、シンには聞こえなかった様だ。

　行きたい場面で一時停止する姫。

　すると直ぐに、シンが。

「行くぞ。」

「ああっ、待ってーっ！」

　シンの腕に、慌てて姫が捕まった時。

　うっかり姫の足先が、リモコンの再生ボタンを押してしまい。

　入りたかった場面から、画面が変わってしまった。

　それに気付いたのは、入った後の事だった。

『お嬢さん、ごめんよ。今日の分は、この船でお終（しま）いなんだ。』

　ホエールウオッチング担当の船長が、申し訳無さそうに姫へ告げる。

『そんなあ……』と姫は、残念そうにうな垂れる。

「一度外に出て、また入り直せば良いじゃないか。な？」

　シンが何とか宥（なだ）めようとするも。

　頑（かたく）なに拒む姫。

「それじゃダメなんです！」

「何で？」

「実は、言い忘れていたのですが……。」

　モジモジしている姫。

　何かを言いたそうだが、何度か躊躇（ためら）う。

　しかし最後には、思い切ってシンに打ち明ける。

「一度入った２次元世界は。再び入り直すには、或る程度の時間を置く必要が有るんです。」

「結構大事な事じゃないか！何で最初に言ってくれなかった！」

　思わず大声になるシン。

　シュンとしながら、姫は続ける。

「『堪能した後は、もう入りたく無くなるだろう』と思っていたのです。入り直す必要は無い、と。ですから、敢えて申し上げなかったのです。」

　そう言えば、この前の少女漫画の時も。

　もう入りたく無いって思ったっけ。

　人間は意外と飽き易い者、シンも『姫の指摘は正しい』と思っていた。

　姫は続ける。

「そして、それは。その世界観を壊さない為の、安全装置の様な物でも有るのです。」

　少女漫画の世界で、シンが飛び出して行ったあの時も。

　入り直して、シンの行いを【無かった事にする】のは可能だった。

　自分で自分の行動を阻止すれば良いのだ。

　しかしそれでは、同じ世界に同一人物が２人存在する事になる。

　矛盾が生じてしまう。

　しかも、阻止が成功するかは分からない。

　それは、現実世界に近い世界観では。

　シナリオの破綻（はたん）を招きかねない。

　姫が入り直さずに、『来月号で何とかした方が良い』と言ったのも。

　そう言った懸念もあっての事だったのだ。

　シンは姫に、『もっと信用してくれよ』と言ったニュアンスを滲（にじ）ませながら言う。

「理由は分かったけど。それならそうと、初めにちゃんと……。」

「申し訳有りません……。」

　半分泣きじゃくっている姫、責めたつもりは無いのだが。

　相手がそう受け取ってしまった以上、この場は。

　どっちもどっちで流すしか無いシン。

「ああ、だからもう泣くなって。次に入れる様になるまで、いつまで待てば良い？」

「……分かりません。」

「は？」

　口をあんぐりと開けたままのシン。

　未（いま）だにメソメソしながら、姫は告げる。

「一度外に出るまで、分からない様になっているんです。それに期間は、それぞれの世界観によって変わるのです。」

　再び入っても、影響が無い位に。

　〔安全装置〕と申し上げたでしょう？

　姫がそこまで言うと、シンは。

　眉間にしわを寄せて、少し考える。

　そして念押しで、姫に尋ねる。

「じゃあ、今。何とかするしか無いんだな？」

「はい……。」

「なら、早くしないとな。船長に聞けば、何か分かるかも知れない。」

　動こうとするシン、その右腕を。

　ガシッと掴んで、姫は止めようとする。

「もう良いんです！これ以上シンに、迷惑を掛けられません！」

「迷惑なんかじゃ無いさ。本当は見たいんだろう？クジラ。」

「でも……。」

　尚も躊躇う姫、彼女に対して。

　シンは、姫の真意を問い質（ただ）す様に言う。

「『でも』じゃ無くて！俺が遣（や）りたいから、するんだよ！」

「……。」

「それに。あらゆる場面を想定して、動ける様にしておかないと。また、そう言ったケースに出くわさないとも限らないからな。」

「シン……。」

「姫はここで待ってろ！ちょっと行って来る！」

　シンは颯爽（さっそう）と駆け出した。

　ありがとうございます、シン……。

　涙を拭（ぬぐ）いながら、シンの背中を見つめ。

　彼の心遣いに感謝する、姫なのだった。

　船長に理由を話し、何とか成らないか頼み込むシン。

　返って来た答えは。

『ホエールウォッチングの船は終わったけど、巡視船は出ると思うよ。』

「本当ですか！」

『この近海はちょっと物騒でね。あんた達、えらい遠くから来てるみたいだし。乗せてもらえる様に、頼んでみようか？』

「ありがとうございます！是非お願いします！」

『あんな美人の嬢ちゃんの泣き顔は、俺も見たく無いからな。ちょっと待ってろ。』

　船長はシンに、そう言うと。

　向こうの桟橋に停泊している船の方へ走って行く。

　船の傍に立っている人と、何やら話し込んだ後。

『OKだってよ！良かったな！』

　船長がシンに向かって、そう叫んだ。

「感謝します！」

　船長に対し、深々と頭を下げた後。

　シンは姫に、声を弾ませて言う。

「良かったな！乗せてくれるってよ！」

「はい！」

　姫の顔は、笑顔に変わっていた。

　巡視船の傍まで２人が来ると、船員らしき人が何やら差し出した。

『これを着て、ライフジャケットだよ。それと危なくなったら、船室の奥に行って身を屈（かが）めなさい。分かったね？』

「「はい。」」

　元気良く返事する２人。

　ふと疑問が湧き、船員にシンが尋ねる。

「観光スポットなのに、そんなに危ないんですか？」

『俺達は、その海域の向こうに用があるのさ。クジラはおまけだよ。』

「そうですか。」

『さて、そろそろ出港するぞ。乗った乗った。』

　船員にそう急かされ、シンと姫は船に乗り込んだ。

　岸を離れて、かなり距離が経った。

　クジラが見える海域に達したものの、お目当ての物は見当たらなかった。

『こりゃ外れかな。済まないね、大抵は見られるんだが。』

「いえ、乗せて頂いただけで十分です。」

　姫は船員に、感謝の言葉を述べる。

『もう少し行った先で、暫（しばら）く監視して。それから港に戻るから。もう少し我慢してくれ。』

　船内には、屈強な男達が何人も乗っていた。

　波が高くなって来る中。

　結構な揺れにも係わらず、色々と動き回っていた。

　巡視船に乗るのは、シンも流石に初めてだったので。

　少々緊張していて、船酔いどころでは無かった。

　すると突然、誰かが叫ぶ。

『あれを見ろ！密漁船だ！』

　ぽつんと浮かぶ、明らかに外国の船が一隻。

　それと何故か、クルーザーらしき船も一隻。

『くそっ！良い様にさせて堪（たま）るか！』

『坊や達、運が悪かったな。急いで船内に避難してくれ。』

「分かりました。」

　どうせ、何も手伝える事が無いので。

　物分かり良く、２人は船の奥に引っ込んだ。

『そこの船、停止しろ！さもなければ実力行使する！』

　船員が警告を発する。

　どんどん緊迫度が増して来る。

『あいつ等、加速しました！』

『逃がすか！警告射撃！』

　パパン、パパン。

　二度、銃声がした。

『旋回して来ました！突進して来ます！』

『衝突を咬（か）まして、躱（かわ）すつもりか！総員、衝撃に備えろ！』

　ドスン、ドッスン。

　お互いの船体の横部分が、激しくぶつかり合う。

「わあっ！」

「きゃっ！」

　その度に、２人は船内で振り回される。

『せめてもの事をしよう』、そう考えたシンは。

　一か八か、両方の船体にシールドの展開を試みる。

　姫は揺られる間、必死に祈るだけ。

　シンの願いが通じたのか、船体に薄っすらとシールドが張られた。

　これで、沈没は免れるだろう。

『今だ！乗り込め！制圧しろ！』

『応援はまだか！』

『もう間も無く、到着するとの事です！』

　船員達のやり取りが激しくなる。

　シンと姫は、とんだ修羅場に出くわしたものだ。

　その後直ぐ、応援が２隻駆け付け。

　相手の船員は、全員捕縛された。

『乱獲された魚介類らしき物は、船内には見当たりません。』

『怪しいな……おい！お前達！ここで何をしていた！』

　巡視船の船員による尋問が始まったが、相手方はただ首を振るばかり。

『知らない、あなた達の言葉は通じない』とでも言いたいらしい。

　しかし、特別な力のおかげで。

　巡視船の船員には分からない、外国船の乗組員同士がこそっと交わしている。

　ボソボソしたやり取りを、シンは聞き逃さなかった。

「船底に隠しておいた【ブツ】が、何だって？」

　人混みからひょっこり顔を出したシンは、縛られた奴等を睨（にら）み付け。

　わざとらしく大声で、そう言った。

　巡視船側は驚き、外国船側は顔が真っ青になる。

　シンの言葉は両方に、それぞれの言語で通じていた。

「『このまま【ブツ】が見つからなかったら、俺達の勝ちだ』、か。残念だったな。」

　そう、こいつ等は。

　覚せい剤の売人だった。

　密漁船を装い、海上で受け渡しをしていたのだ。

「あいにくだが俺には、隠し場所も見えてるぜ。皆さん、俺が指示した場所を調べてみて下さい。」

　シンに促されて、半信半疑で外国船を調べていた巡視船側は。

　古い船体なのに、そこだけ妙に新しい床板を見つけ。

　それを剥（は）がしたところ、大量の覚せい剤原料が見つかった。

　そこで観念したらしい。

　たった今、容疑者に格上げされた連中は。

　皆、大人しくなった。

『今日は、本当にありがとう。しかし君達は、一体……。』

　帰港途中で。

　巡視船の船長は、お礼の言葉を述べながら。

　シンの事を不思議がる。

『あいつ等の仲間でも無さそうだし。何故分かったんだ？』

「世の中には、不思議な人間も居るんですよ。」

　信じて貰えないだろうが、シンなりの誠意だった。

　船長は、追及を諦めた様だ。

『そう言う事にしておくか。ところで、是非お礼をしたいのだが……。』

　船長が、そう言い掛けた時。

　突然、姫が叫ぶ。

「あ！見て下さい！綺麗……。」

「本当だ！この景色を見せてくれて、ありがとうございます。お礼は、これで十分ですよ。」

　姫が指差した先には、大きく潮を吹き上げるクジラが。

　そして潮の辺りに、小さいながら虹が架（か）かっていた。

　夕焼け空を背景に、それは最早芸術の域。

　そう、これだけで良い。

　姫の満足気な顔を見て、シンは心からそう思うのだった。