第6話「聖杯」
「なぁ。なぁおいって!聞いてる!?」
「なによギャーギャーうるさいわね盛りのついた猿みたいに。なに?」
「ついてこいって言ったけど、どこに向かってるわけ?まさかあの遠くに見える城じゃないだろうな。どう考えても歩いていける距離じゃないぞ!?」
「んなわけないでしょ。バカなの?」
「こ、この野郎……!徒歩じゃないとしたら、車でもあるのかよ?」
「ここにそんなものがあると思う?もう少し頭を使って喋りなさいよ」
「なんでいちいち人をディスってくるの!!」
「そういうお人なんだモル……気にしちゃダメモル……」
「あら。劣等生の分際で、随分私のことを知った風に言うじゃない」
「ご、ごごごごごめんなさいモル!!」
「ともかく!どこの誰かも知らん奴にはついていけないぞ。知らない人にはついていくなって教わってんだこっちは。せめて自己紹介くらい……」
「ガキかよ」
「はァ!?」
金髪の少女はでかでかと溜息を吐いて、告げる。
「アルトリア。私の名前。ここはエンターク。私とそこの劣等生の出身地であり、精霊だけが住まう国。そして遥か昔から地球と"結石"を守護する役目の担い手。あそこにある城はエンターク城で、この国を統率する王女はあそこにいる。私はその娘、つまり王姫。この国で2番目に偉い。この国は地球を守ってあげている立場だからこの国にいる全ての精霊は例えそこの劣等生であっても地球の誰より偉い。そしてその中でも私は2番目に偉いわけだから私はアンタより偉い。何か言いたいことはあるかしら?」
「お前が俺より偉いって話必要ありました!?…………で、結石ってのはなに?」
その言葉を聞くや否や、アルトリアはモルの頭をがっしりと掴む。
「おい劣等生。役目はどうしたわけ」
「ちゃ、ちゃんと落ち着いてから話すつもりだったんだモル!話そうとしたら"侵略者"が襲ってきて、ひと段落したから話そうと思ったらショータが気絶して、そこに姫様が現れて……!!」
「へぇ、情報伝達の魔法は?」
「……………………忘れてましたモル」
ゴギュル。と嫌な音が鳴った。子犬ほどの体躯しかないモルが全力で近くの木に投げつけられた音だった。
「ひぇ……」
「まぁいいわ。情報伝達の魔法は送受信する側双方に相応の理解力がないと使えないわけだし、アンタたちにとっては豚に真珠ね」
「息をするように両方ディスるな!!」
「どうでもいいけど、着いたわよ」
「…………着いたって」
聖園から出て徒歩数分。辿り着いたのは見知らぬ原野。厳密には原野の入口、或いは出口とでも言うべきか。広々とした草原が眼前に広がっているが、アルトリアが向いているのはその背後、木々が生い茂った森。エンターク城と呼ばれる場所とは、反対方向に位置する所だった。
「目を閉じなさい」
「なんで?」
「いいから閉じろ」
言われるがまま、目を閉じる。
「少し揺れるわよ」
「……揺れるって、どう────────」
直後、振動があった。
しかし、地震のような明確な揺れと言えるものではない。事実、輝太の身体には寸分ほどの振動は起こらなかった。不確かで曖昧なそれは、酩酊感に近いものだ。輝太の頭の中、或いは意識や精神に対して直接振動が伝播した。それを知覚した瞬間、咄嗟に輝太は目を見開く。
「…………………は!?」
「着いたわよ」
視線の先には、城があった。
聖園から見たときは遥か遠く、数百キロメートルはくだらないであろう場所にぼんやりと佇んでいた城が、目の前にあった。何かの乗っていたとか、乗っている間に眠っていたとか、そんなものではない。ただ単純に、跳んできたのだ。ここまで。
「これは、えっと、所謂ワープ的な……?」
「少し頭の中に負荷がかかったかもしれないけど、問題はないでしょう。さ、行くわよ」
「行くって、城の中に?王女様に挨拶でもするの?」
「そうよ」
無感情な表情ともに、アルトリアは言う。
「"魔法使い"になったアンタの務め。全てを知ることが、アンタの最初の仕事よ」
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エンターク城の中。大広間と呼べるような場所の奥、豪奢な椅子に座る女性がいた。
年齢で言えば20代にしか見えず、アルトリアをそのまま大人にしたような風貌。アルトリアの話を統合すれば少なくとも一児の母であるはずなのだが、とてもそうは見えない若々しさがある。しかし、どこか大人の妖艶さを感じさせるような、人間離れした魅力を持つ何かがそこにいた。
「はじめまして、最後の資格者、神郷輝太。私はアルトリンデと申します。貴方の戦い、見ていましたよ。急な出来事だったとは思いますが、よくぞ"侵略者"を退けてくれました」
「……………は、はい!………………綺麗な人だなぁ……」
「頭の中の声がダダ漏れよ」
「う、うっさい!」
「本来、色々と説明したうえでここに来ていただくことになっていたのですが、今回は急な戦いでしたし、共に全てを説明しましょう」
「はあ……」
トン、と。アルトリンデが身の丈程もある杖で地面を叩く。
瞬間、輝太の意識は、完全に世界から切り離された。
「(……………え……?)」
頭に流れ込んできたのは"歴史"だった。
過去から現在、そして未来に至るまでの可能性の一端。エンタークという国が生まれ、地球を守護する役目を担うこととなった経緯の全てと、それに関わる総て。
────────そして、とある戦争の記録。
後に"妖精戦争"と名付けられる、戦争の記憶だ。
『もうダメだよ、勝ち目なんてない!』
『それでも、あいつらだけは絶対に……!!』
『なんで……なんで裏切ったんですか!───さん!!』
『あいつは止める。ここで、必ず……!!』
『……俺たちで終わらせるんだ。この、腐った戦争を』
戦争の中の情景が、ダイジェストのように頭に過ぎる。多くの戦士たちが戦い、多くの戦士たちが犠牲となった。
最後に残ったのは、ただひとり。小さな丘の上に居る少年は、懺悔するように膝を折って佇んでいた。
その手に、光り輝く杯を携えて。
輝太は、あの輝く杯を知っている。
エンタークが戦争の果てに守り抜いた平和の象徴であり、全ての人々の願望の収束点。あらゆる願いを実現させる、大いなる聖杯。
あの輝きが齎す破滅も、救いも、知っている。
あの輝く杯を、知っている。
「────────時の、杯……?」
やがて、輝太の意識は現実へと引き戻された。途方もない歴史を、脳内に刻み込まれたまま。
「……………な、なんなんだ今の……!?なんだあの戦い……いや、戦争……?"侵略者"とか、"魔輝結石"とか、色んなもんが頭に入り込んできて……"時の杯"ってなんだ!俺になにをしたんだ!!」
「情報伝達の魔法です。これから話すために必要なことを、あなたの脳に直接刻み込みました」
「あんたにも人並みの理解力はあったのね」
「だから息をするように人をディスるな!!………さっきのはこの世界の歴史……みたいなものなのか?」
「言わなくたってわかるでしょう。あんたは実際に体験したんだから」
輝太の脳に、むしろ魂そのものにまで刻まれたのは、まるで実体験したかのような感覚だった。とある戦いで、大きな犠牲を払った。大きな傷を負った。体験したこともないことが、つい先程の出来事ことのように心の奥まで染み込んでいた。
"結石"を護る為に、"魔法使い"たちが"侵略者"との戦争をする歴史。その最中に、輝太の精神と感覚が放り込まれたのだ。
「……エンタークと地球は、遥か昔から"侵略者"と呼ばれる外界からの敵に脅かされています。我々はエンタークと地球を守らねばならぬ身、しかしエンタークの精霊には、"侵略者"に対抗する術がありません」
「……だから、あんた達は地球の子供たちから戦士を選んだ…………"時の杯"って呼ばれてる、願いを叶える聖杯をエサにして、"魔法使い"になる力を与えた」
時の杯。あらゆる因果を超越する聖杯。
その強大な力は、いとも容易く世界の理を覆す。
しかし、この世界にただひとつしかないその宝は、強大すぎる力を持つが故に封印され、その封印を解けるのも、それを扱えるのも"魔法使い"の王ただひとり。だからこそ、願いを持った"魔法使い"達は戦う。王となって願いを叶える為に。
「エンタークは魔輝結石と呼ばれるものを守護する為に存在しています。エンタークはただ宇宙のどこか、世界のどこかにある国ではなく、地球の裏側にある世界です。地球の影、或いは並行世界。呼び方は様々です。エンタークの使命は結石の守護。本来ならば、他の世界に深く関わることは必要とされておらず、他世界からの干渉も一切受けないようになっています。しかし……」
「エンタークと唯一物理的な扉を持つ地球が、エンタークにとっての唯一の弱点ってわけ。もし地球が"侵略者"の手に落ちれば、遠からずエンタークへの扉の在り処もバレる。どころか、地球が支配されてしまえばエンタークは逃げ道を失って詰みになる。だから私たちは、」
「地球とエンターク、そして結石とやらを護る為に"魔法使い"を作り上げた。………あぁ、くそっ、なんだこれ気味悪い……全く知らないことなのに、なんか知ってることみたいに頭に流れ込んでくる……」
「貴方に課せられた使命はエンターク、そして結石の守護。貴方はこの世界で数少ない、"魔法使い"に選ばれた存在……王になる資格を得たひとりなのです。神郷輝太」
「………………」
「情報伝達の魔法でご存知とは思いますが、なにも無償でその役目を押しつけているわけではありません。貴方が戦い抜いた先、真の王として認められることができれば、時の杯を使う資格を得ることができます」
「けど、"魔法使い"はあんただけじゃない。誰が王様になるかはあんた達の頑張り次第ってわけ。死にものぐるいで戦ったとしても、願いが叶うとは限らないわよ。………まぁでも、この話をしてリタイアするって言い出したバカはいないし、あんたもどうせそうなんでしょ?」
「………………あぁ、降りるつもりはないよ」
何かを侮蔑するように息を吐いて、輝太は言う。
「………叶えたい願いなんてないけど、俺は戦う。……………その為に、俺は生きてるんだから」
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「…………………………どうなってんだ、これ」
一頻り話を聞いた後、輝太はエンターク城を後にした。大広間を抜け、城の正門を抜けた所で、輝太は元の世界へと舞い戻る。輝太にとってはどことなく見慣れた路地、通学路の脇にある細道に、輝太とアルトリアは居た。
「な、なんで!?なんであの城がこの路地に繋がって……っていうかその扉、廃墟のビルの裏口だろ!?なんであの城と………どうなってんだ!?」
「これが所謂エンタークと地球を繋ぐ扉よ。どこにでもあるし、どこにもない。私たち精霊と、時の杯に選ばれた"魔法使い"だけがこの扉を扱える。あんたの家のトイレの扉からだって行けるわよ」
「…………………ごめん、よくわかんない」
「……チッ、低脳が」
「ストレートに悪口言うのやめてくれます!?」
「劣等生から聖輝石を受け取ったでしょう。あれが扉を開く鍵ってこと。あれを持っている限りはエンタークを自由に行き来できるし、聖輝石を持ってない者は地球上の全てを探したってエンタークには辿り着けない」
「……でも、待てよ。この変なキラキラしたペンダントを持ってない限りはエンタークに入れないんだろ?なら、"侵略者"たちはどう足掻いたってエンタークには行けないじゃねぇか」
「そうでもないのよ。劣等生、あれ出しなさい。"侵略者"を迎撃したなら、ひとつは持ってるでしょ」
「ショータが気絶してる間にちゃんと回収したモル!えへへ」
「当たり前のことをした程度で威張ってんじゃないわよ」
アルトリアはシュンとしているモルから小さな小石のようなものを受け取る。
小指の先程度の大きさしかないそれは、金平糖のように不規則な凹凸を持っていた。無骨な様相ではあるが、その輝きはそこいらのジュエリーショップで扱われている宝石と遜色ない程に煌びやかなもので、形は歪ではあるものの、輝太の持つ聖輝石と似ているようにも見える。
「これが"魔輝片"。早い話が、魔力が結晶化して生まれた結石のなり損ない。"侵略者"はこれがないと活動できず、これを取り出せば完全にこの世界から"侵略者"を動かしている魂の断片が弾き出される。"侵略者"を倒せば数はまばらだけど必ずこれが排出されて、あんたたち魔法使いはこれを精霊に取り込ませることで自身の力を強化することができる。魔力の塊って餌を精霊に与えて成長を促すってところかしら。そもそも"侵略者"っていうのはだいたいが実体のない尖兵、無人のドローンみたいなもの。"侵略者"は世界間を移動できる手段を有しているけれど、奴らにとって結石の影響が濃い地球の環境はおそらく自分の体に適したものじゃないんでしょう。だから基本的にはガワを使って侵略しにきてる。本体を地球に現界させることもできるけれどそれには膨大な量の魔輝片と魔力リソースが必要になるし、なによりその状態で現界する際の核となる魔輝片を砕かれれば魂ごと消滅して死ぬことになるわけだから、リスキーすぎてそういう手はなるべく使いたくないんでしょうね。それに、本体が来ても地球の環境に適応できずに細菌やらなんやらで死ぬ可能性だって万に一つでもあるわけだし。昔そういう映画があったでしょ、何十年か前?何年か前だっけ?侵略してきた宇宙人が地球の細菌に侵されて死ぬやつ。エンタークと地球を行き来してると時差ボケが多くてダメね、いつの映画だったか忘れたわ。まぁわかりやすく言えば、もう現実的とも言えるレベルの技術は有しているのに未だに人間が宇宙探索に乗り切らないのと同じ理由。謎が多い場所、危険が潜んでそうな場所には本腰入れて立ち入りたくないっていう深層心理が」
「話がなっっっっっっっげーーーーよ!!!!精霊ってのはどいつもこいつも要点だけまとめて言えないのか!!」
「……つまり、魔輝片は聖輝石とほぼ同じ構造で出来てるってことよ。その差異は純度の優劣でしかない。もちろん、扉は魔法使いにしか開かないように対策はしてある。けど原理上、この欠片を内蔵した"侵略者"が地球で次元を割るような力技をすれば、一発でエンタークへの道が開かれてしまう。だから未然に倒して回収する必要がある。元から"侵略者"にそういう危険性がないのであれば、地球なんて最初から放っておいてるわよ」
「えぇ………」
「だから、あんたの使命は至極簡単。"侵略者"が現れたら倒す。倒して魔輝片を破壊、ないし回収する。それだけよ」
「…………まぁいいや、詳しいことは追々時間がある時にでも聞かせてもらう。とっくに夕飯の時間だし、兄ちゃん怒ってるかな………………………………は?」
輝太は改めてポケットの携帯を取り出して時間を確認する。
「は?待ってなんで?なんで時間が巻き戻ってんの?エンタークなんてとこに行ったせいで電波が狂ったのか?そんなことあるか??」
「あー、それ便利よね。スマホだっけ?私もいい加減買おうかしら」
「っていうかボケっとしてて気づかなかったけど、なんでまだ日が出てるんだ!?エンタークで何時間か過ごしたはずだからとっくに日が沈んでてもおかしく……つーか城出る時に時間見たら20時半だったんだぞ!」
「無様に気絶してた時間も含めれば4時間ちょっとはエンタークに居たわね。まぁ別に、大したことじゃないんじゃない。誤差よ誤差」
「大したことじゃなくないだろどう考えても!!」
輝太が"侵略者"と遭遇したのは16時くらい。それからエンタークへと運ばれて、城を後にする際に携帯で時間を確認した時には20時半だった。
けれど、現時点で携帯が示す時間は16時半。"侵略者"と遭遇してから、ほんの数十分しか経っていないことになる。
「エンタークは時の杯を有しているが故に、時間の流れがズレてるのよ」
「時間の流れがズレてる……?」
「例えば、今の地球は1日が24時間に設定されているでしょう?けど、もし地球の直径が今よりも大きかったり小さかったり、自転やら公転やらの速さが違ったりすれば1日の時間が長くなったり短くなったりする。それと同じようなもんね。そもそも24時間って概念も大昔の」
「要点だけ話せ!!」
「…………時の杯は、その名の通り時間を支配する宝具よ。結石が放つ魔力とは別種の特殊な魔力を常に発してる。例え力を封印されてる状態でもその魔力は少しずつ漏れ出てて、エンタークはそれをモロに受けているから、時間の流れが地球とは違うってことよ」
「つまり、地球での1日がエンタークでは2日とか経ってたりすると?」
「厳密にはおよそ5倍から7倍ってとこかしら。地球での1分はエンタークでの5分に、地球で過ごす1時間はエンタークにとっての5時間になる。エンタークで1日過ごしても、地球では5時間も経っていない。日によってまちまちだけど、だいたいそのくらいよ」
「………な、なんだかすごくファンタジーだ……」
「ともかく、さっさと帰って休みなさい。わかってはいると思うけれど、魔法使いのことについては他言無用よ。まぁ、話したって信じる人は居ないでしょうけれど」
「あ、ああ、わかった。…………つーか、初対面なのに徹頭徹尾偉そうだったな……」
「なんか言った?また蹴られたいの?」
「滅相もございません」
「ったく……それじゃあモルドレッド。くれぐれも役目は忘れるんじゃないわよ。じゃあね」
「りょ、了解モルっ!!」
軍人のようにきっちりとした敬礼をしながら、モルはエンタークへと戻るアルトリアを見送った。
廃墟の扉に消える美少女の後ろ姿を眺めながら、うんざりした様子で「ところで」と輝太が口を開く。
「…………モルドレッドって誰?」
「モルの本名だモル。みんなはモルって呼んでるモル」
「見た目と喋り方に反して名前ごっついなお前………」
アルトリアがいつの間にか置いていった輝太のお気に入りの赤いリュックを背負って、輝太はふわふわした気分で帰路につくのだった。