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(07)恐怖と不安

 



 大ニュースが飛び込んできたのは、その何日か後のことだった。


「みんな聞いてよー!」


 朝、どたばたと教室に走ってきたリサコが、大きな声で叫んだ。ミユキはちょうど、使い方の分からないアプリケーションのことをサチに聞いているところだった。

 突然どうしたのだろう。振り返ってリサコを見上げると、リサコは肩を上下させて息を整えながら、後ろを指差した。


「本物のハピネスドロップを手に入れた人が、隣の小学校にいるんだってよ!」


 ミユキの心臓は激しく跳ねた。わたし以外にも、あのカプセルを手に入れた人がいる──。


「それ、誰から聞いたの!?」

「うちの兄貴! 兄貴が言うには、小学校の中で奪い合いみたいなのが起きてるらしくて、もう大変なんだってよ?」


 リサコの言葉に、にわかに教室は騒がしくなった。都市伝説に過ぎなかったはずのハピネスドロップが実在することが分かったのだから、みんなが興奮するのも無理はなかった。


「どうしよ、オレも本物見てみたいなぁ」

「つまり探せばどっかにあるってことでしょ? 私、本気出して探してみよーっと!」

「それよりさぁ、みんなで向こうの小学校に乗り込もうぜ!」


 火のついた花火がパチパチと爆ぜるように、先生が来ても騒ぎはいっこうに収まらない。みんなが口々にハピネスドロップのことを話している中、ミユキとサチだけはその輪から取り残されたみたいに、ただ黙って座っていた。

 大変なことになった。冷や汗が流れ落ちてゆくのをミユキは覚えた。みんなからは隠し通してきたけれど、ミユキだって今やハピネスドロップの持ち主なのだ。


(奪い合いまで起きちゃうなんて……。わたしが残りひとつのハピネスドロップを持ってることがみんなにバレたら、わたし、どんな目に遭うんだろう)


 何がなんでも秘密を守らなければ、取り返しのつかないことになる。下手をすればハピネスドロップばかりではなく、せっかく手に入れたスマホやペンケースだって奪われてしまうかもしれない。ミユキは、ぞっとした。


「はいはい、静かに! 授業始めます!」


 日直の声はとても届かず、先生が手を叩いて大声を上げた。しんと教室は静まり返ったが、ミユキにはその静けさが怖かった。とにかく一刻も早く、学校が終わりますように。今は無心で祈ることしかできなかった。



 昼休みになっても、みんなの興奮はちっとも収拾がつかなかった。いつものようにサチの周りに集まった女の子たちも、今日ばかりは雰囲気が違う。ハピネスドロップの実在を疑い続けていたユキナが、暗い顔で「嘘じゃなかったんだね」と言った。


「信じる価値、あるかもよ」


 リサコが応じた。


「さっき誰かが言ってたけどさ、実際にあるっていうならあたしたちだって見つけられると思わない? 何か、落ちてる場所のヒントみたいなのってないの?」

「聞いた話だと、ドロップの入ったカプセルは家のすぐそばにあるみたいよ。大事なのは『欲しい!』って強く願うこと。そうするとドロップが家の近くに現れて、手に入るんだって。だけどすごく目立たないから、よくよく探さないとダメなんだってさ」

「ちょっと待ってよ、願うだけならあたしたちだって願ってるじゃん」

「そしたらあとは探すだけなんじゃない? 中身は十粒もあるんだし、うちら全員で手分けして人海戦術で探すのも悪くないよね。──サチちゃんと三沢さん、聞いてる?」


 不意に名前を呼ばれたミユキは、あわててうなずいた。サチも「聞いてる」と言った。

 ああ、ここから逃げ出したい。一生懸命に笑顔を繕いながら、ミユキは乾いた口で息を吸った。いつ、どんな形で、ミユキがドロップを持っていることが発覚するか分からない。もしもドロップを拾ったあの日、公園のベンチで泣いていたミユキの姿を、誰かがこっそり見ていたらどうしよう。なにせ、公園の目の前にはサチの住まう高層マンションがそびえ立っているのだ。


(万が一にも平山さんが、公園にいるわたしを上の階から見てたとしたら……)


 サチが告げ口をするような子ではないと分かっていても、疑心暗鬼のミユキは誰を信じていいのか分からない。不安を打ち消そうと、ミユキはサチの顔色を恐る恐る覗き込んだ。

 その時、はっと目覚ましい思いつきが頭のなかで光った。

 ミユキがカプセルを拾ったのは、サチのマンションの目の前にある公園だ。考えてみたら、あの公園はそもそもミユキの家の近所ではない。お母さんを遠ざけたい一心でやみくもに走り続けた結果、偶然たどり着いただけだった。ミユキの住む団地と比べたら、目の前に立っていたサチの家の方が何倍も近いのだ。それにミユキは、あのカプセルを拾った時、ハピネスドロップの名前さえも知らなかった。拾った翌日、この教室でハピネスドロップのことを聞いて、試しに使ってみることにしたのだった。

 つまり、あのハピネスドロップは、そもそもミユキのものではないのではないか。

 ミユキの焦りは少しずつ色合いを変えていった。ミユキのものでないなら、他の誰かのもの。公園の場所からいって、考えられる人間はサチしかいない。サチは前にいた小学校でハピネスドロップのことを聞いたことがあると言っていたではないか。


(つい何日か前にも、『ハピネスドロップがほしい』って言ってたし……。ううん、だけどねだれば何でも買ってもらえる平山さんが、あのドロップを欲しがる理由なんてない)


 不安になったミユキの視界に、微笑みながら話に耳を傾けているサチの姿が映る。思わず声をかけようとすると、教室の扉のところでサチを呼ぶ声がした。新井先生だ。


「平山さん、いるー?」

「サチちゃんここにいるよー」


 呼ばれたのはサチなのに、真っ先にユキナが返事をした。サチは何も言わず──いや、小さな声でごめんねとつぶやいて、先生のところへ歩いてゆく。まるで夢を見ているような足取りだった。

 ミユキはその背中を、サチみたいに黙って見送った。


「お説教かな?」

「まさかぁ、あのサチに限って説教はないでしょ」


 だよねぇ、とリサコが笑い声を上げた。サチの座っていた空間をぽっかりと空けたまま、女の子たちはまたハピネスドロップの話に戻っていった。サチと先生がドアの向こうに消えたので、ミユキも仕方なく、みんなの輪の中に顔を向けた。


(……何か、あったのかな)


 ドロップのことも気がかりだったけれど、ミユキには今のサチの様子もまた、同じくらいに気がかりだった。




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