(04)本物を見つけた
次の日、学校に行くと、女の子たちの間でこんな噂話が交わされていた。
「ねーユキナ、聞いた? 『ハピネスドロップ』の都市伝説」
「何それ。初耳なんだけど」
「平山さんは?」
「私もあんまり知らないかな」
「うちも昨日、兄貴から聞いたんだよー。なんかね、外見はピンク色の小さな粒なんだけど、それを指でぷちって潰すと、その人の望むしあわせがひとつ手に入るんだってよ」
「あっ、私も聞いたことある! その都市伝説さ、先月くらいから隣町の方でも流れてたらしいよ? 私が聞いた話じゃ、もう何人か本物を見つけた人がいるみたいだし」
「えー、なんかうさんくさいなぁ。それってどのくらいの大きさなの?」
「直径が指先くらいなんだってよ。ね、うちらの誰かが見つけたらさ、みんなでその『しあわせ』、共有しようね! もちろん平山さんもだよ!」
「あ、ありがとう。……嬉しいな」
いつものように本に目を落としながら、ミユキは飛び交う噂を聞いていた。人のうわさに聞き耳を立てるような趣味はないけれど、女の子たちはわざわざサチの席の周りに集まって話に花を咲かせるので、いやでも耳に入ってしまうのだった。
(ハピネスドロップ、か……。そんなものが本当にあったらな)
本をぱたんと閉じて、ミユキは窓の外に広がる空を見上げた。
もしもミユキなら、どんなしあわせを望むだろう。
考えるまでもなく、それは我が家が豊かになること。そうすれば欲しいものだって買ってもらえるかもしれないし、クラスの子たちに劣等感を抱くこともなくなるのだから。
とはいえ、そんな未来が夢物語に過ぎないことはミユキも知っている。
わたしには、関係、ないかな。
そう結論付けたミユキは、うつむいてふたたび本を開いた。
女の子たちの会話は、ときどきサチを挟みながら延々と続いていた。
「大体さぁ、そんな小さな粒がそこらへんに落ちてたって、誰も気づかないでしょ」
「それなんだけど、粒はバラバラに落ちてるわけじゃないんだってよ。粒の色と同じピンク色のカプセルに入って落ちてるんだって。確か、カプセルひとつあたり十粒入ってるって言ってたかなぁ」
「カプセルって?」
「ほら、ガシャポンみたいなやつだよ。真ん丸な形してて、真ん中でパカッて開くやつ」
ガタン!
手元で大きな音がして、ミユキはびっくりした。膝を机にぶつけたのだ。
女の子たちが一斉にミユキを睨んだ。責められているのを理解して、ごめん、とミユキは蚊の鳴くような声で謝った。不必要な波風は立てないように振る舞わないと、そのうちからかいがいじめに化けてしまうかも分からない。
「三沢さん? 大丈夫?」
サチまでもが声をかけてきた。うんうん、とミユキは何回もうなずいてみせた。サチにはなるべく、自分とは関わってほしくなかった。
それから静かに深呼吸をして、昨日の出来事を思い返した。
(ピンク色の、カプセル)
ミユキは胸に手を当てた。心拍数が、痛みを感じるほど高まっていた。
ピンク色のカプセルだったら、ちょうどミユキの部屋にあるではないか。しかも昨日、公園の中で見つけて拾ってきたものだ。
(もしかして、昨日の夕方、わたしがあの公園で拾ったのは……)
ミユキのどきどきは激しくなっていった。いてもたってもいられず、放課後の来るのが急に待ち遠しくなった。
その日、サチを送っていくのもそこそこに、ミユキは足早に家へ帰った。転校から日も経って、さすがのサチも登下校の通学路には慣れてきている。もはやミユキが先生との約束を律儀に守り続ける必要もない。
「三沢さん、そわそわしてるね」
「そ、そうかな」
去り際、サチに声をかけられた。浮き足立って駆け出したくなるのをこらえながら、ミユキはあいまいに笑った。
今日も家の中には灯りがともっていた。チャイムを鳴らしたミユキを、玄関ドアを開けたお母さんが中へ招き入れた。
「おかえり。……どうしたの、そんなに焦ったような顔して」
「なんでもない」
ミユキはとっさに嘘をついた。でも、ミユキが都市伝説の噂に踊らされていただけだったら恥をかくだけなので、それ以上は何も言わずにミユキはお母さんの横をすり抜けて、自分の部屋に閉じこもった。
あのピンク色のカプセルは、勉強机の上に無造作に置いてある。ランドセルを下ろしたミユキはカプセルを手に取った。小さく振り上げて何度か揺すると、カランカランカラン、と軽い音が響いた。中に小さな粒がいくつか入っているのは、間違いなさそうだ。
ミユキの胸は、どくんと大きく波を打った。
(本当に……?)
つばを飲み込むと、何のへんてつもないカプセルが割れ物のように思われて、ミユキは怖々とカプセルを机に置いた。そうして、おっかなびっくり裂け目に爪を差し込んで、カプセルを開いた。
中にはピンク色の粒が入っている。
ミユキは思わず声を上げそうになった。一、二、三……。全部で十個の粒が、カプセルの底に転がっていた。
(上田さんの言ってた通りだ、どれも指先と同じくらいの大きさ……)
ミユキはいよいよ確信を抱いた。こんな冗談のようなへんてこなカプセルが、市販品として世に出回っているはずはない。これこそ都市伝説の『ハピネスドロップ』なのだ。
つまみあげたピンク色の一粒に、ミユキは思いきって指先の力を込めた。
ぷしゅ!
しぶきが飛ぶような音を立てて、粒は跡形もなくつぶれた。
「わ、割れちゃった……」
何もなくなった指先を、ミユキは怖々と見つめた。さして力を入れたつもりはなかったのに、存外あっけなくつぶれてしまった。クラスの子たちの話では、ハピネスドロップを割るとしあわせな出来事が起こるとなっていたが、本当にこれで大丈夫なのだろうか。
その時、ミユキはあたりを甘い香りがただよっているのに気づいた。
甘くて、爽やかで、ほんの少し酸味も混じっているような香りだ。鼻に意識を集めて匂いを嗅ごうとすると、ドアの向こうで玄関のチャイムが鳴った。ミユキはあわててカプセルを閉じて、それを机の中にしまい込んだ。
「……こんな時間に、誰かしら」
お母さんの独り言と一緒に、足音がぱたぱたと玄関に向かっていく。ドアが開く音に合わせてミユキが部屋の外をうかがうと、ドアの向こうにお父さんが立っていた。
「あら、お帰りなさい。今日は早かったのね」
「ああ。残業が急になくなったんだ。今日はもう上がっていいってさ」
お父さんは不思議そうな顔をしながら、靴ひもをほどいて上がり込んだ。
お父さんが元気にしゃべっている姿を見るのは、ミユキには久しぶりだった。日頃、ミユキの見慣れているお父さんの姿といえば、くたびれた顔で夜遅くに帰ってきてベッドに倒れ込むところばかりだった。
さっきのドロップの効果か──。
とっさの思いつきを、まさかね、とミユキは無言で否定した。ただの偶然だろう。
ところが、立ち上がったお父さんはカバンに手を突っ込んで「そうそう」と言ったのだ。
「びっくりするものがあるんだよ。……お、ミユキも帰ってたんだな」
「おかえり」
名前を呼ばれたミユキは、部屋を出てお母さんの横に立った。おもむろにお父さんがカバンから引き出したのは、分厚い茶色の封筒だった。
「どういう風の吹き回しか分からないんだけど、ずいぶんな額の臨時ボーナスをもらっちゃってさ。しかも現ナマでだ。中身を見てみてくれよ」
受け取ったお母さんは、一枚、二枚とお札を数えていく。やがて、お母さんは驚いたように目を見開いた。
「五十万円!?」
ミユキも目を見張った。五十万円と言えば、ミユキの毎月のお小遣いが四百円だから、その千倍以上に達する。
「このところ業績が急回復してるっていうんで、上層部の思いつきで支給することになったらしい。手取りでやった分はしっかり使えよって、上からじきじきに言われちゃったよ」
どうしようか、これ。お父さんは頭の後ろをかきながら、その場に棒立ちになってしまったお母さんとミユキをかわりばんこに見た。
ハピネスドロップの力は本物なのだ。
ミユキは心の奥底から叫びたくなった。
(これでもう、わたしがみんなに引け目を感じることだってなくなるかもしれない。平山さんの隣に座っていたって、誰からもバカにされたりしなくなるんだ!)