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(15)誰かのために



 

 サチは、それから少しずつ、自分の家族のことを話してくれるようになった。

 大企業の重役であるサチのお父さんは、何でも買ってくれるお金持ちではあったけれど、忙しくてサチや弟のコウキにあまり構ってくれなかったようだ。お母さんも同じで、奥様同士の付き合いのせいで、サチやコウキにかかりきりにはなれなかった。

『自分たちが恵まれていることを誇ってはいけない。謙虚に生きなさい』──。お父さんの実直な教えを受けて育ったサチは、お金持ちだとちやほやしてくる子に対してどんな風に接すればいいのか、いつも悩んでいた。ちやほやしてくる子を遠ざけてばかりいたら、前の小学校では友達ができず、そのせいで余計に弟へ負担をかけてしまっていた。そして、そんな家庭の事情を打ち明けられる相手さえ、ひとりもいなかったのだった。

 いつかサチがミユキに送ってきた長文のメッセージには、お父さんのことや弟のこと、友達のことがたくさん書かれていた。サチはミユキに遠ざかってほしくなかったのだ。


「スマホのひとつやふたつ、プレゼントするくらいで友達ができるなら、親に頼んですぐに買ってもらったのに」


 冗談めかして言ったサチは、ごめんなさい、と肩を落とした。


「ミユキは私が隣で、嫌だったでしょ?」

「最初はね。でも、今はそんなことはないよ」


 ミユキはそう答えた。天に誓って、嘘は口にしていなかった。



 月曜日の教室は、ミユキが恐れたような険悪な空気にはならなかった。

 なぜなら、朝一番にリサコがユキナの机に向かっていって、頭を下げたからだ。


「この前はごめん、ユキナ! うち、あんまり嬉しかったから、その気持ちに水を差されたくないとか思っちゃって……!」

「あ、あたしこそ悪かったよ。……ごめん」


 ユキナは困ったように眉毛を八の字にしながら、リサコと同じように頭を下げた。

 あとでミユキが聞くと、ミユキとユキナが駅前で会った後、ユキナは結局リサコと話をすることができなかったらしい。遅れて登校してきた残りの二人にも謝ったリサコは、きちんと話し合って分けようと、改めて提案したのだそうだ。


(とにかく、しあわせな結果になってよかった)


 ミユキも一安心した。ユキナも、リサコも、きちんと自分でしあわせを呼び込むことができる子なのかもしれないと思った。



 ユキナやリサコが、最終的にハピネスドロップを使ってどんなしあわせを叶えたのか、ミユキは知らない。

 ユキナとリサコのケンカを境にして、ハピネスドロップの都市伝説は次第に忘れられていった。クラスの話題にも、テレビや新聞の特番にも、いつの間にかハピネスドロップという言葉が出てくる回数は減っていって、二週間も経つ頃には完全に忘れ去られてしまった。隣の小学校でもあれっきり、本物は発見されなくなったらしい。


「社会現象って、すぐに生まれては消えちゃう、波みたいなものなんだって。塾の先生が言ってたよ」


 リサコが得意気に説明してくれた。その手元には、うんと低い確率でしか手に入らないというキャラクター物のボールペンが、何かの象徴みたいに光っていた。

 もはや、日の出の丘小学校の四年一組には、ハピネスドロップに興味を示す子はいない。町中を揺るがした大事件の末に残ったのは、限りのあるしあわせを奪い合うことの苦しさと、それでも誰もがしあわせになりたいのだという当たり前の事実だけ。

 いつかユキナの口にした言葉を、いまもミユキは忘れられずにいる。


──『あたしは三沢さんだったら、ハピネスドロップを使う資格があるって思うよ。だって誰もふしあわせにしなかったでしょ?』


 しあわせは、色も形も人それぞれ。ミユキのしあわせが他の誰かのしあわせであるとは限らない。それでもミユキには、ユキナの言葉がなにか大事なことを言い当てていたような気がして仕方ないのだった。しあわせはたぶん、奪い合うことも、分け合うこともできる。ミユキは知らず知らずのうちに、十粒のしあわせをみんなと分け合ったのだろうか。



 年が明け、町に霜が降りた。冬休みは終わり、日の出の丘小学校は始業式を迎えた。

 今日もミユキとサチは、団地までの道を一緒に帰っている。

 去年の暮れ、忘年会から帰ってきたミユキのお父さんが、ビンゴで当てた人生ゲームをミユキにプレゼントしてくれたのだった。もちろん、ミユキはサチと一緒に遊ぶつもりだった。


「人生ゲームって大人数の方が楽しいみたいだよ」

「それじゃあ、ルールに慣れたら落川さんたちも呼ぼうかしら」

「わたしの家、あんなに入りきるかなぁ」


 初めて手を出すゲームに興奮を隠せないのはミユキもサチも同じだった。わくわくと弾む足の先に、古びた団地の建物が見え始めた──そのときだった。

 ころん。

 道の片隅に転がって光る何かを、ミユキは見つけた。

 ピンク色のカプセルだった。外側は土で汚れていて、ぱっと見は道端の小石のようだ。つややかなカプセルはミユキを見上げているみたいで、ミユキは足を止めてしまった。


「これ……」


 思わず、ミユキはつぶやいた。サチが続けて言った。


「ハピネスドロップ?」

「サチにも見えるの」

「うん。見えてる」


 ミユキは道端に座り込んだ。本当にハピネスドロップなのかどうか、ミユキにはとっさに分からなかった。だって、少なくともミユキは今、ハピネスドロップが欲しいとは少しも考えていなかったのだ。

 ランドセルを抱えたサチが隣にしゃがんだ。

 その顔色はなんだか曇っていた。


「わたし、いらない」


 サチの顔を覗き込むようにミユキは言った。サチが「なんで?」と尋ねた。


「もう知ってるもん。わたしのしあわせが何で、どうやって叶えたらいいのか」


 ミユキは自信をもって答えた。

 道端に落ちているようなしあわせを拾い上げたところで、本物の満足を覚えるのは難しい。でも、本当の望みが何かを分かっていれば、きっとミユキは何度でも、自分の力で幸せをつかみにゆける気がするのだった。


(サチが笑顔になれないなら、ハピネスドロップなんかいらないや)


 ミユキはそう思う。ミユキやサチの知らない誰かに拾ってもらって、大事に使ってもらえたらいい。そう、自信を持って言える。

 くすりとサチの口がゆるんだ。「そうね」と言って、サチは立ち上がった。


「私もいらない。ここに置いていきましょう」

「サチも今、しあわせ?」

「うーん。人生ゲームでミユキに勝てたらしあわせかも」

「何それ! わたし勝てなくなっちゃうよ」


 思わず嘆いたら、サチがいたずらっぽく「嘘」と舌を出した。それから、ほのかに頬を赤らめて、突っ立っていたミユキの手を引いた。


「ミユキとこれから人生ゲームをやれることが私のしあわせだよ」




 誰の目にも留まらない、道端の小石みたいなピンク色のカプセル。そのつややかな表面には、持たざるものではなくなったミユキの後ろ姿がいつまでも映っていた。

 西の空はオレンジ色。明日の天気は晴れ。

 日の出の丘に、もうじき春がやってくる。







【Fin.】





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