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(12)楽しむ資格

 



 目を真っ赤にして帰ってきたミユキに、お母さんは笑って言った。


「偉いじゃない。勇気を出したのね」


 ミユキは素直に「うん」と言えなかった。夢を見ていたような気分のまま、夕ご飯を食べて、狭いお風呂に浸かって、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。部屋の隅に置かれた一輪車やゲーム機が目に入って、ミユキはまた泣きそうになった。


(わたしの本当のしあわせって、何だったんだろう)


 じわりと浮かんだ涙を拭いながら、ミユキは思った。



 次の日から、サチはこれまでとは打って変わって、クラスのみんなと親しげに話すようになった。

 ただし、ハピネスドロップに関することに限っては例外だ。ユキナやリサコたちがハピネスドロップの話を始めると、サチはとたんに顔を背けた。


「昨日さぁ、すごくそれっぽいカプセル見つけたんだよ! けど、開けたら中身はただのナナコアラのキーホルダーでさー」

「とか言いながらユキナ、嬉しそうにキーホルダー手に入れてたじゃない」

「うるさい! だってかわいいんだもん」


 サチが黙りこくっていることにはまるで気づかず、ユキナとリサコは楽しそうに笑う。ふと、ミユキは聞いてみたくなった。


「……二人は、どんな『しあわせ』になりたいの?」


 ユキナは変な目付きで、ミユキをじろっと見た。言わなきゃ分からないのかと問いたげだった。


「そんなの、楽しいことが起こることに決まってるじゃん。キヨシローがこの街でライブしに来てくれることになりましたー! とかさ」


 キヨシローはユキナの好きな歌手だ。「ほんと、そればっかりだよね」とリサコがケラケラ笑った。

 しあわせの姿は、人によって違う。本当にキヨシローがこの街に来てくれたら、きっとユキナは本当に飛び上がって喜ぶんだろう。わたしが一輪車を買ってもらった時、あんなに喜んでいたみたいに。ミユキは一ヶ月前の自分を思い出した。


(あの時は確かに、嬉しかった。一輪車を手に入れるっていうのがわたしにとって『しあわせ』だったのは、間違いなかったはずなのに)


 そして、今はそれと同じくらい、隣のサチにとっての『しあわせ』も見えてこなかった。前は一緒に遊ぶのを拒んでいたのに、今になってサチはなぜ、そんなに遊び相手を求めるのだろうか。ミユキはそれっきり、サチと同じようにじっと考え込んでしまうのだった。



 約束を守ったミユキは、放課後になるとサチと一緒に過ごすようになった。

 場所はたいてい、サチのマンションかミユキの団地だ。外は寒いからと言って、サチは公園で遊ぶのを嫌がった。いつの間にか季節は十二月になっていた。

 初めてミユキの団地に来た時、サチは感心したように灰色の団地を見回した。


「なんか、質実剛健だね」

「い、いいからいいから……」


 豪華なマンションと比べられるのが恥ずかしくて、ミユキはさっさとサチの背中を押して部屋に向かった。サチが口にした言葉の意味は、ミユキにはよく分からなかった。

 ゲーム機を交代で使って遊んでいると、お母さんが帰ってきた。


「あら。お友達?」


 お母さんはそう言って、どこからかジュースを出してきてくれた。すぐそばのショッピングモールでたくさん売られている、安物のジュースだ。こんなの普段、サチは飲まないんだろうな。ミユキがため息をついた横で、サチは嬉しそうにグラスを手に取った。


「いただきます」


 ミユキが友達を家に呼んだのは初めてだったから、お母さんにとっても珍しい風景だったに違いない。美味しそうにジュースを飲むサチを、ミユキとお母さんはしげしげと眺めていた。ミユキは最後の最後まで気を抜くことができなかったけれど、結局サチは最後まで、狭いとか古いとか、団地の悪口を一言も口にしないで帰っていった。



 サチのマンションに初めて呼ばれた時のミユキは、まるで逆だった。

 大きくて立派な家具や、ミユキが両腕を伸ばしても抱えられないほどの横長のテレビが、掃除の行き届いた部屋の中には美しく置かれていた。窓からはミユキの団地も、病院も、それから小学校や駅までもが見えた。感動してばかりのミユキに、サチは笑って言った。


「そのうち飽きて、感動しなくなるよ」

「そんなことないよ、あるわけない」


 とんでもないとミユキは言い返したが、翌日にはそれが事実になった。サチと並んで遊んでいると、美しい景色も立派な家具も、まるで目に入ってこなくなってしまうのだった。

 いいマンションに住んでいても、感動するのは最初だけ──。なんだかミユキは、心の中で価値観が変わってゆくのを感じた。

 ミユキが不思議に思ったのは、それだけではなかった。


「ね、お母さんとかお父さんのこと、あんまり見かけないけど……」


 ある日、どうしても気になったミユキは尋ねてみた。「ああ」とサチは顔を上げて、何でもないことのように答えた。


「父は私が起きているような時間には、ほとんど帰ってこないの。コウキがいなくなってからは、母もそう。今度の土日にお葬式をやるから、その時には来ると思う」

「お母さん、お仕事はしてないんじゃなかったの?」

「父は会社の重役でしょ。重役の奥さん同士でも、色々と社交があるんだって」


 サチはいたって淡々としていた。


(帰宅が遅いなんて、わたしのお父さんみたいだ。こんな裕福な家でも同じだなんて)


 意外な気持ちを抱きながら、ミユキもそれ以上の追及を諦めて、サチと遊ぶことに専念した。サチはあまり、自分の家族のことは話したくないようだった。



 ミユキが思っていたよりも、サチは遊ぶのが好きな子だった。ミユキの貸したゲーム機やカードゲームに、サチは目をきらきらさせて取り組んだ。


「これはどうやって遊べばいいの?」

「こんなの初めて見た。すごいね」


 サチが感動の声をあげるたび、ミユキは喜んでいいのか、誇らしく思っていいのか分からなくなって、いつも口の中だけで「うん」と曖昧に返事をした。それよりもミユキにとっては、まるで今までずっと友達だったかのように振る舞うサチの方が不思議だった。

 そして、本当は少しだけ、嬉しかった。


(わたしがこんなに気軽に遊べる相手なんて、きっとサチが初めてだ)


 あれも持っていない、これも持っていない。いつだって周りに引け目を感じていたミユキは、これまで自分からみんなと一緒に遊ぶ機会が少なかったのだ。でも、嬉しくなってサチの顔を見るたびに、ミユキはどうしてこうなったのかを嫌でも思い出して、かえって落ち込んでしまうのだった。

 わたしに楽しい思いをする資格なんてあるのかな。

 そんな疑問が、いつもミユキの心を責め立てた。




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