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(10)苦しいままなのは嫌だ

 



 土曜日も、日曜日も、ミユキは家から一歩も出なかった。

 小学校の前まで行けば、リサコやユキナたちが遊んでいるかもしれない。でも、誰かと遊びたいなんて前向きな気分に、今のミユキがなれるはずもなかった。せっかく買ってもらったスマホも、ゲーム機も、一輪車も、見たくなかった。


(だって、平山さんのものだったはずのしあわせを使って手に入れたものだもん……。どんな顔して使えばいいのか、分かんない)


 スマホには時々、サチからのメッセージが送られてきていたみたいだった。サチの名前が画面に表示されるたび、ミユキは怖くてスマホを遠ざけた。メッセージにどんなことが書いてあるのか、ミユキは想像したくもなかった。



 ミユキの様子がおかしいことに、勘の鈍いお母さんもようやく気づいた。


「ミユキ、どうしたのよ。先週の土日はあんなに勇んで遊びに行こうとしてたじゃない」


 ベッドにぐったりと座っていたミユキに、お母さんはけげんな声で尋ねた。ミユキは膝を抱え込みながら「何でもない」と答えた。


「何でもないように見えないから聞いてるんじゃないの。ケンカでもしたの?」

「言いたくない」


 やれやれ、とお母さんは隣に腰掛けた。それからミユキの丸い背中を撫でた。


「ケンカしたんなら、きちんと謝らなきゃダメよ。ミユキは嫌かもしれないけど、どっちかが謝らなければケンカは収まらないの。ミユキも、相手も、しあわせにはなれないんだよ」


 ケンカしただなんて、ミユキは一言も言っていないのに。

 ミユキは膝に顔を埋めたまま、言い返した。


「謝ればしあわせになれるの?」

「当たり前じゃない。だって仲が悪いだけじゃ、気分がよくないでしょ?」

「もしもわたしが、取り返しのつかないくらい悪いことをしていても?」

「だったらなおさら謝らなくちゃ。どんなことをしてでも、許してもらおうとするの。その気持ちがきちんと相手の子に伝わりさえすれば、その子もきっと許してくれるわ。ミユキくらいの年頃の子にはね、本当に取り返しのつかない失敗なんてできないものよ」


 お母さんはそう言って、優しくミユキのことを諭してくれる。その優しさが今はちょっぴり息苦しくて、そうだよね、とミユキは目を伏せた。


(悪いことをしたのはわたしなんだから、ちゃんと平山さんに謝らなきゃ。だけど、そんなことをしたら平山さん、怒るだろうな……)


 だいたい、ミユキがハピネスドロップを持っていたことがサチに知られさえしなければ、サチがミユキに腹を立てることだってないというのに。わざわざ自分の悪事を白状して、もしも怒ったサチがミユキの秘密をクラスのみんなにばらしたりしたら──。


(わたし、また独りぼっちになる)


 怖くてたまらなくなって、ミユキはますます強く、膝を抱え込んだ。



 臆病に閉じこもっても時間が止まるはずはなく、月曜日は来てしまった。仮病を使って休みたかったくらいだけれど、重たいランドセルを背負ってミユキは登校した。


(平山さんに会いたくない。平山さん、今日も休んでいればいいのにな)


 うつむきながら教室に入ったミユキは、いきなりサチを見つけてしまった。サチはいつものように席に座って、先週の宿題のプリントを机の上に出しているところだった。

 おはよう、とサチが言った。ミユキには返事ができなかった。


「三沢さん?」

「……ご、ごめん」


 サチに聞き返されて、ようやくミユキは声を出すことができた。

 どうしよう。ミユキの頭は真っ白だった。何から説明して謝ればいいのか、さっぱり見当もつかない。結局、何も言えないまま、ミユキは黙って自分の席についてしまった。

 一時間目も、二時間目も、授業の中身など頭に入らなかった。三時間目も、四時間目も、普段と同じように笑いあっている周りの子たちが羨ましかった。いつものようにリサコたちが話しかけてきたけれど、


「ごめん。今日は、いいや」


 それだけ言って、ミユキはずっと机の顔を睨んでいた。

 五時間目も、六時間目も同じようにして、穴が開くほど机の表面を睨み続けた。隣にいるサチの顔を見るのが、ミユキには無性に恐ろしかった。



 そうしていつしか、放課後になった。


(どうしよう、どうしよう……。何も言い出せなかった……)


 焦りと恐怖でいっぱいいっぱいになったミユキは、サチに見つからないようにこっそり帰り支度を整えて、教室を出た。

 今日はもう謝れそうにない。謝る言葉を考えて、明日また出直そう。下駄箱のところで上履きを脱ぎながら、ミユキは長い長いため息をついた。いつまでこうしてサチから逃げていられるか、見通しは立たなかった。


(そうだよ。平山さんは弟の転院が理由でこの街に来たって言ってたし、もしかしたらまた元の街に戻っていくかもしれない)


 都合のいいことを考えていると、背中に「三沢さん!」と声が降りかかった。ミユキは青ざめて立ちすくんだ。サチが背後から追いかけてきてしまったのだった。


「他の人たちとハピネスドロップ探しに行かないの? みんな不思議がってたけど」


 ミユキは無言でうなずいた。言えるはずもなかった。サチのハピネスドロップで手に入れた一輪車やゲーム機なんか使いたくない、だなんて。


「もしかして体調、よくない?」

「……うん」

「昨日のメッセージ、読んでくれてないのも?」

「……うん」


 本気で心配してくれているのか、サチは次々に質問をしてきた。けれどもサチの優しさとは裏腹に、ミユキはまるで拷問を受けているような気持ちになった。

 早く、帰りたい。

 そう願ったとたん、お母さんの言葉がどこかで聞こえた気がした。


──『ミユキは嫌かもしれないけど、どっちかが謝らなければケンカは収まらないの。ミユキも、相手も、しあわせにはなれないんだよ』


 ミユキとサチはケンカをしているわけではない。でも、何も言わなければしあわせになれないのは本当だと、ミユキは思った。


(このままわたしが秘密を守り抜けば、平山さんは何も知らないからしあわせかもしれない。……でも、その代わりにわたしはずっと、苦しいままなんだ)


 やっぱり、最後には白状するしかないのだ。

 ミユキは不安そうなサチの顔を見て、聞いた。


「……平山さん、暇?」

「うん。今日からは、ね」


 サチの答えに、ミユキの心はまたしても、ずきんと強い痛みを放った。




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