泡雪の 終い愛宕に 鐘は鳴るC
* * * * *
「……なにを、してるの」
「………ごめんなさい。秋ちゃん」
暗い夜に映える雪が、淡く形を変えました。
広い公園をぽつぽつと照らす街灯が、何度か瞬いて二人の顔に陰影を作ります。
黒い大きなコートに包まれていた大柄な体の半分以上は、単なる詰め物、つまりハリボテでした。
手袋やブーツ、帽子やなんかで工夫してハリボテだとは知られないよう隠していましたが、今はその内側におさまっていた雪の姿が丸見えです。
黒い詰め物に包まれている雪は、相変わらず白いコートを着ています。
首を囲むようなフリースに、雪が触れては融けていきました。
秋は尋ねます。
「……どういうこと」
「………」
雪が、ばつが悪そうに目をそらしました。
秋はまっすぐに雪の顔を見据えて、
「雪。説明しなさい」
「…………」
「雪」
そう命令しました。
命令された雪は、少しばかり悩みました。
真正面で自分を睨んでくる女の子を見つめてから、また目をそらします。
小さな雪の粒が、雪の頬に触れました。
雪はすっかり帳を下ろした夜の空を仰いで、両の目をつむって、やがてふうっと白い息を吐いて。
言いました。
「ぼく、来週に死んじゃうんだ」
秋には一瞬、その言葉の意味をうまく呑みこめませんでした。
対して、それを言えた雪の表情は、なんとなく、笑っているようでした。
* * * * *
「一年まえくらいだったかなあ」
体の小さな二人には、幅広のベンチ。
広い公園にたくさんあるうちの一つに並んで腰かけて、秋と雪は話をしていました。
うつむく秋の表情は沈んでいて、元気がありません。
「昔からみてもらってたお医者さんに、言われたんだ。〝きみの体は、もうながくない〟って」
思い出すように、雪は語ります。
それは、秋が今まで尋ねても話そうとしなかった、雪の〝自分の話〟でした。
「ぼくにはそれがどんな病気なのか、くわしくはわからないんだけどね。でもそれは重い病気で、死ぬときは、すっごく苦しいらしいんだ」
秋は口をはさみません。
ただ黙ったまま、自分の靴の上に積もっては消える雪を見つめながら、雪の話を聞いていました。
「お父さんもお母さんも、ぼくが死んじゃうのを知ってからたくさん泣いて、それからたくさん〝ぎゅっ〟ってしてくれて、たくさん遊んでくれたんだ」
ほんとうにたのしかったんだよ、と雪はつけ加えました。
ほんとうに、そうだったのでしょう。
「でもね、やっぱり病気はすすんでて。夏休みがおわって、秋になってからは、学校にもいけなくなって。おうちと病院を、いったりきたりするだけになってたんだ」
「………そうなの」
そこで、やっと秋のちいさな口から、ぽつりと言葉が漏れました。
か細い声でした。
雪は嬉しそうに、うん、とうなずいて、
「友だちとあそべないのがこんなにつらいんだって、ぼくはわかったんだ。いままで好きなだけ、なんでも好きなことをできていた気がしたのに、そんな時間がいつのまにか終わっちゃうんだって、そう思った。そうしたら、とってもかなしくて、とっても苦しくて……なにもできなくなっちゃったんだ」
「………」
「………だから、ぼくは言ったんだ。お父さんとお母さんに。さいごのわがままを」
秋が隣を見ていると、くるりと振り向いた雪と目が合いました。
雪の薄い色の瞳はまっすぐに、秋の栗色の瞳をとらえていました。
「これいじょう苦しんで終わりたくないから、だれかやさしい人に、一瞬でさいごにしてほしい、って」
* * * * *
秋は、秋が好きでした。
涼しい風に吹かれながら、赤に黄に染まっていく葉を、木々を、山を観ているのが、とても好きでした。
やがて色の褪せた葉が足元へと降ってきて、その重なった上を靴底で踏んだとき、心地よい音のまた重なるのが、秋のお気に入りでした。
けれど、秋は冬だって好きです。
街中でも、公園でも、秋はそのにぎやかで、あるいはしんとした二つの冬に、ほうっと見惚れていたんですから。間違いありません。
たとえ自分には不釣り合いな〝きらきらしさ〟がまぶしかろうと、たとえ自分には寒くさびしい小道がお似合いだろうと、そんなものは構いません。
秋は年の瀬を告げる冬が、なんだか愛おしく感じるようになっていました。
だから秋は、冬を彩る雪だって大好きです。
……………………。
秋は、知らず知らずのうちに、自分が雪を大切に思っていることに気づきました。
* * * * *
それは、今までの秋からは考えられないことでした。
何人もの獲物を狩ってきて、積極的に他人と関わろうとはしないで、思いやりとか甘さとかで仕事に手を抜くことはせず、自分以外に頓着することのなくなっていた秋にとって、目の前の男の子を〝大切に思う〟なんてことは信じられないことです。
秋は自分の中に起こったあたたかい気持ちにおどろきました。
そして、雪が言った言葉の意味を噛みしめて、
「………ああ……」
これまでの、雪のすべての言動に納得がいって、空を仰ぎました。
雪ははじめから、秋に狩られるために来たんだと、そう声をかけてきました。
雪はそれからも、秋に狩られたい一心で秋のそばに来つづけていました。
来つづけてくれました。
秋にとって、そんなふうに踏みいってきてくれる相手など、雪のほかにはいませんでした。
雪だけが、友だちのように秋に接してくれました。
秋にとって、雪はもう特別な存在だったのです。
「ねえ秋ちゃん」
耳元に届いた、雪のおだやかな声を聞いて、秋はびくりと震えました。
ゆっくりと、その声に振り向きます。
雪は、ベンチに座ったままで頭を下げていました。
「おねがいします。ぼくのさいごを、秋ちゃんに」
「いや!」
秋は、思わず叫んでいました。
「どうして、どうして? どうして私が、雪を狩らないといけないの? 私、狩るつもりはないっていったのに」
「うん。だから、わるいひとに変装して、依頼しなおしたんだけど……ばれちゃった。でも、もう時間がないんだ。このクリスマスがおわったら、ぼくはもう、さいごになっちゃう」
「そんな……、そんなの………」
「せっかく、仲よくなったのに………!」
秋の絞りだすような声は、冷たい空気に、雪にしっかりと届いていました。
雪もつらそうな顔をして、しかし、それでも言葉を続けます。
「……うん。ぼくも、さみしい。さみしいし、ひどいことおねがいしてるって思う」
「…………」
「ぼくだって、秋ちゃんのこと好きになったもの。いっしょにいて楽しかったもの。そんな秋ちゃんに、ぼくを狩らせるなんて、かわいそうだって。そう思うよ」
「だったら……!」
「でもね」
「ぼくは、ぼくのさいごを、秋ちゃんに捧げたい」
雪のしっかりとした言葉が、秋に刺さりました。
「ごめんね。ほんとうに、ごめんね。でもぼくは、仲よくなった、やさしくてかわいい秋ちゃんに、ぼくのさいごを……手渡してほしいんだ」
「う、………うぅ」
秋ののどの奥から苦しそうな音がもれました。
「秋ちゃん」
「………」
雪の呼ぶ声。
行き場をなくした秋のくしゃくしゃの顔が、さいごに、雪へ振り向きました。
「ありがとう。ぼくのために、泣いてくれて」
雪の頬には、涙が伝っていました。
秋は、その顔のほころぶのを見つけてしまいました。
それで、すべては決着しました。
* * * * *
「じゃあね。秋ちゃん」
「……元気でね、雪」
翻って一刀断。
白い少年のちいさな頭が、やわらかい雪の上に、音もなく毀れました。
* * * * *
「うあああああああああああああああん。うあああぁ、うああ、うう。うううううぅぅぅぁぁああああああああん」
街灯だけがぽつりと灯る、真っ暗な広い公園の真ん中で。
はばかる人目もなく、秋は大声で泣いていました。
紅く火照った体が泡雪に冷やされるのも気に留めず、秋は、のどが壊れるかというくらいに泣きわめいています。
「ああっ、あっうっ………ううぅ、うあああああ。……ぅぅうあああああああぁぁぁぁぁ…………」
秋の大粒の涙の傍らには、紅と雪に包まれる男の子の顔。その白い体。
なにかを失って、その分なにかを取りもどすために狩りを続けてきた秋。
彼女は秋の終わった寒い日にそんななにかを手に入れかけて、今宵また失ってしまいました。
秋のどうしようもない慟哭は、まだ続きます。
おそらくこの優しい泡雪が秋のちいさな体を包んでしまっても、止んでしまっても、秋の狂ってしまいそうな悲しみは行き場を求めて、冷たい闇夜にさ迷いつづけるのです。
紅い木の葉が殷盛を極めるのは、まだ遥か先の季節です。
それまでに、この優しげな泡雪がちいさな芽を摘んでしまわぬよう、私は祈るばかりです。
-fin-
こんにちはこんばんは。
桜雫あもる です。
いかがだったでしょうか、筆者渾身の童話第二作『紅い木の葉が、泡雪に埋れてしまわぬように』!
前回の失敗を踏まえて、今回は一週間から二週間弱という、筆者にとっては急ピッチで書き進めました。
ちょうどクリスマス・イヴ……じゃなかった、〝終い愛宕〟の日に書き終わるなんて、予期せずいい感じに仕上がりました。
この間国文学の講義で聞いたんですが、「クリスマスは恋人と過ごす日」という幻想は、バブル前後の時代にアルバイトを始めて小金を持ち始めた若者を消費のターゲットとするべく日本企業が植え付けた〝悪しき種〟だそうで。
たしかに、本場では「家族で過ごす日」ですもんね。向こうの家族愛って美しくて素敵です。
ただ、その講義で見せてもらった山下達郎さんの超有名クリスマス・ソングをバックにしたJR東海のCMには感動しました。
ストーリーが感じられて、いいCMだったなあ。
特に、序盤に出てきた深津理恵さんと牧瀬里穂さんがその後のCMで新しいヒロインを見守るシーンは、〝前作主人公感〟が熱かったですね。
今作は、筆者の弟子(あだ名みたいなもの。以前「友人」と表現したら怒られたので、こう書きます)にジャンルを考えてもらって、「与えられた題材でどれだけ自分らしさを出せるか?」というチャレンジでもありました。
文調はかなり自分の敬愛する小説家さんの影響を受けてしまいましたが、内容や表現はもちろん完全オリジナル。
オマージュもリスペクトもインスパイアもありません。
同じ学科の友人が細かく自分の書いたものを読んでくれていたみたいで、「いいところで終わらすなぁヽ(`Д´)ノ」と言ってくれたのが、とても励みになりました。
自己満足基本で書いているとはいえ、誰かが読んでくれていると思うと、やはり身が入ります。
ところで、実はもう一作、この童話祭に投稿しようかな、と思っている作品があります。
以前から構想があって、思い返してみると今回の「女性 和風 残酷な描写あり」というジャンルとぴったり一致するのです。
なので、忙しい年末年始に余裕があればそちらも、ということで。
ご一読ありがとうございました。
皆様よいお年を。