泡雪の 終い愛宕に 鐘は鳴るA
「秋ちゃん。俺んところに、あんた宛ての依頼が入ってるよ」
知り合いの男から仕事の電話がきたのは、クリスマス・イヴの朝でした。
秋は早起きです。
いつも小鳥が鳴き始めるのと同時にベッドから出て、ものの数分後には、外へ出かける仕度を済ませてしまいます。
もっとも最近は寒いので、小鳥よりも秋のほうが少しばかり早起きでした。
赤い寝間着を着た秋は寝ぼけまなこで受話器を取ると、素っ気ない様子で、その内容を伝えるように言いました。
「それなんだがね、ちょいと変なんだよ」
電話の声が勿体ぶるように言うので、秋はなにがおかしいのかと尋ねました。
「いやね、こないだ秋ちゃんが狩るのをやめた男の子いるでしょ。あのときの依頼人とおんなじ人から、また依頼が来てるのよ」
それを聞いた秋は、たしかにおかしいな、へんだな、と思いましたが、だからといってそれは依頼を受けない理由にはなりません。
秋は、それでも依頼を受ける旨をはじめに伝えて、それから依頼の内容を改めて問い質しました。
「ん。ちょいと急だけど、今日の夜にやってほしいそうだ。場所は─────、──の───の、公園だよ」
「わかった」
それだけ伝えて、秋は受話器を戻しました。
今朝は雲が太陽のまえに薄くかかっている程度ですが、お昼過ぎから次第に天気は悪くなり、夜にははらはらと雪が降るそうです。
「………」
一週間前に別れてからというもの、一度も顔を見せない白い少年──雪の所在を心の端で思いながら、秋は今晩の仕事にむけて、黙々と準備を始めました。
* * * * *
〽やさしい心は いつ消えたんだっけ
いまはただ、機械のように動くだけ
降り積む雪に 呑まれるだけの
そんな儚い願いが クリスマスの夜には叶うかな
鳴り続ける 高らかな鐘の音は
わたしの胸を 癒して
鳴り続ける やさしげな鐘の音は
……
大通りには流行りのクリスマス・ソングが、どこからともなく流れています。
相変わらず赤い毛糸の帽子にマフラー、手袋に橙のコートを纏う秋は、にぎやかな繁華街の道の隅を、一人で歩いていました。
まだ夕方ですが、辺りはすでに薄暗くなりつつあります。
東の端からは夕焼けのオレンジをこえて紺色の夜が、空全体を覆うように広がり始めていました。
雪を抱えた大きな雲のすき間から、ちらちらと冬の星座が覗いています。
秋がふと目を上に向けました。
歩く秋のすぐそば、街路樹のあいだに立っている街灯に、明かりがついたのです。
秋が眺めているうちに、その一つ向こうの街灯が、そしてまた一つ向こうの街灯が、順にオレンジ色の光を灯します。
真っ白な雪の粒が、秋の頭の上で淡いオレンジ色に照らされて、また白に戻って道路に降り積もっていきます。
通りにはたくさんの、本当にたくさんの人がいて、それぞれが思い思いに会話をしたり、店のショーウィンドウを眺めたり、その店へと入ったりしていました。
秋の小さな体はそんなクリスマスの人たちに紛れて、まっすぐ大通りを北へ歩きます。
通りにあふれる人たちが、秋には輝いているように見えました。
秋のすぐ横を通り過ぎる彼らのだれ一人、秋の素性を知っている人はいません。
彼らのほとんどは、今日という特別な日を楽しむために、特別な人といっしょに歩いているのでしょう。
秋の目に、ある親子が映りました。
秋と同じくらいの年ごろの女の子が、まだ若い両親のあいだで楽しそうに駄々をこねていました。
その子の笑顔を、秋は知っています。
秋も、かつてはそんな顔をしていたのですから。
* * * * *
〽鳴り続ける 高らかな鐘の音は
わたしの胸を 攫って
鳴り続ける はかなげな鐘の音よ
わたしと 君を つないで…
……
雪降りの灰色の空の下。
やっと大通りを抜けようとしていた秋の耳に、ずっと流れていたクリスマス・ソングの最後の歌詞が、滑りこんできます。
秋はふと、振り返ってみることにしました。
足を止めて、首を回して、通り抜けたクリスマスの喧騒を、端から見てみることにしました。
そして、それを実際に行ってみます。
「……………ん」
世界は、輝いていました。
そこには、秋の失ったものがあるような気がしました。
いつだったか、それが大切なものだとは気づかないまま、幼い秋の手から滑り落ちてしまったものすべてが、クリスマスの人集りに、クリスマスの輝きに、クリスマスに降る雪に、見つけられそうな気がしました。
と、秋は自分の目から、涙がこぼれそうになるのを感じました。
一瞬、秋はそれでもいいかな、と思いましたが、すぐに思い直して、クリスマスの明るい街に背を向けます。
なにが秋をそうさせたのかは、秋にだってわかりません。
それでも秋は頑なに前を向いて、その小さな足で、冷たいアスファルトを踏みしめました。