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毛古時代

はじめに

この国は元々はひとつの国ではなかった。ここまでに成長し世界の先進国として成長できたのはそれまでの様々な歴史があったからだろう。歴史はとても複雑で難しいものだと思ってしまうかもしれない。しかし歴史には様々な物がある。その様々の歴史を知っていくうちに私達は歴史の虜になってしまうだろう。本書では我が国江ノ山国の歴史について書いてある。しかし江の山国の歴史はたくさんの解釈がありその解釈はどれも正しいものである。本書では山中智氏が考えたとされる山中論に基づいて書かれている。それは以下の通りである。

①そもそも江ノ山国は独立した国家であった

②江ノ山国と井ノ山国はもともと別の国家である

③南ノ国はもともと北ノ国の支配下であった

以上の点を生かしてこれ以降江ノ山国の歴史について述べる。


毛古国誕生

毛古国は江ノ山大陸で記録されている中で初めての大型国家であった。それまでは少数の民族同士が小競り合い繰り返してしておりその中でも一番勢力があったのは毛古族でありました。紀元前153年に正式に毛古国が誕生したとされますが実際どのように毛古国が誕生されたのかは今も解明されていません。毛古王国古ヶ伝来帳によりますと毛国初代の国王はモウコノタイセウとされここから500年にわたる毛古国の支配がはじまるのです。


毛古国前期

毛古国の前期は本書では一代国王モウコノタイセウから三代国王毛古ノ海老名までを指します。毛古国前期になるとようやく大陸は平和の空気が流れ込み大規模な争いは無くなりました。このころの一般人の主食はイモなどは大半でしたが大臣級になるとコメなども食べられるようになりました。このことからこの時期からコメが江ノ山大陸で作られていたとされています。このころ毛古国の中心は九十里県の中央にあり海にも近かったことから貝塚なども発見されており海産物をとる能力がその頃の人類にあったと考えられますが調理施設などはまだ見つかっておらずどうやって作って食べていたのかはいまだ謎であります。一説には焼いて食べていたと書かれていますがこのころにはまだ土器がなかったのでこれは不可能だと考えられています(大久保説)このころには文化という文化はありませんでした。なのでこのころの政治などは一部伝説化されている部分もあります。しかしその大半が本当なのではないかと考えられています。


毛古国中期

毛古国中期は毛古国四代国王毛古ノ秀父子から六代国王毛古ノ居方までのことをさします毛古国中期は毛古前期とは違い少しずつ書物が見つかっていることからこの時代には君というものが誕生したとされています。この当時の言語は現代の江ノ山語とは全く違い、毛古語と呼ばれています。しかし江ノ山語との共通点がないため毛古国後期に無くなったとされています。このころの文学としては江ノ山最古の書物として毛古王善人伝というものがあります。この書物は毛古王を神格化している物語なのでこのころの毛古国民は工区王を崇拝していたことがうかがえます。このころからしっかりとした建物が建てられるようになり有名な建築物として現代でも残っている大和田遺跡があります。このころの建物の様式としては芳賀麻衣風という風潮がありこの様式は毛古時代後期まで使われており毛古時代終了後も江ノ山国風建物建築の基礎となっています。このころの国民の主食は完全にコメに移行しており土器なども見つかっていることからしっかりと調理され加工されたものを食べていたことがわかります。しかしこのころから国王の支配が強力なものとなり各地で少しずつ反乱がおこっておりました。この蒙古朝廷の壊滅が初めて示唆されたのでありました。


毛古時代後期は毛古国七代国王毛古ノ秀父子から七代国王毛古ノ若竹までのことをさします。毛古後期になると大規模な反乱が起き始めておりました。そして決定的な大事件が起きたのです。御家問題です。七代国王毛古ノ若竹の子供は七人おり国王は長男である毛古ノ久に国王を継承するつもりでしたがそれ以外の子供たちがそれに対して反発し各地で軍を率いて戦争がおき、毛古王国対六人の子供(南野、北野、江ノ山、井ノ山、本庄、九十九里)たちの連合軍という形成で戦いが起きました【毛古大反乱】。この戦いにより毛古王国は、敗れ毛古王国の500年にわたる支配が終わるのです。毛古時代後期の代表的な文学としては毛古国反乱伝が描かれおりこの反乱について詳しく知ることができたのですが近年この書物が毛古時代終了後200年後の南野王国時代に書かれたものではないかと言われておりこの書物の信ぴょう性が疑われています。


以上の時代が毛古時代と呼ばれるものであります。毛古時代以前はいまだ解明されていない謎が多く歴史の奥深さが感じられます。


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