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スパイン年代記  作者: 名もなき歴史小説好き
8/8

レイモン編 8

 その光景を見ていた、ジュリエットいうところの『そこの神官さま』は、一瞬何が起ころうとしているのか判らず月色のショートボブと夜天色の髪の持ち主を交互に見遣る。


「え? ……え? え? え!?」


 そんなユルシュルも、短剣を抜き放ってゆっくりとレイモンに近づいていくジュリエットの姿を見てようやく意識を覚醒させた。


「だ、だだだだだだだだだ、ダメだよぅジュリちゃん!? だ、ダダダダダダダメ、ダメダメダメダメぇ~~~~~っ!」


 だだだだダダダダうるさいユルは、自身だだーっと走ってジュリエットの前に立ちはだかった。


「負けて抵抗できない人を切っちゃうなんて、そんなのジュリちゃんじゃないよ!」


「『じゃない』ったって、わたしも一国の主だし? 釣りじゃあるまいし? キャッチした賊をそのままリリースって訳にゃあね~?」


 肩をケルベロスの腹で叩きつつ、むしろ楽しげに語るジュリエット。それを見て、ユルシュルはとても悲しそうに顔をしかめた。


「ジュリちゃんはわたしの仲間だって信じてたのにぃ!」


「――いや、なんの仲間よ。そもそも信じてたって、いつから」


 思わず突っ込んでしまってから、いやいやわたし次の台詞はそうじゃない、と内心で自分に突っ込むスパイン王。


 余談だが『にしても長らくヴィオから突っ込みしか受けてなかったボケ役のわたしに突っ込ませるとはユル、恐ろしい娘……!』とも。


「なにユル? そんなにこいつを死なせたくないの?」


「当たり前だよぉ! じゃなかったら神様に傷を治してもらうようお願いしたりなんかしないよぉー! やだやだやだ、山賊さんが死んじゃうのもヤだけど、ジュリちゃんが無抵抗の人を殺しちゃうのはもっとヤだぁー!」


 もはや誰はばかることく、ジュリエットの足にジャンピングすがり付き首を振り振り泣きじゃくってレイモンの助命を願うユルシュル。事情を知らぬ者がこの場を一見しただけでは、ユルシュルとレイモンが兄弟でもなければまして恋人などでは断じてない、この日初めて出会った赤の他人であるなどとは到底信ずることの叶わぬ光景であったろう。


 そしてその疑問は、ジュリエットの心も占領しておかしくはない筈であった。ここまでなりふり構わずレイモンの助命を乞うユルシュルは、実は山賊たちとつながりがあるのではないのか、と。


 だがジュリエットはそのような疑惑、可能性を、脳裏に掠めた先から即座に否定していた。マリナスであれ山賊であれ、このユルシュルを内偵に使うことなど不可能に近いだろう。面もちに童女時代のあどけなさを多量に残すこの少女(もっとも、それに関しては顔が酷似するジュリエットも同様なのだが)は、秘密裏に何事かを探ったり伝えたりといった器用な真似ができる人間ではない。そのことは昼間から今までという短い時間で出した解ではあったが、付き合ってみて心底から信じられるジュリエットの持論だった。


「よし。ユルがそこまで言うんなら見逃してやってもいいぜー?」


「え!? ほ、ほんと、ジュリちゃん!?」


「た・だ・し。それにはユルがこいつ共々スパイン王国の臣下になって、この男を見張るって条件付きなー」


 はえ? と、ユルシュルは顎に右手人差し指を当てつつ首を傾げた。その顔の筋肉は、理解や明察といった単語からは極遠の位置にある表情を作り上げている。


 しばらくしても、ユルシュルは腕を組んで首を捻らせたまま、まるで頭の上にクエスチョンマークを乱舞させるような勢いでまったく理解に到達する気配を見せなかった。


 まさかまだ言い方が難しかっただろうか――眼前の、聖女の名にすら値しようかという高位の霊力使いに、自身の言い分が伝わっていないことへ底知れぬ不安をジュリエットは抱いた。おかしい、目一杯簡単な言い方をしたつもりだったのだが。


「あー……つまりだ、こいつを助けたのはユルだろ? 助けたからにはユルが責任を持って、こいつを見張れってこと」


「え、なんで? 見張る必要なんてないよ! 自由にしてあげればいいよ! 山賊さん、良い人だもん!」


 胸板の前で両の手をこぶし状に握り締め、『ね!? そうだよね!?』と問いかけられたレイモンは、内容はともかくこれまでの半生では見たことも聞いたこともないような、上流階級の女性たちの知性や品位という単語とは縁遠い低次元な言葉のやり取りに目を瞬かせていた。


 そんなユルシュルのレイモンに対する発言に、一瞬魂が抜けたかのような放心をした後、ジュリエットは『あーと、つまりだな……』と難しい顔をして見事な金髪をバリバリと掻いた。


 ジュリエットとしては、レイモンの助命と引き替えにユルシュルも自陣に取り込み、もって一石二鳥の人材確保を狙ったのである。


 だがその企みは、はるか手前でユルシュルの無理解という壁に阻まれてしまった。『山賊』さんが『良い人』と来た。『ゆ、ユルシュル手強い娘』とこの時、密かにスパイン国王は思ったとか思わなかったとか。


「――つまりだ、二人ともわたしと友達になって、わたしの内に住めってこと!」


『え』


 と、これはユルシュルとレイモン、二人同時に驚いた。ただし一方は喜びから、一方は純粋に意外さから。


「ほんと!? ジュリちゃん! わたし、ジュリちゃん家に泊めてくれるの!?」


「おー、いいぞー。てか泊まるんじゃなくて住め」


「え!? え!? じゃあご飯出る!? お風呂入れる!? もう野宿しなくていいの私!? 山で猪さんに追いかけられたり食べられる草とそうじゃない草を間違えてウルを困らせたりしなくて良くなるの!? てかいい!? ウルもいいかなジュリちゃん!?」


「ああ、いーぞー……ってかそういや、お前がこの歩兵隊に来るまでの経緯、今度ゆっくり聞かせてくれや。いま名前が出たそのウルとかいう奴の話と一緒に」


 やたー、と諸手を上げて喜び飛び回るユルシュルを余所に、どこまでも成り行きを呆然と見守っているレイモン。だがそんな時にジュリエットから声を掛けられ、一連の喜劇でさらわれた魂が現世に戻ってきた。


「文句はないなー、頭目?」


「焼き尽くされていた筈の命だ、どのようにされようと異論はない。が……」


 レイモンの視線が喜び飛び跳ねているユルシュルの方に注がれていることを察して、そこからレイモンの言いたいことをジュリエットは予測して見せた。内心で、自分の絡め取りがどうやら成功したのだと確信しつつ。


「――マリナス教国人だから許さない。マリナス教国人だから信用しない。マリナス教国人だから生かしておかない……」


 いっそ得意げとすら称し得る笑顔で、ジュリエットはすでに鞘に収めてあるケルベロスで自身の右肩を二回ほど弾ませる。


「それで? そんな了見で突き進むんだったら私たち、マリナス人と何が違うことになる? あいつらと違う、どんな未来を創れるってんだ?」


 しきりに瞬かせていた目を今度は、大きく見開かせ瞬かせることも忘れるレイモン。それは、問いたかったこととその解を、言い当てられた上に問われる前に解答を出してきたことに驚愕を示すものだった。


 問おうとしていたことはユルシュルのこと。ジュリエットと同じ思考経路を辿って、レイモンもまたユルシュルがマリナス人であると気が付いた。


 ゆえに問いたかったのだ、『マリナス人を身中に招くのか』と。


 ――その、言葉にならなかった問いに対して、すなわちジュリエットはこう言ったのだ。


 自分たちは、自分たちの文化だけが正しく他の文化は間違っているなどという世迷い言は言わない。まして間違った文化圏の人間であるからという理由だけで虐げ隷属させたりなど絶対にしない。自分たちは――


 そう。


「下種になんて、マリナス教国のイカレ指導者層だけで落ちてろっての。なんで私らや両国の民草、マトモな神官がそれに付き合わなきゃいけねーのよ」


 理想という言葉で糊塗されたエゴ、聖戦という建前でむき出しにした獣欲。それらで他文化の人間を犯し、殺し、強奪するような存在になど、そして何よりそれを正しいことだと教えるゲスになど断じて落ちぬとの、それは静かだが苛烈な意志の表明であった。


 ――完敗だな。


 レイモンの、理路整然とした頭脳がそう告げた。


 単に剣や魔法の実力だけでない。レイモンは、マリナス人をただ『倒すべき敵』としか認識できなかった。しかるにこのショートの金髪も容貌ともども見目麗しい可憐な国王は、『排除すべきは排除し、取り込むべきは取り込む』という態度を示したのだ。


 こうして見ると、自軍の兵士たちに酒を飲ませ、翌日の戦闘を難しくしたのも自分を助けるための一環であったのだろうと察しが付く。王として、一地方の支配者として、示しとして軍を動かさぬ訳にはいかなかったのだろう。が、さりとて普通のままにしておいては、血気にはやった兵士たちが早々に戦端を開き、血を見ねば収めることができなくなるばかりか、まかり間違えばさっさと自分たちを討伐して、自軍の兵士にも多少の被害を出してしまうかも知れぬ。


 ゆえに酔わせて寝かせ、その間に頭目である自分を助命した30名の手下に呼んでこさせ、まるまる取り込む決心をしたのだろう。


「(……まあ、無茶苦茶ではあるが)」


 その計画は、どこか一片でも齟齬があれば決してうまく行っていなかったであろう。あるいは計画と呼ぶのも憚られる、その場の思いつきに全てを賭けた大博打とでも言うべき行動であったかも知れない。


 だが、もし全てがうまく行かずとも、この王であれば自分たちを単騎で滅ぼし、もって酔わせた部下たちに被害を出させずに収拾させていたであろうこと、またそれを十分に可能とするだけの実力があることは疑いの余地が無い。


 その器の差異に、レイモンは敗北を認めざるを得なかった。


 そう認識するとレイモンは、一度わざわざ立ち上がってから、数歩ジュリエットの側に歩み寄り、改めて片膝を地面につけて頭を垂れた。


「志低き山賊の微力ですが、この命この刃、いかようにもお使いください。ただいまこの時をもって、私レイモン=ミシェールは陛下にことごとくを捧げます」


 その発言はレイモンとしては、自身の意地も自尊心も何もかも――まさしくレイモン=ミシェールという全存在に根ざしている我意を殺し切る気概、打ち砕く覚悟で申し出た全面降伏のつもりだった。


 が、


「いらね」


 と、右手を左右にふりふり返事は簡潔極まった。さながら食事の際に出された苦手なものを押しやるような気楽さで。


『あれは、生まれてから今日までに受けたものの中でも、指折りの衝撃だった』


 とは、後世には残念ながら残されず紛失したレイモンの日記に、かなり強い筆圧で書かれたその日の内容の一部分である。


「そいつは私じゃなく、あいつのもんだからな」


 全存在を『いらね』の一言で片付けられ、臣従の礼を取ったままの姿で真っ白な灰になったレイモンに、ジュリエットはまだ『おうち、お風呂、あったかいご飯』と飛び跳ねて喜んでいるユルシュルを右手の親指で示す。


「ユルは私の友達んなった。そしてお前は、そんなユルに命を助けられた男。これから恩を全力で返さなきゃって訳だ」


 それはすなわち、スパインのためになることである、という言外の言葉と共に。


「王に向かってあんだけ大言壮語したんだ。まさか男だからって、女に守られたまま一生を終えるとかふざけた寝言ホザかないよなあ?」


「――無論」


 ジュリエットの言わんとするところを理解し、燃え尽きた灰状態から復活して立ち上がり、頷くレイモン。結果的にスパインで働くことに変わりは無いが、よりレイモンが臣従しやすい理由を、ジュリエットは与えてくれたのだ。


 たとえケルベロスによる火傷がなかったとしても、あのままであったなら冗談や見せ掛けではなく意地と面子を抱いたままジュリエットに殺されているより他になかった。そういう生き方をしてきたのであり、そう宣言したのだから。あのままただ助かっただけであったなら、首を縦に振ることなどできない状況であったから。ジュリエットの方が圧倒的に強く、そのジュリエットが働きを以って赦すと告げた――そんな理由だけで、あっさりと服従の道を選べるような物分りの良い性格であったなら、こんな難儀な生き方はしていない。


 あのままではせっかくの山賊の頭――すなわちレイモンへの周到なジュリエットの配慮も、ケルベロスによって文字通り焼き尽くされていたことだろう。


 だがその場に居合わせたユルシュルが、そんな愚者の片意地を、神の奇跡となによりもその無邪気な慈悲によって溶かしてくれた。


 致命的な火傷からの蘇生を抜きにしても、その後に示された自分の回復に喜んでくれた笑顔、ジュリエットが改めて自分を殺すと告げた時に号泣しつつ行ってくれた助命嘆願。


 もはやすでに、一個人・レイモン=ミシェールとしては一生掛かっても返しきれない恩を受けた。


 それだけではない。彼の神官は、レイモンが、間接的に母を殺した敵としてしか見ることのできなかったマリナス人を、一人一人、個々の人間として認識させてくれる切っ掛けすら与えてくれたのだ。


 そこまでの恩を施されてなお、自身の片意地のためだけに自決や処刑される道を選ぶというのであれば。そも、母の復讐とルセリナ島のために剣を取って立身を目指したレイモンの、魂の尊厳そのものが問われることになるだろう。


 兵を動かす以前から自分の情報を獲得され、その身上に察しを付けられて救命を視野にいれられ、根拠地に攻め込まれ無残に敗れた上に以後の働きと引き換えに許されると宣告された。しかも、途中で混ざりこんだのであろうユルシュルというイレギュラーをしっかりと絡めつつ。


 レイモンとしては自らと自身を育んでくれた母の尊厳のためにも、失われずに済んだ残りの生涯をユルシュルに捧げ、引いてはそのユルシュルを召し抱えたジュリエットの力となるより他にない。


 これをそうと言わぬなら、何を持ってそう言うのか――それくらい、完膚なきまでの敗北であった。


「陛下。臣下の列に名を連ねるにあたり、ひとつ提案がございます」


「んー? なに」


「砦に残した部下たちや、私と古くから親交のある、他の志ある在野の者たちをかき集め、陛下に臣下の礼を取るよう説得して参りたいと思います。ご許可をいただけますか?」


「おお!? いいなそれ! お前と親交あるってんなら同じくらい強そうじゃん! 連れてきな連れてきな」


 ――あれだけ簡単にねじ伏せておきながら、さりげなく賞賛なさるか。それをレイモンは、心の中で心地よく感じ苦笑し、自然、顔の筋肉は軟化した。


 これにて解決。スパイン国王直々の親征により、山賊騒動は終わったかに見えた。が――


「山賊騒動、解決したようで何よりです、陛下」


 そんな時に、ジュリエットでもレイモンでもユルシュルでもない人影が二つ、遠間から歩み寄ってきて、そのうちの片方が無感動な声を上げた。


「あ、あれれれれー!? ヴィオちゃん、起きてたのぉ?」


「あれだけ派手に戦闘されれば、寝てられる方がどうかしています」


 夜のもたらす暗がりの帳から、ジュリエットの視界へと出てきた黒い長髪がその容貌と共に艶やかな美女が、一向に感情を籠めぬ声で返答する。


「う、うん、まぁ、解決したゾ? だから、今日はゆっくり休んでていいぞ、ヴィオは?」


「いいえ、そうはまいりません。これから軍の帰還準備を整えなくてはなりませんから。ええ、私の最後の仕事です、せめて完璧にこなしますのでご安心を」


「――はい?」


 起きて来た、というより寝ていなかったヴィオレーヌのその発言に、先刻のユルシュルのように唇へ人差し指を当て、首を傾げて頭上にクエスチョンマークを乱舞させるジュリエット。


 しかしジュリエットの直感は告げていた。部下たちにとり山賊たちにとり、騒動は確かにこれで解決したであろう。しかるに、この騒動における自分の本当の試練は、まさにいま開幕の鐘が鳴り響こうとしていることに。


「誰にも――義姉妹の私にすら相談なされず、お一人で目的を定め、お一人で計画を練られ、お一人で実行なされ、お一人で解決なさる。陛下はお一人で何でもなされてしまうのですから、無駄に禄を食む部下など必要ありませんよね?」


 そんなジュリエットに、この時はじめてヴィオレーヌは満面の笑みを閃かせた――こめかみに浮かぶ青筋だけは、決して消えることはなかったが。


「あ、あの、ヴィオちゃん……?」


「この仕事が終わったら私、実家に帰らせていただきます。今までお世話になりました、陛下」


 言って、軍をまとめるためにあろう、踵を返して来た道を戻っていくヴィオレーヌに、ジュリエットは『ヤバ……い、ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいっっっ』と、わがままを言って母親から置いてきぼりを食う幼女のような様相でその後を追いかけた。


 笑って、呆れて、喜んで、驚いて――様々な表情を、その多感な性格に比例して表していたジュリエットがただひとつ、レイモンの豪雨のような剣撃にすら決して見せなかった恐怖の表情を、この時はじめてジュリエットはその可憐な顔に表したのである。


「ああ、帰ったらなにをしよう。家業を継ぐかな、音楽に打ち込もうかな。フフフ、楽しみ」


「帰ったらそのまま休養ですよヴィオちゃーん! 多大な功臣には恩賞を惜しみませんヨ? あ、何だったら新しい楽器取り寄せようか!?」


「試したい楽器あったんだよなあ。家 に 置 い て あ る や つ で。老後の楽しみにするしかないかなあ、なんて諦めてたけど、こんなに早く音楽に打ち込める時が来るなんて。お仕えした王が何でも一人でこなせる有能なお方で良かった良かったあ」


「私! 私も付き合うぞモチロン!? 二人でやろうって、約束だったもんな! 任せてくれよヴィオー!」


「これで安心して陛下を一人にできるもんなあ。これから無くした青春取り戻すぞお。ああ陛下、遠くにおられる陛下あ、私ことヴィオレーヌ=カミュは、遠くから陛下の勝利を祈ってまあす」


「ごめんなさい! もう相談なしで突っ走りません! ちゃんと義妹のヴィオに相談しまス! 一人で戦闘したあげくケルベロス解放するような危険な真似もいたしまセン! 海より深く山より高く反省します! だから捨てないで、ヴィオちゃん愛してるぅぅぅぅぅっ!」


「さんざっぱら心配させたあげく、不始末の時にしか発生しないような都合の良い愛なんかい・ら・な・い! 離せよ、私は軍をまとめた後、実家に帰るの! はーなーせーっ!」


「うんうん、家に帰ろう、私たちの家マグダリードに! そこで私、うんとサービスしちゃうゾ!? おおそうだ、何だったら私手ずから紅茶煎れましょうか旦那!? 今だったら肩だって揉んじゃう!」


 もはや一向に自分の方を見ようともしないヴィオレーヌの足に、先刻、ユルシュルがレイモンの助命を嘆願した時のように、その足に必死にしがみついているジュリエット。大陸暦にて似たような風景を求めるなら、逃げようとする妻を必死に引き留める夫の姿ということにでもなろうか。ことここまでに至るに、ジュリエットが王らしかぬ姿を晒してきたことは再三であったが、今度のは極めつけであろうかと思われた。


 その光景を見て、レイモンは早くも『もしかして間違ったろうか。早まっただろうか、自分は――』という、選択に対する恐怖とも後悔ともつかぬ感情が、心の一部を吹き抜けていった。


 後には、そんな感情と共に放心して佇むレイモンと、ヴィオレーヌと共にやってきた近従、そして未だ見ぬ暖かな部屋やお風呂、食事を口の端から唾液を滴らせつつ夢想するユルシュルだけが残された。






 ――翌朝、ジュリエットは約束通り自由にしたレイモンに関して、『あの男が、口実を使ってただ逃げただけだったらどうするんです?』という質問をヴィオレーヌの近従から受けたが、それに対して『その程度の奴ならそれこそいらない』とあっさり返したという。


 しかしそれは杞憂であり、レイモンは確かに部下や知り合いをかき集めて三千の集団をスパインに帰属させ、しっかりとスパイン国内で地歩を固めた。そして以後は、主にユルシュルの周辺警護に当たった。


 後、ユルシュルが南方、ガラリア王国との争乱の中で落命する時、自らの役目を果たすことが叶わなかったとして、自らの喉笛を切り裂き殉死したと歴史は語るが――それはまた、別の話である。



レイモン編・了

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