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スパイン年代記  作者: 名もなき歴史小説好き
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レイモン編 4

 宴は終わり、星たちが雲一つない青黒い空に淡い光の絨毯を敷き詰めた。兵士たちは、それぞれ酒瓶を一夜の恋人として抱きしめ、眠りの園へと旅だっている。


 そんな中にあって、まだ起きている者たちがいた。


「……みんな、寝たか? 特に、黒い長髪の口やかましい奴」


 それは翌朝、戦いに駆り立てねばならぬ筈の自分の兵士たちを、宴と酒で酔わせて足腰立たせなくした張本人であり。


「うん、みんな気持ち良さそうに寝てますよ、陛下! 軍司令官もスヤスヤっぽいです!」


 もう1人は、装備の重さによって危なっかしい足取りで移動してくる人影だった。


「……つか、兵装の兜を脱げ。危なっかしい」


「え、え~? そうですか?」


 言われて、「よっこらしょ」と、なんとも気の抜けたかけ声と共に兜を取る人影。その光景を、たとえば黒い長髪の口やかましい軍司令官などが見たら、息を飲んでいたことだろう。


 何故なら。その兜の下から出てきた顔は、スパインで一番偉い筈の少女と、髪型やら顔立ち背格好、なにから何までよく似た同年代の娘だったためである。


 たとえ国王ジュリエットの顔を直接知る者であったとしても、そのジュリエットがスパインの王者であることを示す黄金のティアラを外し、髪型を同じように整えたのであれば、容易に見分けはつかぬ――そう思えるほどの酷似ぶりだった。


「あー、ユルシュル、それ、なし」


「……はい?」


「その、『へーか』っての。昼間の歩兵隊の時のように、ジュリちゃん、でいいから」


「え、え、でもでも、それじゃあんまり失礼じゃ……」


 あくまで臣下としての立場を取ろうとする少女に、ジュリエットは珍しく本気寸前の不機嫌さを見せた。


「国王が直々にそう言えっつってんだぞ! それ無視する方が失礼だろ!」


「そ、そそそ、そう……なのですか? て、あ、なのかな~、かな?」


 失礼して怒られたことはあっても、礼儀正しくして叱られたことはこれが初めてである。ジュリエットよりユルシュルと呼ばれた少女は、友好的拒否以上消極的同意未満の体で首を傾げた。


「あ、でもでも、それならあたしも提案!」


 教師に、『自分なら黒板の問題を簡単に解いてみせますから自分を指して欲しい』と主張する生徒のごとくシュビリと右手を持ち上げて、少女は告げる。


「あたしのことは、ユルで良いですよ、陛……! ……じゃない、ユルで良いよ、ジュリちゃん!」


「……ま、ゆっくりとな? ユル?」


「あ、ハイ! えへへへ……」


 少女は、『厳格』やら『貫禄』などといった単語からはおよそかけ離れた、締まりのない笑いを浮かべつつ頭を掻いた。


「にしても、まーだこないか……それとも、ビビッて逃げちゃったかな~?」


「うーん、陛下ってば一騎当千ですから~」


 なにがまだこないのか、ビビッて逃げ出したのか。訳も分からず、ジュリエットによく似た少女は答えた。


「……ユ~ル?」


 だが、さっそく敬語に戻っているユルを、座った瞳でめねつけるジュリエット。


「え? あ! う、うーん、ジュリちゃん、パワーがゴリラだから~」


「いや、だからって年頃の女捕まえてゴリラはないだろ!?」


「あ、あぁ!? す、すすすすす、済みまっせ~ん!」


 慌てふためく少女に、ジュリエットはすぐに矛先を収めた。元より、ひとつやふたつの失言に本気で機嫌を悪くするジュリエットではない。


「私がゴリラなら、ユルはなんだよ?」


「え、え~? な、なんだろー……」


「ネズミだなきっと。人の大事な保存食をこっそり食おうとしたような奴だし」


 昼間。まだ、ジュリエットが何気ない顔で自らを歩兵と言い張り隊に紛れていた頃。しかして兵士たちにはジュリエットとバレバレで、誰もが緊張していた。そんな中ただ一人、このユルシュルだけは、ジュリエットが名乗ったジュリアというのが単なる愛称であること、ジュリエットが自分たちの王であるということに本気で気づかず、あろうことかその昼食である保存食の木の実をかすめ取ろうとしたのである。


 そうして2人は話すようになり、自分のことに気づいていないユルシュルを根拠に、ジュリエットは自分の兵士姿は完全に周囲を誤魔化せていると勘違いした要因にもなった訳だが、それはまた別の話である。


「ひどっ!? ジュリちゃん、そこはせめてリスとかにしてよ~!」


「人をゴリラ呼ばわりする奴にゃ相応だね~」


 そうして似たような顔が互いをささやかに罵りあうやり取りに、ユルは本気で拗ねていたが、ジュリエットの方はと言えば、不機嫌の中にも喜びを見いだしているように、時折笑顔をのぞかせていた。


 国王と一兵士という身分を鑑みないのであれば、どこにでもいる普通の少女たちのような他愛のないやり取りは、しかしジュリエットが突如、ユルに対して唇に右の人差し指を押し当てて見せることで終わりを告げた。


「部下たちから話を聞いた時は、まさかと思ったが」


 そこに、ジュリエットでもユルでもない、それどころかスパイン王国軍の誰でもない第三者の声が、星空の下に静かに響く。


「本当に、自軍を酔わせて寝かし付けるとは。……何を考えている?」


 スパイン軍の野営地から見て、山賊の根城と化した山中の木こりたちの廃村の方角より。丘の上から、ジュリエットたちを見下ろすようにひとつの人影が立っていた。


 月明かりに照らされた、その人物。ジュリエットの親友ほどのものではないにしろ、十分に艶やかな夜天色の髪、その前髪はほぼ中央で分かれ、一カ所、後ろ髪が跳ね上がっている。肌の色は、山賊という言葉のイメージからはかけ離れた汚れなき新雪色。背格好は中肉中背、身体はさすが山賊というべきか、引き締まり筋肉によって膨れ上がっているところは頑健そうな見た目。眉目の整い方は極めて秀麗、数百年前、女性の権威が今よりもなお遥かに絶大であった魔導帝国時代の王族たちにすら、夜伽集に迎え入れられていてもおかしくないという程のもの。


 あえて粗を見いだすのであれば、その眉間に刻まれたシワ。穏やかな微笑を浮かべれば、それだけで靡く女もいよう美丈夫は、しかし名工の手による名剣の刃先がごとき、鋭くつり上がった瞳と二人三脚で険しい相を構成していた。だが1人の男としではなく山賊の頭目として見た場合、むしろどうしてこれほどの男が山賊をしているのか、かつて騎士や上級兵士であったと言われても納得できるほど堂に入った精悍なものだった。


 待っていたものが来た――ジュリエットの表情から、それまでのユルとのやり取りで見せていた、気さくな年相応の少女としてのものが鳴りを潜め、いまや2万の軍勢をすらただの3千で退けたことのある覇王としてのそれに取って代わり、剣呑な笑みを閃かせつつ立ち上がり、短く告げる。


「お前のこと」


「……なに?」


「私の考えてることだろ? だから、お前のこと。お前をどうやって手に入れるかってことだ、レイモン」


 顔は覇者としての剣呑な笑みのまま、右手を人影に、手のひらを上に突き出して相手の名を呼んだ。


 剣呑な角度に跳ね上がった眉同様、口の端が跳ね上がった口元も、それが示す彼女の心境はとうてい穏健なものは想像し難く、その口から獲物を咬み裂くためが牙が光らないのは、単に彼女にはそれが付いていないからというに過ぎない。


 これが先刻まで、兵士たちと共に歌い踊り騒いでいた少女と同一人物とは、側にいるユルなどからするとにわかには信じられぬ。


 いかにいい加減に見えようと、いかに無謀に見えようと、ジュリエットが単なる一民草の少女などではありえないこと、ただその剣呑な表情と、全身よりにじみ出る覇気とでも言うべき凄みで証明していた。


 しかして、そんな表情で見つめられ、遠回しも歪曲もなく求められたレイモンと呼ばれた美丈夫の反応は――


 話の流れを聞いていれば、ジュリエットが右手を突き出している相手が山賊の頭目であろうこと、ユルでも分かる。


 討伐のために動かした兵2000を、わざわざジュリエット自らの手で無力化したのは、相手を必要以上に追いつめないためだろう。


 男は『部下たちから話を聞いた』と言った。


 では、ジュリエットが最初に対面したという30人前後の山賊たちは、本来ならば押されていたどころではなかったに違いない。このことを告げるため、むしろジュリエットはだまし討ちをしないためのメッセンジャーとして、わざわざ、見逃してすらやったのだと今にして気づく。


 言うなれば、それは屈服せよとの挑発行為。こっちは目の前で酒飲んで宴会した後でも踏みつぶせるぞ、と。


 メンツが潰れれば、社会から外れた賊たちの間では生きてはいけぬ。ここまでされれば、山賊たちも引っ込みはつかないだろう。


 そこにきて、見逃された30人からの、託された伝言を聞いてやってきた頭目。


 その頭目が、ジュリエットの言葉を聞いて浮かべたものは。唐突なる不躾な申し出への怒りでなければ、まして覇者への恐怖などでは断じてなく――


「……そ、そのようなアレは、困る」


 頬を赤く染めて、ソッポを向くというものだった。


 ――はい?


 そんな相手の反応があまりに予想外で、一瞬、呆然となったジュリエットとユル。だが、ジュリエットはすぐに相手が何を誤解したのかを悟り、自身も顔を赤らめて叫ぶ。


「か、勘違いすんなぁ! そういう意味じゃないっ、部下! 部下に欲しいっつってんの!」


「そ、それならば誤解を生むような言い方は謹んでもらいたい!」


「話の流れからそんくらい悟れよ!?」


「な、流れもなにも、いきなり『欲しい』という単語だけでなにを悟れというのか!」


「王様が、部下を下がらせて賊の頭に話があるっつったら、少なくとも口説きに来たわけないだろぉ!?」


「ニタリと笑って手を差し出してきて、降伏勧告だと悟れという方が無理があると考える!」


「に、ニタリぃっ!? せめてニコリと言え、この無礼もんーっ!」


 ユルことユルシュルは、下手をすると痴話ゲンカにしか見えないやり取りを始めた、自らに良く似た可憐な主と討伐対象の精悍な山賊の頭目を、顎に右の人差し指を当て首を傾げつつ、交互に見つめた。


「……あたしたち、山賊を討伐する戦争に来たんだよねえ?」


 王の筈の少女と一兵卒であろう少女と山賊の頭のみが現世に意識をとどめるその場にて、ユルシュルの疑問に、ただ星たちが瞬きのみで答えていた。

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