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スパイン年代記  作者: 名もなき歴史小説好き
3/8

レイモン編 3

 ――思い出しただけでも、赤面ものの昔話である。


 事実、いま他者がヴィオレーヌの顔を覗き込んだのなら、彼女の眼前で燃えさかっているたき火の照り返しだけではない成分によって顔が赤らんでいることを確認できただろう。


「(な~にが完全なんだか……)」


 当時の自身の感覚を、あえて言葉にするとそんな表現になるというだけであり、当時をして自身の態度を『完全』などと称し得た訳ではない。だが、その精神状態が思い上がりで独りよがりのものであったこと、そしてそれを思い返せば恥ずかしいことはは事実であった。


 かつて、確かに楽音で神童と謳われた。少なからぬ人数の大人がそうはやし立てたからには、事実無根ということはないのだろう。


 しかしそんなものは、まさしく子供のおままごと。成長し活動範囲が広がり、自らの世界が拡大し、天賦の才をたゆまぬ努力によって磨きあげた、世に通用する真の楽音家たちの楽音を耳にできるようになった時、忘れ去ってしまいたい過去の汚点に過ぎなくなった。


 それは例えば、大海を知らず、井戸の中だけが世界の全てと思いこんでいたカエルのようなもの。小さな世界で閉じこもり、満足していた幼き日の自分。それを思い返して、どうして赤面せずにおれようか。


「(そんなカエルを、外に導いてくれたのが……)」


 ――そこから先は、言うまでもない。それから2人は共に音楽を研鑽していこうと誓い、数ヶ月後、ヴィオレーヌとジュリエットは、親に自分たちが同じ淑女学校に入れるよう頼み、親は娘たちの願いを聞き入れ淑女養成学校で2人が同じ教室となるようにすら取り計らってくれた。


 ヴィオレーヌの両親は、娘が人生の中でもっとも多感な年頃を、初めて得た友人と共に過ごせるようにしてくれたのだ。


 そんな経由で、ジュリエットと幼なじみになったヴィオレーヌの現在の思いは、ただひとつ。


 失敗した――!


 頭を抱え、自らの太股に勢いよく顔を埋めるヴィオレーヌ。側に侍っていた近従の少女が、突然のことに一瞬全身を震わせた。


「ど、どうかしましたか、軍司令?」


「なんでもないっ。ソッとしておいてくれると嬉しい」


「は、はあ……」


 近従の者をそう言って下がらせると、ヴィオレーヌは体勢もそのままに再び過去の邂逅に浸った。


 自分の、保身と臆病な気持ちの裏返しによって凍てついていた心を、同水準の楽音の才を備え、わざわざ自分の方から足を運んで開きに来てくれたジュリエット。そんな金のショートヘアも眩しい同年代の少女に、感謝と憧憬を抱いたヴィオレーヌだったが――


 友達付き合いを始めてからの数年間で、まあ、その虚像の剥がれること剥がれること。カンシャやらドーケーやらいうご大層なものは、羽を生やして遠いお空に飛んでいった。


 まず、身だしなみや整理整頓などという言葉とはまるで無縁。興味のないことにはとことん横着な少女だったのである。長い時間を共に生きてきた中、そのジュリエットの横着のお陰で、どれだけヴィオレーヌにしわ寄せが来たか、実例を挙げ出したら枚挙に暇がない。


 ガサツで下品な点もいただけない。喋り方や立ち居振る舞いといったカテゴリーにおいて、カミュ家で折り目正しく品行方正に育てられたヴィオレーヌにとって、海軍の中で荒くれ者たちの怒声を子守歌に育ったジュリエットのそれは、まるで別次元生命体に見えたものである。


 こんな奴が、どうしてあんな繊細な音楽を歌えるのか、奏でられるのか。世界の七大怪奇のひとつに数えられても不思議はない、と、一時期は本気で疑問を覚えたものだった。というか、それは今でも疑問に思っている。


 以来、十数年。ジュリエットが東方海域守護たる母を失い、クレランボー侯爵の元に1人の将として仕えていた時期を除いて、ずっとヴィオレーヌは気苦労を背負ってジュリエットに付き合ってきたのだ。


 人生の旅路というものは、最初の分岐路を選び間違うと後からの修正は至極難しいらしい。結局、あれよこれよで、最後までジュリエットの旅路に付き合わされることになりそうなヴィオレーヌだった。


 ――あー失敗した。失敗した! 私は文官になる筈だったんだ。ルセリナを、平和的に良い国にする筈だったんだよう!


 足を抱え込むように座り、太股に顔を押しつけた姿勢のまま、頭を左右に振るヴィオレーヌ。そうしたところで失われた過去は取り戻せはしないが、せめて自分の今の悔恨の情を振り払おうとしたのだった。


 そんな、過去への旅路を放浪していたヴィオレーヌの意識が急遽、現実へと帰還したのは、その旅路の大半を共に歩んだ、かつてカンシャやらドーケーやらいうご大層なものの対象だった、友の声が掛かったからである。


「ヴィーオっ! 聞こえてっかー? 早く早く、リュート、引いてくれよ!」


 そんな、たき火越しにジュリエットが満面に笑みを称えて出してきた要求の意味を、一瞬の半分の時間で悟ると、ヴィオレーヌは目を丸くして口を力なく半開きにした。


 歌うっていうのか? 兵士たちの前で? 流れの踊り子や詩人みたく? 一地方の覇者ともあろう者が?


 ――冗談じゃない!


「陛下! 明日にも山賊たちを討伐せねばならないというのに、そのような戯れは……!」


「だ~か~ら~、そのための景気付けじゃん! いいからいいから、ケチケチせずにヴィオも兵士のために引いてやれって!」


 白い歯も眩しくニカリと笑うジュリエットに、ヴィオレーヌは座りきった視線とムッツリ切り結んだ口元という表情で報いた。


「お断りいたします。そもそも、王とは兵士たちにとり……」


「『お断りします』ぅ!? うわっ、聞いたかみんな!? 『お断りします』だってさ!?」


 ヴィオレーヌの真似か、ジュリエットは『お断りします』という部分を澄ました顔をしつつ強調して言った。


「我らがスパイン軍司令官さまは、兵士ごときのためにリュートを奏でるのはお嫌だってさ! 冷たいよなーみんな?」


 首を横にふりふり、これみよがしに盛大な溜め息をつくジュリエット。


 それだけでもヴィオレーヌには堪えたが、兵士たちから不満や寂寥まじりの非難が上がると、常日頃の冷静さなど吹き飛び、慌てふためいてしまう。


「だ、誰もそこまでは言ってない! 私が言いたいのは……!」


「冷血だよなーヴィオは。明日をも知れないこのご時世、せめてみんなで生きて過ごしている日々を、共に楽しんで生きようって、こうして国王さま直々に頭さげてお願いしてるのにだよ? 『お断りします』」


 わざとらしく大げさに嘆いてみせた後、最後に、繰り返し澄まし顔でそう告げるジュリエット。


「だからっ! そんなつもりで断ったんじゃない!」


 それに対して、ヴィオレーヌは腕を垂直に下へ延ばし、握り拳を体の外側に跳ねさせ、身を乗り出すように真っ赤な顔で怒鳴る。もはや、自身が敬語を使っていないことすら気づいていない様子だった。


 すると、


「じゃ、はい」


 天を仰ぎ見るくらいの勢いで嘆いていた姿から一転。再びニカリと会心の笑みを浮かべ、ジュリエットは後ろ手に隠していたリュートをヴィオレーヌに渡す。


「て、え? お、おい!?」


 とまどっているヴィオレーヌにはお構いなしに、終始そのやりとりを見守っていた部下たちにジュリエットは叫ぶ。


「よぉし、お前たち、前夜祭の景気付けだぁ! 今日は私とヴィオが歌ってやる、踊ってやる演奏してやる! それに合わせて、お前らも好きなだけ飲め、歌え踊れー!」


「お、踊ぉ!?」


 兵士たちに、大規模戦闘前夜に酒を許す時点で大概だというのに、上官――というか、片や最高権力者である――が、兵士たちに歌ってやったり楽器を奏でてやったりするというのである。下町の踊り子がごとく、直々に踊りを見せるなど、本人たちが直接買って出るのでなければ冗談で望んですら不敬罪であるというのに。


 『本人たち』、まさしくそこが問題で、王が直々に兵士たちの前でそう言ってしまっては、安易に反故もしかねる。


 実は内面があまり外向的・社交的に成長しなかったヴィオレーヌにとって、兵士たちの前で見せるための踊りを舞うなど、精神的には死刑宣告並にタチの悪い冗談だった。いま、この黒髪の司令官が激し、人前ではなく常日頃の態度で王たるジュリエットに接するのは、事情を知るものであれば当然の帰結であった。


「ちょ、ちょっと待て! 誰が歌うのか、誰が踊るのかこのバカジュリアーっ!」


 が、


「ぐ、軍司令!? あ、ああああの、兵士たちの前ですのでー!」


 彼女の近従は、その事情を知っているような知らないような微妙な立ち位置の者で、常ならぬヴィオレーヌの取り乱しようを目の当たりにし、自身、冷静さを失って、とにもかくにもお止めするのが先決、とヴィオレーヌの背中に取り付いた。


「そんなこと知ったことかーっ! 殺す! もう殺すいま殺すすぐ殺す! あの女、いま殺しておかないと後のスパインの災いになる! 離せフルル! 祖国の未来を憂う気概があるのならぁぁぁぁぁっ!」


「ぐ、軍司令、どうか落ち着いてー!?」


 宝刀を片手にヴィオレーヌが張り上げる怒りの吼哮も、高揚し歌い踊り始めたジュリエットにはやし立てられ、陽気に合唱する多数の兵士たちの声の前に空しく消えた。


 こうしてスパイン軍は、誰あろう、国王陛下その人の命令によって、山賊たちと戦う前に、もう勝利したかのようなお祭り騒ぎを始めたのだった。


 ――後には、これがジュリエットによる山賊の頭目を傘下に加えるための思惑の一環であったことが分かっている。だがこの時点においては、勝手気ままな王のお祭り好きが高じた浅慮に過ぎなかった。

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