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スパイン年代記  作者: 名もなき歴史小説好き
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レイモン編 2

 美貌のスパイン王国軍司令が、人として考え得る最速の手際で約2000の軍をとりまとめ、飛翔魔法でただ一人山賊団がいるであろうと当たりのつけられた方角へカッ飛んでいった自らの主と再会を果たしたのは、夜も大分ふけてきてからだった。


 ヴィオレーヌが追いついてみれば、案の定ジュリエットはただの1人で山賊たちを相手取って戦闘を行っている真っ最中だった。凡人であればもはや無謀との呼称すら誉めすぎという愚行、魔導帝国時代より支配者階級層に連綿と伝え続けられている戦争用の大魔術の数々を身に付け、かつ幼少より武芸で肉体を鍛え抜いたブランシャール家当主であったればこそ、ヴィオレーヌが駆けつけるまで無駄死にせずに済んだのだ。


 それでも、ただの1人では自ずと限界がある。先に述べた、春先におけるクレランボー公爵軍2万を寡兵をもって撃滅せしめたのでさえ、3千という兵士たちがあったればこそ、様々な細工を施し相手を幻惑させられたがゆえの戦果なのである。


 今日という今日は怒る。というか殴る。それも思いっきり、容赦なしでだ! ――ヴィオレーヌが、内心でそう決意するのも至極当然のことてあったろう。


 であるのにも関わらず、山賊たちに押し包まれて間一髪というところを救われたスパイン王国最高主権者は、


「いやー、ヴィオなら駆けつけてくれるって信じてたぜ。だからほら、結果的に、問題なかったろ? 計算通り!」


 憤懣やるかたない心情を抱える腹心に対して、機嫌良さげに、それこそ鼻歌交じりでそのように宣われたものである。


 主君のそんなありがたい御鶴声を拝聴したスパイン王国軍司令官は、もはや怒りを通り越して軽い殺意すら覚えかねない心境だったが、凡人のよく及ぶところではないその忍耐力で、どうにか『現実に』主君弑逆の罪を犯すことを回避した。


 ――1発じゃ足りない。3発だ。3発殴る! 全力で、しかも腕力強化して、だ!


 想像の中で、右腕を魔力により強化させ何度も何度も主君を撲殺しつつ、ヴィオレーヌは今や遅しと獲物を求めて震える右の拳を左手でなだめつけた。


 ところで、ヴィオレーヌの想像が現実世界に同等の影響を及ぼすのであれば、出会ってから今日この日までに昇天回数千回は堅い可憐な黄金ショートボブの少女が、約2000の軍勢と共に美貌の軍司令が駆けつけるまでに相対していた山賊の数は、1桁では利かない。


「なんと、30人はいたぜ、あれは!」


 『兵士たちの無事を慮って、政務に多忙な身を押し危険も顧みず一兵卒になりすましてまでご同道くだされた国王陛下を慰安する』という、ヴィオレーヌに言わせればおためごかしも甚だしい名目の宴(兵士たちの志気や隣国の聞こえを配慮し、そういう名目にしたのが自分自身であることがまたヴィオレーヌにとっては業腹なのであるが)の中、その慰安されているジュリエットは、身振り手振り全開でその際の情景を周囲の兵士たちに行っていた。


「いやー、しかし、30人つっても、ダメだなありゃ! 私1人、1時間近くかけて制圧できないってんだから、山賊名乗る資格なんかないない!」


 制圧されてたら殺されてたっての――心の中で突っ込むヴィオレーヌ。未だ敵の本隊との戦いを残しているため、宴の最中といえども酒精ではなく近従が用意してくれた紅茶を啜りつつ。


「(本当に、どこまでも困った国王様だな……)」


 どうして気苦労を押してまであの王に仕えているのか。自身に再確認させるため、ヴィオレーヌはジュリエットとの馴れ初めを思い返した。


 2人は、旧ルセリナ王国の淑女幼年学校に入学する、その数ヶ月前からすでに親交があった。


 ヴィオレーヌは、元々内気な性格である。今こうして、騎乗して軍を叱咤し山賊を討伐する、などということの方が何かの間違いであって、本来、彼女自身は、城や館の奥に引き籠もり、楽器を片手に楽音に興じていたい、というのが本音である。


 幼き頃は、そんな趣味が高じて、近隣で少しは名の知れた童女となった。“楽音の神童”、幼き頃にそう大人たちから呼ばれた時、正直、スパイン王国の軍司令に就任が決まった時よりも嬉しかったものだ。


 しかし、それがジュリエット=ブランシャールとの出会いにもなった。


 ブランシャール伯爵令嬢ジュリエットといえば、旧ルセリナ王国の東方海域守護職を担っていた母・サビーヌ=ブランシャールの娘として、すでに一部では名の通った存在となっていた。


 もっとも、良い意味でばかり名が通っていたのではない。中には、「野蛮」「獰猛」「冷酷」という、軍人に対してはしごく真っ当な悪名もその中には存在していた。ヴィオレーヌは、自身の未来図に軍人という選択肢は夢にも思ったことはなかった時期であったから、直接関わることはあるまい、と、善し悪しに関わらずジュリエットの噂はことごとくおもしろ半分に信じた。なんといっても、何かを疑うということを知らぬ幼かった頃のことでもある。


 そんなジュリエットが、ある日突然カミュ家に訪問してきたのが2人の馴れ初めである。


 最初、ヴィオレーヌは困惑し、また恐怖した。『海賊姫が私をさらいに来た!』今では冗談のような話だが、当時はかなり本気でそう信じたのだ。


 しかし、相手が伯爵号を持ち、かつ東方海域守護職を担うブランシャール家の娘であるとあっては、ヴィオレーヌの気持ちはともかく、カミュ家の当主やその夫も無下にはできない。娘の恐怖はこの際置いておいて、会見を受諾するより他になかった。


 ヴィオレーヌがおっかなびっくり、客間に向けてカミュ家に訪問してきたジュリエットに会いに行くと――


「お! お前がヴィオレーヌか!? なあなあ、私と音楽やろうぜ!」


 開口一番、掛けられた言葉がそれだった。


 聞けば、ジュリエットも音楽を嗜むのだという。意外にも、泣く子を黙らせる――どころか、『泣き叫んで助命を乞う海賊を嘲笑って踏みにじる』ともっぱらの、ジュリエットの母堂・ブランシャール伯爵サビーヌからして、音楽に精通しているというのだ。その母の影響でジュリエットも音楽をやるようになったらしい。


 そして、自分と同年代で、同じくらい音楽やっている奴が久しくいなかったが、ようやく、カミュ家の令嬢が嗜んでいると聞き及び、母・サビーヌの補佐という激務の暇を暇を見つけてこうして駆けつけさせてもらったのだ、と。


 「野蛮」で「獰猛」、かつ「冷酷」な海賊娘が、自分の家にやってくると聞いただけで恐怖と共に驚いたが、それを聞いてヴィオレーヌは2度目の驚きを味わった。


 ――しかし今度は、恐怖によってではない。


 同年代で、詳しく音楽を話し合える相手がいなかったのは、ヴィオレーヌの方も同様だった。元より、内気で人付き合いが多かった方ではないことにも原因の一端はあるのだが、そもそも、自分の世界に触れると没頭する気質のヴィオレーヌが時間を忘れて磨きあげてきた楽音の実力に、そうそう付いていける女子が存在しよう筈もなかった。


 だからヴィオレーヌは喜びと共に驚いた。自分以外の、自分と同じくらい音楽に没頭する女子に、出会ったどころか会いに来てくれた、その偶然に。


 しかしヴィオレーヌは、多大な期待は禁物、と、すぐに喜びに震えるそんな胸中を押さえた。


 相手はエルクティアを荒らす猛者たちをして、野蛮だ獰猛だ冷酷だと言わしめる海賊姫である。その唇から紡がれる声が、その指が爪弾く楽器が、どのような音を刻むか知れたものではない。


 当時、人の顔色を伺う傾向が強かったヴィオレーヌも、こと音楽に関しては一歩も引かなかった。もしブランシャール家の令嬢が、音楽とは名ばかりの騒音しか立てられぬ勘違い者なら、一命を賭してでもその思い違いを指摘するつもりですらあったのだ。


 だが、それは杞憂だった。


 互いに得意な楽器を持ち寄って、ジュリエットと共に館の中庭で音を響かせた先にヴィオレーヌが遭遇したものは、海賊姫の異名に纏わるおよそ剣呑な噂の数々からは想像もつかない、繊細にして勇壮、緻密にして奔放な音たちの舞踏会だった。


 ヴィオレーヌは、楽音においては『完全』を目指していた。一部の隙も、一部の妥協も、一部のアドリブもない。絶対零度の永久凍土がごとき、不協和音という不浄が一切存在し得ない完全世界――


 それが、内向的な性格によって蓄積される鬱憤の、排気行為であったことを今のヴィオレーヌは知っている。他者を、他者から自らの内世界が否定されることを恐れるがゆえの、音楽を用いた自衛行為。音楽が完全であれば、他者と交え得ぬ自分を何者にも否定はさせぬ――否、『何者の否定も意に介するに値せぬ』との、拙い自尊心を守るための自己満足。


 なまじ不幸だったのは、それを可能とさせるだけの才能、それに取り込み続けられるだけの熱意がヴィオレーヌ=カミュという少女に備わっていたことであろう。


 だが、ジュリエットの音は、ヴィオレーヌとは対極にあった。


 その時のジュリエットの音を、ヴィオレーヌは区々たる言葉で表現したくない。


 それでも強いて一言で言うなら、彼女の歌は『生命の賛美』であった。


 いま、生きていること。生きているものたちと出会えたこと。この世に、生まれてきたこと。


 隙や妥協こそないものの、様々なアドリブがあった。それまでのヴィオレーヌであれば一言の元に拒絶したであろう、騒音に過ぎないものの筈だった。


 なのに、ヴィオレーヌはジュリエットを否定できなかった。


 歌とは、音とは、命が紡ぐものなのだ、と。歌という形を借りた、それは歓喜の咆哮であったから。


 彼女の歌は。


 口ではなく、その心臓から、心から魂から――ジュリエットという命そのものから、紡がれていたものであったから。


「……て、あ、あれ!? どうしたんだよ、ヴィオレーヌ!? 私、なんかしたかぁ!?」


 そういって慌てふためいていた当時のジュリエットが、どんな顔をしていたかヴィオレーヌは思い出せない。正確に、しっかりとは見ていなかったから。


 何故か。


 それは、ヴィオレーヌがその日まで、自らの内で培い蓄え、厚くし続けた小さな完全世界の氷壁が、ジュリエットの歌によって溶け。


 ――その溶けた水が瞳から溢れだし、視界を奪ったからである。

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