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KARINA  作者: 和砂
本編
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黒いフードの旅人3

 あの月の晩から数日もしないうちに、旅人は再びあの男と会った。それも寝床に近い、旅人のお気に入りの川の前だ。その川は、さらに下流へ行くと、昔滝があった名残の深い濠が出来ており、水浴びついでに昼間に泳ぐと気持ちが良いのである。このまま川を下って行こうと考えていた旅人は、恐らく上ってきただろう男の嬉しそうな顔を見てうんざりした。言葉が通じれば、自分が”上帝”ではない事、名前も違う事を伝えられただろうが、自身は虎である。低く、不快に唸った事に気がついたらしい男は、恐らく、正式な礼であろう格好を取った。だが、口上を聞く前に来た道を戻る旅人の姿を捉えて立ち上がり、慌てて追ってくる。あの晩から旅人の行動範囲を調べつくし、寝床まで来ようとするとは、立派なストーカーだった。それも、片腕はまだ添え木と包帯の姿で。

「お待ちください」

 ―――――――――ついてくるな、ストーカー。

 心底、人の言葉で話しかけてやりたい。不快気に低く唸ったのも分かっているだろうに、無遠慮に後を追ってくる。きっと女性にはモテないタイプだ。愚直すぎて、うっとおしい。意地悪く、人、それも片腕には難しいだろう崖を四足で駆け上がり、どうだと鼻をならしたが、多少の時間稼ぎになっただけで、いつのまにか後ろに戻っていた。頭を抱えたい。その後も、何度か遠回りや崖を利用したのだが、男の執念は強く、とうとう旅人は伏せて頭を隠すように抱えた。

「如何なされましたか、上帝」

 慌てて駆け寄ってくる男の存在がうっとおしい。そうして、暴力の原因になった”上帝”の言葉もまた、うっとおしい。ますます伏せすると、男は大げさに慌て、やれ腹下しだ、傷薬だ、解熱薬だと出して見せた。胡乱気に旅人が顔を上げれば、途端に嬉しそうな笑みを浮かべるのも気に食わない。たいして美形でも何でもないし、美女でもないのに。それほどまでに人に飢えているのかと、我ながら残念だった。いっそのこと、虎ではなく、竜か何かに成れないだろうか。地を歩いて足跡が残るなら、空を飛べれば追ってこれまい。

 邪魔とばかりに差し出された薬を片腕で避ければ、男が仕舞う。四足で立ち、ぐぅっと背伸びをすれば、自然とあくびが出た。酷く疲れたと感じ、男の存在を無視して旅人は寝床に向かう。野生動物と化した我が身は、些細な音や臭いで覚醒するようになり、日中のほとんどを行動すれば、眠くて仕方がないのだ。どうにでもなれ。家にも帰れず、どこだかわからない場所に突っ立っていて、人を脅かしてこぼした小銭や何故か読み書きができる言語のお陰でしばらくは旅人に扮する事が出来ていたが、もはや虎と化した身である。そのまま野生に目覚めて、この後ろをついてくる男を食い殺せばよし。万が一殺されても、自殺出来ないと困っていた自身、都合がいいじゃないか。

 ようやく見えてきた寝床の洞窟前で、旅人は感慨深そうに下から見上げた。と、どさりと何か倒れる音がし、振り返る。誰かといえば、今日出会ってからずっと後ろをついてきた男であった。荒い息は、決して山登りのせいだけではないだろう。発熱しているようだな、と旅人は感じた。片腕の骨は適当に添え木されているだけだし、集落に戻らず、薬も補充せずに森を歩いていれば、それは倒れるだろう。むしろ、今の今までそんな素振りを見せなかった根性が凄いと思った。このまま見捨てれば、自身をわずらわすものはなくなる。けれど、素直に感心してしまった旅人はやれやれとため息を吐いた。居心地が悪くとも、敬愛する上帝(笑)の傍なら意地でも素振りを見せないだろう。彼の敬意に感服し、旅人は襟首を加えて彼を引き摺った。

 さて、そうなると不便な獣の身。旅人は一番の原因であろう、片腕に触れず困っていた。この肉球で触れば飛び上がるほど痛いに違いない。男の意識が戻ればいいが、完全に消失しているようで、「はっはっ」と息を切らして悶えている。無精髭があるが、それは数日処理してないだけで男盛りだった。特に美形でもなんでもなく、唯一特徴があるとすれば、濃い眉と意識せずに見開かれる目だろうか。平凡顔の男の、唯一の特徴とも言っていい。野太い喉に鍛えた体は、さすが冒険者といったところ。身につけているのもよくある革鎧だが、剣だけは薄らと細かい彫りが入り、金をかけているようだ。他身分証のようなものはなく、旅人は彼に、自分の寝床(羽毛を何とか取ってきた)を譲り、隣に寝そべった。これで竜だったなら、ファンタジーにあるように血を飲ませれば体力が回復して、などというオプションがあったかもしれない。それか、両手だけでも人に戻れればいいのだが、と旅人はうつらうつらしながら思った。男の呻き声が聞こえるが何も出来ず、慰めるように尻尾で彼の腹を撫で、旅人は眠りに落ちた。




 低い、獣の声がする。覚醒一番旅人は鬱蒼と身を起こした。軽く顔を上げて風を嗅ぐが、外からではない。と横に顔を向ければ、昨晩寝床を譲った男が腕を抑えて呻いている。倒れるほどに無理をしていたのだから苦しむのは当然、額を合わせると熱がさらに上がったようだ。折れた腕も昨晩から二倍に腫れ、いよいよ進退極まる場面である。背中に乗せれれば集落まで数時間程度だが、体力も意識もない男の事、しがみついていられはしないだろう。では襟元を加えて引き摺っていくかと一考するが、さらにボロボロになるのは見えている。本人の体力次第だなと冷淡に見て、しかし虎の身であるからと何もしないには後味が悪く、旅人は埋めたはずのTシャツを掘り返して寝床を後にすると、昨日向かうはずだった川へと移動した。

 丁寧に咥えたつもりだが虎の牙は鋭く、Tシャツは安物でしかも土に埋もれており、爪を隠して肉球でTシャツを沈めたが穴が空いている。最近は虎の身が慣れたとはいえ、人に戻った際に上半身裸なのはいただけないなと、ぼんやり思った。ジャブジャブと音だけならば遊んでいるように、しかし旅人は虎の身で苦心してTシャツを土色が消えるまで洗浄、岩に押しつけて軽く絞ると、再び元来た道を引き返した。

 寝床に戻ると、まだ呻いている。生きているかと唸れば、意識があるのかないのか、同じように呻き声が返ってきた。他に何も出来ることはないので、旅人は軽く鼻をならすとびしょぬれのTシャツを男の顔に落とす。びくっと男が反応したが、痛みや発熱で動けないのか「もがもが」言うだけで、このまま濡れた布を口に当てていると死ぬなと思い、旅人はそろっと肉球でTシャツを額側へ動かした。男の髪が濡れるが、まぁ、良いだろう。

「ぅ…うぅ……じょ……、てぃ」

 ――――――まだ言うか。

 濡れた布を落としたせいか、一時薄く眼を開けた男。旅人はうんざりと苛立たしく、短く吠えたが通じてはいないだろう。ますます”上帝”とやらと間違えられるのは勘弁ならないと、男から背を向けて横になる。男自身が見せた薬草が常備されているはずなので、意識が戻れば勝手にするだろう。まだ何事か呻き、謝罪の言葉を延々と述べる男に我慢の限界が来るまで、旅人は伏せて前足で両耳を覆っていたのだが、意識が戻れば戻ったで五月蠅い男に再び旅人は立ちあがった。のっそりと顔を見せれば、苦しみながらも笑みを浮かべる男。片手を差し伸べられたが前足で弾き、旅人は彼の下顎を覆うように噛む真似をした。黙れ、と通じたのか、男が微かに「申し訳ありません」と呟くのが聞こえる。それからごそごそと常備薬を思い出したか、治療を始めた男を横目で見て、これ以上手助けは不要と、旅人は背を向けて寝ころんだ。明日には追いだしてやると思いながら。


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