託された名
黒い竜となった彼女とギョウが全てを見送った後、最初に降り立ったのは、浜辺にほど近い草原の一角であった。そのすぐ近くには竜の体をして登れる岩山があり、いつのまにかそこはギョウの気に入りの場所となっている。それは、柔らかな草原で眠る彼女の姿を見守れる、最適の場所であると同義だ。
人として死に、異形と混じった生を受け、再び眠りと覚醒を繰り返して魔の法を獲得した彼は、彼の意思で竜と人と化身が出来る。だが、この地へやって来て異形から変化した動植物や異形に属する人の行動、また本能によって第四の大陸にやってくる新しい異形たちを警戒して、竜のままの姿だった。変わって、新しき上帝となった彼女は、どこか立場を拒否する意識があるのか、竜になったり虎になったり人に戻ったりと不安定で、定まらない。彼女は未だ強い眠気に悩まされており、今も草原の一角で竜の姿で、無防備に丸まって眠っている。
不思議な事に、彼女とギョウの間には魔の法のやり取りがあって、常に繋がっている感覚がある。世界に新しき上帝として選ばれたのは彼女であるも、彼女が人の時はギョウは魔の法を使いやすく、彼女が竜の時はギョウが魔の法を使いにくいと、そんな作用があった。また、同じ竜でありながら、彼女は竜や虎の姿のままでも小動物が寄ってくるのと違い、元々の騎士としての器量がでるのか、人でも竜の姿でも、ギョウは威圧的だと他の異形たちから恐れられて、実質、彼女よりもここの支配者として認識されている。三の大陸で魔の法に目覚めた時から考えていたのだが、自身は彼女の補佐的な役目を持っており、彼女自身は癒しの面が強く、自身は荒ぶる面が強い役割があるのではないだろうか。それに気付いた彼は、遅れてこの地へと合流した、事情を知るセン達の力を借りながら、強者として在ろうと、この地を管理する事を決めた。それも全て、彼女の騎士として、敬愛する主人と共に在る為である。
時折竜の姿でギョウが見回るも、人の迫害から解放された異形に属する人々は各地に集落を作り、第四の大陸に来て暴れる異形も居らず、この地は平和そのもの。主人である彼女の眠りを邪魔し、彼女を害する者はない。満足して彼女を眺めていた彼は、被膜を使い、眠る主人の傍に降り立つ。温かな日だまりの中で安らかに眠る主人を良い事に、頬擦りをして、彼女を包むように横に寝転んだ。
――――――カロロロロ…
日だまりは温かく、ギョウもまた眠気が降って来た。甘えるように鳴き、彼の主人と首を絡めようとしたギョウだったが、不意に頬に違う感触を感じて首を持ち上げた。人の顔であれば眉根を寄せただろう。温かだと思っていた日だまりは、長くその場に留まっても温かさなど感じない。違和感を感じて、その感覚に従って見れば、周囲に霧が漂っている。
――――――グルルゥ
喉の奥で押し殺すような悪態をついて体を起こすギョウは、近くに居たはずの主人の姿がない事に気付く。この霧だけでも正体がわかるというものだ。ギョウは即座に身を起こすと、苛立ちと威嚇を込めて一声吠えた。この世界で一番強い魔の法を操れるとあって、こうしてギョウも時折騙されるのである。唸りながら羽ばたいて霧を吹き飛ばすと、丸まる彼女の首元あたりに玉座のように腰かけて寛いでいる白い男を見つけた。竜の姿であるから手を出そうにも出せないのだろうが、彼が彼女に触れているのが気に入らず、すぐに人へと戻ったギョウは、苛立ちを流す為にマントを大きく掃いて近づいた。
「ご機嫌麗しく、ナナシ様」
「気安く呼ぶな。――――――そのまま、眠っておれば良いものを」
お互いに機嫌は最悪だろう。一度もギョウに視線を向ける事なく、片手で彼女の頭を撫でている白い男は、最後に余計なひと言を付け加えて舌打ちした。彼の一番得意な幻惑の魔の法は、暗示の様な効果があり、霧の形を取る。これでギョウまで眠ってしまったら、彼が起きるまでの間、白い男は彼女を連れて何処かへ行きかねず、危なかったと内心ギョウは冷や汗をかいた。
「ご自身の治められる地へお戻りください。もはや、貴方と御方に関係はないはずです」
動揺を気付かれないようギョウが冷たく言えば、白い男はそれを鼻で笑う。ゆっくりと白い髪を耳にかけた。
「上帝としての影響を鑑み、”行け”とは言ったが、ワシとこやつは離縁しておらぬ以上、まだ、夫婦だ」
ほとんど脅しのような契約で婚約し、婚儀も代役で行ったというのに、とギョウは歯を噛み締めた。軽く片眉を上げて、「それこそ、ただの言い訳にすぎません」と続けようとしたギョウは、さらに上空に強い風の気配を感じてそちらを見る。彼女の鱗の感触を楽しみながら白い男も気付き、呆れ顔になってギョウと同じ方向を見た。
「カリナ殿っ! ―――と、いらっしゃったのか、幻惑の君」
上空から頬を上気させてやってきたのは、風虎である一の上帝。ぱっと人へ化身して飛び降りてくると、ギョウとナナシが睨み合う状況に一瞬驚きを見せて、しかし状況が分からず、先走った言に照れたように言った。白い男は「こやつも良くやる…」と呆れ顔をし、関わる気はないか適当に頷いて彼女の方へ視線を戻した。ギョウもまた「リチョウ様…」と何か言いたげにする。それをどう受け取ったのか、若々しい一の上帝は凛々しい顔でギョウを見た。
「あいや、心配するな。親父殿の許可はあるし、各大陸の上帝たちがこうして交流を持つのも革新的で良い事だと俺は思うのだ」
表裏がないような、にっこりとした笑顔を見せて言うリチョウに、ギョウは一の民としての敬意もあって何も言えなくなる。暇を見つけてはやってくる三の上帝は厄介な相手であるが、呼んでいないのに頻繁に風を駆って来る一の上帝にもギョウは困惑していた。ここに来れば他の上帝と会えるとでも思っているのか、まるで子犬や飼い犬が尻尾を振っている風に感じる。すると騒がしい中、さらに騒がしい一団がその浜辺へとやって来て、ギョウは「あ」と慌てて主人の頭の近くに膝をついた。船から降りてくるのは、二の上帝と付き人の武官たちである。侍女と侍従も何人か居り、二の上帝が寛ぐための場を用意し始める。
「御方、カフカ様がいらっしゃいました」
少し強めに揺すると、寝起きは良いらしい彼女が、「うぅん」と目を開けた。目が乾くのか、鼻先に皺を寄せて顔を顰める彼女に、白い男は少し体を前に倒して彼女が起きやすいようにしてから声をかける。
「起きたか、嫁女」
そのまま器用にくるりと膝をついて回ると、彼女の視界いっぱいに陣取って、目を覗き込む。それに「旦那様!?」と驚いて声を上げた彼女を見て機嫌を良くしたか、くすぐるように頬を指先で掠め、「久しいな」と艶美に微笑んだ。流石に見慣れているのか、見とれるよりもいないはずの人物に困惑している彼女に、彼は「いつまでも会いに来んので、こちらから参ったわ。愚鈍な嫁女め」と額を弾いて不満を表す。
「でも、あの、私、貴方を裏切って―――…」
「何、別居の夫婦も居るものよ。ワシは寛容ぞ」
「旦那様……」
仕方ない奴めと言いたげな三の上帝の顔を見て、しかし彼女は暗い顔をした。「否は聞かん」と次第に機嫌が悪くなる三の上帝に気付いているだろうに、正直な彼女は納得できずに「でも、ですが」と言い続ける。三の上帝が振られるのを見るのは良いが、折角二人でこの大陸を治める事になったというのに、また横から掻っ攫われそうな気がしてギョウはずいっと二人の間に割り込んだ。
「御方。お客人ですが、如何いたしましょう」
それに「カフカ様!」とはっとした彼女は、さらに機嫌が悪くなる三の上帝を押しのけるようにして立ち上がると竜から人の姿へと戻っていく。二の上帝の宮では人であったので、彼女に会うと思うと人になりやすいのだろう。現に、人に戻った彼女は、二の大陸の侍女服に似たモノを纏っていた。砂浜をサンダルで駆け、輿に乗るカフカへ走り寄ると、彼女から声がかかる。
「久しいな、息災か」
「はい。カフカ様、ようこそいらっしゃいました。私、ずっとお礼が言いたかったのです」
「ふむ」
鷹揚に頷いたカフカは、本心かはわからないが、施政者として薄らと笑みを浮かべた。それに彼女は舞い上がって「実は、ナナシ様もリチョウ様もいらっしゃっているんです」と我がことのように話した。それにカフカは若干顔を顰めると、ちらりとギョウ達の方を確認して、胡乱な目をする。遠目にも、「何をしている、お前達」と口を動かしたのが見えた。
「あ、そうだ。少々お待ち下さい、カフカ様!!」
恐らくカフカは声を出していなかっただろうが、このままではいけないと思ったらしいカフカは、輿を草原近くに動かす様指示し、それに合わせて主人も隣近所のセンの家へと茶器を取りに走っていく。二手に別れる彼女達に、ギョウは主人の意思通りカフカの対応の為礼をとり、三の上帝は面白くもなさそうに深く息を吐いて適当な岩の上に胡坐をかいた。
「カリナ殿、加勢しよう」
ぱっと軽快なリチョウだけが、誰の返事も待たずに彼女を追って駆けていく。すると、ギョウとナナシはお互い嫌そうな顔をして手持無沙汰となり、ただ無言で彼らを待つことになった。彼らの間に降り立ったカフカは、侍女に指示して適当に机を用意させ、早速腰かける。その頃には足の速いリチョウが戻ってきており、後から息を切らせて彼女が到着し、呼吸が整うのを待って茶を淹れた。
「して、何か実のある話はあるのか」
粗末なカップだというのに、彼女が持つと芸術品のようだ。偶然に全ての上帝が集まったその日、カフカはカリナの様子を見に来た事を忘れて、各大陸、主に一と三の上帝へと話を振った。一の上帝は、生真面目に大陸内の異形の数が減って来ている事などを話してそれなりに彼女と会話を楽しんでいたが、三の上帝は「俗世の事は王を通せ」と退屈そうに頬杖をついただけであった。相変わらず嫌味な爺だと言わんばかりにするカフカだったが、施政者らしき涼しい目でカリナの方へも視線を向ける。ほくほくと給仕をしていた彼女は、その視線に一度へらっと笑みを浮かべたが、カフカの片眉が上がったのを見て震えあがり、異形と成りし者が集落を作り、各人で交流し始めたと、センとした世間話を彼女にも話して聞かせた。
「ふむ。上帝としての務めはどうだ。何か不安があるか」
「大きな事は何も。時折、ギョウさんと上空から様子を見ていますが、変化らしい事もありませんし」
「そうか」
そう言い、目を閉じて茶を含むカフカ。そのまま彼女との話では埒が明かないと考えたか、探るような、指示するような、鋭い視線をギョウへと寄越す。彼はそれに自信持って頷き、やっとカフカは納得したようだった。常に彼女がカフカへ一目置き、彼女への不遜な態度が見えるカフカだが、どうも主人よりもカフカの方に、彼女への苦手意識があるようだとギョウは見ている。同性同士、色々と話が弾むのではと考えていたギョウだったものの、そうも上手くいかないのかと内心嘆息した。そして昨夜の事を思い出す。
この世界の事を少し認め、上帝であると自覚が芽生え始めた彼女であるが、今のように穏やかに過ごされているのは、誰か人の目が在る時だとギョウは知っていた。彼女の唯一の難点は、郷愁から真夜中に狂ったように泣き叫ぶのが、稀にある事である。家族を呼び、その家族や誰かに対しての謝罪を繰り返し、自身の不遇を嘆き、近くにあるものに当たり散らす、とても激しい慟哭なのだが、ギョウや他の人間が居ると知ると、途端に我慢して微笑んでしまう。それが不自然な事と感じ、痛ましく思っていたギョウが、根気よく彼女を宥め、説得し、怒鳴りつけ、月日を重ねるうちに、彼の前だけは遠慮せずに泣き叫ぶようになった。
昨夜も寝ていた所を飛び起きて大きく嘆く彼女がおり、ギョウは慌てて、岩に拳を叩きつける彼女を止めたのである。普段はそれで多少落ち着いて泣き寝入る彼女であるが、その日はそれだけで終わらず、彼女の拳を受け、爪を受け、両手を押さえても止まらず、掴み合いになった記憶がある。正直、人であったら付き合っていられない激しさであるので、自身が異形と混じって、体力が上がっているのを有難いと思った。ここに居る上帝たち、特に自称夫である三の上帝も知らない彼女の痴態は、彼の微かな暗い喜びを与えてくれる。
明るい昼間ならまだ感情を保っていられるのか、昼間の彼女は穏やかそのものであるも、夜に竜と成って嘆く彼女の悲鳴は、第四の大陸全土を揺らす。また、虎の時は空腹になるらしく、逃げられない植物や狩られる動物の悲鳴が聞こえるなど、まだまだ彼女は不安定なのである。不思議なのは、竜はともかく、なぜ虎となるのかギョウはわからないでいるのだが、彼女は「生まれ年なので、愛着があると思うんです」と彼に分からない事を言っていた。彼がわからないと顔に出すと、少しだけ悲し気に笑うのが印象的で、彼は詳しく尋ねるのをやめ、時を置く事にした。ただ、一つだけ教えてもらった事がある。
彼女としては、自身の痴態に付き合わせている自覚があるためか、ギョウの”お願い”を断りきれない所があって、それで聞きだした事だった。というより、夜の嘆きの激しさから、彼女が泣き叫んだのである。
――――――違う!! そんなの、私の名前じゃない!!
顔色を失くして、泣き叫ぶ彼女の姿が脳裏に映る。黒い夜空と同じ色の髪を振り乱し、白い月明かりの中、慟哭した彼女。月に照らされた砂浜の白さと相まって、どこか非現実的な光景で、とても、―――官能的だった。そう感じた自分も大概悪趣味だなと、ギョウは小さく笑う。
一見和やかな雰囲気の茶会が終わると、リチョウは来た時の様に風虎と成って、カフカは船で、ナナシはどうやったのかわからないがいつの間にかいなくなっており、ギョウは、寂しさに呆けたように夕日を眺める彼女を呼んだ。
「”__”様」
夕日を見ながら、魂が抜けたように静かだった彼女が振り返る。随分と幼く見える顔を涙で歪め、彼女は立ち上がって、差しだされたギョウの手を握る。これからまた、夜が来る。悲しみで胸が痛みだしたか、彼女は握るギョウの手をぎゅっと握り返し、ギョウもまた、指を絡めた。
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