KARINA2
目前には、黒い大きな影の群れ。背後は、守るべき城下町。人前で裸体になることも気にせず、二の上帝は衣服を破り捨てるように脱ぎ捨て、宮の壁から身を躍らせた。
――――――ギャギャギャギャギャッ!!!
ガキンと大きく顎が鳴り、一瞬の砂埃の後には、彼女の体は一山程の巨大なムカデの姿を取る。それは身をうねらせながら宙を泳ぎ、砂漠と街との境界へと跳ね飛ぶと、再度威嚇の大声を上げた。普段なら、異形達が優先的に狙うのが、上帝である。こちらに喰いかかってきたのなら宮から外れた場所へと移動し、この群れを引き離す事を最優先にしようとしていた二の上帝だが、砂漠に棲む砂クジラと良く似た形状をした異形達は、飛び出してきた甲虫に反応することなく、前へと進んでくる。
――――――カカカカカカカカカッ!!!
あくまで城下町の多くの人間が標的かと、かっと体を怒らせた二の上帝は、先頭の異形と真っ向からぶつかりに行った。どんっと大きく砂埃が舞う。二の上帝の得意な防御・封印の魔の法も大きく展開し、闘牛の様にぶつかりあった彼女らだが、静まり返ったのは一瞬で、次にはどんっ、どんっと、第二、三の衝撃が彼女を襲った。
――――――カアアアアァァァァァァァッ
それで止まるなら良い。宮をぐるりと囲む魔の法へ、彼女が抑えきれなかった異形たちが追突してくる。負けじと、気合いを吐き出し、異形を押し返そうと動き出した二の上帝と魔の法が一層輝くが、数が数だ。何度も追突されるうちに一部が決壊し、街をぐるりと囲む壁へと異形の頭がめり込んだ。
「抜刀っ」
瞬間、壁の上で集合・待機していた兵士たちが、武官の合図で剣を抜く。
「降下っ!!」
言うが早いが、武官は剣先を下に向け、飛び降りる。一呼吸後には、他の兵士も飛び降り、頭を押し付けもがいている異形を貫いた。ぶしゃりと、黒い靄のようなモノが吹きあがる。
――――――ああぁあぁぁぁああぁっ
悲嘆にくれる男のような声が漏れ、びくりと兵士たちが硬直した。流石の武官もこのような、人の声が聞こえる事態は初めてであったが、異形が綺麗に消え去ったのは間違いと、兵に檄を飛ばす。異形が消えると、二の上帝の魔の法は自動的に補修を初めて、宮の守護は増した。
「全兵構えっ、―――前へっ」
常日頃から感情の動きが読めないと評判の、冷静な武官である。彼が動揺なく指示を飛ばせば、それを信じて目の前の異形の群れへと意識を戻す兵達。彼らの目の前には、何度も体を張って異形からこちらを護る二の上帝の姿が映っている。彼女の負担を減らすためにも、また、街への被害を減らすためにも、ここで彼らが踏鞴を踏んではいけないと、彼らは走りだした。
一方、何度も殴られるような痛みを体に受けている二の上帝は、一種、奇妙な事に気付いていた。ぐっと彼女が引かずに先頭の異形達とぶつかり合っていると、後方から来た他の異形は、大きく迂回して宮を目指すでなく、それを避けて、さらに先に進んでいるようなのである。もちろん、この宮の他にも街はある。だが、その小さな集落を、人を目指すというよりは、このまま一直線に進みたがっているような気がするのだ。試しに武官へと魔の法を使い、声をかければ、彼はより冷静に「そのようです」と判断した。
『――――――伝言を飛ばせ』
何度も何度も殴られる痛みに耐えながら、二の上帝は既然と言った。取りこぼして先に進ませてしまった他の異形の進行路に、他の街があるかもしれない。
『どのような手段でも良い、言を飛ばせ。それまでは私が守るっ』
殴られるような衝撃に体が軋む。彼女の鋭い顎の端からは、血である赤黒い液体が漏れ出ていた。彼女の魔の法の隙間を逃れた異形を倒しつつ、武官は彼女に走り寄ってそれに気付く。限界が近いと見て、彼は珍しく眉根を吊り上げ、怒声を上げた。
「壁でも、しばらくは保てる。カフカ様、人に戻りなさいっ!!」
武官が怒鳴る間にも、彼女の体には、衝撃が来る。武官の前にどたりと血の塊が落ち、さらに焦ったようにして彼は「カフカッ」と怒鳴った。それに、抑える余裕がないか、『うるさい!!!』と絶叫のような、彼女の声が降ってくる。この状況で、彼女は、自身の身よりも、民が生きる事を望んだ。
『二の民よ、私の声を、聞けっ!!』
血反吐を吐きながら、彼女は一心に念じる。
『異形が来るっ。荷を捨てろ、街を捨てろ、皆で逃げろ!!』
この時、カフカは身の内がかっと燃えたと思った。特に、肩甲骨の間、背の真ん中が熱い。それは、少し前まで、ふっと綻ぶ笑みで背を摩り、施術を施した侍女がよくよく手を当てていた場所である。それに気付く事もないまま、彼女は吠えた。
『―――――――――頼む、生きて!!』
わんっと、円状に何かが響く。一瞬、空気が止まった。風がぴたりと止んだと武官が気付いた時には、大きな甲虫の姿は無く、上空から気を失ったカフカが落ちてきた。
「―――!」
慌てて走りだし、受け止める。裸体のカフカは気絶しており、その体のあちこちに大きな痣を作っていた。ぐっと眉根を寄せた彼は上衣を毟り取り、彼女に巻きつける。このまま宮へと走りたかった彼だが、異形を前に背を向けるわけにはいかない。と、彼が顔を上げた時には、何かに阻まれるように固まっていた異形が、そろりそろりと進行方向を変える様子が見て取れた。なんと、異形たちは、宮を大きく迂回するように移動しているのである。脅威は去ったと、彼は確信した。
「納刀っ――――――各地へ伝言を飛ばせ!!!」
即座に部下達に伝令を出すと、彼はカフカの体を抱き抱えて宮へと走った。
大地が咆哮する。足元から突き上げてくる振動はそうとしか表現できないようなもので、膝を、両手をついた状態から、三の上帝、ナナシは周囲の状況や眠る黒い竜を窺おうとした。しかしながら、何とか四肢でバランスを取ろうとするものの、どこかへ滑り落ちてしまいそうな揺れが邪魔をし、上手くいかない。彼の視界には、立てない程の強い揺れの中微動だにせず、影響が全くない騎士、ギョウの姿が、不気味に映っていた。視線が交錯し、ギョウがゆったりと微笑みを浮かべる。彼は、独白するように、これまでの経緯を白い男へ話しかけた。
「迷いの中に居た私は、御方の言葉通りにあの屋敷から離れられずにいました。思えば、見たくもない現実を逃避していたのでしょう」
ギョウの中で、彼の気持ちは不明なまま、明確な、騎士として主の命に忠実である事が優先されたのだ。自分を誤魔化しながらも屋敷で主を待っていた彼は、三の上帝と寄り添う主人の姿を繰り返し想像するに、次第に主の表面だけの言葉に忠実でいいのかと考えだした。例え、言葉に反して、彼女の意思に反してでも、彼女を護る事が最上なのではないかと。
「何故御方の傍を離れたのかと、思い知らされたのは、私が人の姿に戻った日です。あの日、御方は貴方と結ばれた。勘違いだと笑っていただいて結構――――――私には、彼女の悲鳴が聞こえたのです」
”結ばれた”と”悲鳴が聞こえた”の言葉が出た際、ギョウは酷く暗い目をし、ナナシにも、彼が酷く劣等感を抱いている事を感じる事ができた。確かに完全に合意とはいえなかったナナシは、優越感の中に他人に暴かれた気まずさも感じたのだが、それだけで気持ちが後退する事はなかった。悲鳴云々についても、ギョウの妄想だと言ってしまいそうになるものの、揺れの中で声を出す事が出来ず、顔を顰めて歯を噛み締める。
「可笑しいとお思いでしょう? 私も、あれは不思議な感覚でした」
未だ妄想ではないかと自身でも困惑している様な、そんな表情で彼は自身の胸を一撫でした。何故、彼女を連れて逃げなかったのかと後悔した直後、彼には、心臓部分から一筋の線が見えたという。
「彼女と繋がる強い力が感じられました。一瞬の事でしたが、刹那、自身の姿が竜から人へと戻った。恐らく、彼女と入れ替わるように力が作用したのでしょう。現に、私の両手には、竜であった時の様に、黒い魔の法が宿っている」
言って、ギョウは両手を軽く掲げて見せる。黒い靄のような物が両手に宿り、次いで彼の体の表面を滑っていくと、不格好な旅装束でなく、彼は騎士の名に相応しい漆黒の甲冑に身を包み、立派なマントも羽織っていた。その姿に、ナナシの目はいっぱいに広げられる。
――――――”異形の王”
彼の頭の中には、一つの単語がはっと浮かびあがった。それは、上帝にある世界の意思を感じる事象―――つまりは、天啓。
「貴様が、………新しき、上、帝…?」
以前見た時よりも寒々しい目をするようになったギョウは、さらに雰囲気が神々しい物へと変化していた。同じ上帝を見るような、そんな凡庸な人間とは違う感覚に、ナナシは声を漏らす。それにまだ確信はないがと、ギョウは軽く目を伏せ、そうしてゆっくりと、眠る黒い竜へ歩み寄った。
「止せっ、そやつに近づくな!」
強い揺れに抑えられている自分では止める事が無理だと、彼は霧の魔の法でギョウを惑わせようとしたのだが、それはギョウの黒い炎に吸い込まれ、また、彼が魔の法を使った事により、より竜と彼の間に見えない力が作用している事にも気付いてしまった。愕然とするナナシに少しも気を向けず、ギョウは黒い竜の鼻先で止まると、マントを捌き、そっと膝をつく。
「お待たせいたしました、尊き方」
やっと辿り着いたと万感の思いで、ギョウは彼女の額に自身のを合わせる。思わず擦り寄るようにギョウが首を動かした直後、竜の体が輝き出した。それは朝日が漏れ出ているような目に眩しいもので、常が霧の中に居るナナシは堪らず目を背け、閉じてしまう。
一方ギョウは、大きく抱きしめるように両頬を押さえていた手が、次第に小さく小さくなっていくのを感じていた。それはふわりと浮かびあがっており、どこかへ飛んでいかないよう、そっと引き寄せる。両手にある光の塊から最初に見えたのは、黒い毛先だ。
「御方」
挟み込んだ手の平が、柔らかな肌の感触を伝えてくる。ふわふわと浮いていた感触は、ゆっくりゆっくりとギョウの手の誘導に合わせて、大地へと降り立つ。額が大きく見える髪型の彼女。伏せられた目はとても長い睫毛。それが震え、小さく目が開く。そのまま瞬きを繰り返し、時間をかけて見開かれる黒い瞳。
「ギョウ、さん」
ぼんやりと、ただ目に映った人物を認識して彼女。それにギョウは本当に嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。ゆらりと立ち上がり、背のマントを取り払うと、同じく身を起こして座る彼女を包むように抱きしめる。人に戻り、薄着で、寒いなと感じていた彼女には有難い事だったのだが、ギョウの肩越し、悔しそうにこちらを眺めるナナシの姿に気付いて困った顔を浮かべた。
「旦那様…」
ギョウに抱き締められたまま声をかければ、震える足で何とか立とうとして苦しげな顔。そこで彼女は周囲が細かく揺れている事に気付く。それから自身とギョウの周囲は何ともないのにも、気付いた。さらに、ギョウの呼吸に合わせるようにして目を閉じると、見えない外の様子も、他の大陸の様子も見える。一斉に森から飛び立つ鳥の群れ。湖では、河では、海では魚が跳ねる。森がざわりと揺れ、全ての黒い影が世界の中心へと、移動を始めた。――――――このままでは、いけなかった。
その時には、夢の中で白い女を抱きしめた彼女に、シーナの最後の言葉が浮かんでいた。
―――”貴女の嘆きが、世界を救う”―――
”嘆き”とは何か、未だ答えは出ない。けれど彼女は、郷愁を抱いて苦しみながら、”泣き女”のように泣き続ける定めなのだろう。悲しみ、苦しみを負ったモノたちを慰める為に。再び目を開けると、彼女の言いたい事が分かったか、苦難の表情をするナナシが居た。
「ワシを…置いて、行くか…」
これまでであれば、そんな声はきっと出さなかっただろう。本当に短い間だったけれど、こんなにも彼女を想い、惜しんでくれるようになった彼に、何か言おうとして、彼女は言えなかった。「カリナ」と呼ばれて、手を伸ばされる。行くなと彼の目が言い、堪らず彼女は息を吸った。
彼女の体の震えがわかったか、ギョウがぎゅっと力強く抱きしめてくる。しっかりしなくてはと、はっと我に返る彼女は、意を決して首を横に振る。泣き崩れそうになっている表情の彼女を見て、歯を剥き出しにするほど悔しがったナナシであるが、何も言わずに手を下ろした。
「――――――、行けっ」
彼の別れの言葉は短かった。




